ふったのへろへろ書評(短評)
 
「哲学実技」のすすめ——そして誰もいなくなった.....
 
中島義道/角川ONEテーマ 2000 
 
 
あいかわらず続く新書乱立ブームのさなか、角川書店は、原色にちかい派手な(趣味のわるい?)装丁の、新書サイズよりは心持ち大きめの企画新書シリーズで参入してきた。それがこの「角川ONEテーマ」というラインナップなのだが、やっぱりまず「哲学」系の本に手が伸びてしまった。

 著者の中島さんは、カントの研究者として名前のみを知っていた程度。その意味で、ある程度先入観なくこの本に入ることができたのだが、読み出して「あれあれあれー?なんかえらい素朴なハナシになっていくな」という印象が強まっていき、なんだか正直言って「読んで残るものがほとんどないなあ」とぼやき気味にゴールインすることになってしまった。以下、本書で主張される内容よりも、著作の形式にこだわって、若干のコメントをしたい。

     * * * * *
 この本は、著者本人とおぼしき人物(ある教授)と、彼が主催する哲学塾のようなものに集った(半架空)の数人の人物たちとの対話形式で、オハナシがすすむ。
 対話がすすむうちに、タイトルにあるように、ひとりまたひとりと「哲学」と名指されたなにものかに惹きつけられた塾生が、期待との齟齬・幻滅から消えていき、結局は、著者の分身である「教授」がひとりになり、いわば「自壊」してしまう。
 「自壊」というのは、最後のつぶやき=<<なんだか、自分がすべてまちがっているような気がしてきた。すべて、はじめから考えなおさねばならない....。>>という言葉に表された教授の反省のことなのだが、私にはこの「自壊」が、著者自身の「戦略」なのか、「誠実」さなのか、次の意味でよくわからなかった。

 「誠実さ」ととれば、「私は永久かつ不安定に思考し続けるものである」という決意表明とみなせる。しかし、ではその決意(結論)があるなら、書く前に(書きながら)堂々巡りをし続けて、いわば中間報告的なものを出す(出版する)必要がないではないか、という反論が成り立つことになる。従って、「自壊」はやはり「戦略」によるものととらざるをえない。
 しかし「戦略」ととれば、それなりに真摯に堂々と展開されているそれまでの論述(対話)の価値が消え失せてしまいかねない。最後の「自壊」こそが問題提起であったのだ、というネガティヴなものしか残らないことになるからだ。従って、やはりそれまでに積み重ねられた「誠実な」思考の結論であったのだと、見なさざるを得ない。であるならやはり「誠実」なものなのか.....?

 と、このようにして、読む側は堂々巡りにおちいり、頭がこんがらがってくる。

 私はこうした循環を次のように評価したい。
 即ち、著者は、自ら展開した見解に対して「自信」や「自負」をもっているのかいないのかわからないような宙づりの状態に、最後には読者をおいて、その実、著者自身のアイロニカルな視点だけは傷つかずに生き残らせる仕組みになっている、と。決定不能・判断中止・堂々巡りを記述する主体のみは、手の込んだ仕方で生き残っている、と。

 この本の駄目さは、こういう形式にあるのではないか。

 断片的におもしろいことを言っているにもかかわらず、以上のことを指摘して書評にかえざるを得ないのが残念だ。(010120)
 
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