独白

 

 元気? 会いたいなあ。でも、たぶん連絡なくて嬉しいだろうなあ。面倒な女とようやく切れた、と思っているんでしょ。切れてないよ、残念ながら。あたしは今でも大好きだよ。泣いているあなたも好きだし、見栄張っているあなたも好き。連絡くれないね。たぶん、もういいやと思っているんでしょ。もうほっといていいやって。身体も丸くなっちゃったし、抱く気もないんだろうね。
 そういえば、痩せている女が好みだったね。だってそれが理由で、あの子でなくあたしを選んだんだもんね。覚えている? あたしの25才の誕生日、初めてふたりで飲んだんだよ。わたしは黒のスーツを着てた。あなたはどうだったかな。六本木の、ティアーズっていうお店に連れていってもらった。すごい大きなアンティークのオルゴールがあって、あたし初めてそんなのを見て、嬉しくて仕方なかった。あれは何時だったんだろう、お店の人が一回だけそれを鳴らしてくれた。店内の照明を暗くして、オルゴールにライトを当てて、みんな黙ってオルゴールを聴いていた。曲がなんだったかは覚えていない。あたしはその間一回だけ、あなたの顔を盗み見た。あなたはあたしのことなんてまったくしらないっていう表情で音楽に聴きいっていた。お店の雰囲気と違い、料理は和食のお惣菜がでてきて驚いた。たしか大根の煮付けがあったね。あなたが頼んだのにあたしが食べてしまって、ごめんって言ったらいいよって言ってくれた。そういえば小さな子供もいたなあ。まだ3歳くらいの男の子。ちょっと大きめのオーバーオールを着ていた。こんなお店にどうしてと思ったけど、ちょこちょこちょこちょこ歩いてて、すごくかわいかった。たぶん常連さんの子供だと思う。あと、あなたが「この人はどんなカクテルでも作れるんだよ」ってバーテンさんを指していうから、あたしは「オレンジ色のカクテルできる?」って聞いた。そうしたらきれいなオレンジ色の甘いカクテルを作ってくれて、嬉しくて飲み過ぎちゃったよ。あなたとあたし、お互い夢中で話をして話を聞いて、一回だけお手洗いに行ったらもう深夜12時近かった。びっくりした。終電なくしてタクシーに乗ったのも、初めてだった。ひとと話していて楽しいって思ったのも初めてだった。手をつなぎたいって思ったのも初めてだった。ほんと、あなたといると初めてのことばっかり。
 ふたりでみた原宿のクリスマスツリー。「実はもう一本あるんだよ」そういってあなたは線路の向こうのビルを指した。ビルの窓には本当にもう一本のツリーがあった。イルミネーションされた表参道。喫茶店。肩にかけてくれたコート。初めてづくし。好きな人といっしょにいるって、ものすごく楽しいことだったんだね。教えてくれて、ありがとう。
 そしてあの日が来た。
 あの日、いつものとおりふたり待ち合わせて一杯飲んでから、あなたは「時間ある?」って聞いてきた。大丈夫、と答えると、ひとり先にとっとこ歩き始めたので、あたしは一生懸命ついていった。だってあなた、歩くの速いんだもん。
 新橋でゆりかもめに乗った。あたしは初めてだった。窓に顔をくっつけて東京の夜景に目を輝かせていると、あなたはそんなあたしをおもしろそうにみていた。そしてお台場。そう、あたしたちは冬の海にいたのだ。あたりには数組のカップルしかいない。あたしたちは誰もいない砂の上に直に座って、世間話をした。「来年もよろしくお願いします」あたしはそう言って頭を下げた。あなたは煙草をあたしに差し出した。あたしは一本もらうと、二回、大きく吸った。そしてあなたに返した。あなたはびっくりしていたけれど、あたしはなにが驚くようなことなのか、さっぱりわからなかった。あなたはあたしが返した煙草を吸った。そのあと、たわいない話をずっとずっと続けた。いつまでも尽きることがなかった。でも時間はどんどん過ぎていく。
「そろそろいこうか」あなたの声にあたしは砂を払って立ちあがった。てっきり新橋に戻るのだと思ったのだが、あなたは新木場方面に向かった。そして、国際展示場前で降りた。あなたのやることはいつもながらわけがわからない。でも絶対にあたしを喜ばせてくれることだから、わくわくして小走りであとをついていく。
 展示場の前は誰もいなかった。それなのに、階段にはきれいなイルミネーションが灯っていた。あなたはその中を一段一段ゆっくりと降りて行く。たわいもないことをしゃべりながら。あたしは受け答えをしながら、だんだんと遠ざかって行くあなたの後ろ姿を見て、わからないけれどなにかたまらない気持ちになってきた。胸がつまってきた。あなたがずっと遠くにいってしまうような気がした。そして、あなたが下について振りかえったとき、なにかが心の中で弾けた。
(なくしたくない)
 あたしは階段を駆け下りると、あなたの首にしがみついた。思いっきり強く。たぶんあなたは苦しかったことだろう。それくらいあたしは夢中でしがみついていた。
 ぽんぽん、と頭を叩かれた。「困った子だね」 あたしの目に涙がみるみる膨らむ。だってわからない、こんな気持ち初めてなんだから。どうしていいかわからない。しがみつきっぱなしのあたしを引きずって、あなたは路の傍らのベンチまでいった。腰を下ろすと、あなたは膝の上にあたしを乗せ、顔と顔を同じ高さにした。「こんな俺でいいの?」 なにが? 奥さんがいるから? 年が20才以上違うから? 額が薄くなってきているから? そんなことは、まったく関係ない。いいに決まっている。あなたしかいない。あまりにも自然に好きになってしまったから、「恋」だなんて思いもしなかった。唐突に気付いた。この人は離したくない人だって。なくしたくない人だって。そしてキスをした。
 あたしやっぱり、今まであなた以外に恋をしたことなかったよ。これからもないような気がする。

 目尻に柔らかなタオルが当てられ、わたしは目を覚ました。
「おばあちゃん、また悲しい夢みたの?」
 彼女は……そうだ、ルイ子だ。わたしの孫だ。どうして忘れていたのだろう。わたしは結婚したのだ。あの人でない人と。そして子供ができ、子供に子供ができ……。
「おばあちゃんはよく泣くね。それとも嬉し涙かな」
「……そうだよ、嬉し涙だよ」
 叶わなかった夢のつづき。わたしは目を閉じ、また夢の世界へと戻って行く。あの人に会うために。

 

 

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