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「本日は、最後までありがとうございました。拙い亭主と半東ではございましたが、なんとか無
事この茶席を終わらせることができました。いろいろ至らない点もございましたが、これで失礼 させていただきます」
半東は、亭主が出した棗と茶杓を私のところへ持ってくると、そのまま茶室から出て行った。
あとはそれを拝見すれば今日の茶会は終わりである。
十二時三十分、薄茶席。
今までいろいろな方たちに茶道を始めたきっかけを聞いてきた。先程いたようなお菓子が好
きで入った人、華道をしていてその縁で志した人、いずれは海外に出て活躍するために学んで おこうと思った人、部の先輩が美人でついふらっと門を叩いてしまった人、もちろん面白そうで 始めた人、皆さん本当にのめりこんでいらっしゃる。
そういえば、こんな話を聞いたことがある。ある欧州人が、「こんなに嫌な人間をあなたは見
たことがありますか?」と言っていた。どんな人物だろうと思ったら、欧州人が雇っていた日本 人乳母のこと。長年連れ添った夫の葬式があるので、休ませて欲しいと笑顔で言われたそう だ。夜に戻った乳母は、夫の遺骨を持っているときもさも楽しいことのように笑顔だったらしい。 その表面だけ見るとなんと冷たい人間だと思うだろう。しかし、日本人は嬉しいときも悲しいと きもなぜか笑ってしまう。それは別に軽蔑でも偽善でもあきらめでもない。「極度に己を虚しくし た礼儀正しさからきた作法」なのだそうだ。
私は今まで自由にしてきた。しかし、自由にしていてもその挙動をオブラートに包むことは大
事だと感じた。私たちはいつもそのオブラートを探して茶道を学んでいるのだろうか?
亭主も茶席をいったん退出した。
ちなみに私の足は濃茶と薄茶の両時間で限界に達していた。足首のあたりの感覚がなくな
り、膝はぴくぴくといっている。このまま立とうとしたら間違いなく右側の釜と炭に突っ込んでしま うだろう。困った。私は正客なので無様な格好を他のお客達にさらすのも考えてしまう。仕方な くぐらぐらと揺れながら痺れが治るのを待っていた。おそらく私はひょっとこのような顔をしてい ただろう。
さあ、棗と茶杓を拝見しましょうか。
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次の日、当然といえば当然だが、先生にこっぴどく怒られた。普通の道路で煙玉を投げつ
け、さらに蹴りまで食らわせていったのだから、その怒りようは先日の比じゃあない。近所のお ばさんたちも目撃していたらしい。ぼくらの一日戦争は終わった。もちろんやつにはさんざんあ やまらされ、一週間の掃除当番にも命じられた。そしてこれからはやつと仲良くするように誓わ された。
「すいませんでした」
「すいませんでした」
ぼくらは再びやつにあやまった。
「もうしないので仲良くしよう」
その一部始終を見た先生もなんとか納得して、ぼくらを解放してくれた。
その日から、ぼくらとやつは休み時間とか放課後に遊ぶようになった。
友だちの家にゲームをしに行った。
やつの家にサッカーをしにも行った。
ぼくの家で缶蹴りをしたりもした。
そのうちにこの奇妙な三人のグループも仲間が増え、四人、五人となり、ついには七人の団
体になった。今度は七人の家を転々としてぼくたちはいろいろな遊びをした。
ぼくらはプラモデルを作るのが好きだった。いろいろなパーツをくっつけては外し、他の人の
いらないパーツをまたくっつけた。そしてできあがるころにはわけのわからないものになってい た。でも、それでもよかった。みんなの物で補完してできあがるのだ。それが楽しくないはずは ない。人のパーツで自分の寂しさを紛らわす、と言ったら大げさすぎるだろうけど。
あと、ぼくらは自転車が大好きだった。よく、自転車レースなるものを開催した。街中を自転
車で競争するのだが、思えば危険な競技だ。どこから自動車が飛び出してくるかわからないの に、全力で走っていた。
「おい、そこを右に曲がるぞ」
「おお!」
そんな調子でぼくらの足の筋肉は日々、むきむきになっていった。
そしていつものように自転車で走り回ったあと、同じようにいつもの駄菓子屋でジュースを飲
んでいた。
「そろそろ、何か違うことするか」
「違うことって?」
「何かもっとすごいことないかな」
「じゃあ、どっか遠出でもする?」
そこでぼくは昔自転車でM町まで行ったことを思いついたので話してみた。
「それいいかもな」
みんなの目が光り輝いているのがわかった。
「よし、今度の日曜日に行こうか」
「でもぼくはそのとき行って見つかってさ。次の日先生に怒られたんだよ」
ぼくはそれを言ってやつが気にするんじゃないかと思ってちらっと見てみたが、全然心配はい
らないようだった。でもそれもなんか気にくわないな。
「大丈夫だって。もう怒られはしないよ。行こうぜ」
「じゃあ、行くか」
「うん、うん」
「じゃあ決定」
「また日曜な」
「ばいばーい」
新しいイベントが決まったぼくたちは日曜日を心待ちにして別れることにした。
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「大変結構に拝見させていただきました」
私たちは一通り棗と茶杓を拝見させていただいた。そして、最後の亭主とのやりとりをするこ
ととなった。ここで正客は客を代表して拝見した道具の説明を亭主から受けるのだ。まずは私 から聞く。
「本日の御棗のお形は?」
「鳶蒔絵中棗でございます」
「御塗りは?」
「自呂でございます」
「お茶杓の作は?」
「喝堂和尚でございます」
「御銘などございましたら」
「四季の友でございます」
「ありがとうございました」
亭主は問答が終わった後、棗と茶杓を持って退室した。
私の正客としての役目はとりあえずこれで終わりである。ほっとして私は皆さんに挨拶をし
た。
「慣れない正客ではございましたが、皆さんありがとうございました」
と言って私は御辞儀をした。さあ、ここの茶室を出れば今日の茶会は終了である。今回は実に
おかしな夢を見た。小学生の頃の思い出だったのか。しかし、あまりその時のことを思い出せ ない。
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日曜日、ぼくたちはいつもの公園に集合した。
帽子、スポーツドリンク、リュックサック、そして持ち前の自転車一台ずつ。準備は万端だ。M
町まで約1時間半、がんばろう。
前にも言ったが、ぼくの町は山の上だ。隣町に行くにも山を下らなければならない。だから、
行きの場合はとても楽だ。すーっとぼくたちはたいしてがんばりもせずに、行くことができた。が やがやがや騒ぎながら自転車の一行は進んでいる。やっぱり以前一人で感じたあの速さはと らえられなかった。でも、今回はほかに六人もの友だちがいた。それだけでぼくは満足だった。 満足というかそんなことを考える暇もなくぼくは自転車の旅を楽しんでいた。
「こんなに下り坂ばっかりあると帰りが怖いよなあ」
「そうだよな。おまえは前行ったんだろ?帰りどうだった?」
「そりゃあつらかったよ。軽く行きの倍はかかるんじゃないか」
「そんなに!」
「まあ、帰る前からそんなことを考えてもしょうがない。あ、ほら本屋が見えたぜ。あそこだ
ろ?おまえが行ったのは」
懐かしいあの場所が見えてきた。あのときは目当ての本が一冊しか買えなかったけど、泣く
泣く帰ったもんだなあ。
「そうそう。懐かしい」
「何か買っていく?」
「おお、エッチな本でも買おうか」
「でも、俺らじゃ買えないんじゃない?」
「うん、そうだよ。それより飯でも食おうぜ」
ぼくらは本屋を通り過ぎて、近くのそば屋で昼飯を食べることにした。ずるずるずると順調に
食べた。そして食後の軽い休憩を取っている途中に、やつがトイレに立った。このあと、とんで もない展開が待っていた。
「おい、あいつ置いて行こうか」
と、急に友だちが言い出したのだ。
「あ、それいいね。おもしろい」
もう一人の友だちも言い出し、ついにはみんながその案に賛成になった。実はみんなはあま
り快く思っていなかったようだった。というか、一度からかってやろうと思っていた。そうなると、 ぼくも賛成せざるをえない。
「じゃあ、早く出ようぜ。あいつが出てくる前にさ」
ぼくらはすごすごすごと見つからないようにお金を払って出た。まだやつはトイレに入ったまま
だ。
「行くぞ!」
自分の自転車が飛んでいってしまうんじゃないかと思うほどの速さで飛び乗ると、六人のチャ
リンコ集団は猛ダッシュで走り出した。走り出した瞬間に、やつがトイレから出てきた。
「・・・・・・・・・」
呆然としている。なんて悲壮な顔だ。
「はっはっはっはっは!」
友だちは全開の力を出しながら全開で大笑いしていた。ぼくはさすがになんだかかわいそう
になった。でもいまさら逆に走れやしない。ぼくは必死に友だちに付いて行った。やつも全力で 追いかけてくるのが見えた。しかし、もう追いつけない。よく見ると、涙をボロボロこぼしながら 自転車に乗っていた。
ぼくは、見ないようにしてひたすらこいだ。
ついに、やつは見えなくなった。
ぼくたちはぼくたちで、帰りの上り坂をひいひい言いながらそれぞれの相棒を押して歩いてい
た。しかし、一向にやつの姿がぼくたちを追ってくることはなかった。
その後、彼との関係が気まずくなり、疎遠になったのは言うまでもない。
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いつも通りの茶会が終わった。今回はいろいろ思索をした。昔のことを思い出してみたのだ
が、なんだかあまり良いことをしていなかったようだ。どうも今日は後味が悪い。そういえばや つは今このS市に住んでいるはず。ここから自転車で三十分ぐらいのところだ。
「ふーっ・・」・
私は茶会の間我慢していた煙草に火を点けた。一服しながら、小学生のころは自分が煙草
を吸うことになろうとは夢にも思わなかったことを思い出した。どうして大人は体に悪い悪いと 自分達で言っている物を止めないのだろうと思っていた。でも今私は吸っている。自分でもなぜ 吸っているのかわからない。きっと理由などないのだろうと思った。小学生が大人にならなけれ ばならないのと同じようにきっと煙草もお酒も覚えていくのだ。
一本吸い終わったのと同時に私は自転車にまたがった。この自転車も昔と違ってブランド物
になっている。あの頃は乗れればそれで良かったのに。
山の上のほうにあるお寺から私はすーっと風を切りながら私は降下した。今日はサイクリン
グ日和だ。たまには全力でこいでみよう。あーあ、何で人間は子どもの心のまま大人になれな いんだろうなー。みんなが子供のままの心だったら社会は成り立たないのだろうか。まあ、いい や。ついでにやつのところまで行ってみるか。あれからあまり会うこともなくぼくらは大人になっ た。行って何かを取り戻してこよう。なんて、いまさら虫のいい話だろうか?希望とは、もともと あるものともいえぬし、ないものともいえない。それは地上の道のようなものである。もともと地 上には道はない。歩く人が多くなれば、それが道になるのだ。と、魯迅は言っていた。
自転車をこいでいると、ふと、とんでもない回り道をしていることに気がついた。それとも、無
意識に私の身体がやつへの道を拒んでいるのだろうか?
キキーッ!
だが、それに気がついたときには、すでに私の身体は宙を飛んでいた。暴走したトラックが、
私の目の前から突っ込んで来たのだ。灰色のコンクリートがとても硬いのだということが実感で きた。「あ、死んだ」と痛感した瞬間、脳内アドレナリンが大量に分泌してきた。私は見たことも ない話、映像を見た。走馬灯ではない。それにしても、このコンクリートは映像を映すスクリー ンにぴったりだった。題名は、『善悪』。四章仕立てだった。
第1章 個人
ガタン ゴトン ガタン ゴトン ガタン ゴトン・・・・・・
「次は定禅寺、定禅寺。お忘れ物の無いようにご注意くださいぃ」
ガタン ゴトン ガタン ゴトン ガタン ゴトン・・・・・・・・・・
プシュー・・・・・・・・・ガヤガヤガヤ・・・
人が蟻のように群がり出た。俺は虫全般が大嫌いだ。
もぞもぞもぞ・・・
どんどん俺に寄って来る。
来るな 来るな 来るな・・・・・・
「うわぁぁぁぁぁぁぁ・・・」
俺の声は頼りなく語尾が弱まっていった。
走って走って走った。
「何だ、アレは?」
それを見ていた虫の塊の一匹が他の虫たちを代弁して呟いた。
虫たち全員がそう思っていた。
第2章 民族
虫の一人が家に帰った。
「おいっ!今帰ったぞ」
玄関の扉を開けた瞬間、そう叫んだ。
「はい、おかえりなさいませ」
男はその女に向けてボンッと鞄を放り投げた。
女は辛うじて受けとめることが出来た。
「飯はできてるのか?」
男は廊下をドカドカ歩きながら高圧的に呼びかけた。
「それが、今日はお友達が急に訪ねてきて・・・まだなんです」
言い終わるが早いか男の拳が女の顔に飛んだ。
ドサッ
女は倒れた。そしてうずくまった。
男はまたドカドカと歩いてリビングルームに入っていき、TVのスイッチをオンにした。
TVではニュースの御意見番が語っていた。
「女性は子供を産み、育て、そして家を絶やさぬように働きかける使命があります。それが万
世一系の下に仕える私たちが一万年も続けてきたことなのです」
男は軽くうなずき、煙草に火をつけた。女はキッチンへと行き、包丁を動かしている。TVでは
御意見番の出番が終わり、ニュースキャスターが発言しようとしていた。
「人間の社会は男の社会です。この国はどうなってしまうのでしょうか・・・
では、できるだけニュースです」
第三章 時代
「私は夫に毎晩性生活を強要され、日々苦痛に耐えていました」
「わかります。昔は私も彼氏が変わる度に強いられ、裸にさえさせられました」
「私なんて、高校のときの制服を着るように命令されたのです」
ここは昔、女性を結婚前にもかかわらず姦淫した男性たちを弾劾する場所です。この女性
たちは今では60を超える老齢の身ですが、例の姦淫取締法が公布される三、四十年前、この 法律がないのをいいことに夫に、彼氏に、まるで遊女のように淫らな行為をさせられていたの です。本当に悪魔のような時代でした。結婚もしていないのに、いや、それ以前にその意志す らもないのに男達は女性を手込めにしていました。そのような男達は絶対に追及すべきです。
司会者のように仕切っているその女性は右のようにうそぶいていた。
男たちはうろたえる。
なんということを自分たちはしていたのだ。まるで獣か何かではないか。人間としての誇りを
失ってしまっていたのだろうか。若気のいたりだった。いや、そんな言葉では言いつくろえない。 いくら愛していたからといって、お互い合意の上だったと言ったって駄目なのだ。私たちは人間 として恥ずかしい。
女たちは男連中を見下ろす。泣きながら自身のことを訴える女性もいた。知識人たちは右な
らえで女性を弁護する。
結局、五〇代以上の男たちの6割は賠償を命じられることとなる。
「結婚前ニ姦淫スルベカラズ。
入籍後ハ必ズ妻ノ承諾ヲ得ルベシ。
淫事ハ週ニ二回マデトスル。」
姦淫取締法 公布。
第4章 彼岸
われわれ不道徳者!———われわれに関係するこの世界、そこでわれわれが恐れたり愛し
たりしなければならないこの世界、微妙な命令と微妙な服従が行われている殆ど見ることも聞 くこともできないこの世界、あらゆる点で取り扱いにくく、意地悪く、冷笑的で、情深い《殆ど》の 世界、全くのところ、この世界こそは魯鈍な見物人や遠慮のない好奇心の侵入をうまく防ぐよう にできているのだ!われわれは義務という網糸の肌着に厳しく絡み込まれていて、そこから抜 け出ることができない。———それでこそ、われわれ、このわれわれすらもが「義務の人間」な のだ!もとより、時としてわれわれは確かにわれわれの「鎖」のうちで、われわれの「剣」の間 で踊ることがある。同様にまた確かに、われわれはこのような状況のもとで歯ぎしりして、すべ てわれわれの命運の密やかな過酷さに耐えがたい思いをすることもしばしばある。しかし、わ れわれは自分たちの欲することをしようと思う。無骨者や皮相をしか見ない手合いには、われ われに対して「これは義務をもたない人間だ」と言う。———われわれは常に無骨者や皮相の 徒輩をわれわれの対抗者としてもつのだ!
(ニーチェ 善悪の彼岸)
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「よう、ひさしぶり。今何やってんの?・・・へーえ、専門学校行ってるんだ。うん、うん。そうか、
パソコン関係か。あの時は煙玉なんか投げつけて悪かったね。・・・なに?そんな昔のことはも ういい?そうかい、そうかい、ありがと。でもさすがにあそこにおいて帰ったのはまずかったよな あ。ちょっと俺も心が痛んだよ。なに?それももういい?そうかー。何だか悪いね。じゃあ、これ から飲みにでも行く?・・・よし、行こうぜー」
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