三日目。
本日は丸瀬布から遠軽までのおよそ20キロの行程である。距離数が短いので、朝はゆっくり起きて朝食をとった。旅館のオバチャンに6000円の宿代を5000円にまけてもらった(強制したわけではない)。感謝感謝。
丸瀬布をスタートする。まだまだ歩道があるので安心して歩ける。しかし、丸瀬布の駅前周辺は犬だらけだった。U^ェ^U
吠えまくってくるので実に困る。別に不審者じゃないんだけどなあ。ま、リュックを背負ってひたすら歩いて旅をするわたしは、今の世の中では十分に不審者か。
しかし、苦労してたどりついた地名というものには不思議と愛着が沸くものだということを実感した。丸瀬布という地名も響きは北海道らしいものだが、わたしにとっては印象に残るものではなかった。旅をする前は、である。でも、やはり旅をして思い出が積み重なるごとに愛着が沸いてくるのだろうと思う。
昨年や一昨年に訪れた士別とか中川といった道北の地名は北海道独特の地名と比べると実に地味であるが、苦労しただけあってわたしの中では今でも印象に残っている。士別なんて「死別」につながるネガティブなイメージがあっただけにね。
しかしこの丸瀬布から瀬戸瀬までの区間ははっきりいってきれいな景色という感じはしなかった。割と人家がぽつぽつとあるし、沿道の木は手入れをされていないようで実に汚い。牧場のにおいのきつさなんかもあって、あまり自然を楽しむことはできなかった。
ぼろぼろの神社。こういった建物であっても地図にはちゃんと載っている。わたしは今回Yahoo!地図をプリントアウトして持ってきていたのだが、その地図で目印にしたのは、交差点、線路や川の蛇行具合がほとんどで、たまにこういった神社も目印になってくれていた。目印の少ない人口希薄地帯を地図を片手に歩くのならこういうものしか目印がない。ちなみに、実際の地図でいえばここだ。
筋肉痛はつらいが、まだ歩けるレベルだった。筋肉痛が徐々に下から上へと上がってくる感じだ。太ももあたりから筋肉痛がはじまり、現在は尻あたりにまでやってきている。これがじきに腰ぐらいにまで上がってくるはずだ。以前歩いたときに体験しているのでよくわかる。
歩き続ける上で、辛い部分というものは徐々に変化するのだ。
まずは、筋肉痛の辛さが襲う。これはまだたいしたことはない。
続いてマメや靴ずれの痛みが襲う。それをかばうように歩くようになるため、その後、筋肉痛の痛みが上がってきてまたもや筋肉痛の辛さが襲ってくる。
筋肉痛が辛くなってくると、歩いているときよりも、歩き始めが辛いという感覚が襲うようになる。歩いているうちも辛いのだが、そんなものは大したことはなくなってくるのだ。辛い部分が増えてきている証拠だ。
幸い、まだ辛さはそこまではない。というか今の時点で辛さがそこまであったとしたら先行きが不安すぎる。
それにしてもわたしはなぜこんな苦しい旅を毎年のように実行しているのだろうか。自分でも不思議で仕方がない。もともと歩くことはさほど苦ではないのだが、これほどの苦行はもはや旅ではなく修行だ。
でも、思うに、平凡な日常から脱却したいという思いは少なからずあるだろう。就職してから毎日のように仕事の日々で休みの日もこれといった目標があるわけでもなく、適当に遊んだり寝たりの毎日だ。はっきりいってつまらない人生なのだと思う。
「平凡な毎日じゃつまんない」
かつての人気グループSPEEDのヒット曲の歌詞にもあるではないか。「同じステップの毎日じゃ 生きてることさえ忘れちゃう それじゃハリがない」と。まさにそのとおりなのだ。この旅はわたしが生きていることを思い出させてくれるような気がする。平凡な毎日を脱却して、普段は体験できないとびっきりのアドベンチャーを味わったっていいではないか。年に一度くらいは。
そうこうしているうちに、11時前ごろ、瀬戸瀬の集落が見えてきた。駅も集落の真ん中にあった。駅前でようやく自販機を発見し、アクエリアスをゲットする。ようやっと休憩である。
無人駅だが、割と立派な創りをしている駅だった。もちろん、他の駅に比べたら、である。都会の駅と比べてはいけない。
それにしても、「瀬戸瀬」というのはいい地名。珍しいよね、漢字で書いても、仮名で書いても回文になっている地名って。
無人駅でのんびり休憩するとほっとする。1日8本しか列車が止まらないので実に静かである。当然、列車の利用者も地元の人、それも列車が到着する直前に来るだろうから、そうでない時間には駅に誰もおらず、わたし一人だけがこの広々とした駅舎とホームの空間を独占できるのだ。 ちょっとした快感である。
↓瀬戸瀬駅前の様子
瀬戸瀬集落には、瀬戸瀬消防団の駐留所を発見。っていうか、廃墟じゃないですか(笑)。使われてるのかなあ? でも地図にも載ってるし、使われてるんだろうなあ。花に彩られているのがどこかわびしい。
遠軽方面に向かって歩き続ける。
道沿いには至るところに石碑が建っている。
殉職碑である。北海道の開拓は殉職の歴史でもある。多くの人々の犠牲の下に今の北海道での便利な生活が成り立っているということを忘れてはいけないと思う。
なぜわたしは一人で歩き続けるのか。一人旅というのは、自分のペースで歩ける。これが実に大きい。これだけの距離を歩くというのは一人だからこそ歩けているという面もあると思う。共に歩く仲間がいれば支えとなってくれる相手がおり、目標を達成しやすくなるのではないか、という意見もあるかもしれない。だが、わたしは、一人でないとこの旅は達成できないと考えている。確かに支えとなる仲間がいることは心強いだろう。だが、支えというのは、「甘え」にもつながると思う。頼りになる反面、弱音を吐ける相手もできてしまうのだから。お互いに弱音を吐き合って、「ここでやめよう」なんてなってしまったらそれこそ目も当てられない。一人で誰も助けてくれる人がいないからこそ、自分の力でなんとかせざるをえず、気力と根性が普段以上に発揮できるのだ、と思っている。
「旅行」は大勢でするものだが、「旅」は一人でするものだ。
歩いているうちに1時半ぐらいには遠軽の中心部あたりにやってきた。ペースはまだまだ順調だと言えるだろう。だが、これまで歩いてきた国道333号線から中心部までは4キロほど道を外れなければならない。4キロとなると1時間はかかる。まだまだ遠い。
途中、バス停の待合所に入って休憩する。待合所に入るたびにエアーサロンパスを使っていたので、遠軽の待合室はサロンパス臭いところがさぞ多くなったことだろう。
しかし、この遠軽というのは実にいい町だ。「えんがる」という響きもさることながら、町も美しさと便利さとが程よく共存している感じで、非常にすばらしい。中心部はほどよい町で、不便さはあまり感じないだろう。周囲を山に囲まれており自然美も残っている。ここに住んでもいいとさえ思った。
3時過ぎごろ、遅めの昼食をショッピングセンターの喫茶店でとった後、この日は遠軽駅近くのビジネスホテルにチェックイン。空いていたのでほっとした。
旅の持ち物はリュックに入るだけの量で限られている。当然それは衣類においても例外ではない。不要になった衣類は捨てていって、着る物がなくなったら現地で調達という方法も考えたが、それはやめた。田舎町で衣類が100%確保できる自信がなかったからだ。
と、いうわけで着る物がなくなってしまうと困るので、ホテルで洗濯をするのだった。
さて、明日は歩行予定距離が37キロ。これは早く起きなければと早めに眠りについた。