雪の魔法

 

 わたしは初めての男を一番愛している。これから先、ずっと。

 わたしが中学3年の冬、従兄弟の家族が遊びに来ていた。
 ある日曜日、遅く起きて1階に降りて行くと、リビングには叔父しかいなかった。
 「みんなは?」
 叔父は膝の上の本から目をあげて、やさしく微笑んだ。
 「お正月の買出し。ぼくは留守番」
 ふーん、と頷いた。
 台所へ行き、2人分のコーヒーを用意する。
 リビングに戻り叔父にカップを差し出すと、「ありがとう」といってまた微笑んだ。わたしは向かいに座った。
 わたしは元々叔父が大好きだった。わたしの気持ちを一切理解しようとしない父と違い、叔父は話を聞いてくれる。特に意見を言うわけでもないけれど、ただ黙って微笑みながら聞いてくれるのだ。それだけで嬉しかった。外見もオヤジくさい父と違い、線が細く、独身だと言っても通るくらいだった。とても小学2年生の子供がいるようには見えない。
 ふと窓の外を見て、わたしは声をあげた。
 「雪……」
 叔父もまた目をあげて、外を見た。
 「ほんとだ。初雪だね」
 そして叔父はわたしを見てこう言って笑った。
 「香奈ちゃんと見れて、よかった」
 その瞬間、信じられない思いが沸いてきたのに驚いた。
 (キスしたい)
 それは希望でもなくあこがれでもなく、欲望だった。下腹部が疼いた。
 「叔父さん」
 わたしはテーブルの上に身を乗り出し、手を伸ばして叔父の顔を引き寄せた。叔父はされるがままになっていた。わたしは唇を重ねた。
 しばらくして離すと、彼は慌てたふうもなく、言った。
 「なにをしたかわかってるの?」
 頷いたけれど、今思うと本当はわかっていなかった。彼は続けた。
 「本気?」
 わたしはだんだんこわくなった。叔父はなにを言っているのだろう。
 「悪いけど、ぼくにはしばらく前からきみが一人前の女に見えていたんだよ」
 おんな、という言葉にわたしは震えた。
 「きみが本気なら、ぼくも本気で応えてしまう。……これ以上はやめておこう」
 雪だけが降りつづけた。

 その冬、もう一度だけ叔父とふたりきりになる機会があった。
 家族総出で初詣に行ったのだが、かぜをひいていた叔父と、友達と約束をしていたわたしだけが残った。しかし友達にドタキャンを食らわされて、わたしは時間をもてあましていた。
 リビングに行くと、叔父がまたひとりで本を読んでいた。
 さすがに入りづらく、気がつかれないうちに戻ろうとしたが、「香奈ちゃん?」と声をかけられてしまった。
 「コーヒー、淹れてもらえるかな」
 そういわれてしまうと断る理由がない。
 わたしは1人分のコーヒーを淹れ、叔父に手渡した。手と手が触れた。熱を持った叔父の手。叔父はわたしの目をじっと見つめた。
 「香奈ちゃんは飲まないの?」
 叔父が暗になにかを言っているのに気付いた。気付いたからこそ、ふたりでいることに危険を覚えた。
 わたしはなにも言わずに部屋に戻った。
 しばらくして、わたしの部屋のドアがノックされた。
 「香奈ちゃん?」
 わたしは応えなかった。
 「……寝てるの?」
 そのまま去ってくれればいい、そう念じた。そうすればこの想いを止めることができる。
 しかし、彼はノブを回してしまった。
 「だめだよ、香奈ちゃん。本当に嫌なら鍵をしめておかないと」
 入ってきた叔父は入口で立ったまま言った。
 わたしはベッドの上に座ったまま、身じろぎもできなかった。
 「この間は君から近づいてきた。今度はぼくから近づいていく。嫌ならこのまま戻る」
 しばらくわたしたちは見つめ合っていた。まるでこれからケンカでもするみたいに。
 いつのまにか、わたしの両手は彼の方へ伸ばされていた。
 彼はゆっくり近づくとわたしの手のひらを取った。そして「いいの?」と聞いた。わたしは返事のかわりに        彼の首に腕を回し、引き寄せた。
 今思えば、叔父も熱のせいで平静ではなかったのだろう。そうでなければいくらなんでもわたしと寝るわけがない。叔父はそこまで不道徳な人間ではなかった。
 でもそのときのわたしたちには道徳も倫理もなかった。ただ互いの身体が欲しかっただけだ。わたしたちの身体は信じられないほどぴったりと合わさった。わたしも彼も夢うつつのまま汗を流した。
 しばらくして波が去ったあと、叔父は一言だけぽつんと言った。
 「一回きりだから……」
 わたしも頷いた。嫌だったからではない。あまりにも心地よくて、嬉しくて、楽しかったからだ。だから、一回限りにしようと思った。そうして最後にもう一度強く抱き締め合った。

 一回限り、のはずだった。
 叔父家族が帰り、3学期が始った。わたしは高校受験を前に、最後の追い込みに入っていた。
 最初のころは本当に忘れていた。夢だと思っていた。
 ところがふとしたときに思い出してしまうのだ。叔父の首筋のほくろとか、手のひらの大きさとか。
 わたしは次第に落ち着かなくなっていった。受験前の緊張もあったのだろう。
 わたしはとうとう叔父の家に電話をしてしまった。
 「あら香奈ちゃん、どうしたの?」
 なにもしらない叔母は明るい声を出した。わたしはいいかげんな理由をつけて、叔父の勤め先の電話番号を聞き出した。
 勤め先に電話すると、「香奈ちゃん?」懐かしい声がした。
 「叔父さん……」
 自分でも驚くほど声が震えていた。なにも言えないわたしに、叔父はとりあえず、会う時間と場所を決め、電話を切った。
 気が急いて、30分も前に待ち合わせの喫茶店に着いてしまった。
 叔父の姿が見えたとき、身体中の熱があがったのがわかった。一瞬であのときの快楽を思い出した。
 「叔父さん、お願い、もう一度だけ……」
 わたしは叔父に懇願した。叔父はためらった。
 「だめだよ、あのとき一回きりだっていう約束だろう?」
 「でもだめなの、思い出しちゃうの。そうすると落ち着かなくなって勉強もできないの」
 「だめなものはだめだ」
 叔父はかたくなだった。今思えばわかる。「あと一度」が絶対に一度ではすまないことに叔父は気付いていた。叔父は分別ある大人だった。
 わたしは人目も気にせず涙を流した。叔父はわたしを店の外に連れ出した。
 お互いなにも言わないまましばらく歩いて、小さな公園についた。人気のないベンチを見つけて、叔父はわたしを座らせた。
 叔父さんは座らないの、と聞く間もなく、わたしは頭から強く抱き締められた。
 「ごめんね。本当にもう抱けないんだよ」
 わたしは叔父の腕の中で声を出して泣いた。なんで、どうして。わたしのこと嫌いになったの。泣き喚いた。しまいには卑怯者、とまで言っていた。叔父は罵倒も含めてすべて抱き締めていた。
 やがて声がかすれても、わたしは泣きじゃくった。
 叔父はぽつんと呟いた。
 「……あと十年、早かったら……」
 そしてわたしの濡れた顔をあげさせると額にキスした。
 「大好きだよ、香奈ちゃん」

 叔父が会社のビルの屋上から身を投げたのは、1週間後の夜だった。

 END

 

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