ふったのへろへろ書評(短評)
 
ニホン語日記 井上ひさし
 文春文庫/1993=96 

 恥ずかしながら、わたしは井上ひさし氏の著書を読んだことがなかった。偏見があるわけでも、全く興味がなかったわけでもないのだが、何故だか接点がなかった。この本を読んで、初めて接点が生まれたわけだが、一読して——というよりはじめの数頁を読んで——驚いた。なかなか鋭くて学究肌な言語感覚を見せつけられたからである。
 考えてみれば、シナリオや小説などのことばに関係する仕事をされているのであるから、「言語感覚が鋭い」のは当然なのだが、単なる「体験主義」(体験によって培われたものをエッセイ風に披瀝するたぐいの本)ではない。だからといって「理論的」とまではいかない。①体験的素材——そこには意図的・日常的に集められた素材が多数ある——と、②明晰な「言語学」的(というべき)分析、これらがバランスよく組み合わされている、と評価したい。

 なお初出は「週刊文春」で、1988年から隔週連載されたコラム50編程度を収めている。ひとつあたり6頁程度で、量としてはとても読みやすい。内容はそれほど「軽く」ないので、わたしは読むのに割と時間がかかった。

 以下、箇条書き程度に、この本の魅力を挙げたいと思う。

①この本には、「ニホン語」のあらゆる可能性をくみつくそうとする貪欲さがにじみ出ている。とにかく目を引くのが、分析対象にする書き言葉(まれに話し言葉)のおもしろさ・ひろさ・ポピュラリティである。スポーツ新聞、折り込みちらしのコピー、エロビラ(電話ボックスのあれ)、ラブホテルの落書き帳、電化製品の説明書、日本野球機構の「憲法」的文書、その他その他。とても楽しい!

②題名にあるように、この本はあくまで「ニホン」語日記である。Nippon(語)ではなくて、Nihon(語)。この論点(発音・表記)自身についてもなかなかおもしろくて政治的に紋切り型でないコラム(「JAPANとNIPPON」)があるのだが、ここで指摘したいのはその内容の詮索ではない。そうではなくて、この本が「ニホン語」の分析を通して、「ニホン」という国の人間的・社会的環境の批評に通じている点がおもしろいのだ。そういう、本来の?言語分析に伴う、本質的な副産物が、それなりにスリリングだと感じた。

③最初に指摘したが、語学(言語学)に支えられた鋭い文析(分析)が魅力的。それもそのはず、知らなかったが、彼は上智外国語学部のフランス語学科卒業だそうで、基礎的な訓練は受けているのだろう。

 これはとてもいい本だと思う。姉妹編?の『自家製 文章読本』(新潮文庫)もそのうち読みたいな。 (010112)
 
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