小説2

彼岸 act.2


 
 
 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 御茶入れ、御茶杓、御仕覆の拝見が終了したようである。
 茶室を出るとき、お世話になったこの場所に私は一礼した。にじり口を再び出て、てくてくてく
と歩いてから先程待機していた待合に戻ってきた。さっきとは人も雰囲気も変わっていた。
 「おう、ひさしぶり」
 私に声をかけてくる奇特な人間がいると思ったら、B大学の同級生だった。きらりと黒光りす
る扇子をちらつかせ、もはやサラリーマンの風格も漂わせていた。
 「ああ、ひさしぶり。最近どうよ?」
 「まあ、不調だよ」
 彼は肩を落としてそういった。
 「なに、なんでまた」
 「まあ、いろいろだよ」
 そうか、私はこれ以上深追いしないことにした。無理に掴もうとするとボロボロこぼれてしまう
ものだ。もっとも、掴む方法を私は知らない。
 「次、薄茶?」
 友人は話を変えてきた。私はそれに乗ることにした。
 「ああ、そうだよ。おまえは?濃茶?」
 「うん、そうだ。どうだった?濃茶席は」
 どうと言われてもよく分からん。あ、でもお茶はうまかったよ」
 他の人から見れば信じ難いことかもしれないが、実際そうなのだ。
 「そうか、そういえばおまえはそうだったな」
 それから私たちは特に話題もなく、茶人が飽和した待合で沈黙を共有した。そういえば、誰
かが昔私たちのことを沈黙の共有者と呼んでいたことがあった。余談ではあるが。
 
 そのうちに、また私は呼ばれて今度は薄茶席に向かうことになった。口直しに行こう。さっき
の濃茶席と同じ要領で入り、同じようなポジションに座ろうとした。しかし、それを皆さんは許し
てくれなかった。私に、正客を務めて欲しいらしいのだ。
「ぜひ、どうぞ」「おねがいします」
 頼まれては断れない性格が災いして、珍しくも私は正客の位置を占領させて頂いた。
 「それでは、未熟ながら正客を務めさせて頂きます。皆さんよろしくお願いします」
 私はできるだけ慇懃に他のお客達にそう言った。
 「お願いします」と木霊して頂いた。それから、末客の方にも挨拶をし、ついに亭主が水差を
持って現れた。やがて建水の上に柄杓を持ってきて、亭主が座ったところで、蓋置を出し、柄
杓をその上にカコンと置いた。すると、半東が襖の奥にちょこんと座っていた。
 ぼくは軽く御辞儀をしたまま、「どうぞ、お入りください」と言った。
 「失礼いたします」
 半東が登場した。

 「本日は、お忙しい中私どもの茶会へようこそお出で下さいました。」
 「お寒い中の準備、ご苦労様でした」私は言った。
 半東は少し体を移動して、「皆様方も有難うございます」と私以外のお客に対して言った。皆
も丁寧に御辞儀をした。その間も静々と点前は進んでいた。
 半東が、床の説明をしようとしている。今日の軸は、「一期一会」だった。
 「こちらの『一期一会』という言葉は、幕末に白昼堂々暗殺されたことで有名な大老井伊直弼
が、『茶湯一会集』という茶法書で初めて用いられたと言われています。彼は政治の場面がよく
語られますが、茶道でもかなりの腕だったようです。意味は皆さんもうご存知かと思いますが、
ここでこうして茶会に来て頂き、会えた事に感謝して、この軸を掛けさせて頂きました」
 なかなかどうして、立派な事を言う。とても同じ大学生とは思えない言動ぶりだ。
 後は、黙っていても問題ないだろう。


 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 友だちが、休み時間中にとんでもないことを言い出した。
 「先生に見つかったってことは誰かがチクッたんだぜ。たぶんあいつだよ。アレ、俺らと一緒
に車に乗ってたやつ。ちょっと文句言いに行こうぜ」
 冗談めいた口調だったが、どうやら本気みたいだ。
 「お、おう。じゃあ行ってみるか」
 ぼくは逆らう理由も見つからないので一つ、何かからかい半分に言ってやろうと思った。ぼく
たち二人は隣の教室に勢いよく飛び込んでいった。
 「おい、おまえ。昨日のこと先生にチクッただろ」
 友だちは邪険に言った。
 「ああ、言ったよ。それがどうかしたか?」
 こいつもなかなかふてぶてしいな。
 「どうかした、じゃねえよ。何そんなこと言ってんだよ。なあ」
 友だちは急にぼくに振ってきた。
 「そ、そうだよ。余計なこと言うなよ。おかげで怒られちまったじゃねえか」
 ぼくも負けずに言ってやった。少し快感だった。
 「はあ、別にそのぐらいいいんじゃないの。何でそんなに怒ってんの。意味わかんないよ。ふ
ひっ」
 こいつはこいつで何か変な含み笑いをした。ちょっと気持ち悪い。ぼくだってそこまで言われ
ると、さすがに虫酸が走った。
 「なに言ってんだ、このやろー」
と、言ってしまった。すると友達も熱くなってきて、
 「偉そうにしてんなよ、ばーか」
と、吐きすてた。こうなってくるともう止まらない。
 「この、うんこたれ」
 「うんこたれー」
 「はなたれ」「はなたれー」
 「カース」「カース」
 「ごみー」「ごみー」
 ぼくらは壊れたロボットのように罵声を繰り返した。あ、そろそろ怒り心頭のようだ。ちょっとま
ずいかも。
 「もう家に帰れよ、バーカ」
 それでもぼくの友だちは止まらなかった。そしてバシッと敵の頭を叩いた。
 「いいからもう、おまえら教室に帰れよ。もういいよ」
 ぴくぴくと怒りを抑えているのが目に見えて分かった。爆発するだろうか。ぼくはそんなことに
なってはとてもじゃないが手におえないので、逃げようとした。
 「おい、そろそろ帰ろうぜ」
 「あ、そうだな。そろそろ授業も始まるし、もういいか」
 周りの人たちもこちらが気になり始めている。隙さえあれば自分も入ってやろうという勢い
だ。騒ぎが大きくなる前に、さっさととんずらしよう。
 「じゃあな、これからは気をつけろよ。はっはっは」
 しかし、最後のこの一言がまずかった。相手も、ついにこのとき覚悟を決めてしまった。うる
せえな、と小声で聞こえた気がした。
 「うるせえぞ!」
 うがあ、と自分が座っていた椅子を頭の上に持ち上げ、ぼくらに怒号を浴びせた。それはも
う、泣きそうな形相だった。
 「やばい、逃げるぞ」
 おう、とぼくは呼応した。すたこらさっさという効果音とともに走り出したぼくらは、どん!という
音に打ち消された。あるはずのない壁にぶち当たったのだ。鼻をこすりながら正体を確かめる
と、それは担任の先生だった。


 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・
  よく見れば、亭主の手はぶるぶるぶると震えていた。あまりに緊張しているのだろう。一見そ
れは見るに耐えない無様な姿にうつるが、茶道とは魅せることに重きを置かない。ここで利休
の逸話第二弾だ。
  利休はまたもある茶事に招かれた。宇治の上林竹庵という人物である。彼は数人の弟子を
連れて、その庵を訪れた。竹庵は大変喜び、利休たちを茶室に通し、自らお茶を点てはじめ
た。ところがあまりに緊張したためか、点前の手が震えて棗の上の茶杓を落としたり、茶筅を
倒したり、柄杓の水をこぼしたりして、大変な粗相をしてしまった。利休の弟子たちはお互いに
合図をして腹の中で笑っていた。ところが茶会が終わると、正客に座っていた利休は、「今日
の御亭主のお点前は、天下一でございます」と賞賛した。
  帰り道、弟子たちは不思議に思って、「何故あのような不格好な点前を、天下一と言われた
のですか」と利休に尋ねた。利休は何も世辞愛敬でそのようなことを言ったのではなかった。
皆に向かって、「竹庵は、私たちに最もおいしい一服の茶を、ふるまおうと一生懸命だったので
す。ですから、あのような失敗も気にかけず、ただ一心に茶を点てたのです。その気持ちが一
番大事なのです」と言った。お茶は心が大事なのである。どんなに点前が立派でも、また道具
が高価であっても、まごころの通わない点前は何にもならないと言えるのだろう。
 「お早いようではございますが、どうぞお菓子を御とり回し下さい。本日のお菓子はT和菓子
店で作っていただいた『吹き寄せ』でございます」
 なるほど、薄紅の楓、黄色い銀杏の葉、白いぎんなん、松葉、褐色の松笠、茸などが混ぜ合
わせて干菓子として籠の中に盛ってあった。私は、感謝して3つだけとって次の人に送った。
 このお菓子は、生砂糖、打物、片栗、有平などを原料として、秋の木の葉や木の実を小さく
表している。ぽりぽりぽりとかじりながら、私は心遣いを味わった。
 ポリポリポリ・・・・・・と静かな和室の中でその音だけが聞こえてくるのは少し面白みを感じた。


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 「おまえら、何やってんだ」
 このクラスの担任の先生が、ぼくらの前に仁王立ちしていた。どう見ても怒っているようにし
か考えられない。
 「なんですか?先生」
でも、一応聞いてみた。
 「俺は、おまえらに聞いてるんだ。ここで、何やってたんだ」
 この先生は見た目から恐ろしい人で、前にタバコを吸っていたことが発覚した同級生は、み
んなぶん殴られていた。最も敵に回したくない先生だったが、どうなることやら。ぼくは極度に
緊張していた。
 「いや、何もやってないです。ただ遊んでただけですよ。そろそろ教室に戻ろうかと思ってたと
ころです」
 「そ、そうです」
 友だちはなぜこんなに平然としていられるのか。ぼくはつい口調がしどろもどろになってい
た。すると、急に先生がぼくの友だちの方を掴んで教室のドアから窓の方に連れて行った。
 「な、なんですか」
 友だちもさすがにそれは焦った。抗おうとしているがなにぶん相手は大人だ。無理やり引っ
張られていった。
 「・・・・・・・・・・」
 先生は、無言で信じられない行動に出た。友だちを押しやり、首を掴んで上半身を窓から突
き出した。友だちの腰から上は先生の力により、上空三階から飛び出していた。
 「先生、何するんですか。やめてくださいよ!」
 友だちも必死に叫んだが、この目の前の執行者は容赦なかった。事態が思いがけない方向
に進み、周囲は唖然としていた。ぼくも何もできないまま、ただただ見守っていた。
 密告したあいつも、ようやく振り上げていた椅子を下ろして、「ふひっ」と軽く笑った。
 「おまえが、やったことだって、これと同じようなことなんだぞ。それが、手なのか口なのかの
違いだけだ。あいつに謝れ」
 「口と手の違いは大きいですよ、先生」
 友だちも懲りない。
 「うるさい。謝れと言ってるんだ」
 先生はさらに腕に力をこめ、友だちの体を地面へと近づけた。すでにその角度は窓から九〇
度になっていた。
 「わかりました。あやまります、あやまりますから」
 友だちの首にかかっていた圧力がふわっと緩んだ。その隙に友達は上半身を跳び起こし、
難を逃れた。
 「ほら、あやまれ」
 先生はあごで、あやまらなければならなくなった相手をしゃくりながら言った。
 「ごめんなさい」
 友だちは素直にあやまった。
 「おい、おまえもだ」
 先生はぼくに白羽の矢を立てた。う、それはそうだった。あまりのことについ忘れていた。
先生はどかどかどかとぼくのところに歩いてきた。ごつんっ!ぼくの頭になんとげんこつを打ち
込んだ。目から火が出ると思った。
「おまえは、これで許してやる」
慈悲深い情けをもらったが、その情けは泣きそうに痛かった。
「ごめんなさい」
ぼくたち二人は仕方なくあやまることになった。
あやまった相手は自分の手を離れたところで起こった一連の出来事の結末にどうピリオドを打
ったらいいのか、最初戸惑っているようだったが、やがて勝ち誇った顔をして、うんうんとうなず
き始めた。く、何か屈辱だ。ぼくは友だちと顔を見合わせて、お互いの感情をアイコンタクトし
た。
「じゃあな、これからは変なことすんなよ」
先生が最後に仕切ってこの場は終了となった。ぼくらは従順に「はい」と答え、自分たちの教室
に戻っていった。
すでに、授業時間は始まっており、またここでも先生に怒られ、ぼくらはこれからの行動の確信
を深めた。


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薄茶が点てられたようである。亭主が点て終わった御茶碗を横に置くと、半東は立ち上がり、
それを正客、つまり私のところへと持ってきた。
「お茶をどうぞ」
半東は深々と頭を下げた。私も同じように頭を丁寧に下げた。
「おさきに」と左隣の人に挨拶をし、
「お点前頂戴致します」と亭主にも挨拶をした。
御茶碗を押し上げて感謝をし、正面を向こう側へ回して、ぼくは一口味わった。お菓子の甘さ
がまだ漂っていた口の中を、お薄は綺麗に洗い流してくれた。
「御次客様よりは点出しにて失礼させていただきます」
大人数の茶会の場合、亭主が一人一人の分を点てていると莫大な時間を浪費してしまう。よっ
て、水屋の人たちが茶を点てて席に運び出すのである。
水屋の方々が、次々と御茶碗を持ってやって来た。このときだけは茶室は騒然となる。退屈な
時間帯でもあるので、私は一つ、半東に質問してみることにした。
「大変立派なお席ですが、宜しければ本日の亭主さんと半東さんの自己紹介でもしていただけ
れば、と思います。お願いいたします」
意表をつくように私は場を和ませようとした。
「はい、本日の亭主は二年の岡田孝史。部の役職は渉外といって他の大学の方との交流を主
としています。私、半東は三年の伊藤淑恵でございます。私は部長を務めています」
私の急な質問に、半東さんは快く応答してくれた。この調子でどんどん乗り込んでいこうと思っ
た。
「そうですか。じゃあ半東さんが茶道を始めたきっかけは何ですか?」
茶会にはあまり関係ないが、常にこれは気になっていることなので、私は聞くことにした。
「そ、そうですね・・・」
思いがけない質問だったようで、半東さんは少し狼狽している様子だった。私は少し気の毒に
思った。
「やっぱり、私はお菓子につられてですね」
答えが出ると、場が多少和んだのを感じた。くすくす笑っている者、友人と顔を見合わせている
者、様々な反応が出た。茶会というと厳粛なイメージを持つものが多いが、実際お茶を長く学
んでいる先生方ほど、席はざっくばらんな雰囲気がある。半東(多くはおばあちゃん)がとにかく
しゃべっている。そして時には大爆笑が起きる。それが茶道にとって良いことなのかどうかは別
であるが。
半東さんははにかみながら、少し恥ずかしそうだった。
「いいですよね、和菓子は。今日のお菓子は本当においしかったです」
「ありがとうございます」
私はこの話をここで終わらせた。もうすぐ亭主のお点前が再開されるからだ。
「どうぞ、御仕舞い下さい」と、私は言った。
「御仕舞いに致します」
亭主は言い、これから仕舞いつけに入ることになる。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「おい、なんか頭に来るよな」
「まったくだよ。なんか屈辱だったよ」
今日はもう学校が終わっていた。これから友達の家に行って遊ぶことにした。
「どうやってあいつを懲らしめる?ギタギギにしねえと気がすまねえ」
「うーん・・・」
そう、ぼくらは憎きあいつに何か復讐をしようと計画を練っていた。何かいい方法はないものだ
ろうか。
提案  一、画鋲をシューズの中に入れる
一、机の中にナメクジを入れる
一、いきなりパンチする
「だめだな、なかなかすごいアイディアってのは出ないな」
「ああ、ありきたりだよなー」
 ぼくたちは行き詰まっていた。
 「じゃあ、ちょっとあいつの家まで行ってみるか」
 「おお、何か思いつくかもしれないな」
 そうと決まればぼくたち小学生の行動は早い。ランドセルを家に放り込み、自転車にまたい
で近くの公園に集合した。
 「よし、じゃあ行くぞ!」
 ぼくらは自転車を本気でこいだ。なんだかウキウキしてきた。
 空はとても晴れている。絶好のいたずら日和だと思った。
 「よーし、着いたぞ」
 あいつの家はここらではちょっとした酒屋だ。店のガラスからいろいろな種類のお酒が見えて
きた。よく分からないが、ビールがたくさん並んでいる。その奥の茶の間らしき座敷からやつが
見えた。
 「やっぱりとりあえず、蹴りでも入れてやるか」
 「そうだね。後ろからいきなりどかんとやってやろう」
 ふと、やつがこちらを向いた。見つけられたかもしれない。じーっとこちらを見ている。
 「おいおい、見つかっちまったよ。どうする?」
 あ、あいつが立ち上がった。こっちに向かっている。
 「逃げろ〜!」
 ぼくらは再び自転車に飛び乗り、一目散に逃げ出した。こいでいる途中にちらっと振り返って
みてみたが、敵は見えなかった。勘違いだったか?拍子抜けしてしまう。
 「はあはあはあ、やけに楽しいな」
 ぼくらはさっきの公園に戻ってきた。
 そして、ぼくはその時ひらめいた。
 「煙玉でも投げつけてやるか」
 一瞬の沈黙のあと、空気がゆがんだと思ったら友だちは腹を抱えて大爆笑した。
 「ははははは!それいい!それやろう!」
 ぼくも自分の考えが受け入れられてむしょうに嬉しかったし、それを想像するだけで楽しくなっ
てきた。
 「じゃあ、早速今から買いにいくか、煙玉」
 ぼくらは近くの駄菓子屋に滑り込んでいった。 
 そこの駄菓子屋はぼくらのなじみの店で、しょっちゅうお菓子を買いに足を運んでいた。中は
ほこりだらけなのだが、いろいろなものが売られている。駄菓子に始まり、アイス、プラモデル、
ゲーム、さらには釣具まである。今の時期だと花火は売り出していないのだが、なぜか煙玉だ
けは年中並んでいるのだ。
 「煙玉、何個買う?」
 「どうするか、一気に投げつける?」
 過激な意見だが、とても笑える。
 「そりゃあいい、そうしよう。じゃあいっぱい買っておくか。一個三十円だから、十個ぐらいでい
いか」
 「うん、いいんじゃない。おばちゃん、これ十個ちょうだい」
 のっそりと大きい体の無愛想なおばちゃんが奥から這い出してきた。
 「あいよ、三〇〇円ね。・・・・・・はい、一個おまけ」
 愛想は悪いがたまにおまけしてくれる。おまけをあげるときぐらい笑ってくれればいいのに、と
思うがおばちゃんはそれでいいらしい。
 「ありがとうございます!」
 ぼくらは声を合わせておれいを言った。
 「ふひひ、十一個もあるよ。どうする?」
 「どうするって・・・ふひひひ」
 ぼくらは楽しくってしょうがなく、早くこれを使うチャンスが訪れないか、うずうずしていた。


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 「本日のお道具の説明をさせていただきます。釜は、高橋敬典作、阿弥陀堂釜でございま
す。繰口で、肩が少し角張って丸みを欠き、羽落ちで胴回りに文様がないのが特徴とされてい
ます。水指は、織部、これは桃山時代に古田織部が指導して作られたのが始まりと言われて
います。そして蓋置は竹です。建水は桜の皮を曲げて作ったものを使わせていただきました」
 半東が本日の御道具の説明をしてくれた。茶会でお道具というとその取り合わせの妙という
ものがなんとも楽しみの一つである。
 今日のT大学の取り合わせも、良いぐあいに侘び寂びが取り入れられていて、素晴らしいと
思う。ぱっと見て良いものはやはり良い。
 薄暗い和室の中、大人数で狭狭と客が並んでいる。私は思う。このようにしてぎゅうぎゅうと
和室に詰め込まれてお茶を飲む茶道とは何なのだろうか?昔茶道は周旋の道具だった。上下
の関係が表面上なく、少人数で密室の中にいても何の不思議もない状況は密談に格好の場
所だったのだ。私たちは非日常を味わうために茶会へ来ると言う。商業的にならざるをえない
茶道にはエンターテイメントの要素が不可欠になるのだと思った。
 しかし、考えても分かるわけもない。まだまだ勉強が不足なのか。しかし、茶道が面白いと感
じているうちにはその答えが見つからないのかもしれない、とも思う。


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 次の日、ぼくは責任を持って煙玉をランドセルに詰め込んだ。こんなにさわやかな朝はひさし
ぶりだ。跳ね起きたぼくは近くの田んぼ道を散歩したほどだ。いいぐあいにお腹も空いたので、
普段はあまり食べたくない朝ご飯も勢いよくかっこむことができた。
 家を飛び出すと、友だちがぼくを待っていてくれた。
 「よう、おはよう」
 友だちも今日は一段と晴れやかな顔をしている。ぼくらはたまらず、走って学校へと向かっ
た。 
 一時間目の授業が始まる。
 「やっぱり帰りが勝負だな」
 「うん、がんばろう」
 二時間目の授業が始まる。
 「ちゃんと持ってるか?」
 「もちろん、あるよ」
 三時間目の授業が始まる。
 「まだかな。待ちきれないぜ」
 「もう少しだよ」
 四時間目の授業が始まる。
 「次は給食だ」
 「腹減ったねー」
 五時間目の授業が始まる。
 「これで終わりだ」
 「わくわく」
 そして、放課後。
 「よし、あいつが帰るのを待って後をつけていこう」
 「うん、うん」
 ぼくらは隣の教室をちらちらとのぞいて、やつが帰るのを待った。煙玉と、家から持ってきた
ライター二つを確認して、準備は完璧だった。
 「お、帰るぞ」
 「気づかれないように追いかけよう」
 のこのこのこと標的が帰るのをぼくらはひそひそひそとつけていった。
 やがて、やつが公園の前をさしかかろうとした時、ぼくらは先回りし、わざとらしく公園の中か
ら声をかけた。
 「おお、今帰り?」
 やつは当然警戒してる。そう判断したぼくらは、油断をさせるために煙玉を見せびらかしてみ
た。
 「これでもやらねえか?」
 煙玉の一つに火を点けた。シューシューシューという音とともに煙が巻き上がった。やつも少
し関心を見せているようだ。
 「どう?やる?」
 「・・・・・・・・・」
 でも、やつは立ち止まったままで公園の中には入ってこなかった。入ってきた瞬間、煙玉を投
げつけてやろうと思ったのだが、それならそれで別の考えもある。
 ぼくらは、変な奇声をあげて、煙とじゃれあった。煙の周りを、ぐるぐるぐると二人で回った。
やつは興味のなさそうに再び、歩き始めた。
 「いまだ!」
 「投げろー!」
 ぼくらはぼくらですごい勢いで煙玉に火をつけて投げつけたが、やつもやつですごい剣幕で
びっくりしていた。火を点けては投げ、点けては投げ、時には3つぐらいいっぺんに点けて投
げ、やつの回りは煙だらけになった。げほげほげほ、とせきをする声が聞こえる。ぼくらは大笑
いで転げまわった。
 やつも、そのままやられているような人間じゃあない。ハンカチをポケットから出したと思うと、
口に当てて、ものすごいスピードでこっちに向かって走ってきた。
 「ははははは!お、やつがこっちに走ってきたぞ。ずらかれ!」
 残る煙玉は二つ。ぼくらは一つずつ持って、さっそうと走り出した。全速力で走ると、ちょうど
小屋があったのでぼくらはそこにひとまず隠れることにした。やつは知らずにそのまま通り過ぎ
ていく。
 「いいんじゃねえ?大成功だ」
 「でも、まだ二個残ってるよ。これも投げつけようぜ」
 ぼくらは意を決して飛び出し、やつの背後から二人でいっせいに、思いっきり投げつけた。シ
ューシューシューと煙を吐き出しながら、ぼくらの三十円は飛んでいった。くわっとやつが振り向
く。ぼくらは再び逃げ出した。
 「はっ、はっ、はっ・・・」
 次の瞬間、友だちがやつにつかまった!やつが背中のあたりに飛びついてきたのだ。二人
はもつれ合い、ぐらぐらぐらと揺らいだあと、立ち止まった。
 やつは離さない。やつの頭が友だちの胸のあたりにあった。友だちは左腕でやつの首を抑
え、とりつかれたように、でもなにか不敵な笑みを浮かべたまま、右手でやつの頭をこつこつこ
つと叩き始めた。その姿は異様なほどおもしろかった。やつはまだ抱きついている。
 ぼくは援護することにした。やつの後ろに回り、飛び上がってけりを入れた。跳び蹴りというや
つだ。それがまたうまくヒットした。やつはぐらっとして、友だちの腰に巻きつけている腕の力を
抜いた。そのチャンスに友だちはやつを放り投げ、ぼくのところへと戻ってきた。 
 「やーい、ざまあみろー」
 「やーい、やーい」
 ぼくらは会心の笑みを浮かべて敵を倒した快感を味わっていた。やつはなお向かってこよう
としたので、ぼくらはまたまた走って逃げた。やつはかなり疲れていたようで、それ以上は追っ
てこようとしなかった。
 ぼくらはいつもの駄菓子屋に立ち寄り、乾杯のポカリスエットを飲み交わした。ぼくらは今回
のゲームをクリアした。



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