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もしかしたら、この前にもお話ししたことなのかもわかりませんが、「常識」というものは


その時代に人間がかってに考案し、作り上げたものでしかないので、


どちらかというと過去性が強いものであるような気がいたします。


「知識」なんかもそれと同様に、過去にあったことを知り、覚えていくといったような


ニュアンスが強いところがありますので、これも、どちらかといえば


過去性が強いものであるような気がします。


それとは違って、「知恵」と呼ばれているものには


未来を創造していくような不思議な力が存在するのではないでしょうか。


では一体、知恵の定義とは何なのかということを広辞苑から引用してみますと、


・物事の理を悟り、適切に処理する能力。

・真理を明らかにし、悟りを開く働き。宗教的叡智。

・四つの枢要徳の一。古代ギリシア以来さまざまな意味を与えられているが
 今日では一般に、人生の指針となるような、人格と深く結びついている哲学的知識をいう。


と、あります。


ちなみに枢要徳というのは、「知恵」「勇気」「節制」「正義」のことを言います。


もしかしたら、多少難しいのかもわかりませんが、ここからもわかるとおり、


知恵ある人というのは、何ものにもとらわれることのない、


自由で、素直で、柔軟で、独創的な、かつてない新しい発想をすることが出来るのでは


ないでしょうか。


「未来」というものは目には見えないもので、誰もまだ目にしたことのない世界なので、


未来を切り開いていくのには、どうしても知識だけではなく、知恵の部分に頼ることが


大いに必要になってくるのではないか、とも思います。


又、それと同時に、「知恵」というものは、もっていたり、


頼っていかなくてはならないものなのではないか、とも、思うわけです。


もちろん、知識を完全に否定してしまうことなど出来るはずなどありえませんし、


そのような事をしてしまうなど、全くといっていいほどナンセンスでしょう。


では、私が言いたいことは一体何なのかと申しますと、知識を得るということはもちろん、


とても大切なことではあるのですが、


それと同時に、知恵の部分もどんどん積極的に高めていくということが


大変に重要なことなのではないでしょうか、と言いたいわけです。


知識と知恵のバランス、これこそが、未来を創造していく人間に必要な能力であることは


絶対に間違いのない、真実なのではないでしょうか。


学校教育や、会社教育では、知識だけで人を教育したり、判断するのではなく、


もっともっと、知恵の部分も大いに見つめていく必要性があるのではないかと、


最近私は、強く思うんです。


もちろん、IQと同時に、EQの部分も、大いに見つめていかなければならないのではないでしょうか。










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