ドモ日記7月
04/07/28
中年ボーズは毛刈羊の夢を見るか
 三十路を前にして頭をボーズ刈りにしてしまいました。
 後輩に誘われたという必然性の無い理由。腰が軽過ぎるというのもどうかと思い始めてます。
 約束の時間に後輩がバリカンを持ってくる。何者からか拝借した、そのパッケージには…
 業務用の三文字。ナンデスカソレハ
 ついでに刈る長さ調節部に記された数字は6ミリ、3ミリ、5厘のみ。
 6ミリで既に取り返しつかねぇよ。
 文句はあれど潔くカット。泣きたくなるほど中途半端な段階で充電切れという洒落過ぎるトラブルはあったものの無事終了。結果は…
 哀れなほどにチンピラ風味でした泣。

04/07/22
 せっかく建てたブログの方もほったらかしの毎日です。わざわざ閲覧して下さっている方スミマセン。また、こっちでの更新です。どう考えても自分で全部やれるサイトの方が更新楽なもので。ログも自分で管理できるし。でも、コメント取りたいしなぁ…。

 最近、後輩の熱烈な薦めによって『半落ち』を見ました。何やら相当に泣けるらしい。別に泣ける映画を探しているわけではないのですが、興味もあり借りてみました。…で、感想はと言うと、残念ながら今ひとつ。ウルウルは少しキタものの、少しだけ盛り上がりに欠けているような感じがしました。期待感が大きかったためかな。半落ちという主題に絞ればよかったのに中途半端な気がしました。
 で、泣ける映画ということで、今回はコレです。↓ベタ?
ブラウン管に泣いた日々
 平たく言えば、泣ける映画特集です(平たく言い換えるなら凝った題付けるなとも言える)。
 何を目的として映画を見るかは人によって様々だと思います。笑いたかったり、惚れ惚れしたり、トリップしたかったり、ただ単に格好良いのでも結構。そいで、そう言った方々の中には、勿論泣ける映画が見たいという方も大勢いらっしゃいます。僕も、能動的に、泣ける映画を探そうとはしていないものの、泣いた映画は覚えいて、人に勧めちゃったりしちゃっているわけです。
 わざわざ金払ってまで泣きたいのか?勿論泣きたいです。それはもう、悲しすぎてやりきれなくって、観た後に首でも吊りたくなるような映画は苦手ですが、涙というのは悲しいときにだけ出てくるものではありませんよね。
 涙というのは、科学的に言うと精神が興奮している状態の時に出てくるそうです。だから、怒っているときでも感情が激して涙が出てくることもありますし。嬉し涙だって、そう。そういった感情とは別に芸術的な感動によって涙が出てくることだってあるわけです。
 そういう風に考えると、映画で泣く時というのは、それなりに心を揺さぶられているわけで、感動の映画、観るべき価値のある映画と解してもいいのではないでしょうか。
 というわけで、以下いろいろと泣ける映画を紹介するわけですが、良い映画なので、興味を持たれた方はビデオで観られるとよろしいのではないでしょうか。…オチが付かないことを承知の上。

 一本目、『アンドリューNDR114』
 これは、わざわざ項目を設けて紹介したかった作品です。これが一番泣けたような気がする。ストレートにSFな作品です。主人公はロビン・ウィリアムズ!ビデオのパッケージが妙に生々しくて気持ち悪い気がするのは僕だけですかそうですか。
 ロボット三原則で有名なアイザック・アシモフ大先生の短編を原作にしているようですが、読んでないので割愛。いつか読みます。
 あらすじ:未来(当然だ)の一般的な中流家庭に購入された家事用ロボットNDR114はアンドリューと名付けられ、暖かい家族に見守られながら、やがてロボットとは思えぬ人間的な一面を見せるようになり…といった展開。
 非常に個人的な意見で申し訳ないですが、このロボットと人間というテーマに非常に弱いのです。『ブレードランナー』然り、この人間と認めてもらいたいと言う願望、崇高な咆哮が僕だけの胸を打ちます。何故だろ。
 一般ピープルにとっても泣ける要素はあります。主人公のロボットは家族と暖かい親交を結ぶのですが、父親との交流が最高でしたな。主人であり師匠であり友人でもある父親と語り合ったり、娘の結婚式にしみじみ悲しんだり、対立したりするわけです。そして、ロボットは年をとらないのに家族だけは年老いていき、そしてお亡くなりになります。たまらなく切ないです。こういった膨大な時の流れ方と圧倒的な孤独感。それだけでウルウルです。
 時には我が儘な程に純粋で人間的なロボットの最期の選択、周囲の人々のの反響にきっと涙するはずです。僕は、おいおいと泣きました。まじで

 二本目は、『天国に行けないパパ/ショートタイム』、微妙な題
 ビデオ屋でもあんまり見かけない映画ですが、良い映画です。確かテレビで観たのが最初だった。そのあと英会話の教材になってたのも見かけましたね。
 あらすじ:定年前の刑事である主人公が、自分が不治の病で余命幾ばくもないことを偶然に知ってしまうことから物語が始まる。別居中の妻との間には最愛の息子が。息子のために、せめて保険金だけでも残そうと殉職を決意して仕事に臨むが、逆に成功ばかりして…
 といった、コメディです。死を決して望むカーチェイスは圧巻。ここまで激しいのは見たことないです。笑えたりしんみりしたりと楽しい映画でした。
 泣き所は中間部分、爆弾を腹に捲いた自殺既倒者の説得に行き(勿論死ぬつもりで)、けしかけながらも、自然と独白口調になり後悔を自白するシーン。結構のめり込める映画なので、思いっきり共感を呼びます。これも号泣。

 三本目は、『ショーシャンクの空に』、出たな!
 勿論スティーブン・キングです。原作『塀の中のリタ・ヘイワース』だっけか。キング原作の映画はホラーものより感動ものの方が評価高い気がするのは僕だけですかそうですか。
 これは泣けると言うよりも面白い作品だったです。妻殺しという無実の罪で刑務所に入った主人公は、絶望的な状況の中でも希望を失わず、持てる力を駆使して必死に生きていくといった内容。刑務所内の描写が正確かどうかは判断不能ながら、とても興味深く描かれていて好感を持てました。
 希望を失った同僚の老人モーガン・フリーマン!を狂言回しとしたストーリー展開もサスペンスフルで良かったですが、特にラストの爽快感は滅多に味わえるようなものではないと思います。終わってから観て良かったなあと心の底から思える映画でした。これは、じわりと来る涙。

 評価的に微妙なタイトルを並べて来ましたが、紹介もこれで終わり。やっぱり好きな映画を紹介するのは楽しいことを実感しました。こういう更新ならどんどんやって行き…オチコム

04/07/18
 すみません。遊文堂ブログ初めてしまいました。
04/07/16
 人に薦めといて(↓)なんですが、物凄くブログを羨ましく感じています。ああ、始めたい始めたい始めたい、でも、ブログを始めてしまったら、絶対にこのサイトはブログに移り変わってしまいますね。(葛藤)
04/07/14
ブログに興味あり
 ナオニさんが、ホームページ内で唐突にウェブログについて語ってらっしゃいましたので、僕も俄然興味が湧きました。なんだか、この遊文堂を、よりハイスペックにしたようなホームページを、しかも簡単に作れるウェブサービスみたいです。
 ブログとは、ワールドワイドウェブページ(いわゆるホームページ)とログ(記録)を足した略語であって、この遊文堂のように、テキストベースで日記を更新していくホームページと言って差し支えがないと思われます。
 そういうサイトなら昔から沢山御座いましたが、このブログはホームページ作成ソフトなどを必要とせず、インターネットエクスプローラーのようなブラウザソフトから、直接に作成できるという所に大きな特徴があります。
 この敷居の低さがとってもいい。
 数年前からブラウザからホームページを書き込むサービスは存在していましたが、このブログ、完成度が違う。日記のように更新していくのなら、これ以上のツールは無いように思います。
 このブログの弱点はデザイン性にありまして、ブラウザに記された少ない項目を選択することでデザインしていくことしかできず、確かに、HTMLプログラムを直に書き込んだり、ホームページ作成ソフトを使ってホームページを作る方が、デザインに自由度があって素晴らしいのですが(この遊文堂は別枠だが…どのブログにも勝てない…)、それ以上の魅力がブログにはあります。
 なんと言っても他のホームページより優れている点は、日記と掲示板の融合にあります。一つ一つの日記に掲示板のようなコメント機能が付いており、読んでる人の感想が直に伝わるのです。これは素晴らしいです。圧倒的に可能性が広がります。
 頑張れば、プログラム言語を駆使して、個人でも同じような機能を付けることができるのでしょうけど、僕は無理です。(も一回大学行って、今度は真面目に勉強したとしても)
 と、いろいろとブログの素晴らしさについて鼻息荒く述べてきたわけですが、僕は当分始めないでしょう。面倒いから。(ナオニさんの言うとおり、差別化が難しい。120%かぶってるし)。
 しかしながら、興味がある人は、良い機会です。始めちゃって下さい。ホームページを作るのは楽しいです。世界に向かって情報を発信できる、個人にとっては唯一とも言える方法ですし、表現の幅が広がります。それにともない自信と、くそ度胸も付きます。(更新が途切れると、逆に卑屈になりますが…)。
 というわけで、今日もまた友人にブログを勧めました(無理矢理デハナイハズ。)
 で、できたのがこのサイトです。↓
 よしふるの部屋
 むかつくほど初心者なので、気長に見てやって下さい(オチにするつもりはなかったんですよ、本当。ごめん、よしふるさん。m(_ _)m)

 ブログに興味のある方は、こちら、→gooのBLOGというコンテンツを見て下さい。無料だし。(他にもいっぱいあるヨン)
04/07/08
 自分の日記を読み返しながら思う。
 これは、ダメ人間日記なのではないのか?

 追伸:眼鏡がまだみつかりません。
04/07/05
 前回の更新を受けまして…
集中力欠乏症の男
 降って湧いたような2連休を利用して、部屋の掃除をしてみようかと思いました。
 普段から部屋が汚いと評判の自分です。部屋を片づけられない症候群の人を扱うテレビ番組が放映された次の日には、先ず私に話題の矛先が向かう始末。ダニに対して先天的抵抗力を持つ自分にとって、部屋の清潔さなど微塵にも意味が無いことなのですが、物を無くすと全く見つけることができない状態に辟易し、今回の決断に至りました。
 早速、部屋の棚から中身を床にぶちまけて、適当に捨てるものをチョイス。軽くゴミ袋4袋分くらい処理できました。それでもまだ物が多い。取りあえず、もらい物が多すぎるため対処に困ります。使える物なら誰かにあげようかと、ひとまず脇によけて他を当たる。すると、懐かしい本が…
 しばし読書タイム。
 本を読んでいるところへ、一人目の来客。
 「引っ越しですか?」
 「違う!!」
 来客をやり過ごした後、二人目の来客。
 こいつはおもむろにベッドに横たわり、世間話を繰り出してくる。無視してゴミ出し。部屋に帰ってくると、ビデオをあさった形跡が…。邪魔しに来やがったんだな、こいつは…。
 そして夕方には後輩から飯の誘い。行きますとも。ビール飲みますとも。
 調子に乗りすぎて、即寝。部屋は片づける途中のまま、2日目に移行。
 2日目。
 いきなり寝過ごす。
 酒を持ってきた先輩に起こされドンチャン騒ぎ。
 夕方からショボショボお好み焼き様の物を便所に流し込んでいると、仕事の呼び出し。疲れたなと、後輩と一緒に飲みに行って、帰ってくると…。
 連休前より散らかっている俺の部屋が…。
 うあああああああああああ!
04/07/03
 とうとう7月になってしまいました。この前まで寒い寒いと震えていたと思っていたら、もう夏が来てしまいましたか。子供の時と比べたら、時間の流れ方が違うと痛感します。子供から見れば、学校生活だけが人生の全て。大人から見れば、それに上積みされた人生があるため、同じ10年だとしても10分の10と、30分の10では違うという説もありますが、それだけでは納得できないような気もしますね。
目の前にあるキキ
 まあ、有り体に言えば、コンタクトレンズを入れたわけです。
 目に直付けというのがいかにも恐ろしくて、ずっと敬遠していたのですが、あまりに眼鏡を無くしすぎるというズボラな性格が原因で(今回もなくしてます)、一日使い捨てのコンタクトレンズが最適なのでは、という結論に至りました。
 それでもやっぱり悩むわけです。目の角膜(黒いところ)にピタッとはまるということが嘘くさいし、目の裏側に入ってしまったという症例を、つい最近見たということもある。(店で聞いたところ、まぶたの裏は結膜という袋構造になっていて目の裏に回ることはないらしい。まぶたの裏にはまって取りにくくなるということはあるものの、緊急性は特にないということ。)また、目に異物が入って悶絶する人を多く見てきたのも理由の一つ。(パニック症候群の俺に対処できるかどうか。)でもまあ、眼鏡以外に選択肢を作っておくことも重要だろうと思い、行ってきました。
 いざ当日。コンタクト屋に備え付けの眼科に行って、視力と眼圧の検査。(視力検査って、苦手です。自分の主観が反映されるため正確かどうかイマイチわからん。)レンズをはめるという段に至り思いっきりビビッて助手の方を交代させたりもしましたが、なんとか購入することができました。(レンズの脱着訓練の時に店員さんが自身の目を思いっきり開いて装着しながら真面目に説明しているのを見て吹き出しそうになるのを我慢するのは辛かったです。)
 でも、コンタクトレンズをはめるのって、難しいですね。両目共に、早速一枚ずつ無駄にしてしまいました(手が滑って流しに落とした。…流石に使う気がしない。)。角膜に指で押しつけるというのも、痛くはないものの抵抗があるわけです。
 しかしながら、コンタクトレンズというのは、かなりアナログな製品という感想を持ちました。角膜にフィットするのも、角膜の曲線に合わせているためであり、くっついて離れない理由も涙の表面張力が理由であったり、よくこんなものを考えついたものだという感慨を受けます。普通考えたら痛そうなものですが、意外と大丈夫ですし…。こういうものだったのか、俺の目玉って…。
 というわけで感心するばっかりでオチの付けようがありません。
 オチと言えば、一つだけ。
 部屋が汚すぎて、無くなった眼鏡が未だに出てきません。
 (部屋の汚さこそ、目の前の危機だというオチ)
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