鏡像





鏡に映るは自分。

実像があって、鏡像がある






「以蔵がまた辻斬りをしよった。」

龍馬がボサボサの頭をかきながら定宿である

寺田屋の一室で同郷の武市を前に苦虫を噛み潰した様な顔をする。

「・・・・・・・。知っている」

武市は龍馬以上に難しい顔をしている。

「じゃろうな。オンシが以蔵を使って殺させたともっぱらの評判ぜよ。」

「それも知ってる。」

不満の原因を突かれ、武市は語尾を少々荒げる。

岡田以蔵、マタの名を『人斬り以蔵」。

以蔵が武市と共に上洛して何時の頃からか以蔵の名前は幕府側に死を意味する様になった。

龍馬が指摘した通り、幕府側、そして仲間達も武市が以蔵を使って自分の邪魔者を殺したと思っているだろう。

被害者は武市の仕事を志を遂行するには確かに邪魔な幕府や開国派の人間であった。

しかし、武市は決して以蔵に人殺しを頼んだ事は無かった。

どんなに邪魔だと思っても、武市の潔癖な性格からして、暗殺など許せるものではなかった。 

以蔵は違う。邪魔者を消すのに何の躊躇いも迷いもない。

しかも、以蔵が邪魔者と感じる者は、武市の邪魔者であった。いや、武市が邪魔者と感じる故、

以蔵もその者達を邪魔者と感じてしまう。

「オンシ、以蔵をどうするつもりじゃ?」

「どうもこうも、幾らワシから言い聞かせても聞きやせんちゃ。一日中誰かを監視を付ける訳にもいかんし」

龍馬は格子の外を見る。

目の下には、京都の町並みが広がり、町人達が忙しなく歩いている。

見た目は美しいこの街がある者にとって、死の街だなんて、信じられない思いだ。

「以蔵も問題じゃが、オンシの方も・・・・」

「何ちゃ?オンシもワシを疑うがか?」

龍馬につられて、外を眺めていた武市だったがその非難の言葉に龍馬を睨んだ。


「違うぜよ。ワシが言いたいのは以蔵の扱いじゃ。オンシはアイツに学を着けさせ、
まともな人間にしちゃりたいんじゃないのか?そのつもりで引き取ったんじゃろ?」

「・・・・・・・。」

「アイツは学は無いが、頭のいい子だ。」

「解っちょる。だから京に連れて来た。」

「それが、問題じゃ。アイツに京は似合わん。もうちっと平和な時じゃったら、

勉強も出来てよかったかもしれんが、今の京は動乱じゃ。そんな所に子供を連れて来た様なもんじゃ」

「アイツははや、20歳を超えとる。」

「歳の問題じゃない。アイツの心は感じ安い。人の機微を良く解る子じゃ。京に来て変わったのは
以蔵の方じゃなくってオンシの方じゃ。」

「ワシがか?」

「オンシが変わって、それが以蔵に移るっとる。それだけの事じゃ。オンシが何時までも清廉で在ろうとしても、
時代や状況が許さん。ワシも暗殺では何も解決せんと思っちゅうが、時には幕府の解らず屋達を懲らしめて遣りたいと思う事もある。
脱藩して好き勝手やっちゅうワシが言うのも何じゃが、オンシは全てを自分で背負い過ぎちゅう。そんなオンシはワシ以上に
黒い感情があっても誰も攻められやせん。じゃが、それが以蔵に移るんじゃ。そして、以蔵はオンシと違って、自制もなんももっちょらん。」

「ワシが全ての元凶か?」

自分の中の変化が以蔵に人斬りをさせる。

そう宣言された様なものだ。

武市は腕を組みながら虚空を見つめた。

「そんな事は言っちょらん。」

「オンシに言われるまでも無く、以蔵をどうにかしないといけないとはおもっちょった。」

「そうじゃな。以蔵をしばらくワシの所に預けてみんか?」







「武市先生。お呼びになりあしたか?」

寺田屋から帰った後、武市は一刻(2時間)ばかり京都の町を散策した。

散策が目的ではなく、ただ街の喧騒の中で一人で考えかっただけだった。

そして、自分の定宿に着くと、直ぐに以蔵を呼んだ。

呼ばれた以蔵は、おずおずと部屋に入り

武市の前で借りて来た猫の様にちょっこんと行儀良く座る。


「以蔵、オンシは何で京にいるんじゃ?」

「???。武市先生が一緒に来いって言ってくださったからじゃき」

「そうか?そうじゃったな」

「京は好きか?」

「・・・・・・。」

以蔵は中々答えない。

武市の不興を恐れている様だった。

「正直に言っていんだぞ」

「好きじゃないです。」

ぽそりと呟く様に言う。

「何でだ?」

「意地悪じゃきに」

「土佐の方が良かったか?」

「土佐の上士も意地が悪かったけど、上士じゃから。でも京の人は町人も仲間も皆ワシの事を馬鹿じゃって言って。」

「土佐に帰りたいか?」

以蔵は捨てられた子犬の様な目で武市を見つめた。

「そんな顔するな。追い返すつもりで聞いたんじゃないんじゃき。」

「ただ。オンシに京は似合わんと思ってなぁ」

1刻あまり京を散策して出した結論だ。

「ワシが頭悪いからですか?」

「いんや、今の京都はちと物騒じゃき。得にワシの周りは。
さっき、龍馬が来て話しておったんだが、オンシが狙われているらしい。
オンシがワシの周りに居れば、ワシまで危なくなる。これ以上ワシの周りを物騒に
しない為にも、龍馬がオンシを預かってくれるそうじゃ。明日から龍馬の元で働いてくれんか?」

「ワシが邪魔になったがですか?」

捨てられる!以蔵はそう感じているのだろう。

「いんや、ワシとオンシが一緒に居れば、狙われる可能性が高いちゅう事じゃ。
ワシ等二人の安全を確保する為、龍馬の所に行ってくれんガか?」

自分を縋る様に見詰める以蔵も見ていて、武市の心情は複雑だった。

以蔵を手放さない2つの本当の理由。

龍馬に指摘された通り、以蔵は自分の悪意を汲み取り、自分の暗い欲望を満たす。

以蔵は自分の影だ。

光が光たる故に必要な影。

以蔵が居るから、武市は輝ける。

そして龍馬が気付かなかった、もう一つの理由。

以蔵は自分が居ないと生きて生きていけない。

自分が死ねば、以蔵も死ぬだろう。

生理学上的に死ななくても

以蔵の心は死ぬ。

しかし本当に相手を必要としているのは、以蔵ではなく自分だ。

この大きな歴史の流れの前に、

自分と言う人間の小ささを思い知った。

自分が死んでも、歴史は淀みなく流れるだろう。

仲間も家族も悲しんでくれるだろう。

しかし、それは一時の事だ。

でも以蔵は違う。

自分が居ないと生きていけない存在

必要とされる喜び、存在理由を

以蔵から得ている。

でも、この関係を続けてはいけない。

以蔵は自分の意思で行動する人間にならねばなるまい。



「そんな顔するな。大丈夫。直ぐ呼び戻してやるきに、行ってくれるな?」

そう言いながら以蔵の頭を子供にする様に撫でてやる。

以蔵は目を細めてそれを受け止めながら頷いた。

以蔵は決して武市の不利になる事はしない。

武市が自分の安全の為と言えば直ぐに言う事を聞く。

「武市先生、はよぉ戻ってきますきに、ワシの事忘れんでください。」

「・・・・・・。あぁ。龍馬の元でしっかり働いて来い。」

しかし、武市に解っていた。この決別が二人の最後だと言う事を。

以蔵を龍馬の元に遣れば、元の光と影、鏡像と実像の関係には戻れない。

そして、以蔵は自分の呪縛から解き放たれ、

自分が居なくても生きて行ける様になるだろう。

それは身を切られる程辛いが、そうせねばならない。

以蔵を利用する為に引き取ったのでは無いのだから。

格子の外には京都の街。

この街が平和だったら、自分達は違っていただろうか?

そう思ってしまった自分の弱さに武市は自嘲の笑みをもらす。

ありえない事だから・・・・・・・・。


影があるから、光がある。

影が無ければ光は存在出来ない。



言い訳:
龍馬の所に自分から行けと言う武市。嘘っぱちな小説。
この師弟大好きです。
相変わらずいい加減な土佐弁です。
因みに時代考証も無しですので、突っ込み禁止。



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