ナナネコ
夜中の11時、ぽつりぽつり灯りが消え、町に静けさが迫る頃、大輔は突然のどなり声に驚いて眠りから目を覚ました。父親のどなり声だった。
「うるさいぞ、このバカ猫が!ニャアニャアニャアニャアわめきやがって、落ち着いて飯も食えないじゃないか!」
大輔はベッドから飛び起きて階段をかけおり、手に持った茶碗を今にも投げつけようとする父親を止めてさけんだ。
「父さんやめてくれよ!クロはきっとお腹がすいてるんだ。悪気があってないてんじゃないんだよ、ただ父さんのご飯のにおいをかいで自分も食べたくなっただけなんだ。」
大輔は小さくなっておびえるクロを抱きかかえ、そばで雑誌を読んでいる母親のところへ行った。それを見ると父親はまた黙って食事をとり始めた。
「ねえ、母さん。クロに何か食べるものをあげてよ、お腹をすかせてるんだ。」
「今朝きのうの残りをやったわ。もうじゅうぶんよ。」
母親はぼそっとつぶやいただけで、そのままソファーで雑誌を読んでいた。
大輔は「おやすみなさい」と小声で言い、まだふるえるクロを抱いて居間をでた。それから部屋へ戻り電気をつけると、ベッドに腰かけてふうっとため息をついた。
「なんで父さんも母さんもお前をいじめるのかなあ。何にも悪いことなんてしてないのに。なあ、クロ。」
クロがおなかをすかせてすりよって来たので、大輔は机の引出しに隠していたチョコレートの包み紙をはいで、そのひとかけらをやった。クロはぺろりとチョコレートを食べ終えて、もっとほしいというように大輔の足にすりよった。
「ははは、もうだめだよ。さあ、寝よう、あんまり遅くなると起きられないから。明日は旅行なんだ。父さんがクロも連れてってくれるって言ってたんだ。おまえも楽しみにしてろよ。」
大輔は電気を消してベッドに入り、クロも一緒にもぐりこんで大輔の身体にべったりくっついた。明日のことを考えると興奮してしばらく寝つけなかったが、一時間もすると静かに寝息をたて始めた。
大輔の寝息を聞くと、ふとんからクロがひょこっと顔を出し、するりと抜け出した。そして大輔の鼻をぺろりとなめて彼が完全に眠っているのを確かめて、ベッドで大きく伸びをしてから机の上にひょいと飛び移った。それから、カーテンのすき間に体をすべりこませ、窓ガラスについた水滴を前足でぬぐってニャアと一声鳴いた。すると窓の外から一匹の白猫が顔をのぞかせた。クロがもう一度ニャアとよびかけると、相手の白猫もそれに答えるようにニャアと鳴いて後ろを振り返り、青やら緑やらいろいろな色の猫をつぎつぎと窓ガラスのそばに呼びよせて、まるで会話をするようにニャアニャアやかましく鳴き始めた。しばらくの間、猫は内と外とでなにやらニャアニャアやっていたが、最後にクロがニャアと一声鳴いて再び大輔のベッドにもぐりこむと、外の猫もちりぢりに夜の闇へと消えていった。
翌朝、大輔は父親と言い争っていた。
「どうして連れってちゃいけないのさ!」
「うるさい、だめなものはだめだ。」
「だって前はつれてってもいいって言ったじゃないか!」
「そりゃ言い間違えたんだ。だいたい、猫を連れてホテルに入るなんて、そんなことできるわけないだろう。」
「ひどいよ!ねえ、母さん、いいでしょ!」
母親は出かける準備をさっさとすませ、昨夜の残飯をなべからえさ箱に移しかえている最中だった。
「だめよ。」
「だって前に父さんが…」
「あんまり言ってるとあなたも連れてってもらえないわよ。」
その間に、父親は靴をはき終えて車に荷物を積み込んだ。
「おい、早くしろ。出発するぞ。」
大輔はまだ母親になきついていたが、彼女はむりやり彼を玄関にひっぱって行った。
「ごめんなクロ、連れてってやれないや。でもきっとおみやげ買って帰るから、それまでおとなしくしていろよ。」
大輔についてこようとするクロを母親は平手で打ち、クロが恐れて後ろへ飛びのいたすきにドアにかぎをかけ、大輔を車の後ろの席に押し込んで、自分は助手席に乗り込んだ。エンジン音がひびき、低いうなりをあげて車が出ると、家は急に静かになった。
クロは靴箱の上にすわってきょとんとしていた。家中がシーンと静まり返り、ただ居間のかけ時計だけがカチコチさびしく時をきざんでいる。クロは一つ大きなあくびをし、くるりと向きを変えて二階の大輔の部屋へむかった。階段をあがってドアのすき間からするりと部屋へ忍び込み、別れをおしむようにながめまわした。それから机の引出しを前足で器用にあけ、昨日のチョコレートの残りをたいらげて、腹ごしらえをしてから、窓の側でニャアと鳴いた。するとまたきのうの白猫が顔をのぞかせた。クロは上半身を持ち上げて前足で窓のかぎを開け、白猫を部屋へ呼び入れた。
「どうしたんだ、君も一緒に旅行へ行くというんじゃなかったのか?」
入ってくるなり白猫がそう言った。
「うん、子どもは僕も連れて行くように親に頼んでいたみたいだけれど、どうやらだめだったらしいよ。車でどこか遠くへ行くというから、僕も楽しみにしていたんだけどね。でもこれでよかったんだと思う。旅行から帰ってきて家の中がすっからかんになっていたら、あの子はきっと僕を抱きかかえたまま泣いてはなさないだろうから。」
「それは困るね、仕事を終えたらさっさとずらからなくちゃ。ところでどうだい、ここではたっぷりかわいがってもらえたかい?」
「子どもは僕をずいぶん気に入ってくれたけれど、夫婦にはいやと言うほどいじめられたよ。奥さんは一日一食しか食べさせてくれないし、昨日はもう少しでだんなさんに茶碗をぶつけられるところだった。」
「そいつはひどい。しかしそれなら夫婦からはいろいろいただいても問題ないね。」
「うん、夫婦のは全部もってっていい。でも子どものは残しといてくれないか。」
クロがそう言ったときには、白猫は大輔の部屋の中を物色し始めていた。
「だいじょうぶだよ、見てるだけさ。『かわいがってくれた人のものは盗まない』これが僕らのたったひとつのルールなんだから。そうそう、忘れるところだった。君に頼まれてた例のもの、きちんと持ってきたよ。」
白猫は窓の外においていた新しいチョコレートを一枚をもってきてクロに渡した。
「しかしいったいこれをどうするんだい?」
クロは何も答えずへへへと恥ずかしそうに笑っただけで、そのチョコレートをくわえて大輔の机の引出しにつっこんだ。白猫もそれ以上はたずねなかった。
「ところで他の連中はどうしているんだ。」
「『青』と『緑』は昨日の仕事の片づけをしてる。『赤』と『紫』は今ごろ運送屋のカラスじいさんの所で交渉しているはずだ。」
「なに、今回も『赤』と『紫』が交渉に行ってるのか。少し不安だな。『緑』が教師の家にもぐったときにあのふたりがふくろうのばあさんに頼みに行って、やたらぶんどられたじゃないか。どうして『オレンジ』に行かせなかったんだ。」
「『オレンジ』はブルドッグのところに行っているんだ。前回の仕事であいつに見張りを頼んだのをおぼえてるかい?そのときあいつはどさくさにまぎれて時計を一つ持ち出してたのさ。それを取り返しに行ってるんだ。」
二匹があれこれ話していると、窓から全身真っ青の猫と真緑の猫が入ってきた。そして他の猫よりひとまわりも体の大きい青い猫がクロを見るなりしわがれた声で言った。
「ありゃ、『黒』がいるじゃねえか。お前、この家のガキと一緒に旅行に行くんじゃなかったのか。」
「行かないことになったのさ。」
「どうせ連れてってもらえなかったんだろ?当然だよ。ところでお前、今回はどんな名前を付けられたんだ。やっぱりアレか?」
「うるさいな、そうだよクロだよ。そんなことより仕事はきちんと片付いたのか。」
仕事の話になると青色の猫は急に黙り込んで、かわりに緑色の猫がしゃべりだした。
「うん、問題なく終わったよ。ちょっとかさばる品物が多かったから、今日のうちにネズミ君の店で全部売り払ってきた。」
「今回は買いたたかれなかったかい?」
「前に赤君とムラサキ君に任せたときに比べればね。それでもやっぱりネズミ君には商売では勝てないよ。全部で三百くらいにしかならなかった。」
「けっ、だからさっきネズミの野郎をくっちまおうぜって言ったんだ。緑のやつが俺に聞こえないふりをするから、今のうちだと思ってカウンターを越えて飛びかかろうとしたんだ。そうしたら飛び上がってる俺に向けて、こいつ横から押しやがったんだぜ!止めるんだったらもっと早く止めりゃあいいのに、空中に飛び上がってるときに止めようとするもんだから、おかげでカウンターに鼻づら思い切りぶつけるわ、ネズミの野郎は逃すわでさんざんだった。」
青が身ぶり手ぶりをつけてその出来事を話すのをみて黒と緑は大笑いし、それまでひとり夢中で部屋を物色していた白は「そろそろ仕事を始めようか」と言った。
青は口を開けば冗談ばかりだが、体を使う仕事となると他の猫が二匹がかりでやる仕事をひとりで楽々やってのけた。テレビやビデオ、パソコンといった重たいものをたてに重ね、それを前足だけで軽々と持ち上げ、あっちからこっちへと、その重そうな体からは想像もつかないほど軽快な仕事ぶりを見せた。
一方、体の小さい緑は青のように豪快な仕事こそできなかったが、宝石や時計などの貴重品を扱わせると仲間の中でもっとも慎重な仕事をした。そのかわりに緑は急ぐということを知らず、落ち着いて仕事ができる場合はいいが、急いで仕事を片づけなければならないときには仕事の速い青にいつもどやされるのだった。
青と緑が目立つ場所にあるものを二階の夫婦の寝室に運んでいるあいだ、黒は見つけにくい貴重品を白と一緒に探して回った。
「たしかこの鏡の裏に奥さんがダイヤモンドの指輪を隠しているんだ。」
「その指輪は奥さんが自分で働いて買ったものなのかい?」
「いや、あれはお金持ちの友達からの借り物で、その友達が指輪を貸してるのを忘れたまんま引っ越しちゃったもんだから、奥さんは返さずにじっと握ってるんだよ。」
「ふうん、借りたまま返さないほうも返さないほうだが、貸したまま忘れるほうも忘れるほうだね。でも、それなら僕らがいただいても問題ないね。」
「うん。それから洋服ダンスのとなりにだんなさんのゴルフバッグがある。重たいものだが、あれも忘れないでおくれよ。」
四匹はそれぞれの仕事を順調にこなしていった。あるものは押し黙り、またあるものはしわがれ声であれこれしゃべりながら、それでも仕事はとどこおりなく終えられた。
仕事を終えた四ひきが、所せましと荷物が並べられた寝室で輪になって休けいしていると、赤い猫と紫色の猫が窓から入ってきた。黒はカラスじいさんとのかけひきはどうだったかとすぐさま『赤』と『紫』に聞いた。
「あれ、君は旅行じゃなかったのか。まあいいや、かけひきは完璧だよ。」
紫は自信たっぷりに言った。
「ほう、めずらしい。それでいくらで話をつけたんだ。」
「聞いて驚くなよ。なんと…三百だ!三百で若いカラスを二十羽よこすって言うんだ。」
「なに、三百で二十羽!」
「すごいだろ!いつも間抜け扱いするが、俺らだってたまにはうまい具合やるんだぜ。」
しかし黒はあきれて言った。
「三百なんてちっとも安くないよ。昨日のもうけがいくらだったか分かってるのか、三百だよ。君らのせいでそれがパーだ。それにカラスは二十羽もいらないよ、そんなに荷物はないじゃないか。」
黒にしかられて赤と紫はしょげた。黒はその様子を見るとかわいそうになり、「今度は気をつけてくれよ」と言って許したが、青はここぞとばかりにののしりたおし、赤と紫はますますしょぼくれた。まさに機関銃のように青はしゃべりまくり、そのあいだ他のものは誰もしゃべり出せなかった。それでもしまいにはさすがの青もしゃべりつかれて静かになり、そのすきに黒は白にたずねた。
「ところでオレンジはいつやって来るんだろう。例の『ブルドッグ』の仕事はまだ終わらないのかな?」
「いや、それは僕も知らない。赤がオレンジから何か聞いているんじゃなかったか?」
「夕方までにはなんとかするって言っていたよ。もうじきやってくるんじゃない?」
しょぼくれたまま赤は答えた。
「オレンジのことだ、心配なんかすることはねえよ。そう、あのしっかり者のオレンジだからな、お前らとちがって!」
青は思い出したようにしゃべり始めた。そのせいで赤と紫はずっと小さくなっていなくてはならなかった。
そうこうしているうちに夜になったが、まだオレンジはやってこなかった。
「どうしたんだろう。何か問題でもおきたのかな。もうカラスがやってくる時間だぞ。」
「もしあんまり遅いようだったら、オレンジ抜きでやるしかないな。」
するとすぐにカラスの鳴き声が外から聞こえてきた。
「ほらやってきた。あいつら待たせられると怒り出すから急いで仕事を始めよう。」
白は窓を大きく開け、そこをめがけて二十羽のカラスがばさばさと羽を羽ばたかせてつぎつぎに部屋へ飛び込み、部屋はあっという間にカラスだらけになった。そして一番大きいカラスが白をにらみつけて言った。
「親分の命令でやってきた。この荷物を運べばいいのか。」
「そうです、ここにあるのを全部、窓から見えるあの山のてっぺんに運んでください。」
白はカラスを怒らせないようにていねいに言ったが、青はそんなことにはおかまいなしに、いつもの調子で、
「おい、お前ら!途中で横取りでもしたら承知しねえぞ、わかってんのか!」
と、どなりちらした。するとカラスは急に調子を変えて、
「は、はい!わかりました!責任を持ってお届けいたします。」
とへりくだって言った。
カラスたちはすぐ仕事にとりかかった。それぞれが大きなたんすや重たいゴルフバッグをいくつもまとめて運んでいった。彼らの働きぶりはすさまじく、猫たちがそれに感心しているうちに、荷物はたった十羽のカラスだけで運び終えられてしまった。
「荷物は以上で終わりですか?それでは私たちはもう帰ってもよろしいでしょうか?」
働いていないカラスをこのまま返すのはもったいないような気もしたが、もう荷物もないので、彼らもそのまま返すことになった。ところが、黒が「お疲れ様」といってカラスを見送ろうとしたとき、窓の外で犬がけたたましくほえるのが聞こえてきた。
「なんだ、何の騒ぎだ!」
外をのぞくと、むこうからオレンジ色の猫が屋根づたいにこちらへかけてきて、それを四五匹の犬が道路を走って追いかけてくるのが見えた。しばらくしてオレンジの猫は息を切らして、窓から部屋に飛び込んできた。
「どうしたんだオレンジ!なにがあった!」
「ブルドッグから時計を取り戻したんだが、あいつがそれに気づいて仲間と一緒に追いかけてきたんだ!だから早く逃げなきゃ!」
「逃げるって、もうあいつらは玄関の前まできてるんだよ。どうやって逃げるんだ!」
すると横で話を聞いていたカラスの頭が申し出た。
「よろしければ私たちで皆様をお運びいたしましょうか。」
「その手があった!お願いするよ!」
「ほら見ろ、残りのカラスが役に立ったじゃないか!」
そう言って赤と紫が手をたたいて喜ぶのになど耳も貸さずに、他の猫はさっさとカラスの背中へ飛び乗った。
「おい、待てよ、俺らを置いていくなよ!待てってば!」
赤と紫も急いで飛び乗ると、カラスたちは七色の猫を背中に乗せてふわりと浮かび上がり、ものすごい勢いで窓から飛び出した。彼らは玄関でほえるブルドッグを見下ろし山へむかって飛んでいった。
黒はカラスの背中で、数ヶ月暮らした家と大輔の部屋の開きっぱなしになっている窓を見ていた。あの家で夫婦にはひどい目に合わされた。食べるものもろくに食べさせてもらえないうえに、さんざんなぐられた。これでもうあの家へは戻らなくてもよいのだ。しかしもう二度と大輔に会うこともない、そう考えると、これまでにも同じ別れを何度も経験しているはずなのに、黒の目から涙があふれ出た。肩をふるわせて泣いている彼の姿を、猫たちはやさしく見つめてほほ笑んだ。
翌日、一家が旅行から帰ってきた。クロのために買ってきたおみやげを持って一番に家に入った大輔は、家の中が空っぽになっていのを見て驚いた。父親は自分のゴルフバッグがなくなっているのをなげき、母親は隠しておいた指輪までとられているのをくやしがった。大輔はというと、自分の部屋からはなにもなくなってはいないものの、どこを探してもクロが見つからないので泣きじゃくった。夫婦が警察を呼んでやっきになって犯人を探させている間、大輔は食事もろくにとらずに部屋に閉じこもったきり机につっぷして泣いていた。それでも夜中まで泣きつづけると彼は少し落ち着いて、自分が帰ってから何も食べていないことを思い出して、引出しのチョコレート食べようとした。ところが取り出してみると、破れているはずの包み紙が新しくなっている。不思議に思って包み紙をはがしてみても、やはり中身も新品だった。ふと包み紙についた小さな歯形が目にとまった。それはクロがひきだしに入れたときについたものだった。それを見ても大輔には、なぜ家の中から物がなくなっているのか、なぜ自分の部屋では何もなくなっていないのか、ということは分からなかった。しかし、彼にはクロがもう二度と帰ってこないことだけははっきりと分かった。彼は泣くのをやめ、窓ガラスについた冷たい露をぬぐい、夜空をながめた。そして一言、
「僕の方だよ、『ありがとう』と言わなきゃならないのは」
とだけつぶやいて、真新しいチョコレートにかじりついた。
おわり