5日目。徒歩の旅としては未知の領域に入る日数だ。これまでは連続4日しか歩いていない。だが、2年前は4日で130キロ。今回は前日までで113キロ。ペースが緩い分幾分楽なのかもしれない。
朝起きて、朝食を取る。相変わらず高校生たちがワイワイやかましいので、さっさと食べてさっさと出発することにした。
まずは留辺蘂駅へ。朝8時前ということですでに駅員さんが配置についていたので、入場券を購入して中へ入った。やはり旅の記録として記念撮影は欠かせない(といっても旧白滝駅では撮影しそこねたが)。
駅近くのコンビニ(例に漏れずセイコーマートだ)で飲み物をゲット。セイコーマートスポーツドリンクというマイナーなスポーツ飲料だが、98円と安い。北海道最大のコンビニチェーン店で売られているのだから、世間一般にはマイナーであっても、安さに不安を覚えるということはなかった。
コンビニの前には猫が数匹。人が近づいても逃げないというのが何とも愛くるしい。
留辺蘂から相内駅までは、線路沿いの国道をひたすらまっすぐ10キロほど進む。これだけの直線道路というのは北海道ならではと言えるだろう。開拓時代の正確な区画整理が今でも生きているということか。
ただ、道がまっすぐなだけに目標物とするべき地点を見出しづらく、自分が今どこまで進んでいるのか地図上で確認しづらい。だいたいの歩くスピードと歩いた時間で距離を類推できればよいのだが、歩くのだけに夢中であまりそういう余裕はなかった。風景も代わり映えせず退屈な道である。歩道がずっとついているというのはウォーカーにとっては有り難いが。
2時間ほど歩いて相内の集落までやってきた。集落というよりはそれなりの町といっていいかもしれない。だが、当然、相内も田舎には違いないのかもしれない。
でも、田舎というのはどのへんから言うのだろうか。東京などの大都会でしか暮らしたことのない人にとってみれば、大都市圏(東京、大阪、名古屋、福岡など)以外の地方都市は田舎に思えるだろうし、山奥や離島で育った人にとってみれば、一番近い地方都市くらいでも都会と思えるだろう。ちなみに北海道以外の人にはなじみが薄いかもしれないが、札幌は大都会だ。なんせ180万都市だからなあ。福岡より多いのだから。
思うに、一般には「田舎」という字面から見て、「田」の目立つ所が田舎といってよいのではないだろうか。田んぼは日本の原風景といえよう。じゃあ、北海道の北の方のように、田んぼのない所は田舎とはいえないのだろうか。確かに北海道は田んぼというよりは牧場といったイメージが強いかもしれない。ま、これは田舎というよりは、何というか「カントリー」なんだ、きっと。
そして、相内駅へやってきた。相内(あいのない)という地名は読めそうで読めないなかなかの難読地名ではないだろうか。
ここでトイレを利用しようかと思ったが、残念ながらなかった。仕方ないので、駅近くのローソンでトイレを借りることにした。トイレだけ借りて何も買わないのも悪いので、昼食としておにぎりとパンを購入。
相内駅から東相内駅へ。距離は5キロ弱なので、1時間ちょっとで着いた。相変わらずまっすぐの道で特筆すべきことはなかった。
東相内駅。列車の本数はけっこうあるので、利用はしやすい駅だろう。
各自治体でゴミの有料化になっていることにともない、ゴミ箱が撤去されている駅が多い。この東相内駅もそうだった。だが、誰かは知らんが、ゴミを置いて行っている奴がいた。許せん。 拾って帰りたいところだが、旅の荷物になるので、できなかった。誠に申し訳ない。
相内に入ったあたりからかなり街中という感じになってきた。住宅街の中を歩くこともしばしばだ。これまでの北海道の風景から一変している。さすがにリュックを背負ったバックパッカーは場違いな感じがする。
西北見駅。周辺で道路工事をしていたので、工事の人が多かった。西北見駅でしばし休憩。かなり足も痛かったので、待合室で恒例のエアーサロンパス。
この留辺蘂〜北見間というのは今回の旅の中で最も印象に残っていない区間となった。なんといっても何の変哲もないまっすぐな道。北海道らしい風景のない町並みの続く道。そして足の痛み。
足がかなり痛い。北見の町の中心部に入って、マクドナルドに入って、チーズバーガーセットを食べる。旅の疲れがあるときには、おいしいものを食べたいというよりは、普段のものを食べたいという感じが強い。マクドナルドに行くのは久しぶりだったので、ハンバーガーもおいしかった。
北見の駅前へ。けっこうでかい町だと実感。人口は13万人もいるのである。
北見のように大きい市に来たのだから、ここは旅館じゃなくてホテルだろうと思い、ホテルを回ったが、2軒は満室。少しレベルを落としたホテルを見つけてチェックインした。
しかし、途中かなり限界を感じたが、北見まで歩けた。人間、限界っていうのはそう簡単に訪れないんだろうなあ、って思う。限界だといっても、あと1歩ぐらいは歩けるんじゃないか。そして1歩踏み出す。これをただひたすら繰り返す。この限界理論で歩き続けることができたような気がする。
こんなことも考える。同じ限界理論で、死にそうになっても「あと1秒ぐらいは生きられるんじゃないか」という気持ちを繰り返すことで、永遠に生きられるのでは?
……というのは冗談だが、歳をとったおじいちゃんおばあちゃんに、「100歳まで長生きしてね」とか「あと○○年生きてね」とかいうよりは、「明日1日だけがんばって生きてほしい。それを毎晩、明日の目標として持ち続けてほしい」と言う方が長生きできそうな気がするなあ。
「人間ってなかなか死なないもんだ」って言った元軍人がいたが、そういうもんなんだろうなあ。人間の気力というやつは結構馬鹿にできない。
そんなこんなで北見市で一夜を過ごしたのでした。