「人生のほとんどは退屈でできているんじゃないか」
自室で寝そべりながら、そんなことを考えることがある。思えば、社会人になってからは毎日が平凡で退屈な日々の繰り返しだった。朝起きて、飯食って、仕事して、飯食って、仕事して、飯食って、テレビ見て、そして寝て。そんな毎日を表現するのに、退屈以外の言葉など見当たらない。
フランスの作曲家ラヴェルの代表曲に「ボレロ」という曲がある。クラシック音楽のスタンダードナンバーの1つでもあるので知っている人は多いはずだ。この「ボレロ」という曲は、同じ旋律を延々と繰り返すのだ。徐々にテンションが上がっていくのが救いだが、退屈極まりないといっていい。退屈という旋律がさらに退屈を呼ぶ。
昔はよかった。そう考えるようになったのも年をとった証拠か。思えば、あの頃の自分、昔の自分には夢があった。実現するかどうかは別にして、様々将来の夢を友人たちと語り合っていた。わたしの夢? そんなものは今となっては言うのも恥ずかしいので、忘れたことにしておく。
だが、あの頃の夢を実現した奴なんていやしない。あの頃思い描いていた未来にやってきた今、改めてそう思う。そんな感じの気持ちを歌にしたかつての流行歌があった。まさにあの歌どおりの人生を送る奴がほとんどなのだ。
だが、わたしはこうも思う。
「語るだけの夢は本当に夢で終わるんだろう」
結局、夢を実現していない奴らは皆、実現させるための努力をしていない。努力もしていないのに夢なんて実現するわけがない。夢が実現しなかった結果、待っているのは平凡で退屈な日々ということになる。
小学生の頃、新幹線の運転手になりたいと言っていた男の子がいた。絵が上手で、描くのはいつも新幹線の絵だった。だが、彼は今はもうこの世にいない。中学生にもならないうちに、事故によりその命を絶たれた。
そんな彼にとって、努力もせずに平凡な日々を送っている奴らは許しがたい存在なのかもしれない。夭逝した彼には努力する機会すら与えられなかったのだから。
「俺にはなにができたのだろうか?」
いつも無理だと諦め、逃げと妥協だらけの人生を送ってきた結果、平凡な自分がここにいる。逃げ回っていた人間の当然の末路だ。
だが、諦めるにはまだ早すぎやしないか。過去形で語るには早すぎる。まだ今の自分に挑戦できることはあるはずだ。
「俺には何ができるのだろうか?」
わたしにできること、それは、「歩く」ということ。幸いわたしは昔から歩くことは苦にならなかった。
そんな気持ちで2005年5月、徒歩の旅をはじめたことを今でもわたしはよく覚えている。
2007年5月、わたしは北海道にいた。みたび徒歩の旅を実行するためである。2005年には宗谷本線沿いを旭川から音威子府まで130キロ、2006年には同じく宗谷本線沿いを音威子府から幌延まで70キロを踏破しているわたしであるが、実は2006年は音威子府から稚内までの130キロを歩く予定だった。風邪による体調不良などがあり、やむなく断念したのだった。
今年は昨年のリベンジを果たすべく今年選んだのは、石北本線であった。新旭川から網走まで230キロを走る長大な路線である。毎年、線路沿いを歩くことをチョイスするわたしであるが、その理由としては、線路沿いを歩くことで、駅がチェックポイントすなわち当面の目標・休憩地点となることが挙げられる。しかも万が一リタイヤすることになったときでも線路沿いであれば、駅からすぐに列車で移動することが可能になるからだ。
この230キロを徒歩で歩き抜くため、無理を言って1週間の休みをいただくことに成功したわたしは、着々と準備を整えつつあった。
まずは、旅行会社に依頼し、チケットをとることに。出発の1ヶ月前から依頼したのだが、飛行機のチケットがうまくとれず、初日は移動だけで終わってしまうことが確定してしまった。これでは1週間で230キロを歩くのはかなり厳しくなってしまった。基本的に人口希薄地帯が多い北海道では、町から町まで距離が離れており、場所によっては宿泊場所の確保が難しいからだ。野宿については、寒さや危険性(熊など)から絶対にするつもりはなかった。そこでやむなく計画の方向転換を迫られることになったのだ。
石北本線沿いを歩くという計画は崩したくなかった。そこで、新しい計画は旭川から40キロほど東に寄った、上川駅をスタート地点に選び、そこから網走までの190キロを歩くという目標を立てた。7日間で190キロ。1日あたり27キロ程度という計算になり、2年前に4日間で130キロ歩いたとき(1日あたり32キロ)よりも、総歩行距離は長いものの、1日あたりの歩行距離は短いため、幾分余裕がある。
前回は130キロ歩く予定が70キロしか歩けず、周りに歩くことを吹聴して回っていたわたしにとっては屈辱であった。にもかかわらず、今回は2年前の約1.5倍に距離を伸ばすという暴挙で、無謀とも思えた。
「勇敢と無謀とを勘違いしてはいけない」
そんな言葉が頭をよぎることもあったが、前回途中リタイヤしてしまったわたしにしてみれば、当然距離を伸ばしてリベンジしたい気持ちが強い。だが、前回達成していないだけに、今回達成できなければ、口だけ男の名をほしいままにしてしまう。ここは意地でも達成しなければならない。
一度の失敗で挫折してしまう男は、所詮それまでの男だ。
1日目、土曜の朝だが、いつも通りに起床し、朝食をとる。出発まで時間があるので、準備物の確認を行う。事前に準備物チェックリストを作成し、チェック体制は万全だ。日焼け対策の帽子・日焼け止め。筋肉痛対策のエアーサロンパス。旅の思い出を残すための絵葉書・メモ帳・デジカメなどリュックに詰め込んだ。
毎回わたしの旅のおともをしてくれるリュックともすっかり仲良しになった。思えば、このリュックは就職前に北海道を旅したときに釧路で購入したものだった。あの頃は、まさか北海道を毎年のように訪れ、しかも徒歩オンリーの旅をするようになるとは夢にも思っていなかったなあ。
出発前に、仏壇で今は亡き祖父に出発の挨拶。
「行ってくるよ」
心の中で簡素な挨拶を済ませると、福山駅へと向かった。
福山駅前から広島空港直通のリムジンバスに乗車し、広島空港から新千歳空港へと向かう。このへんは特筆すべきこともないので省略する。
新千歳空港に到着。まずはJR新千歳空港駅から目的地となるJR石北本線・上川駅までの切符を購入。
新千歳空港駅から札幌駅までは快速エアポートで1時間弱だ。この快速エアポートには旭川まで直通のものもあるが、今回乗ったのは直通ではなかったため、札幌で降り、特急に乗り換えることとなった。
札幌駅のホームで列車待ち。札幌駅は大きくて立派な駅なのだが、唯一の難点は、「くさい」というところだろうか。北海道のJRは一部区間を除いて大半がディーゼル列車しか運行していない。しかもそのディーゼル列車の多くが札幌駅まで乗り入れるからだ。ディーゼルエンジンの排気ガスがホームに充満し息苦しい。
特急で旭川駅に到着。何度も訪れた駅で、すっかり見慣れた感がある。ここで次の列車まで1時間待ち。北海道を何度も旅したわたしにとって1時間待ちなんていうのはどうってことない。ここで、上川で宿をとるため、事前にネットで調べた旅館に電話をしたら、「旅館をやめた」という返事が返ってきてショックを受ける。う〜ん、どうしようか。まあ、現地に行って探すさ。
上川には夜の7時半ごろに到着した。さすがにすでに暗くなっていた。駅を降りると寒風が吹きすさび、暑くなりかけだった本州ではないことを実感した。この上川にも1年前に立ち寄っている。ただ立ち寄っただけでとりたてて何かをしたという訳ではないが、1年という期間に長さを感じなくなっているのは年をとった証拠だろうか。
とりあえず駅周辺を歩き回って宿を探す。1年前に訪れたときにも感じたが、どことなく寂れた雰囲気の漂う町である。道路にも舗装されていない箇所があったりなんかして、北海道という地の寂しさを覚えてしまう。
かつて、詩人・高村智恵子は「東京には空がない」という名言を残しているが、北海道には空はあるが、夢がないのかもしれない。昔の人は、この北の大地に夢と希望を抱き、海を渡ってきた。厳しい環境と闘いながら開拓を続け、北海道の地に住んだ。だが、これまで北海道のいろんな場所を訪れてみたら、もう絶望の島にも思える。人口は減る一方で、自然の厳しさは変わらない。夕張をはじめ、かつて栄えた集落から離れる人が相次ぎ、無人の集落や廃墟がいろんな場所で見られるからだ。
さて、そんな上川の町を歩き回り、宿を発見。開いているとのことだったのでほっとひと安心だった。
明日からいよいよ徒歩の旅スタート。その興奮からしばらく寝付けなかった。