その女の笑顔は、ひどく愛らしかった。
二十歳を少し越えたぐらいだろうか、幼い表情の中でその笑顔だけは不思議にすべてを包み込む力を持っていた。年下の恋人の仕草に笑いを禁じ得なくて漏らす人妻の苦笑にも似ていた。昔々にそんな経験を記憶している俺は、彼女の、笑顔だけに恋した。
駅前の小さなバーに勤めるその女とは、三度会った。
いつも、その笑顔だった。
初めてキスしたときも、初めて抱きしめたときも。
俺は最初、そんな彼女にとても満足していた。しかし、それもつかの間だった。
三度目に訪れたとき、俺は仕事のいざこざでひどく腹を立てていた。バーのマスターにさえ、「大丈夫ですか?」と声をかけられるほど。それなのに、彼女は相変わらず途方に暮れたような笑顔で俺に接した。(こいつ、頭が弱いのか?)とも思ったが、人並みに話もできる。だが、辿り着く先は例の笑顔だった。そしてその笑顔はすべての終焉であって、そこから生み出されるものは何もなかった。
四度目に会ったとき、俺は彼女に対して怒鳴った。どうしていつもいつもその笑顔なのか。女は、何を言われているのかわからない、というように、また例のごとく笑っていた。それがひどく俺の癇に障った。俺は駄々をこねる子供のように、思いつく限りの悪態をついた。
女は、俺の感情の嵐が去った後でも、まだ、笑顔だった。しかし、笑ったその瞳からは、透明な滴がぽろぽろと零れていた。
「……あなたが『好きだ』っていってくれたから」
聞こえるか聞こえないか、ぎりぎりの声で。
「好きだったの、あなたが。好きだったの。だから、他の表情(かお)なんて怖くてできなかったの。あなたに気に入られなかったら、どうすればいいか、わからなくて、私……」 そう言いながらも、笑顔は出会ったときからなにひとつ変わっていなかった。
俺は女がひどくちっぽけに見えた。笑顔が、彼女を支配していた。そして、そうさせたのは俺自身だった。
俺は、哀れな女に口づけして、別れた。
懐かしいですねー、古いですねー。これは、高校二年生のころに書いたものだと思います。そのころ大好きだった某無頼派作家の影響がたぶんにでていますねー。
ちなみに、その某無頼派作家の影響で、世の中で一番怖ろしいものは「白痴の女の笑顔」だと信じているわたし。女の本性っていうのかな。それも無垢であればあるほどの。このへんは、
畏れ多くも久世光彦さんと一致していると思います。
というか、文章が稚拙なのは、今も昔も変わりませんなー(汗)
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