おはようございます。旭川のビジネスホテルで爽やかに目覚めたわたしは、旭川発6時05分の普通列車で比布駅を目指す。
6時28分に比布駅に到着。昨日6時間かけて歩いた道をわずか23分で走破してしまうのはなかなか愉快・痛快。
比布駅を出発し、まずはポストに葉書を投函する。自分宛の絵葉書である。最近では旅先から自分宛への絵葉書を出すのが習慣になっている。旅先の地名の消印入りの絵葉書は記念になる。海外旅行でそういったことをする人が多いらしいが、国内旅行ではあまりいないだろう。日本各地を旅した記念にいいと思うんやけどね。
早朝ということで、人は少ない。散歩している人にたまに遭遇したが、早朝にたいして名所もない田舎町(名所といえば、ピップエレキバンの由来になったことぐらいだ)を歩いているバックパッカーを見て、どう思ったのだろうか。おそらく変な旅人がいるな、とかそんなとこだろう。
線路沿いの道を歩く。田園風景。実に長閑である。足の疲れはさほどないので、軽快に足が進む。
たいした見所もないままひたすら道を直進する。どうやらサイクリングロードになっているようで、しっかりとしたまっすぐな道がついているのでわかりやすい。
3キロほど歩いたところで北比布駅に到着。
すぐに北比布駅を後にし、田舎道をまっすぐ進む。しばらく国道から外れていたのだが、やがて国道40号線に復帰し、交通量が多くなる。
朝食を食べていなかったので、食事処を探したのだが、まだ朝早い。開いているような店など見当たらない。幸い自動販売機は何箇所かあるので、水分補給だけはなんとかできた。
国道の標識を見ると、旭川から24キロ歩いてきたことがわかる。でも、本日の目的地である士別まではあと32キロ。先は長い。
国道をしばらく歩くと蘭留駅に到着した。
駅舎はモダンだが、田舎の小駅という感じは拭えない蘭留駅。しばらく滞在して、写真撮影等をした後はすぐに国道に復帰して先を目指すこととした。
ここからは辺りに山々が見えてくる。基本的になだらかな地形の多い今回の旅路にあって、この塩狩峠越えは序盤の山場であり、全行程においてもなかなかの難所といえる。交通量は多いが、歩いている奴など見かけない(当たり前)。昔はこの峠を歩いて越えていたのだろうが、今は便利な車がある。ときおり聞こえる列車の音もどこか空しく聞こえるのだった。
ひたすら続く坂道に、やや嫌気が指し始める。足どりが重い。この日は日曜だったので、友人にメールを送ったりして気を紛らわせながら進む。
山、山、山。辺りは山ばかりで人家はほとんど見かけなくなった。いよいよ塩狩峠にやってきた。
↑塩狩峠が比布町と和寒(わっさむ)町の境となる。
塩狩峠越えの頃はかなり足がしんどかった。なぜか自衛隊車両が多数この周辺を通過していたのが若干気になった。近くに基地でもあるのだろうか。その辺のことについて詳しくないわたしにとって、頻繁に装甲車が通過する光景は新鮮であり、異常に思えた。
塩狩峠を越えるとなんとコンビニを発見した。こんな人里離れた地にコンビニとは。さすが幹線道路は違うと感じた。
コンビニ(コミュニティストア)で、飲み物購入。エロ本がやけに目立って置かれていたのが気になったが、別に必要ないので購入などしない。
必要なものを購入したらすぐに出発。地図によるとこの近くに塩狩駅があるはずである。ところが、なかなか見つからない。しばし探し回り、ようやく駅を発見した。この旅で唯一、駅を見つけるのに手間取ったのがこの塩狩である。
塩狩駅は実にのどかな場所にあった。日常的な利用を望めそうになく、完全な観光用の駅という感じがした。この塩狩峠は三浦綾子の小説『塩狩峠』の舞台となっている場所であり、三浦綾子記念館も建っている。この作品は旅を終えた後に読破したが、実によい話であった。機会があれば是非一読をおすすめする。
塩狩峠をひたすら下る。道路沿いには大量のつくしが生えている。なかなか見られない光景だ。しばらく食事に困らないぐらいの量で、お土産として持って帰りたいぐらいであったが、さすがに今回の目的とは関係ないことに時間を割けない。大量のつくしを横目に見ながら足を進めるのだった。
昼前ぐらいだったろうか。和寒町の中心部にようやく到着した。足はかなりばてていた。正直、まだ本日の目標の半分である。士別まで到達できるのかかなり不安になった。
食事処を探す前に、スーパーマーケット(ホクレンショップという店)に寄り、バンドエイドを購入した。靴ズレでかなり足が痛いためである。バンドエイドで治るとは限らないが、患部の保護のためには必要だと感じたからだ。
バンドエイドで傷口の処置をした後、和寒駅近くのケーキショップに入る。甘い物があまり好きでないわたしがこんな店に入ることはないのだが、空腹と他によい店が見つからないことによる妥協だった。好きなチーズケーキとか、パンとかを購入して、店内で食べる。クーラーがきいており、かなり涼しく、束の間の天国を味わった。
↑和寒駅は無人駅だが、利用者はそれなりにいるようだった。
しばらく休憩した後、再び歩き始める。
和寒を出ると、すぐに一面田園風景が広がった。いかにも北海道らしい壮大な風景。国道40号線沿いで交通量は多いものの、よい景色に目も癒される。
道央自動車道に沿って歩くと和寒町から剣淵町に入る。剣淵町に入るとすぐに東六線駅に到着した。
実にすてきな東六線駅。僻地の小駅といった感じで、板張りのホームに腰を下ろし、列車を待っているというのが実に絵になる感じがする。もちろんわたしは徒歩での旅をしているので、座って列車を待つことができないのが残念ではあるが。
味のある駅なのだが、名称も実に味がある。「東六線」。この地名の由来について説明しておこう。北海道はもともと開拓地であったため、日本古来の地名が存在しない。昔からアイヌが住んでいた地域はアイヌ語の地名に無理矢理漢字をあてはめて地名をつけていたのだが、何もない原野に開拓された地名にはそういった地名もつけづらかったらしい。そこで、道で土地を区画して、順番に数字の地名をつけていった。「東六線」とは、東から数えて六番目の線(道路)という意味で、機械的に付けられた地名なのだ。そういった味気ない決められ方だが、それだけに逆に味があるともいえる。他にも北海道にはこういった「○何線」のような地名が随所にある。昔の人が北の大地に希望を抱いて開拓していった証であろう。
東六線駅を出発し、剣淵町の中心地へと向かう。かなり疲れが出始めており、しばらく歩いては休憩するの繰り返しである。風景も「東○線」といった機械的な地名だけあって、変わり映えもしないものだったのも疲れに拍車をかける要因か。
苦労しながらも剣淵駅に到着。剣淵町の中心街なのだが、駅周囲にあまり人を見かけなかった。やはり、人口わずか4000人程度の小さな町だから仕方ないのだろうか。
駅を出てひたすらまっすぐ歩く。防雪林沿いの道だ。このあたりになるとかなりきつく、数百メートル歩いては腰を下ろし、足を揉むといった作業の繰り返しだった。
「つらい、やめたい」
そういう気持ちが頭の中に芽生えはじめていた。まだ音威子府までの道の半分にすら到達していないのだ。こんな足の痛みようでは到底たどり着けそうにない気がした。だが、少なくとも士別まではたどり着かないと宿屋は見つからないだろう。士別までは頑張ろう。そう自分に言い聞かせ、足を進めた。
歩いては座り、歩いては座るの繰り返し。道路の真ん中に座ってもほとんど車が通らないので安全だったのがよかった。
こんな、何の変哲もないひたすらまっすぐの道を歩くのみ。熊が出ないか心配しながら歩く。
そして、ひたすらまっすぐ進み、踏み切りの向こうにようやく北剣淵駅が見えた。
林の間にひっそりと佇む北剣淵駅。東六線と雰囲気がよく似ていて味がある。ここで列車を待ってもよかったが、ローカル線の超ローカル駅。列車は1日6本とかいう世界だ。待つよりは先を急げ。わたしは足の痛みをこらえながら先を急いだ。
田舎道から国道40号線に復帰。士別市にようやく入った。思えば随分回り道しているんだろうな、と実感。普通に国道40号線をまっすぐに音威子府へと向かえば、どれだけ距離と時間を短縮できることか。
相変わらず足は苦しい。国道の歩道で何度も座り込んだ。もう周りの人の視線なんか気にならなくなっていた。
ようやく士別市の中心街に入った頃には時刻は6時。ラーメン屋を見つけ、早速中に入る。くたくたで汗だくだったので、ラーメンもおひやも実にうまい。
ラーメン屋で夕食をとりながら40分くらいは休憩しただろうか。本日の目的地・士別駅へと向かう。
薄暮れの士別駅に到着。本来なら士別市の中心駅であるこの駅は有人駅なのだが、もう7時過ぎくらいだったので、駅員さんもおらず、入場券を買わずにホームに入ることができた。多少記念撮影して出る。
さて、宿泊施設を探そう。わたしは駅周囲を歩き回った。
まず見つけたのが、駅前のビジネスホテル。だが、看板は出ているのに入口は開いていない。今の時代の不況ぶりを表しているようで涙が出そうになった。
仕方ないので次にすぐ近くの旅館を訪れる。ここは入口の扉は開いていたが、中は真っ暗。本当に営業しているのか不安になりながら「すいませ〜ん」と中に向かって声をかける。すると中からオバチャンが出てきた。
「部屋開いてますか?」と聞くと、無事部屋は開いていたようで、ほっとする。
だが、予想通り客はわたしだけのようだった。本当にこの旅館はやっていけてるんだろうかと不安になった。
気さくなオバチャンはいろいろ訊ねてきてくれた。旭川からずっと歩いて旅をしているという話を聞くと驚いていた。わたしの顔の日焼けと痛々しい足を見るに見かねたのか、湿布薬をくれた。
「これを足に貼って寝ると楽になるよ」
と言ってくれた。さらに、
「歩きながら食べてね」
と、板チョコをひとつくれた。
疲れた身体にそのやさしさはとてもうれしかった。正直、音威子府へ向かうのはあきらめかけていただけに、地元の人と触れ合うことができ、なおかつ優しさに触れることもできた。普通に観光地に行くだけでは味わえない素晴らしいものを味わうことができたと思う。
布団に入ってもしばらくは涙が止まらなかった。オバチャン、ありがとう。
万歩計の数字はこの日1日だけで62,888歩をさしていた。