運命の日 〜Ai〜

 

 

 

海までドライブしよう、と誘われたのは、澄んだ青空が広がる日曜日のこ

とだった。

米花町からずいぶん離れた、遠い岬。白い灯台がいかにも絵になり、人気

のデートスポットでもあった。

「哀、ほら」

差し出されたその手を、思わずじっと見てしまう。

「…何してんだよ、お前。変な奴だな」

彼は、そう言って苦笑する。

彼…工藤新一。江戸川コナンではなく。

 

組織が壊滅したのは、もうずいぶん前になる。

最後の戦いは思い出すのも辛いほどで、もう少しで工藤くんも命を落とす

ところだった。

APTX4869の解毒剤は、彼が死に物狂いで手にいれてくれたデータ

そして阿笠博士の協力のもと、完成した。

そして江戸川コナンはいなくなり、工藤新一が帰ってきた。

…あれから11年。

今も私は『灰原哀』のままだ。

 

差し出された手に手を預け、石段を飛び降りる。そして手をとられたまま

歩きにくい砂浜を彼についていく。

光が波間に反射する。ふと立ち止まり、目を細めてそれを見ている彼。

広い肩、長い腕。りりしい眉の下の鋭い瞳は変わらない。

大学を卒業したあとアメリカに渡り、向こうの大学と政府組織とやらで犯

罪学を学んだ。昨年帰国したあとは、世界に名高い探偵として活躍が続い

ている。

今日は、そんな彼のつかの間の休み。

28歳になった工藤新一は、前にもまして魅力的な男になっていた。

 

私が灰原哀のままなのには、訳がある。

ひとつは組織の残党がどれだけ残っているか、わからなかったこと。当然

狙われるだろうから、すぐに宮野志保に戻ることには危険があった。

そしてもうひとつは噂を聞きつけた政府の研究者より、異常な関心をもた

れてしまったこと。

正直な話、私はもうAPTX4869に関わるのはまっぴらだった。

そこであの最後の日、『宮野志保』はいなくなり、『灰原哀』が残ったのだ。

 

灰原哀としてのこの11年間は、大変だったけど楽しかった。

組織にいたときには味わえなかった、普通の生活。

親しい友人の存在。意外に楽しい学校行事。

…そして、工藤新一の存在。

自分の中の甘い感情に気づかされてからは、特に。

表情が豊かになった、と義理の父親になってくれた阿笠博士は喜んでいた

けれど。

報われない想いの果てには、何があるのだろう?

 

「…どうした?」

「別に」

彼の問いに答え、私は目を伏せる。横顔に見とれていたなど、口が裂けて

もいえない。

「少し変だぜ、今日」

…変なのはあなたよ。心の中でそうつぶやく。

2人で、こうやって出かけるなんて初めてだ。彼はいつも忙しく、私だっ

て学生なのだから。

…彼が変な理由は、わかっている。

 

日本に帰国した彼が足繁く通ったのは、妃法律事務所。

仕事の為と言っていたが、本当は違うだろう。

そこには、あの女性(ひと)が働いている。新一、と彼を呼ぶ優しい声の持ち主が。

いつか、彼がしそびれたプロポーズの言葉を、彼女は感激して受け入れる

だろう。

そう遠くない未来に。 

 

いつのまにか、灯台の下まで来てしまった。まわりに、人影はない。

引き返そうか、と思った時だった。

「哀。…大事な話があるんだ」

彼はふいに立ち止まり、つないでいた手を離した。そして体の向きを変え

て、私に向き合う。

その、真剣な瞳に覚悟を決める。ついに、この日が来たと。

 

11年間、彼は常に私を気遣ってくれた。コナンだった頃のようにぶっき

らぼうな様子もなく、兄のように優しくしてくれた。

それも、もう終わりだ。私は今日で2度目の18歳を迎える。

今日から、『灰原哀』の時間は『宮野志保』に重なる。

もう、気を使ってもらう必要はない。同情も欲しくない。

待っている人の元へ、彼は帰っていくのだ。

今まで、ありがとう。

感謝の言葉だけを用意して、私は彼からの言葉を待った。

「ええっと…その…」

言いにくそうにする彼の瞳を、じっと見つめていたせいか、涙がにじみそ

うになってくる。

その時、彼はまるで引き寄せられるかのように、私に一歩近づいた。

暖かい唇で、私のそれをそっとふさぐ。

長いキスが終わってからも、何が起こったのかわからずに混乱している私

に、彼は照れくさそうに言った。

「バーロ…そんな顔するから、理性がとんじまったじゃねえか。本題にも

入ってねえのによ」

彼は、ポケットから小さな小箱を取り出した。中には、ムーンストーンが

淡く光を放っている華奢なリングが座っていた。

「結婚しよう、哀…いや、志保。妃さんに協力してもらい、何とか宮野志

保の戸籍が復活できそうだ」

思いがけない言葉に、息もできないくらい。

「本当…に?」

「ああ、まかせろ。1年も、かかったけどな。今日に間に合って、良かっ

たよ」

そういって、屈託なく笑う彼を見ていると、自然に涙がこぼれてきた。

彼は、仕方ないなあ、というように優しい笑みを浮かべると、その長い腕

の中に私をすっぽりと包み込んだ。

「…答えを聞かせてくれよ。11年も我慢したんだぜ?コナンのときから

お前のことずっと好きだったんだから」

「…言わなくても、気づいてたくせに」

こんなときにも可愛くない女で、ごめんなさい。

そんな私の気持ちが届いたのかどうか知らないけれど…。

「ああ、知っていたさ。でも、不安だった。どんどん綺麗になる志保が、

俺から離れて行っちゃいそうで」

彼の優しい言葉がうれしい。

私は、そっと返事をささやいた。

もっとも、その途中で再び唇をふさがれてしまったけれど。

 

「…ええ、新一。愛しているわ…」

 

END


 

初めての新一&哀は、甘々になりました。

不思議なくらい筆?が進み、あっという間に書けた作品。

タイトルが、〜Ai〜となっているのは新一バージョンがあるからです。

でも、そちらは筆が進まず…。近々、お目見えすると思います。

 

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