ふったのにっき
(2000年11月)

★主要な更新履歴もかねます。読んだ本とかいろいろ書いてます。
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●11月29日(水)

 

精華の授業から帰ってきた後、みちのすけと昼ご飯を食べに行き、ついでに御所を散歩した。おおきなおおきな銀杏(いちょう)の樹が、ほんとうにみごとに黄色なツリーをつくっており、なごむ。ところで、住民の反対も多いといわれるまだ建設予定の迎賓館が、観光案内にはっきり載っていたのには、ちょおっといけすかない思いを抱いた。

帰ってきてから、必死で、看護専門学校の試験の採点——400字論説文の評価、及び、相愛の予習をする。前者は、いろいろコメントしながら見ていたら、あっというまに締め切りが近くなってしまった。なかなかハードだ。文章評価は時間かかる。


●11月28日(火)

 

**ホンジツの陶酔のお言葉**

「もし貴方がたのうちで既に自力で切り開いた道を持つてゐる方は例外であり、又他の後に従って、それで満足して、在来の古い道を進んで行く人も惡いとは決して申しませんが、(自己に安心と自信がしつかり附随してゐるならば、)然しもし左右でないとしたならば、何うしても、一つ自分の鶴嘴で掘り當てる所迄進んで行かなくつては行けないでせう。行けないといふのは、もし掘り中てる事が出来なかつたなら、其人は生涯不愉快で、始終中腰になつて世の中にまごゝゝしてゐなければならないからです。」(夏目漱石「私の個人主義」)


●11月27日(月)

 

 きょう相愛の授業に行って、なさけな・ショックなことがあった。質問にもくる相対的にまじめにとりくんでいる学生が、授業が終わってやってきて、「先生ドイツにいったことがないんですか?」ってきくんだもの。それも「なーんだ失望した」という雰囲気を漂わせて。うそつくわけにいかないから、「ない」って応えるしかないのだが、正直、「だからどうやねん」と防衛的な気持ちになった。

たしかに、なさけないのは本当に惨めなほどなさけなくて、大体「ハク」や「信頼感」の問題ですからね、言語を教えている国(文物・文化)に詳しいこと——したがって最低旅行経験くらいあるということは。しかし、それで本当に、私が教えてきたことやその力量に対する「信頼感」ががた落ちになったりするのであれば、またそれはそれでショックである。

ということで、素直に、ない金を作って、この冬か春先にドイツに行くことに決めた。ばからしいからね。ある意味ではしょうもないことで、(ドイツ語においては、数人は優秀でまじめ、多くはほとんど勉強していない)学生に、信頼を失うなんて。(おっとやっぱりこの発言は防衛的だ。)


●11月24日(金)

 

みちのすけと、京都寺町三条の「九龍(クーロン)」(中華料理店)でおいしい夕ご飯を食べた後、山田洋次の「十五才—学校Ⅳ—」を観にいった。

 待っている客が全然いなく、オイオイ大丈夫かとか笑っていたが、実際入りはひどい状態だった。僕らが入った回(金曜の6:30)で、15人くらい。そんなとこ「十五」才にあわせんでもいいやろと軽口がでるほど、実はそれほど期待してなかった。しかし、この映画かなーりよかった。比較で言えば、異論もあるかもしれないが、「学校」シリーズの中で最高だろう。山田監督の中では、どうだろう?とか、日本映画のなかでは?とか考え出すときりがないのでやめる。感想は、「ふった映画日記2000年」にて書きます。

 

 ところで、なぜか前の回の終演直後に、ビョーク主演のカンヌ・パルムドール(最高賞)映画=「ダンサー・イン・ザ・ダーク」の予告編が流された。ゆっくりと橋の上を走る貨物列車と戯れながら歌うビョークと、ミュージカル或いは舞踊調にその列車の上をダンスする男たちとが、なにか「奇跡的」という陳腐な言葉を使いたくなるほどすばらしい映像=音楽を形作っていた。思わず、開演前に涙してしまい、なんか今日は「泣き」モードかと(いつもか?)思ったのだが、実際、本編の「学校Ⅳ」でも3度ほどぽろぽろやってしまった。でも僕のモードにかかわりなくよかったのですよ。


●11月23日(木・祝)

 

今日は、午前中から午後にかけて、NHKが妙に力をいれてつくった番組「教育改革 大人は子どもに何を教えるのか」の第一部と第二部を「ながら」で見ていた。いろいろと考えるところはあった。しかし、よく思い出せない。なんでだろ。

 

夕方からひとりで、梅田Heat BeatへSupercarのオール・スタンディング・ライブに行く。なかなか楽しかった。ひさびさに運動しにいったという感じ。汗かいたー。レビューは「けろけろ音楽の部屋」で。

 

★村上春樹の初期短編集『中国行きのスロー・ボート(中公文庫)を読み始める。


●11月22日(水)

 

**ホンジツの陶酔のお言葉** 

「現今のやうに各自の職業が細く深くなって知識や興味の面積が日に日に狭められて行くならば、吾人は表面上社会的共同生活を榮んでゐるとは申しながら、其實銘々孤立して山の中に立て籠っていゐると一般で、隣り合わせに居をトして居ながら心は天涯に懸け離れて暮らしているとでも評するより外に仕方がない有様に陥って来ます。是では相互を了解する知識も同情も起こりやうがなく、折角かたまって生きて居ても内部の生活は寧ろバラバラで何の連鎖もない。」(夏目漱石「道樂と職業」)

「あなた方は博士と云ふと諸事萬端人間一切天地宇宙の事を皆知って居るやうに思ふかも知れないが全く其反對で、不具の不具の最も不具な發達を遂げたものが博士になるのです。」(同上)

 

 精華で夏目漱石の話をするために「私の個人主義」を読んでいたら、ほかのエッセイも読みたくなって、手をつけた。すると面白い、面白い。それでここに紹介した。

7・8年前、漱石の主要作品読破年間だった年がある。読んでしまわないと前に進めない、などという変な思い入れ・転移が生じたほどだった。彼との出会いは高校時代の倫理だが、第3の波としていまマイ・ブームが訪れようとしつつあるるのだろうか? 

ところで、高校倫理の教科書と資料集の漱石に関する記述はひどく——「自己本位」を取り逃がしている感じがする——、独自に「私の個人主義」のプリントを作成した。

 

なお、上の引用は、文化の蛸壺的相互ディスコミュニケーションをきたしている、今日の日本にもよく当てはまるから驚きだ。もっといえば、漱石の問いは、いまだ現代日本にあてはまるものである。 


●11月20日(月)

 

**ホンジツの陶酔のお言葉**

「何ぴとにせよ或る建築物や景色或は詩を自分で美しいと思うのでなければ、たとえ百人の声が一斉にこれを賞揚したところで、それによって心からの同意を強いられるものでない。」(「趣味判断」について:カント『判断力批判(上)』岩波文庫p.215より)


●11月18日(土)

 

友人夫妻の「結婚を祝う会(仮)」実行委員会に参加。

 

汐見稔幸「学力「低下」問題と新たな学力形成の課題としての総合学習

藤岡貞彦「<学校と社会>の視点から総合学習を考える

岩田好宏「「総合学習」を考える一つの視点について

竹石聖子「「総合」の学習と生徒同士の関係の形成過程

(『教育』2000年2月号 特集=教育課程づくりの新段階と総合学習)を読む。

「オイオイ、ヘーゲルの研究はどこへ?」という声が、頭の中で鳴り止まない。はあー。


●11月17日(金)

 

★甲斐利恵子「「問い」をもつことから始まる意見文の指導

★鈴木隆司「現実世界と子どもの学び・遊びをつなげる技術科教育

(『教育』2000年6月号 特集=新しい時代の教科教育)を読む。

 

**ホンジツの陶酔のお言葉(新シリーズ:あまね氏のパクリ)**

 <<なつかしい「現役社会主義」の時代には、学校へ行っている子供は、レーニンが貪るように読書したことや、若い人々へのアドバイス「学習、学習、学習」を繰り返し聞かされていた——このモットーを意外性のある文脈で用いることによって見事に転倒した効果を生み出す古典的な社会主義もののジョークがある。マルクス、エンゲルス、レーニンが、それぞれ、妻と愛人のどちらをとるかと聞かれる。マルクスは、この類のことについては保守的な姿勢をとっていたことは有名で、「妻だ」と答える。エンゲルスは人生を楽しむ方で、もちろん「愛人だ」と答える。落ちはレーニンで、「妻も愛人も両方だ」と答える——彼は秘かに過剰に性的快楽を追っていたのだろうか。そうではない。彼はすぐに説明する。「そうすれば、愛人には自分は妻のところにいると言って、妻にはこれから愛人のところへ行くと言っておける」。「それで実際には何をするんですか」。「学習、学習、学習」。>>

(スラヴォイ・ジジェク『幻想の感染1999, 青土社、p.70より)


●11月16日(木)

 

今日、相愛大のドイツ語授業で雑談をした。ちなみに私、わりと授業ではどこでも雑談をよくする(つもりな)のである。今回はなんか妙に「きみたち、大学の授業は面白いか?」とききたくなって、どうたずねようかなと考えていたら、看護専門学校で聴いた話が思い浮かんだ。それは、あるお年をめしたとてもおもしろい先生(医者。「老人介護論」できておられる。)から、講師控え室で聞いた話だ。彼は、老人ホームでの仕事と自分の趣味との両面の動機から、老人に対する作業療法の一種である「音楽療法」の講習会にいったそうな。「音楽療法」は最近かなり盛んになってきて、国家資格認定の制度も作られようとしている。講習会にいくと、男は彼一人。年齢としてもずば抜けている。ほかのみなさんはみな女性で、聞いてみると、音楽大出身者のような人が多いという。要するに、音楽大出身でも、もちろんひろい意味でも音楽で食っていけるのはひとにぎりで、こうした「音楽療法」というところに集まってくるのはそうした状況の反映だなあ、ということである。ちょっと、哲学関係者に似ているかな?


●11月15日(水)

 

★臼井嘉一「カリキュラム理論と教化論の再構成

★田中武雄「社会科教育における系統性を問う

(『教育』2000年6月号 特集=新しい時代の教科教育 所収)を読む。

 読みだしたきっかけは、教育科学研究会のメーリング・リストでのある長野在住元教師の発言である。彼は、小学校における「読み・書き・算(+パソコン)」の徹底した「反復練習」をものすごく重要視して、いわばそれとひきかえに、ひろい意味での「総合的学習」の意義を完全に否定する。苦労しながら、子どもとごみ問題に取り組んだ教師の経験を、「解決の難しい問題子どもにみせるのは、あきらめにつながります」とか、「ここに今日の教育の荒廃を見る気がします」なんていう趣旨の発言をするのである。このように何度か登場したその発言を見ていると、こりかたまったくだらんことしかいえないのはわかりきっているのだが、MLでは肝心の、教科論的な議論や子どもがいまどのような教科や世界観を求めているのかという議論になかなかすすまなので、とりあえず少し勉強して発言の準備をしている(すでに一回した)。

 この話題については、みちのすけともよく話しているのだが、そこで出てきた話に驚いた。京都でご活躍のさる元先生(いまは教育の研究者的立場にある)が昔から主張している「基礎学力」の「理論」。彼は(というかそれに影響を受けた多くの教師や親までが)「日本国憲法」を中学卒業までに全部読めるようになるために、その一点で、身につけるべき漢字のリストをつくりそれを毎年何字という仕方で割り振って教えるべきだと主張し実践しているという。異様だ。他の文章や文学作品を読める漢字の力はいらないというのか?! 論理的にはそういう狭い考えにつながることがわからないのだろうか。


●11月14日(火)

 

★佐貫浩「他者への共感力と応答責任を担いうる協同の主体を——二十一世紀への教育の責任——

★藤田民生「若者文化と平和・暴力・生命の感知形態、そして共同のなんだか不思議な関係

(以上、『教育』2000年12月号 特集=現代政治と<国民の歴史> 所収)を読む。

前者は、まあ貫禄勝ちというかんじ。大きな視野でものを考えてはるという印象。

感心したのは、後者で、微妙で繊細な文体によって成り立っているエッセイ調の好論考である。もしかしたら、普遍的な学術的文体ではとりにがされてしまうような話題である「若者」の生態と心理を、著者風にやわらかく扱いながら、ちゃんと教育をめぐる批評と提言にまで達している。

 

 あと今日は、研究そっちのけで、マンガ三昧。東本『キリン18/19、外薗『犬神』7/8/9/10、三山『臥竜恥記』1/2、王欣太『蒼天航路』3/4、その他。

 

★CDレビュー 町田康+The Glory 『どうにかなるをアップ。


●11月13日(月)

 

★南伸坊『(98, ちくま文庫)を読了した。

おもに朝の通勤混雑列車の中で読んでいた。表紙にでかく「」と書いてあり、各ページに必ず顔の図版があるので、よく視線があつまった(ような気がする)。そのたびに、なんとなーく「こういう本は不謹慎かな」などと思いながらも、おもしろいのでやめられなかった。

「顔面学」あるいは「顔面科学」事始とうたわれたこの本、決して「人相占い」のたぐいではなく、むしろそういうことを求める人間の顔に対する視覚構造と心理に、面白く、フカークせまっている。こういうガクモンっていいな。

 

★ひさびさに、カントの『判断力批判(岩波文庫)を再読し始める。きっかけは、ヘーゲルの「人間学」における「笑い」の議論——これは「言語」の問題に連なる——の影響関係を調べようと思ったから。やっぱり難しい。


●11月11日(土)

 

笹澤豊『自分の頭で考える倫理——カント・ヘーゲル・ニーチェ』の書評をアップ。

CDレビュー BUMP OF CHICKEN THE LIVING DEADをアップ。


●11月10日(金)

 

友人の新婚夫妻+友人+みちのすけの5人で「どんぐり」にいく。

パートナーの一方が他方の「本質」をひきだしてしまうことがある。もともと持っていた要素だという面もあるから、悪いものをひきだしてしまった場合、ひきだしたほうのみを責められないのであるが、正直言って<相手の選択が間違っていたのではないか>といわざるを得ない。そういう結婚と見える。

はっきり書こう。二人がくっつくことで「下品」になっているのだ。断片的ないわば「ポルノ話」を聞かされるのにうんざりする。友人夫妻をこのように「おとしめる」こと自身、ほめられたことではないが、ちょっと彼らやばいんだもの。


●11月7日(火)

 

 Yahoo!Auctionで各々1000円で落札したビデオが届く。

ベルリン天使の詩 Der Himmel uber Berlin」(Wim Wenders)と

バード Bird」(Clint Eastwood)


●11月6日(月)

 

相愛大のドイツ語授業を、風邪のために休講にした。

 

★松本大洋の書き下ろし新刊『GOGOモンスター(小学館)に興奮する。まんが(や本)を読むとき、読み進めてしまって終わるのがもったいないという気持ちになることがある。たいていの本でそんなことは感じないのだが、松本大洋はやはりそういう「もう終わっちゃうのか」という気持ちにさせる宝物のような作品を与えてくれる。


●11月5日(日)

 

みちのすけが新しい職場をやめた。「自分らしくいられない」とすごく苦しんでいたので、いろんな意味で不安があるにせよ、よかったと思う。「客商売の厳しさ」を隠れ蓑にした元教師30代女のヒステリックな指導=いじめの話を聞いて、うんざりした。出入りが激しい職場らしく、そういう人材が牛耳っていることにその一因はあるのだろう。まあとにかくやりたいことをやりなよ。

 

夕方から、ヘーゲル『美学講義』の読書会。


●11月4日(土)

 

★猪飼隆明『西郷隆盛——西南戦争への道——(92)岩波新書を読了した。

★「湖みたいな海がいい——北野武インタビュー」聞き手:梅本洋一・常石史子(INET-TXT

★「北野武インタビュー 連載第5回 北野武、「映画」を語る」インタビュアー:渋谷陽一(『SIGHT vol.5 Autumn 2000 特集=本当に面白い日本映画はこれだ!』)を読む。むちゃおもしろい。


●11月3日(金・祝)

 

★「(インタビュー:大友克洋)マンガ・映画・飲みやのカウンター・森・水」取材・構成:真崎守(『ぱふ 1979,7 特集=大友克洋の世界』)を読む。

 

GRAPEVINEのニューシングル『ふれていたい』を購入。田中くんのインタビュー(『RO JAPAN 11月号』)によると、これはリーダーの「ビッグマウス西原」(ライブを見た印象による僕の勝手な命名)とバンド全体へのメッセージ、すなわち、いわば「メーターをふりきって、きにせんと、ふっきっていこう」というメッセージがこめられた歌らしい。これは彼らの質的な転換だといってよい。もちろん音楽的商品的にも、及第点であるのだが、「せつない路線」ではないのが、やっぱり気にかかる。


●11月2日(木)

 

相愛大のドイツ語授業の後、いそいで安井先生のHegel Logikゼミへ。へとへとだが、充実したのも確か。

先生に、結婚についてのお話をした。にこにこしてくれてうれしかった。ただ、博士論文についてもしっかりつっこまれて、つらいのはつらかった。がんばる。

 

★南伸坊『(98) ちくま文庫を読み始める。おもろい!


●11月1日(水)

 

精華倫理授業(仏教思想家としての聖徳太子について)。しかし、1時間目が全校集会だとは。あー早起きしていったのに。くー。いまだに、学校の日程をよく把握していないで、あほなことしてしまう。


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