ときどき、ぼくにごはんをくれたり、いっしょにねたりするひとが、どあのそとにつれていってくれることがある。
ぼくは、それだけでこわくなって、ぶるぶるぶるぶる、ふるえる。
だってそれはたぶん、あのひとたちがいるところにいくからだ。
ぼくをむねにだいて、やさしいひとはなにかぼくに声をかける。
「…………。…………?」
ぼくには、このひとのことばがわからない。
ぼくよりずっとおおきくて、あったかいひと。
だいすきだけど、ことばがわからない。
キスされたり、だっこされたり、いろんなことされたりしたりするのに、ことばだけがわからない。
ことばがわかるって、どういうことなんだろう?
そとにでると、そのひとは、ぼくを、かたい、はいいろのつちのうえにおろす。
あしが、ひんやりしたつちのおんどをつたえてくる。
それだけで、どきどき。
ぼくはどちらかというと、くろいつちで、ところどころみどりいろのあおくさいにおいのするはっぱがはえているところのほうがすきだけど。
あしにつちがつくと、うちにはいるとき、いつもよりしつっこくあしをふかれるのがきらい。
ひろいひろいばしょにきた。
ぼくがいつもいるばしょの、なんばいも、なんばいもひろいばしょ。
けしきのうえのほうは、あおいいろのところにしろいふわふわしたのがうかんでいる。
けしきのしたのほうは、だいすきなくろいつち。
でも。
そこには、あのひとたちが、いる。
ほら、ぼくをみてる。
なんにんかあつまってる。
ぼくのだいすきなひとみたいに、おっきなひとたちのあしもとに。
けのながいひと、しっぽがくるりんとまいているひと、みみがたれさがっていて、おなかがやたらにながいひと。
みんなみんな、ぼくのことをみてる。
そして、いう。
「………! …………!! …………?」
ぼくはこわくなって、しっぽをうしろあしのあいだにしまってしまう。
しばらくすると、そのひとたちの、ぼくをみるめが、かわる。
みんな、だまってしまう。そして、ぼくをさみしそうに(ほんとうにさみしそうに)みつめてくる。
だけど。だけど。
ぼくには、そのひとたちのことばが、わからないのだ。
ぼくのことばをわかってくれるひとは、このせかいにいるのだろうか。
だれかのことばをわかるときは、いつかくるのだろうか。
どうしてぼくは、こんなふうなんだろう?
だれか、ぼくのことばをきいて。
だれか、ぼくとおはなしして。
ぼくはそのひを、ずっとずっと、まってるから。
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こいぬのお話です。
もちろん、これにはモデルがいます。うちで飼っている、チワワです。
家の中で溺愛しすぎて、お散歩デビューが遅くなってしまったせいか、他のわんことなじんでくれません。ひたすら逃げまくります。
そこでふと、思ったのです。
狼に育てられた少女は、人間の言葉を忘れてしまいました。
では、人に育てられた犬も、犬の言葉をわすれてしまうのではないでしょうか。
そう考えたらせつなくてせつなくて。もちろん、性格上の問題で、言葉まで忘れているわけではないかもしれませんが。
いつか、ほかのわんこと仲良くできる日がくるといいなあ。
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