1月1日(月)

 午前8時に帰宅。家が開いていないので、家の外から電話で父を呼びだし、鍵を開けてもらう。それにしても正月の朝は静かです。駅から歩いて帰ったのですが、人間が居なくなったような気がしました。正月にほとんどの日本人が朝寝をしている時間に、僕はたった独り(そんなはずはないが)街を歩き、お正月をいつもと違った視点で眺めることができました。他人と違うことをしている瞬間というのは楽しいものです。もしかするとそのために生きているのかも知れません。

 午後から母方の親元へ。つまりおじいさまの家。向こうに着くやいなや、こたつで爆睡。そのまま夕御飯まで起きませんでした。夕食後映画を見ました。「ジャッカル」という殺し屋の映画なんでした。小説で「ジャッカルの日」というものがあるというのを聞いたことがありますが、それと関係があるのでしょうか。その小説はまだ読んではいないのですが、なんとなく内容は聞いたことがあります。映画を見る限りでは同じものではないなと感じましたが、小説でも「ジャッカル」シリーズはいくつか出ていますし、原作と映画が大きく異なることはよくあることなので一概に違うものと決めつけることは出来ません。帰るとき映画「プライベートライアン」のLDを借りて帰りました。

1月2日(火)

 今日から4日まで家族でスキー旅行。場所は栂池というところ。こちらの雪はすごいです。まるで片栗粉のようなパウダースノー。大きめの鏡餅を思い出しました。今回の旅行には「ゴジラ」を連れていきました。まあ、今回に限らず旅行には、ほとんど必ずと言って良いほど連れていくのですが。そのため犬1倍(いいかげんな数値だ)寂しがり屋です。今回の旅行でもその寂しがりやの性格のおかげでちょっとした事件になりました。たまたま用事があってゴジラを一室において、家族全員が小一時間ほどロッジを空けました。用事を済ませ帰ってみると、ゴジラを入れておいた部屋の扉をこのような無惨な状態に。おそらく寂しくて、下の方をひっかいて脱出を試みたのでしょう。この写真は父が修繕し、なるべく目立たないように繕ったものなので見にくいかと思います。むしろ見にくい方がよいのですが、サンドペーパーで削りインスタントコーヒーで色を付けただけのものなので、監理人の人にばれるのも時間の問題です。安い建具なのですが、アメリカ製なので建具の旅費が高くつくそうです。しかしここでもう1つ手違いが。扉の写真を撮るのを忘れてました・・・。

1月3日(水)

 家族の起床は7時30分。僕の起床は8時ちょうど。僕は朝が弱い方が好きなのです。今日は朝からスキー。ずっと弟と一緒に滑っていました。ゲレンデのコンディションは朝から晩まで、つまり1日中雪が降っていたので新雪。スキーは操作しやすかったのですが、スキー場の山頂付近は風が強く、吹雪いていたため滑っているととても肌寒く感じました。夏に雪が降って、スキーができると最高なのですが・・・。気温が低いと携帯電話の調子が悪ようです。まず液晶画面の反応が遅い。ちょうど古いノートパソコンなどの液晶画面でツールバーを動かしたような感じでしょうか。それと、電池の消耗が激しい。正しくは、電池を多く使えない。どういうことかというと、充電池は気温が0度以下のところで使用すると性能が落ちて、電池の性能を十分発揮させることができないのです(おそらく例外はあるでしょうが)。携帯電話の電池に使われている成分はわかりませんが、僕の持っている充電電池(ニッケル水素・高いんだこれが)も寒さに弱いようです。携帯電話の電池もニッケル水素が主となっているのでしょうか。これは寒さと関係はないと思うのですが、家の車(トヨタ・イプサム)に搭載されているカーナビが1分ほど狂いました。地図が逆さ向いてしまい、進路方向と逆の方向に地図上のポインターが進んでいくという珍事(?)が起こりました。軍や登山家の使っているGPSもこれくらいもろい物なのでしょうか。100%安全というものはないという良い見本だな、と思いました。そういえば、こんなブラックユーモアを聞いたことがあります。
 「安全とは安心を放棄して得られるもの。安心とは安全を放棄して得られるもの」

1月4日(木)

 今日は弟が疲れたというので、独りでスキー。独りだと好きなコースを滑れるので、なかなか爽快。午前中にはスキーを切り上げ、現地を出発。帰りの道は渋滞もなく、車の流れはスムーズでした。関東ではスムーズと言う単語を「スムース」と発音するそうですが、本当なのでしょうか?今日の長野は大雪警報が発令されていたそうです。僕の地元(滋賀県)でも今日は雪が降ったそうです。そのため、滋賀県と岐阜県の県境の付近で雪のため、のぼりの高速道路で一時通行止めがありました。僕らが帰る頃には解除されていたのですが、対向車線では除雪車が雪をどけながら走っていました。その後ろは渋滞していました。1度でいいから除雪車に乗ってみたいとか思ったりしました。

 昼食の時に立ち寄ったレストランが良かった。なんでも民家を改造したものらしく、なかなかおしゃれなものでした。残念ながら写真はありません(惜しいことをした)。床暖房が暖かかったのと、コーヒーがおいしかったのも印象的でした。もちろん料理もGOOD。

1月5日(金)

 まだまだ正月です。脳味噌の細胞がどんどん消滅していく感じがします。する事がないので(嘘)お正月おじいさまの家から借りてきた、映画「プライベートライアン」を朝から上映開始。今日から仕事始めの母上に激怒された後、テレビの電源を乱暴に切られました。仕方ない、母上が仕事に出ている午後に見ることにしよう。しかしこんな日記が、受験生である友人達の目にでも触れたら僕は闇に葬られることでしょう。

1月6日(土)

 9時10分から教習所。応急救護の学科でした。50分の授業が3単位、間に10分の休憩があって、合計3時間の教習でした。昔の教習所ではこのような応急救護の教習はなかったそうです。現在のような応急救護の教習は、ドイツを真似たものだそうです。ただしシステムのすべてを真似たのものでなく、ドイツのものより内容は少し違ったものになっているそうです。例えばドイツの応急救護の講習は3日間ぶっとおしで行うのですが、日本では3時間です。国の考え方が違うのでしょう、と教習所の先生がおっしゃっていました。

 昼食は弟とカレーライスを食べました。このカレーライスはお昼前にコンビニで買いに行ったものなのですが、そのときに僕の食生活を変える出来事がありました。店内で男の人2人がお昼のカップラーメン(12時前だったので勝手にそう推測)を選びながら話をしていました。「このラーメン辛いのよ。このせいで俺、痔になったんだわ」今後一生辛いものは控えようと、心に中粘度くらいの硬度で誓うのでした。

1月7日(日)

1月8日(月)

 今日は成人式で学校は休み。なんだか冬休みが1日多くなったような気がします。実は僕、なぜ今日が休みなのか知りませんでした。あまり祝日というものを知らないのです。部屋にカレンダーはないし(今年はスケジュール表を買おうと思う)、テレビも見ないので、まさか今回の成人式で社会問題になるような出来事が起こっているなんて夢にも思っていませんでした(夢の中で考えていたら、それは予知夢というものになってしまうのでは?)。一部では成人式をなくしてしまおうという声も挙がっているそうです。こういうことをやたら騒ぎ立てる大人たちの方が僕は社会問題のような気がします。あまり感情的になるのは大人げないですね。

 明日から新学期なのですが2学期のおしまいに渡された成績簿がありません。僕は、自分の成績簿をみない学生なので、12月の中頃に渡されたその日から成績簿のことなんてこれっぽっちも覚えていませんでした(おいおい、とべたなつっこみ)。そしてなにげに新学期到来。家中を家族総出(弟を除く)で探してみたが見つからず。引き出しをひっくり返して探したので、あちこち訳の分からないもので 悲惨な状態に。具体的にどんなものが出てきたかというと、例えば、3日ほどしかつけられていない家計簿が3冊ほど出てきたり、色鉛筆、写真、財布(中身なし)、シール、包装紙、カレンダー等々です。結局、成績簿は見つからなかったのですが、母上は「年末やり残した大掃除ができてよかった」と満足そうでした。

 弟も明日から新学期です。弟の通う公立中学は、ちなみに僕も通っていたのですが、新学期になると必ず「ぞうきん」が徴収されます。それもなぜか3枚も。1枚は普段の掃除に使う分です。もうあと2枚は先生に納めるのですが、いっさいの用途は不明です。以前、このことを先生に尋ねてみたら、窓を拭いたり黒板の溝を掃除するときに使う、という返事が返ってきました。へえ、なるほど、とその時はうなずいたわけです。我ながら素直な学生だったのです。しかし、ちょっとまて、1クラスあたりの在籍生徒数は約40人。それが1人2枚ずつ上納するわけだから80枚、1学年あたり7クラスあったから約560枚。それを3学年おなじことをしているわけだから、約1680枚。さらに春休み、夏休み、冬休みそれぞれの休み明けには、毎回徴収例が出されていたので結局、合計約5080枚のぞうきんが1年間に集められるわけです。まあ、これは慨算ですから、必ずしも正しいわけではないのですが、担任の先生はかなりしつこく集めていたので(持ってきてない奴のチェック項目を作っていたくらい)、この数値もあながち侮れないものともいえます。少なくとも僕のクラスだけで240枚集められていたという計算になるのですが、これって、休みを除いた学校に行く日数に近くないかな。つまり、毎日新しい雑巾をコンスタントに使うことができるのです。これぞ無駄使い、資源の無駄、地球に優しくない教育っ、といっても実際は売られている雑巾は売れ残ったら廃棄されるだけで、消費者が買わなくても生産者が作った時点でゴミなのでしょうが・・・。それにしても、はて、そんなに使っていたかな、ぞうきん。今もこの伝統は続いてるようですが、あのとき、僕が納めたぞうきんは今どうしているのでしょう。

1月9日(月)

 今日から日常のスタートです。メリハリのある生活が正月に飼い慣らされ、ぼけていた脳味噌を少しずつ元に戻していってくれることに期待「大」です(戻そうと思わなければ結果は出ないのですが)。地殻プレートのようにのんびりと。のんびり行きましょう。

 1限目は始業式。寒い体育館に全員集合でした。先学期末に行われた終業式はそれぞれの教室で、まことにささやかに、スピーカーから聞こえてくる校長の話を聞くというものでしたが、どうしてそれを始業式でやらないのでしょうか。校長の話を机の上で聞けるという日本の科学力に、そして、科学の発展のために日夜励んできた科学者の人たちに多大な感謝を送った生徒の数は中高生(我が校では6年間一貫教育も行っているのです)併せて1000人は下らなかったはずです。なにかご都合主義のようなものを感じさせられます。

 「セクハラ」正式名称「  家庭科の時間にセクハラのビデオを見ました。セクハラのビデオといっても、社内隠しカメラでとらえた日本セクハラの実態、とかそういったものではありませんので、とか家庭科の教師が言われていた通り、内容はセクハラについて考えよう、日本とアメリカの違い、そこからみえる日本企業の努力目標、といったものでした。さすがセクハラ大国、じゃなく告訴大国アメリカ合衆国です。セクハラによって下された企業に対する損害賠償金額は最高で6億1000万円・・・。さすがアメリカというか、日本ではJRの電車を止めてもそんな賠償金が出されるかどうかあやしいところです。おそるべし、セクハラ。ちなみに日本は最高140万かそれくらいの金額でした(少し昔のビデオだったので、今のものとは違うかもしれませんが)。

1月10日(日)

 新しい本を買いました。その本を読みたかったので今日は普通電車で登校。新快速電車と比べて普通電車は混雑していないため、いすに座れるし、また目的地まで時間がかかるので本を読むには適しています。楽しく読んでいると早く駅に着くような気がします。実際はどうなのでしょう。常に同じテンポで時間を刻んでいる時計は、ふつうに日常生活をしている分において時間はのびたり縮んだりしない、ということを示しています。人間はいい加減で複雑です。

1月11日(月)

 朝、僕のいつも使っている駅のホームに、駅の近くにある神社ののぼりがあって、それには「○○宮初詣」と書いてありました。是非こののぼりを12月31日まで立てておいてほしいと思います。

 放課後、近鉄の旭屋書店に行ってきました。ワンフロアだけでいうと関西最大の書店だそうです。どの辺が関西最大なのかは知りませんが、結構品揃えは良かったと思います。以前から探していた本が見つかってご機嫌。帰りに芋のお菓子を買って帰ったのですが、これがおいしかった。サツマイモを蜂蜜で煮たようなお菓子でした。もっと甘ったるいものを想像していたのですが、これが意外とあっさりしていてよかった。

 明日から学年末考査なので、夜は明日のテスト教科である日本史を1つまみほど。

1月12日(日)

 今日から学年末考査。つまり期末テスト。今回のテスト期間は4日間と長く、これは3学期の総授業日数より1日多い計算になります。さっさと終わってほしいものです。

 学校はテストだけなので家で昼食がとれました。食事代が浮いてうれしい。食事中父親がなにやら怪しげなことを言っていました。たしか
「人間は死んだらあの世に行くが、犬や猫は魂(記憶)が残らないからあの世には行かない。だから、彼らの今、生きているこのときを大切にしてやらなくてはならない」
だったと思う。市民大学で聴いたそうです。僕は、父親のするこういう話を結構好きなのかもしれません。僕の父親はこういう話を、周りにいる者に妙に納得させる力を持っています。不思議です。きっと普段からくそ真面目(いい意味でも、悪い意味でも)で、あまり冗談を言わない性格だからなのでしょう。もしかしたら年の功かもしれません。基本的に僕の父親は自分の考えを表に出さない性格です。普段からあまり自分の考えを出さない人の意見には、妙な説得力があります。きっと、その人の思考に(聴いている側にとって)矛盾が生じにくいのと、周りで聴いている人間が興味深いものとして聴くからなのでしょう。僕はよくしゃべり、周りの人に自分の思考を押しつけるので(しかも矛盾してたりする)、常々うっとしいと言われます。そういえば、ジョークも同じことがいえますね。

1月13日(土)

 先日、どさくさに紛れて「ジョークも同じことがいえますね」などといってましたが、これもジョークです。まあ、ご愛敬ということで。

 さて、今日は第2土曜日です。しかしテストはあります。代わりに火曜日は学校が休みだそうです。なんと殺生なことを、と一瞬思いましたが、特にすることもないので学校へ行くのも悪くないですね。

 今日は3教科のテストがありました。1日平均2.2教科のテストがあります。なんとまあ、ちまちまとした時間割です。今日の3限目のテストは「国語表現」。テストの内容は「愛とはなにか」という内容の論文でした。今回のテストは「愛とはなにか」です、と先生に告げられた高校生の気持ちを考えてください。「いや別に・・・・」という方、正解です。別に僕が高校生だから困ったわけではありません。普段からあまり考えたことがない、と言ったら嘘になるのですが、いままであまり深く考えたこともなかったというのもまた事実で、これといった考えを持っていませんでした。考えようによっては、高校生だからこういった物事がみえない、という考えからもあるかもしれませんが。何ともいえないですよね。論文というのはよくこういった命題が出されます。たいがいの場合、正しい答え、なんて無いんですよね。かといって何も書かないわけにはいかないんですね。論文はとりあえずなにか書かないことには点数が出ないから。たとえ、何も書かないことが1つの意見だとしても。学校のテストで赤点とってまでして自分の我を通すこともありませんので、みんなそこそこのところで折り合いをつけるのです。みんなそうやって大人になっていくのでしょう、僕も含めて。そういったことを何も感じられなくなったらじゃなく、感じなくなったとき大人になった、というのかもしれません。話がそれました。以前、論文は正しい答えを書くのではなく、読み手に適当な意見をそれっぽく納得させられるかが重要なんだ、ということをきいたことがあります。そうなのかもしれません。それで適当に納得しておくのが得策なのでしょう。こんな論文のテスト、一度やってほしいなあ「論文とはなにか」。

 今日は寒い。雪が降るのでは、と思いましたが降りませんでした。

1月14日(日)

 日曜日は爆睡。一週間の疲れを癒しているのです。こんなことでいいのか?福井県は大雪だそうです。何でも記録的な大雪だそうだ。記録的ってどういう意味なんでしょう。きっと記録しておく価値のあるもののことをいっているのでしょうけど、天気って常に記録されてるんですよね(ん?ホントか?)。どっちかというと、記憶的な大雪でした(といってもすぐ忘れる僕でした)。

1月15日(月)

 今日は現代文と政治経済のテスト。現代文のテストの内容は四字熟語ばかり。暗記ものは苦手だ。

 我が家で大量の腐りかけた柿が発見されました。なんでも去年のお歳暮にもらった柿だそうです。別に熟し柿でもないのに、腐りかけてぶにぶにしていました。なんてったって、2,3週間ほったらかされていたんだもんなあ。僕が「もったいない」と言ったのが命取り。今日から毎日柿の廃棄を任されました。別にいいんだけどね、柿好きだし。それにしても結構な量だな・・・・。

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