俺が死んだのは交通事故。会社の帰り、睡眠不足で運転していてカーブを曲がり損ねて
フロントから歩道に突っ込んだ。公衆電話のボックスに突っ込んだのかな。一瞬の出来事だったんで何が
起きたのか分からなかったのだが、多分、そんな感じのものに突っ込んでいったような気がする。
気が付くと、手術室の天井あたり。不思議な話だが、昏睡状態の自分を下に見下ろしていた。
そのときの俺の感情はどんなだったろう。死にたくない、というすがりつくような思いもなく、
淡々と鼻や口、手足に管を付けられ、慌ただしく動く医師に囲まれた自分が、まるで他人のように、
いやもっと言うと物体のようにすら見えた。肉体から解放された自分は不思議なほど、至って穏やかな気分だ。
感情がなくなった訳ではないらしい。というのも、俺が息を引き取った後、家族や知り合いの嘆き悲しむ姿を
思うと、悲しみとか罪悪感を感じる。特に娘のことを思うと後ろ髪を引かれる思いが強い。でも、そういった
感情を更に上回る何か大きな強い意志、それはまるで全てを肯定せよ、とでも言っているような
無言の意志、といったものに導かれているようなんだ。
これは昔、テレビで見た臨死体験というものかもしれない。手術室の上をしばらく浮遊していると、光のトンネルが
頭上に現れた。これがまたけったいな代物で、綿飴の中に電球を入れて、それを螺旋状に巻いてつなげたもの、
という譬えで伝わるだろうか。どういう力が作用しているのか知らないが、どんどん光のトンネルの中に
吸い込まれていった。
トンネルの出口を出ると軽く目眩がしたが、すぐ目は慣れた。月並みな表現だが、そこは光のまばゆい世界。
空は青く透き通り一点の雲もない。地には黄色や白や赤やだいだい色の色とりどりの花が咲き乱れ、この美しさをこよなく愛す、
と言わんばかりの優しそうな風が地面を撫でる。森、湖がところどころに散りばめられ、景色のアクセントになっている。
神様が幸福をデザインしたらきっとこうなるに違いない。
ていうことは、ひょっとすると天国なのかな、とも思ったが、羽の生えた天使が空を飛んでいるわけでもないし、
青い鳥は幸せをさえずり合っていないし。そもそも動物という種族が存在しないらしい、この世界には。
お花畑にお似合いの蝶もいない。蝶はこのデザインにぴったりなんだがな、神様も設計を誤ったのかな。
そんなとりとめもないことを考えながら、しばらく自分が入ってきた光のトンネルを
ぼんやりと眺めていた。その気になれば光のトンネルを逆走して、元の世界に戻ることもできたのだろうが、
そうしようという気持ちが微塵も起きない。別にせいせいした訳でもないし、何だろうね、この落ち着き方は。
一瞬、眩しいくらいに光が強くなり、そして光が弱くなるとともにトンネルは消えてしまった。これで
99%くらいの確率で今までの世界とはお別れだな、などと根拠のない数字に、少しばかりの感傷を絞ってかき混ぜて
みた。死んだって事実を実感するには、なかなか時間がかかりそうだ。
そういえば、自分がどんな格好していたか意識していなかったな、目を落としてみると俺は背広姿。事故で原型を
とどめていないはずなのに新調仕立てのようにようにぴっしりとしている。ま、ほとんど休みなしで働いていたからなぁ、
背広姿は俺の普段着みたいなもんだ。
背後に人間の気配がした。
振り返ると、それは親父ようだった。「ようだった」というのは顔立ちは親父を
連想させるのに何か違う。知的に洗練されたような雰囲気をまとっている。俺の親父は高卒で鉄工所に働いていたし、
毎晩、酒を飲んでいたので、知的な雰囲気など一欠片も持ち合わせていない。思考パターンも使う言葉も乱暴だしね。
便宜上、カッコ付けで親父と呼ぼう。<親父>は生前のまま豊かな白髪をして、ひらひらの白衣を着て立っている。
この衣服、ま、柔道着に近いかな。帯はないけどね。
「ようこそ、いらしゃりました。
これからあんさんを分岐点に案内するだす。
分岐点ちゅうのは天国に行くか地獄に行くかの分かれ目、ちゅうことだす。
なんやよう分からんと思いますけんど、わての後に付いてきてや。
ほな、行くで。」
すすっと動き始める。後を追わなくちゃ、と意識したら彼の後を自分もすすっと動き始める。動く歩道に
乗っているような感じかな。
青空に花畑、なんていうメルヘンチックな世界から、段々、空の色が赤くなってきたし地面は土がむき出しに
なってきた。空の赤さは夕焼けのような色ではなくて、炎を血と黒ずみで乱暴に着色したような色だ。
地面の花は少しずつ減ってきて、やがて赤茶けた岩や土になってきた。
「何か殺風景になってきたなぁ。」
独り言を言うと、<親父>は、
「ま、これから起こることは楽しいことばかりではないさかい、ちょっとした演出ですわ。」
「ふーん、最初は極楽で後は地獄かい。趣味の悪い演出だな。」
「あんさん、わてが相手だから良いさかい、間違っても今度行くとこではそんなこと言ったらあかんですよ。」
「今度、行くところ? これからどこに行くのかい?」
「ですから先ほども行ったように分岐点ですわ。」
「それは分かっているんだがね。分岐点て何?」
「それもさっき、言ったがな。天国と地獄との分け目だす。」
「だからさ.....」
何か話をしていても一向に前に歩み出しそうにもないので、それ以上は諦めることにした。代わりに一番、
彼に聞きたかったことをダメモトで切り出した。
「あんたね、うちの親父に似ているんだがね。」
そう言って<親父>の表情をさぐるように伺った。<親父>は少し頬を緩めて
「そうですか。皆さん、わてを何かに似てるとおっしゃりますな。
ここでは自分の願望が実体として現れるんですわ。あんさん、父親が自分を導いてくれる、てな思いを
持ってはいませんでしかの。そんな父親への思いをわてに投影してる、ちゅうことですな。」
何か二流の心理学者が垂れそうなイカサマ講釈を聞いているような気がするのだが、
ムキになって噛みつく気にもならなかったし、それ以上、何かを聞こうという気がなくなって
しばらく黙っていることにした。聞きたいことができたら、また聞けばいいのさ。
「あんさんの案内をするのもここまでだす。こっから先は自分で歩いていってや。」
そう言われて我に返る。<親父>を見ると、彼は立ち止まって、先の方角を手で指し示している。
<親父>の指した方向には別に何かあるわけでもなく、延々と赤茶けた地面が続く大地だった。
目標物がないとつらいな、そう思って<親父>に問いかけようとすると、<親父>は穏やかな雰囲気をまとった存在を
空気にするっと溶かすようにして消えていった。
ふう。ま、こんなところにぼけっと立っていたって何も良い事はあるまい。大した決意があるという訳ではないのだが、
意を決して歩き出す。
ざっ、ざっ、と足音立てて。今までは足で歩いたという記憶がないのだが、どうやらこれからはえらく現実的な
拘束の多い世界らしい。これも神様の設計なのかな。
目標物がないんで、まっすぐ歩いているという保証は何もないんだが、とりあえずさっき<親父>が
示した方向を目指して歩き始めた。
時間の観念というのがないので、どのくらい歩いたかは良く分からないが、ごぉーっていう大地が叫び声を
上げているような音が大きくなってきた。そして突然、大地を大きくえぐった黄河くらいありそうな河が視界に開けてきた。
この河、色が真っ赤だ。河の水はねっとりした質量があって、まるで赤く染めた泥か
溶岩が流れているようだ。おまけに流れは激しいし、このまま河の中に入っていけば、あっという間に流されてしまうに
決まっている。
迂回する手段はあるのだろうか。この河幅からすると、相当上流に行かないと渡ることはできそうもない。
ま、仮に上流というものがあるとして、の話だが。ま、予想はしていたが、橋なんていう気の利いたものは
あるわけがない。
さっきのように空を浮遊できれば、空気を伝って河を越える、なんていう芸当もできるんだが。
妙な現実感とともに重力という拘束を感じている現在、そんなことはできそうもない。
どうにもなるまい、と言って、どうするという当てもない。ま、会社の同僚がいれば、「バンザイするかぁ。」
なんていう軽口も叩けるが、ここではそういう相手もいないしなぁ。少しばかり不安になってきた。
しばらくぼうっと河の流れを見ていると、向こう岸の方から黒い点が現れ、それが少しずつ大きく
なってきた。その点は楕円形に成長し、そして立体感が加わって、どうやらそれが人のようだということが
分かった。
麦わら帽子をかぶった男が舟を漕いで、こっちに向かってきた。この男、黒のスーツに
黒ネクタイ。麦わら帽子が浮いているんだけどなぁ、本人にはそういう自覚がないのかな。
それにしても、なんと思わせぶりな演出なことか。
男の顔が判別できるくらいに近づいてきた頃から気づいていたのだが、その男は俺が働いていた
会社の上司に似ていた。
男は俺の立っている河岸に舟を乗せると、俺の方を見てにっこりと笑った。なんだ。やっぱり会社
の上司の黒田だ。黒田というのは自分の直属の上司で課長。
これもさっきの<親父>と同じようにカッコ付けで呼ぶべきなんだろう。確かに黒田の顔立ちなんだが、
微妙に違う。何て言うか悟りを開いた人の表情が顔に上塗りされているような。
まだ自分が死んだという実感はないんだが、生きている時分には随分とお世話になったよな。
自分で何かを決めるということができない。部下か上司の部長に決めて貰わないと何もできない課長だった。
会議のときは他人の発言を表現を変えて鸚鵡返ししているだけで、発言の中身がまるで無い。決断する場面では
だんまりを通し、自分は責任は取らないという態度が見え見えだ。
でも見た目は恰幅が良くて風格があるし、良く通る声で話すし、中身はないが
看板としてだけ機能はしていた、といことになるのかな。重要な会議には一応、出席して貰っていたが、
実質上は、部下の我々が意志決定し行動する、という仕事のスタイルになっていた。
縦のラインが黒田という壁で途中でとぎれているため、あまり組織としては美しい図ではない。
部長から黒田の管理能力について雷が落ちることもしばしばだった。首をすくめて説教を聞いている
姿は惨めそのものだった。ざまみろと思ったが、その腹いせに、
俺達部下にくどくどど嫌みを言う。小心者だというのが分かっていたから、
相手にするほどの人間でもない、と高をくくってお付き合いしていた。
ま、そんな上司だったから、必要最低限の会話だけする、きわめて事務的に話すという風にして
黒田と付き合っていて、当然、俺と黒田とは仲が良くなかった。
俺の中でむくむくと黒いものが大きくなっていき、俺がぶすっとしていると、<黒田>は人の良さそうな顔で
「前に流れる河は貴方の元いた世界では三途の河、なんて呼ばれているようですね。
この世とあの世を距てる河、ここを下って閻魔様のもとへ、と。素敵な観光旅行と
いう訳ではないのですが、どうぞ、舟にお乗り下さい。
これから貴方を分岐点にご案内します。」
<黒田>に案内されると言うのは至極、不愉快なことなんだが、至って丁寧な言葉遣いを
差し引いて、乗ってやることにするか。どうせ、拒否したって、どうにもならないだろうし。
<黒田>は船の後ろ側に櫓を持って立っていて、前の方の空いているところに俺は腰掛けた。高温の
河を渡るにしては、とても耐熱仕様の頑丈の舟には見えない。
しばらく<黒田>は無言のまま櫓で河をかきながら、舟は向こう岸に向けてしずしずと進む。
昔、社内で付き合っていた女性がいたんだが、彼女に黒田の悪口を言い始めたら、
あの人、そんなに悪い人じゃないと思うなんて言われた。彼女の言うには人の面倒見が
良くて、リストラにあった人の再就職を世話したり、結婚する人にいろいろと両家の角が
立たないようにいろいろとアドバイスしてあげたりしたらしい。
「見て下さい。河の表面を。真っ赤でしょう。実は大変な高熱でしてね。ここに落ちると
大変なことになりますね。気をつけて下さい。
でも何故、私たちはそんな高熱の河を渡っていて暑くないのか、何故、舟が燃えないのか、
こんな激流なのに何故、流されないで向こう岸に向かっているか、不思議でしょう。」
<黒田>は貴方の思考は全部お見通しです、とでも言いたげな口振りで言った。
俺の中で黒いものが更に一回り大きくなった。どうせ物理的な現象で説明できっこないのに
俺に何を説明しようっていうんだい。このまま黒いものが膨張すると、何をしでかすか分からないな。
心の中に隠しているピストルを弄びながら、凶器による強さの錯覚と、それをいつでも使えるのに
使わないという余裕の錯覚から、<黒田>に対する優越感を創作したいという意識が働いて
いるようだ。嫌らしいと思いながら、でも、自分の肯定するためには多少の疚しさは抹殺すべき、と
いうありがたい心理的な操作のおかげで、安楽椅子に腰掛けることができるわけだ。
「お煙草は吸われますか?」
慇懃に<黒田>は話しかける。気分転換したかったので、黙って頷くと、背広の内ポケットから
俺が生前、愛用していたセブンスターの箱を俺に手渡した。箱から1本抜くと、すかさず<黒田>は
内ポケットからライターを取り出して、しゅぼっと煙草に火をつけてくれた。
ふぅーっと煙草をふかしていると、吐く息と一緒に黒い物も吐き出されたのか、攻撃的な気持ちが
少し落ち着きを取り戻し、すると思考回路がいくらかは機能してきたのかもしれない。
この男、さっきの<親父>よりは話の分かる男かもしれない。少なくとも1のことを聞くと、お釣りが
出そうなくらいの話は返してくるようだ。それが1.01なのか5なのかは分からないが。ま、
が、引き出せるものは引き出してしまえ、そのための労は無駄ではなかろう、と思い直してみた。
「ちょっと物を尋ねるがね、さっきから言われてる分岐点というのは一体なんだい?」
「そうですねえ、貴方の元いた世界では裁判所、と呼ばれていたものです。
そこで、貴方が天国に行く資格のある人間なのか、そうでないのか、ということが裁かれるという
わけです。システム的には貴方の元いた世界と何ら変わらない裁判です。貴方の生前、施した善行、犯した悪事などを
検事、弁護士がそれぞれに主張し合って、貴方がどれほど、社会に貢献したのかをはかって、行く先を決定
するもんなんです。
昔は天国に行く道と行かない道と二股に分かれる分岐路に人を立たせて、どっちに行くかを選ばせていました。
そうですな、人間が民族に分かれ、民族間の紛争が起きた頃から、天国に行ける人の数がめっきり減り、
天国の職員、職員というのは私のような人間を言うわけですが、その職員が遊んでしまったために
余剰人員のリストラなんていう不穏な動きがあったんです。
天国の職員をそうでないところへ異動するという手もあるんですが、それには問題があって。おおよそ、質の
違う世界ですんで、そういうところで働いてきた職員は使い者にはならんだろうということで。我々、職員は
もともとは住人で、試験に受かってからみっちりと訓練を受け、職員になるんです。ま、そういう風に
その世界に全身染まるわけですから、別の世界に移るっていうのは容易なことじゃないわけです。
これじゃいかんということで、これからは、できるだけ天国の住人のバランスをとらなければならない、
二者択一の方法にすれば、ま、統計上は住人の数のバランスはとれるだろう、という考えから、天国に行く道、
そうでない道が敷かれた訳です。」
で、その分かれ道を分岐点と呼んだのが、そもそもの発端なんです。」
「ふぅーん。そりゃ、ちょっと乱暴だな。」
煙草を吸い終わり、吸い殻を赤い河に投げ込んだ。
「そうなんです。
そうすると運のいい人が天国に行ってしまうので、中にはろくでもない人がいて、天国から
クレームが来たんですよ。それに天国に行く行かないを運に任せるなんて、そもそも良くないんじゃ
ないか、という至極当たり前の指摘もあって、議論の末、天国とそうでないところの住人のバランスを
崩すことのないように配慮しながら、しかし、その人間の質についても十分、吟味する、という
曖昧な決定がなされました。人間の質について吟味するために作られたのが、これから貴方の行く
裁判所な訳ですが、そこは昔の呼び方を踏襲して、分岐点という呼ばれ方をしてるんです。」
「なるほどね。」
この男、言っている内容の中に「地獄」という言葉を使っていない。もしかして俺の感情をみだりに
刺激したくない、という思いが働いているんだろうか。そうだとしたら回りくどい言い方になっていて、
却って嫌みだな。
淀みなく良く喋るし、話している内容もまともなようだ。やっぱり聞きたいことは聞いてしまおう。
「さっきから気になっているんだがね、天国とそうでないところ、というが、そうでないところって
何かね? 俺の元いた世界で地獄と呼ばれていたところかい? さっき、案内してくれた人は
そう言ってたぜ。」
単刀直入に聞いてみた。
「そういうことは規則違反なんですが。」
うつむき加減に、俺の問いに答えるというよりは自分自身に言い聞かせるような言い方で呟いた。
<黒田>は顔を上げて、歯切れの良さを戻して続けた。
「貴方が先ほど、おっしゃった言葉は、とりあえず今は禁止用語になっていますね。
負のイメージの代表的な言葉として、人間界に定着してからというものの、人間の中にあった
負の心理作用を増幅してしまったという。
それと、天国と地獄という両極端なイメージを対比させるという二元論は、人間に対して非常に悪い影響を
与えているようなんですね。
ということなんで、地獄は禁止用語、となっていまして、死後の世界について、人間に与えたイメージを
変える必要があって、その対策ができるまでは、とりあえず地獄という言葉は禁止、臭いものには蓋をする的な
言葉の戒厳令です。ま、貴方から直接、その言葉が出てしまった以上、戒厳令は気にしないことにします。」
そう言って<黒田>は人なつっこっく笑った。
遙か昔、ま、イメージ的に言いますと、アダムとイブくらいの昔です。まだその当時、分岐点
なんていうのもなくて、直接、職員が天国と地獄それぞれに死んだ人を案内する、っていう方法を
採っていたんです。
ところが、こちらのシステムもその当時、まだ十分に機能していなくて、天国に行くはずの人を間違って地獄に
案内しちゃったり、 途中で生き返ってしまったりと手違いがあったりしましてね。
ある人が、 天国に行く予定が地獄に行ってしまい、手違いに気づいて天国に行ってもらったら、
今度は天国で生活し始めてしばらくしたら途中で生き返らせちゃったんですよ。」
なんだか神様の采配っていうものが、えらく人間くさくなって近寄ってきたな。
「で、生き返った人が、『私は死後の世界を見た』なんてやり始めてしまって、天国と地獄の生活を
体験記として綴り、それが今で言うベストセラーになりましてね。山を越え、海を越え、あちらこちらの
民族の文化に消化されていきました。
それに味をしめた彼は、今度は普遍的な思想に話を発展させ、伝道師として教えを広めて行くんです。善と悪、
光と陰、白と黒、なんていう対立する概念によって、世界は構成されていると世界観ですね。
その考えはたちまちのうちに人間界の中で主流になっていったんです。」
確かにな。直感的に理解しやすい世界観だからな。
「私たちの分析では、それを境に人間が争いを始めた、っていうことになっています。
結果的には人間を二元論に導いたことになり、それが人間の過ちのもとになったんじゃないか、
と今、大変な議論なんですよ。
宗教の対立、国家間の対立、戦争、そういった忌まわしい出来事の根元にあるのが、二元論じゃないか、
概念の対立が世界のあらゆる事象ににマッピングされているんじゃないか、とかそういう議論になっていましてね。
功罪含めて侃々諤々の議論になってます。」
死後の世界を司る官僚みたいのがいるらしい。何だか生きていても死んでいても、結局は政治的な力学で
動くシーソーの上で踊ることになるのかなぁ。
いつの間にか舟は向こう岸に着いていた。
<黒田>に促されて舟から降り、岸から河の土手を<黒田>と一緒に上ると、そこには白い大きな建物が
立っていた。
「ここでお別れですね。」
「最後に聞きたいんだがね、天国ってどんなとこなんだい。地獄ってどんなとこなのかい?
それとここは一体、どこなんだい?」
閻魔大王っているのかい、俺達はまた死ぬことはあるのかい、などなど、一回、蛇口をひねると堰を切って、
質問が吹き出してきそうだ。
「それについてはお答えできない規則になっていましてね。」
<黒田>はちょっといたずらっぽい笑いを見せて付け加えた。
「ま、貴方次第とだけ答えておきますよ。便宜上、そんな呼び方をしていますが。
貴方がこちらに来る前の世界では、世界はおそらく貴方自身が投影していた世界だったんでしょう。
もしかして、こちらでも事情は同じなのかもしれません。私のお喋りもここまでですね。
名残惜しいですが、ではお達者で。」
<黒田>はそう言って俺に煙草の箱とライターを手渡して、俺に手を振った。
尻切れトンボの別れ方で、消化不良気味だが、ここで文句言っても始まるまい。
黒田ってやつも意外に良いヤツだったのかもしれないな、などと
思いながら、白い建物に向かって歩き始めた。
続く
続編は、主人公が被告になって、天国行きか地獄行きかの裁判になる予定。なぜか親戚や知り合い
ばかりが登場する裁判(になる予定)。