「 夢見師 」〜後〜  右葉ごと  00/08/16 01:11


 鎖宮は扉をくぐった。



 中はほの暗く、目を凝らすと奥には人影が見えた。女だ。
「お座りなさい。」
 細く高い、まろやかな声に操られるように、椅子に吸い寄せられ、腰を下ろした。
 夢見師、白与はそこにいた。
 あまりの近さに鎖宮は狼狽する。
 世の中に数人しかいない、高名な夢見師。遠くから姿を垣間見るだけか、あるい
は御簾ごしの対面を想像していた。白与は小さな机をはさんで鎖宮のすぐ近く、す
ぐそこにいた。そのあまりに近くにあるその瞳が自分のすべてを見透かすのではな
いかという恐れで鎖宮は目を合わせることができない。
「それで、あなたの、ご相談は・・・。」
 白与はかすかに目を眇めた。
「見えないわ・・・。」
 首をかしげる。折れてしまいそうな、首。
「見えない?」
「ええ。なぜなのかしら?」
「見えないとは、如何なることでありましょう。」
 白与は鎖宮の顔をまじまじと見詰め直した。まるで初めて鎖宮がそこにいたのに
気づいたかのように。だんだんと目の焦点があってくる。
「あなたの相談は・・・何なのですか?」
「眠れぬことです。」
「そう。眠れないの。やはりそうなのね。」
「やはり?」
「・・・。」
 しばらくの間、白与はだまりこんだ。その間、まるで値踏みをするように鎖宮を
見つめている。鎖宮は落ち着かなかった。目をそらさなければならないような、そ
らしてはいけないような。
「そうね・・・。」
 白与は微笑んだ。それまでの緊張がすべて途切れてしまうような笑みだった。
「私がなぜ、夢見師と言われるのか、ご存じ?」
 急に問われて、鎖宮はすこし、あわてる。
「いいえ・・・。」
 夢見師が何なのか、本当のことを言って、鎖宮は何も分かっていなかった。ただ
ここへ来れば、何でも分かると言われて来たのだ。けれど何かが分かると期待して
来たのではなかったのだと、今にして思う。目的が欲しかったのだ。単に。旅の方
向性、自らが進む理由が欲しかっただけなのだ。
「そう。」
 白与は予感していたように、薄く微笑む。
「私は一日に、一刻だけ、人々の相談に乗ります。そして、食事を取ります。そ
の他の時間は、私はずっと眠っているのです。」
「ずっと・・。」
「そう。ずっと眠って、夢を見ているのです。」
 それが本当なら、自分と、全く反対の存在。
 白与は歌うように、先を続ける。
「夢を見るとき、本当はみんな、世界のすべてが一つにとけているのです。脳が
溶けているのかしら。心が解けているのかしら。奥底で、どこかにとけだしてい
るものなの。夢の中では世界はつながっているのですよ。深く、深く眠ることが
できれば、混ざっているものをたどることができれば、世界のすべてを見ること
ができるのよ。」
「・・・。」
「そう、だから、私は世界を知っているの。」
 どこか遠くを見つめて、白与は微笑む。どこに向かって、微笑んでいるのだろ
うか。
 しかし、すぐに視線を白与は戻す。眉をひそめて鎖宮を見る。
「でも、あなたは夢を見ないのね。だからあなたのことは、わからない。どうし
てなのかしら。」
 眉をひそめて鎖宮を見つめる白与の視線の中で、この時、鎖宮は自分が夢を見
ないことをよかったとすら感じていた。白与に、すべてを知られていなくてよか
ったと。何もかもを知られるというのは、なんて怖いことなのだろう。
「どうして、眠れないのか、私には分からないわ。眠っていたころのあなたのこ
とは、どこかで見たような気はするけれど、もう覚えていない・・・。」
「・・・。そう、ですか。」
 不思議と落胆はない。どのみち、切実に答えを求めてここへ来たわけではない。
こうすれば、眠ることができるようになりますなどと、明確な答えがあると期待
などしてはいなかったのだ。
 よしんば答えがそこにあり、そうして眠ることができたとしても、何が変わる
というのだろうか。もう元には戻れない。都に置いてきた人も物も生活も。そこ
に自分を元通り填め込むことは、もうできない。逃げてきたのだ。関わることを
恐れて。
 ああ、それでも。
 眠りに落ちて堕ちて何もかも忘れて例えそれが悪夢でも別世界へと飛べるあの
時の、あの涙が出そうなほどの安寧の一瞬を再び手にいれることができたなら。
そう切望する気持ちは鎖宮の奥底でうごめいている。うごめいてはいる。けれど、
「ごめんなさい。ここには、答えはない。」
「いいえ。いいのです。」
 ふっと鎖宮は微笑んだ。
 簡単には手に入らないことを知っている。
 いや、簡単に手にはいることを恐れているのかもしれない。望みがかなうこと
の恐ろしさ。無意識にそれを思うがゆえに、眠りを遠ざけているのは自分自身な
のかもしれない。
 そう思う自分がそこにいる。ということは、きっとまだ。満ちていないのだ。
 眠る時がくるまでに。
「一つ聞いてよろしいでしょうか。」
「ええ。なんですか。」
「あなた自身のことです。・・・夢に生きるということは、幸せですか。」
「・・・。」
 白与は宙に視線を浮かせた。そしてまどろんでいるかのような笑みを浮かべた。
「そうね・・・。たぶん、そうなのだと思うわ。私はすべての幸せを知っている
のですもの。」
 鎖宮もまた微笑みを浮かべ、そっと手を差し伸べた。軽く白与の手を握りしめ、
そして軽く頭を下げて、その場を辞した。
 もう、二度と会うことはないだろう。この夢見師とは。夢の中以外では。

 白与は、幸せなのだろうか。
 夢の中で、全ての幸せの気持ちを、心を見ることができたとしても。
 それは白与のものではない。白与自身の体験ではない。
 しかし体験していなくても、その気持ちを感じ取り、自らのものと同化させる
ことができれば、あるいは体験というものはさして重要ではないのだろうか。
 分からない。
 分からないが、それが白与の関わり方なのだ。そして、それで白与が幸せだと
いうのなら、きっと、それはそれでいいのだろう。
 鎖宮は歩きながら、知らず微笑んでいた。
 自分と正反対の存在である白与が幸せになれるのなら、きっと自分も幸せとい
うものを手にいれることができる。不思議とそう思うことができる。
 眠ることが世界にとけることだと白与が言うのなら。自分は他の方法で、世界
ととけあうことができるだろう。
 鎖宮は深々と息をすった。
 そして青い青い空を見た。温かい光りに手をかざした。これから歩きだす道の
感覚を思う。これから出会う人を思う。これから味わう食物を。これから聞く様
々な音を。 
 一歩を踏み出す。夢見師の館から。

 そして、いつか眠りにつくことができたなら。
 その時に、会いましょう。夢の中で。







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