なごり雪

 

 

桜にはまだ早い、3月。

完全に人気の無くなった放課後の帝丹中学。その教室で灰原哀は1人、シャ

ープペンシルをくるくるともてあそんでいた。

「寒・・・」

小さくつぶやき、窓を見る。外は、薄いグレーの雲が広がっていた。

思わず時計を見上げると、時間はまだ6時半。最近は、すっかり日が長くな

ってきていたのだが、今日みたいに天気の悪い日は、あまり関係ないらしい。

ふう、と軽くため息。目の前には、まだ終わらない用紙が数十枚。

・・・帰っちゃおうかしら。

思わずそう思ったものの、実行に移せるわけも無く、やれやれとばかりにま

た作業を始める。

そんな彼女の耳に、カタンという小さな物音が聞こえた。

「手伝いましょうか、姫」

開けた窓に手をかけて、桟の部分に腰をかけ、器用に足まで組んで。

いつもの白いタキシード姿で、彼は笑っていた。

その姿を見て、再び哀はため息一つ。そして言う。

「じゃあ、お願いがあるんだけど」

「なんなりと♪」

「窓・・・早く、閉めてくれないかしら」

・・・・・・。

キッドは、無言のままでカラカラと窓を閉めた。

そしてまた作業を始めた哀のそばに近寄ると、手前の用紙をひらりと手に取

る。

「『私の将来の夢』・・・なるほど。これは、文集ですね」

哀の返事は無い。ふむふむ、と勝手にうなずくキッド。

彼にも、心当たりはある。中学や高校のときは、毎年クラス替えの前になる

とこうやって思い出作りをしたものだった。

「しかし、姫1人では大変でしょうに?皆はなぜ手伝わないんですか?」

「仕方ないわよ。文集委員なんだから」

・・・文集委員・・・。

その響きの懐かしさに、思わず気が遠くなりそうなキッド。

確かに、哀の前にあるのはほとんど完成と言ってもいい原稿ばかりだ。彼女

がやっている作業とは、それにページ番号を振っているだけ。

クスクス・・・と思わず笑みを漏らすキッドを、哀は一瞬恨めしそうな顔つき

で睨む。

慌てて肩をすくめた彼は、優しく彼女に笑いかけた。

「それで?これは、文集委員である貴女の仕事なのですね?」

そう、と哀はうなづく。彼女の言い分によると4月に委員を決める時、なる

べく1年間続けなくてもいい仕事を選んだらしい。学年末にだけ働けばいい

文集委員を。

「まさか、その時期がこんなに忙しいだなんて思いも寄らなかったわ」

確かに、それは彼女の本音なんだろう。話しながらも、しきりと手だけは動

いている。

今度は手元にあったイラスト集から適当にカットを選ぶと、ハサミで切り抜

く。字と字の隙間、空いたスペースにそれを貼り付けていく。

キッドは、その作業を見ながら内容を拾い読みする。

『将来は、英語をもっといっぱい勉強してキャビンアテンダントになりた

い』

『高校に入っても野球を続けて甲子園に行き、ドラフトで指名される』

『コンピューターの専門学校へ行き、プログラマーになる』

現実的なのやら、そうでないのやら。

たくさんの夢がつまった文集は、たとえその夢が叶わなくてもきっといい思

い出になるに違いない。

キッドは、ふと思いついて哀の文章を探す。

『将来の夢 灰原哀』

あった、と思ったのもつかの間。さっとそのページは取り上げられると、哀

の手で裏返しにされた。

「・・・ケチ」

思わず口をとがらせるキッドに、「覗き見なんて趣味が悪いわよ」と返す哀。

キッドはすみません、と首をすくめると彼女は一体何を書いたんだろう?と

ぼんやり思った。

2回目の15歳。もうすぐ、2回目の高校生となるであろう彼女は。

・・・いや。ひょっとしたら、これが初めてなのかもしれない。

哀は、ずっと組織の中で育ってきたと聞いた。ろくに、学校にも行ってない

と。

それならば、彼女にとっては最初の中学3年生。そして、もうすぐ卒業だ。

赤みがかった茶色の髪。そして、白くてほっそりとした手足。

「・・・身体は、なんともないんですか?」

「え?」

キッドの、突然の問いに哀はいぶかしげな顔で彼を見る。

心底自分を心配しているらしいその表情に、少しばかり胸が痛んだ。

「何を突然・・・別に、なんともないけど」

ふい、と横を向いてしまう哀に、キッドは身体を乗り出して再度聞く。

「本当ですか?本当に?」

ふう、と哀の口から漏れる軽いため息。

「しつこいわよ、怪盗さん」

「だけど・・・心配なのですよ」

キッドは、ゆっくりと哀に近づく。そして、まるで自分が痛めつけられてい

るように、辛そうな顔つきになる。

「いつか、姫はおっしゃいましたね。APTX4869の影響は、いつどん

な形で現われるかわからないと。特に、成長期は要注意だと」

ハサミをことん、と机に置き、哀もキッドに向き直った。

「確かに、そう言ったけど。だけど、女性の場合急激な成長期って言うのは

個人差があるものの、大体10歳〜15歳ぐらいまでよ?もう、ほとんど大

丈夫な時期に入ってるわ」

「そんなことありませんよ。今でもあなたは、充分成長期です」

「なぜ?」

「なぜ、って。・・・それは・・・」

 

『君が、とても綺麗になったから』

 

言えない言葉を、飲みこむ。

哀の事が気になって、そして何かとこうやって彼女に会いに来るようになっ

て何年が経っただろう?

幼い頃から、ハッとするほどの美少女だったのは間違いない。

そして、類稀なる頭脳と才能を持ち、大人びた口調で話す彼女。

そんなアンバランスな魅力に、彼だけではなく大勢の男どもが惹かれて来た。

しかし。

徐々に、彼女は大人へと変化しているのだ。

身体の内側に秘めた、完成された女性としての魅力に、外見が追いつこうと

している。

もう彼女は、子供じゃない。だけど、まだ大人でもない。

雪が解け、木の芽が小さく伸び、そして淡かったピンクのつぼみが華やかに

咲き誇るように。

1日1日、この瞬間にも彼女は成長している。

「・・・おかしな人ね」

微かな笑いを含んだ哀の声に、キッドは我に返る。

そして、自分も微妙な想いを込めた笑みを返した。

と、ふいに哀が窓の外を見つめる。

彼女の様子にキッドが振り返ると・・・。

ふわり、ふわりと。

グレーの空をバックに落ちてくる、白いもの。

「・・・雪?」

「・・・ええ。なごり雪ですね」

真冬のような重たい雪ではなく、軽くてまるで桜の花びらとも見まごうよう

な、柔らかさ。

黙って雪を見つめている哀を、キッドは彼のマントでふわっと包んだ。

「どうりで、寒いと思いました」

哀は、答えない。ただ、拒否もせずに彼の腕の中にいた。

「・・・姫?」

キッドの気遣うような声に、彼女は「ねえ」と小さくつぶやいた。

「雪が解けたら、何になるか知ってる?」

キッドはちょっと目を見開いて。そして、柔らかく微笑んだ。

「ええ、知ってますよ。・・・春に、なるんです」

その返事に、くすっと笑う哀。

「有名な答えだものね」

「まあ・・・そうですね」

だけど、と哀は窓の外の雪をじっと見つめる。

「だけど、私はその答えがとても好きだわ」

グレーの空は少し色が薄くなり、ときおり陽がさしこんでいる。この分なら

早々に止むに違いない。

もう、冬ではない。春が、そこまで来ている印なのだ。

私もですよ、とキッドが囁く前に哀は彼の手からするりと抜け出した。

「さて、あともう一頑張りしなくっちゃね。もちろん、手伝ってくれるんで

しょ?怪盗さん」

「・・・なんなりと」

キッドは、残念な思いはとりあえず置いておいて、優雅にお辞儀をしてみせ

る。

雪が解けて、春が来る。

春が来ると、またこの少女は1つ大人になる。

今は、その成長を見守る事だけ。それが、自分にできる精一杯の事。

 

今、春が来て君は綺麗になった。

去年よりずっと、綺麗になった。

 

END


 

久しぶりの、キッドメインのお話でした。

そういえば、昔「小学○年生」という雑誌を、祖父がずっと買ってくれてた

んですけどね。なぜか1月号からは次の学年誌を買うんですよ。ですから連

載マンガの最終回なんかは、毎年見れないまま(苦笑)

年が明けると、一つ成長するって言うのが昔の人?の考え方なんですよね。

それはともかくとして。

哀ちゃんの成長に戸惑ったりするのは、やっぱりめったに会わない(という

設定の)キッドだろうなと思ったので、彼の話となりました。

 

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