ふったの旅ノート へなちょこドイツ旅行記 Berlin
更新日010428


★03月30日(金)★ 

Wuerzburg→Frankfurt→Berlin

 朝7:31発のICEのために、5:50分に起床。荷物を持って先にチェック・アウトの手続きを済ませてから、6:30頃一番乗りの朝ご飯をいただく。名残惜しい。この清潔な食堂ホールが、Hotel Ambergerの建物が、ほんとうに名残惜しい。

 すでに何度も歩いた道をゴロゴロとスーツケースを引きずって駅へと歩く。まだすこし暗い。Wuerzburgの町も名残惜しい。

 中央駅に着くと指定席への変更を頼む。自由席券だったので、Frankfurtへの通勤客か何かで混むことを恐れてのことだ。ぼくは、「日本でいえば新幹線通勤だし、そのようなことはないだろう。」とふんでいた。交渉は、心配したみちのすけ自身が英語で挑戦。あえなく沈没。

 時間が近づくと、すこし人が集まってきたが、充分座れる。もってきたCDをほとんど使用していなかったので聴いてみる。JIMSAKUというフュージョンバンド(ex Casiopea)の『Winds Loves Us』という数年前のアルバム。みちのすけは寝ていたかな。あんまりしゃべらなかった。

 8:41Frankfurt Hbf.(中央駅)着。予定では、昼すぎのBerlin行きの飛行機に乗るまでに、Geothe Haus観光をして、列車に乗り、飛行場に行って、搭乗手続きをこなさねばならない。気持ちがあせる。メッセ混雑で断念したFrankfurt観光もせっかくだから少しは行っておこうという目論見なのだ。

 時間的な心配の他に問題だったのは、スーツケースである。これをごろごろひきずってGeothe Hausまで行くのはしんどい。大きいロッカーや手荷物預かり所がなかったらタクシーで強行しようと相談していたが、幸いみちのすけが預かり所をすぐに発見! これで軽装にて動くことができる。

 HausはU-Bahn(地下鉄)でひと駅のところ。やはりはじめての大都市の地下鉄網には少し迷った。チケット購入が自販機なのだが、日本と勝手がちがうとやはりとまどう。W.Brandt-Platz駅にて下車し、方向を確認しながら少し歩く。三越まえをすぎ、Haus到着!

 Geothe Hausはまずミュージアムを観る順路になっている。Goetheを中心に、彼の前後の時代を縦軸、彼との政治的文化的つながりを横軸に、非常にひろい範囲で展示品がまとめられている印象だった。絵画が多い。本人も愛好家で相当収集していたようだが、それ以外に時代と文化・政治を描くための資料として配置されているのだろう。充分その当時の政治史や文化史などにつうじていれれば、色々と面白いのだろうに、と少し残念。

 Frankfurt市庁の娘を母にもつGoethe、その生家の方に進む。家自身は戦後の忠実な復元ということだが、調度品は疎開で無事だったらしい。豊で文化的な生活が感じられる。

 再び中央駅へ向かう。やってもうた。よく確認しないで、「Suedbahnhof」行きの線に乗ってしまう(ある意味当たり前だが、大阪の地下鉄のように複合駅になっていて、ホームが違っていた。最初に降りたホームで乗ってしまった。)「Suedbahnhof」は、「Frankfurt南駅」、つまり中央駅とは違う駅のことなのだが、僕は中央駅の「駅南」、つまり南側につくのだろうぐらいの認識で乗ってしまった。駅舎にあがってみるまでだいじょうぶと確信していたのだが、出たところは中央駅と雰囲気が全然違っていてガクゼンとする。この瞬間に時間の心配もあったので相当焦る気持ちがじわー。みちのすけにもすまん気持ちがじわー。少しへこむ。

 間違った線を引き返し、何とか中央駅に戻る。まず預かり所でスーツケースを受け取った。混んでいたし、まぎれるのではないかとかいろんな心配をしたが、受け入れと渡しは別の人が行っており、すんなり実直にこなしてくれる。
 時刻表を確認すると、数分後に飛行場行きの普通列車がある。阪急梅田のように一列に20本以上ホームが並んでいる。その奥のほうにある指定のホームにいってみると、表示板になにも書いていないし、列車が来る気配もない。どうなってんねん。ハテナを頭の上に浮かべながらも、「しょうがいない同じ時刻にICEがあるようだからそれだ!チケットチェックされたら、説明して罰金取られないようにしよう!」と二人で決断——もうチケット買っている余裕がなかったのだ。さすがに座るのは気が引けたので、連結場所付近で、ちょっぴり検札を恐れながらも、まあこれで飛行機には遅れないだろうと、ほっと胸をなでおろす。ほぼただ乗りに近いわけだ。(おそらく差額は大したことはないだろうけれども。)

 この決断が幸いした。Frankfurt空港到着。ただ乗りICEに乗っていなかったら時間的にやばかった。というのは、搭乗手続きが予想外にわかりにくく、混雑もしていたからだ。実際、40分まえのチェック・イン(11:30)にはもろに遅れた。慣れないところで、ぎりぎりすべりこみがずっと続き、ひじょうーに疲れる。

 なんだかんだいって、結局Berlin-Tegel空港へのLH894(はくし?)は霧のためか出発が30分くらい遅れたのだけれども。とにもかくにもやっと出発。またもやまん中の席。腹が減っていたので、何かでないかと期待していたがCola一杯のみ、1時間程度のフライトではね...。甘かった。

 Berlin-Tegel空港ではまっ先にセルフサーヴィスのレストランを見つけて、遅い昼ご飯を取ることにする。ビール、カツレツ、サラミ・サンド、マカロニサラダなどをがつがつと。すでに用意されて並んでいたものなので、ちょっとレベル低かったな。タバコを買い吸いながら、「よくもまーここまでたどり着くことができたねー」と二人でしばし感慨に耽る。

 Tegel空港から市街へはバスが便利とのことで、109番のそれを探す。乗り場のある外に出てみると、ここでも小雨模様。しゃーないないなーと思うしかない。つれを迎えに来たらしい日本人のおばさんが「こうすんのよー」と得意げに乗車券を買っているのを後ろで観察し、券ゲット。バスに乗り、いよいよBerlin突入だ。

 バスは市内へのバイパスを通りぐんぐんとばしていく。途中、スーツケースがころがりバタンと倒れて迷惑をかける。スゴイ大きな音。ごめんなさい。近づいていくBerlinの街の第一印象は、「それほど大都会——東京やFrankfurtのような摩天楼系のそれ——にみえないなあ」というもの。

 Zoologischer Garten Bahnhof(「動物園前駅」と訳せるかな。)に到着。ホテルへの方向や道はすぐわかったので、へとへとになりながら、ゴロゴロするには困難な石畳の道を行く。少し行ってすぐにHotel Excelsior を発見! ドイツ第二の住処だ! うれしい。チェック・インのお姉さんが愛想悪かった。ベルボーイに荷物を運んでもらっている途中、エレベーターの中で小銭を落とし、えへへへと照れ笑い。チップを渡そうと中味をチェックしていたからなのだが、もう手先にも疲労がまわっていたらしい。彼もいっしょに笑ってくれたのが救い。

 夕方、もう外に出る気力も体力もなかったが、みちのすけの希望で食事に出ることになる。10分ほど歩き、Savigny Platzサヴィーニ広場)にあるレストラン(酒場?)Dicke Wirtinへ。『歩き方』に紹介されていた店らしい。すぐに食べれる食欲もなく、疲労困憊状態。入るのをためらってむにゃむにゃしていたら、みちのすけと険悪になった。引き返す気力もなく、少し時間をかせがせてくれと、近くのカフェへ。そして再びDicke Wirtinへ向かう。みちのすけは「農民風シチュー」、僕はソーセージとパン、そしてビール。疲れが吹っ飛ぶとは言わないが、なかなかおいしかった。食べているうちに少し元気になった。


★03月31日(土)★

Berlin

 7:00頃起床。8:00すぎに0階(フロアー)の朝食会場へ。アメリカの田舎をコンセプトにしたレストランらしい。さすがにメニューは多彩だった。ニシンの蒸し焼きのようなものがあって、うれしい。全体に味はまあまあ。WuerzburgのAmbergerのほうが、品目は少ないが、いいかも知れないなどと思いながら、ぱくぱく食べる、よくはいる。

 本日はBerlin観光本格スタート日。滞在日にちもあるので、かなり適当に予定を立てる。今日は、Zoo駅周辺を見ることにしていた。しかし、実際には......。

 まず第一目標は、Strasse des 17. Juni6月17日通り)で土日に開かれているという、フリマである。みちのすけの希望。その後、日本人には『ベルリン・天使の詩』で(のみ?)有名なSiegessaeule戦勝記念塔ジーゲスゾイレ——1871年普仏戦争勝利で頂点に達するにビスマルク時代の象徴だ。)への予定を立てる。その後は漠然としか考えていなかった。

 朝のきゅっとしまった空気が心地よい。ダウンジャケットが必要だが、晴れてさわやか。動物園裏沿いの道を通り、Tiergarten(「動物の森」とでも訳せるのか。プロイセン王侯の狩猟場起源だからかな? )の広大な森の中に入っていく。まさに朝の散歩にふさわしい、そういうすがすがしさがある。6月17日通りに出ると、そこは数車線ずつある非常に大きな通りであった。通りぞいにさらにてくてく歩くもフリマなど影も形もない。実はこの頃から、持参した『歩き方』の情報に疑念を抱いていた。というか、以前に買った「'97-98版」をもってきたのだから、のんきなものだ。そりゃー、世界でも有数の「変化」のある街に対応しないわな。

 しょうがないので、遠くにそびえる戦勝記念塔へと更にてくてく。大きな円形のPlatz=ロータリーの中心にそれはあり、四隅から地下道を通って広場の中心に行くことができるようになっている。ロータリーなので車が止まらないわけですね。入場料を払い、後で知ったが285段もある塔内のせまーくて急な螺旋式階段を登っていく。壁に落書きがいっぱい。狭くて圧迫感があり、螺旋状なのでまん中は基本的に吹き抜け。こわい。ほんとうにこわい。「どこまで続くんや、やめてくれー」という感じ。途中、みちのすけリタイア。僕も高所は苦手。足をガクガクさせながら、それでもがんばった。2/3週間前に友人が先にここを訪れており、「塔から放射状に延びている眺めがいいです」とわざわざはがきを送ってくれた。大好きな『ベルリン・天使の詩』の因縁もあったので、正直ムリしたが、登頂できた! 柵で囲まれた、直径5M程度の展望場にでた。塔に沿って丸いベランダが出ているようなもので、出ると風が冷たい。更にこわい。足場が平行じゃないように感じられるわ、頑丈な見かけの柵がそれでも壊れたらどうしようとか妄想するわ、文字通り地に足が着かない心地。そこからの眺めはというと.......、そんなもん楽しんでいる余裕無かったですわ。運動で汗ばんだのと冷や汗とできもちわるかったな。観光初日、いきなりすごいインパクトのところだった。

 さてそこからだが、これまた歩いて歩いての道のり。途中ノー・チェックだったPhilharmonieフィルハーモニー:ベルリン・フィルの本拠ですな)への案内が目に留まり、そこへ向かうことにする。が、なかなか登場しない。道が間違っているのではないかと不安になる。途中「広島通り」に出会ったりしながら、やっと発見。ベルリンは広いなと実感。この頃から歩いて観光するところじゃないなと思い始める。プログラム案内をのぞき込んだり、「カラヤンがどうのこうの」としゃべったりしながら、ぐるっと一周して、隣接するDas Musikinstrumenten Museum楽器博物館)に入館。これがとてもヒットだった。ピアノ(Klavier)前史のチェンバロ(Cembalo)やクラヴィコード(Clavichord)の美しさが特に目を引いた。もちろん、管・弦ともに非常に充実している。「現在の楽器の形は完成されていてもう未来には変化はしないのだろうか?」——「歴史」を目の当たりにすると、いま現在存在するものの流動性に目が向くから不思議だ。何と多くの試みがあったことか。ドイツ語の教材に使えるかも知れないと、子供用の図録+解説本のようなものを購入。

 博物館を出て、かの有名なBrandenburger Torブランデンブルグ門)へ。すでに相談しながらの「出たとこ勝負・耐久歩け歩けツアー」と化している。工事中の道を避けて、森の中を進み、大通り(さきの「6月17日通り」)にでると、はるかに門が見える。「あれ、友人のはがきには工事中でテントに被われていると書いてあったけどな」と疑問符が頭をよぎる。近づいていくと(たしか)”Nicht Allein ! Telekom”(「ひとりじゃない!」)という文字が門に書いてある。なにあれーとよく見ると、かなりリアルな門の絵が描いてあるテントにすっぽりと現物はやっぱり包まれていたのだった。2度目のがっくりである(すでに届いたはがきで1回がっくり来ていた)。門をくぐり、INFORMATIONのビュローでBerlinのガイドブックと地図(Stadtplan)を仕入れる。”壁”のかけらなどがおみやげになっていた。

 門を通るとそこは、”Unter den Linden”(菩提樹の下)という通りになっている。両車線にはさまれたまん中に並木の歩道がある、有名観光スポットだ。しかし我々はあまりに疲れていた。何件か店をのぞいたうえで、それ以上は次回にすることに。Zoo駅にS-Bahnで戻る。

 Zoo駅周辺は、土曜日ということもあり、思いのほか人がたくさんでていた。駅から少し歩いたところにある、戦争のモニュメントとして破壊されたままの姿をさらしているKaiser-Wilhelm-Gedaechtnis-Kircheカイザー・ヴィルヘルム記念教会)は確かに壮観だった。そのまわりは人々の集う広場となっており、ある意味では若者向けの「脳天気」なレジャー空間と化しているのであるが、このモニュメントによって場がしまるといったらいいのか、どこでもないココとしての歴史的厚みを感じさせる空間にもなっている。

 周辺をぶらつきながら、どちらともなくラーメンが食べたいといいだす。動物園Zoologischer Garten)前にある、テナント複合ビルにある中華料理屋をのぞいてみた。メニューを見ると、値段が高く、ラーメンもなかったので、断念。別の店へ。ラーメンと焼きそばにありつくことができた。しかし両者とも、麺がへんである。どうも米粉系なのではないかと思われる白くてコシのない麺。うむーとかうなりながら食す。当たり前だが、日本風の中華料理とはいかないわけだ。

 だいたいこの遅い昼ご飯を食べたのが、3:00くらいだっただろうか。その後はホテルに帰り、疲れ果てた二人は夕方ご飯を食べに出ることなく、眠りについた。


★04月01日(日)★

Berlin


★04月02日(月)★

Berlin


★04月03日(火)★

Berlin


★04月04日(水)★

Berlin


★04月05日(木)★

Berlin→Frankfurt→Osaka


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