「そらにおもえば」右葉ごと  

 大学に入学し、私はサークルに入った。
 なぜか写真サークル。同じ高校の昌実ちゃんに誘われたからだ。
 なんとなく、そしていつの間にか2年目が過ぎ。
 しかし、2年も経つけれど、未だにメンバーがどのくらいいるのか把握できない
変なサークルだ。 
 真面目に写真を取る人たち、これが主な幹部さんたち。
 鉄道写真グループは、いないようで結構多い。よく部室で旅行計画を練っている。
 後のほとんどは、写真にかこつけて遊びに行くグループ。これが中心、一般的。
 暗室だけ使わせてねって何を撮っているのかさっぱり分からない人々もいらっしゃ
り。
 一口に写真サークルといっても、その中身は多岐に渡っている。要するに、写真を
撮るという共通項があればいいらしい。
 自分はといえば、なんとなくサークル部屋にたまり、なんとなく写真を取る、だら
だら組。遊び中心一般グループのはずれあたり。
 勉強したり。遊んだり。
 いろいろなことのあった大学生活。
 でも、この部室でだらだらする時間は、一番希薄とも言える何もない時間は。
 私にとって結構大きなものを占めていたと思う。今にして思えば。

 その日は、すばらしいお天気で。
 部室には、先客がいた。

 一人で部室に入る瞬間というのは、いつもドキリとする。
 (・・・知らない人しかいなかったら、どうしよう。)
 ・・・幼稚園生のようだ。あほだ。
 でも、そう思ってしまうのは、とめられない。習慣のようなものだ。
 ドアの前での一瞬の躊躇。
 今日は1限の始まる50分も前だから誰もいないと思っていたのに、ドアを開けると
椅子に腰掛けて本を読む人が一人。
 一澤。
 こんなに早く、なんでいる?
「・・・おはよ。」
 第一声を出すのに、何故か緊張する。声に緊張感が出ないように気をつけるけど。
 一澤なる人物。部室でいつも見るし知っているけど、それはお互い大きなサークルの
輪に入っているというだけで、そう、例えば共通の友達がおり、同じ部室の中で同じ話
題を聞き、同じ様に笑ったとしても、全然話したことのない人。そういうのって。
 どうしたらいいのでしょう。
 話しかけた方がいいのか・・・なんか物を取りに来ましたって風を装ってさっさと出
て行ってしまうか・・・。
 一澤は、「ん、はよ。」というと、また元読んでいた本に戻っていってしまう。
 どうしろっつーねん。ぐるぐると回る頭。
「一澤くん、早いね〜。」
「ん。」
 本を読む一澤。反応なし。しばらく様子を伺うが、なんか、もういいかなと思った。
 あんまり一澤が真剣に本読んでいたので。却って、かまわない方がいいかもと思って、
ちょっとほっとしたかもしれない。

 窓をあけて外を見る。
 高台にある大学。(だから延々の坂道を登らなくちゃいけないけど!)
 朝の澄んだ空気の中でなら、遠く遠くに富士山が見えた。

 大教室の後ろの席に座ってると、和ミンがやってきた。
「おはよ〜、和ミン。」
「やっほ〜。瑞ちゃん、どしたの早いね〜。」
 今日は朝から妙にいい天気だったのだ。たまたま早く目が覚めて、そうして青空が目
に飛び込んでくる。抜けるような青空とはこのことだと思う。そしてまた、朝の空気が
見せる景色というものは同じ景色でもいつもと全然ちがうものだから、ついすがすがし
い気持ちにさせられたのだ。そのまま朝の散歩としゃれ込んでしまい。
 というわけで、今日は妙に早く学校に到着。
 いつもだったらギリギリまで寝てる。
「そんな、いつも私がギリギリまで寝てるみたいじゃないか。」
「そのとおりでしょうに。」
 和ミンはけたけたと笑った。
 和ミンとはこのサークルで仲良くなった。昌実ちゃんと私と和ミンで3人組。でも昌
実ちゃんは、人見知りする私とは違って社交上手。あちこちに顔を出して遊び回ってい
るのだ。それだのに、なぜか昌実ちゃんは基本はこの3人組においているらしい。授業
に出るとか、ご飯食べるとか、なんかあると3人で行動する。
「昌実ちゃんは〜?」
「まだ来てない。」
「あー、まだ20分もあるからね〜。」
 見渡しても大教室の人影はまばらだった。まばらでもいるのが驚異。えらいなあとつ
くづく思う。講義棟が開く時間に立ち会うことなんて、もうないかもしれない。
 ・・・結局あの後、一澤は本を、私は部室の備え付けマンガを読み耽り。私は講義棟
の開く時間を待って、そのまま本の世界の一澤を残し、そそくさと出てきてしまったの
だった。だって、そのままそうしていて、誰かが来たら、どうするよ?早朝に部室で本
に読み耽る二人。なんなんでしょう。
 ・・・そういえば一澤。
 彼は、ちゃんと授業に出るのだろうか?
 いや、そもそも1限に授業があるのだろうか?というより何時からあそこにいたんだ
ろうか?
 謎だ。謎の一澤星人。
「瑞ちゃん、じゃ、後でね〜。」
 突然ぼーっとしてしまった私に、和ミンはひらひらと手を振ると、行ってしまった。
大教室の一番前の席へ。
 和ミンはなんというか、顔と言動に似合わず大人なのだ。
 一人でいても全然平気だし、自分の中に芯が通った人間だと思う。
 それが授業の受け方にもあらわれている。
 普通教室の席といったら後ろから埋まっていくもので、一番前の席を取ろうという人
なんていない。でも和ミンは一番前の席で背筋を伸ばして授業を受ける。
 それが和ミン。
 和ミンとは親友だし、昌実ちゃんよりも一緒にいる時間は長いだろう。
 でも例えば、和ミンにはテスト前にノートを借りたり、代返を頼んだりすることはで
きないと思う。それを頼んだら、もう和ミンと友達でいられないかもしれない。極端な
話。何故だか、そう思ってしまうのだ。
 一番前の和ミン。
 私はいつも教室の後ろから2番目くらいの端っこの席。そこから和ミンごしにノート
を取る。

 授業が始まって5分くらいたってから、昌実ちゃんが隣の席に滑り込んできた。しば
らくノートを取りながら、筆談したりし。それから、だんだんと睡魔が襲ってきて、最
後ノートを見返したら訳ワカラン。
 2限目は空きだったので暇つぶしに和ミンと部室に向かった。昌実ちゃんは別のサー
クルに顔だしに学生会館の方へ。多分うちの大学で一番たくさんあるだろうテニスサー
クルの一つ。その手のサークルは部室は貰えないので学食とか学生会館のロビーが溜ま
り場なのだ。 サークル棟に入り、部室のドアの前で一瞬、朝の躊躇がよみがえる。
 一澤。
 いるのか?まだ?
 いやまさか、しかしでも、たぶん、きっと。
 ドアの向こうには、案の定、朝の時そのままの一澤様が鎮座ましましていた。
「一澤、おはよ〜。」
 和ミンが声を掛ける。ああ、なんて自然な声掛け。
「ん、はよ〜。」
 朝と同じくの返事である。もしかして、有沢にとって相手が誰かというのは認識され
ていないのかも。
朝の人間が私だったと覚えているのだろうか。
 そのまま椅子に座り、部室のポットのお湯を使って紅茶を入れる。・・・自分たちの
分だけ。
 紅茶を飲みながら和ミンとくだらない話をしたり、昌実ちゃんから借りたノートを写
していたり。
 そうしながら、すごく気になっていた。
 一澤は。
 何の本を読んでいるのか。
 カバーがかかっていて、よく分からない。まわりの世界なんてありません。ってな感
じで一澤が読み耽っている本は、いったい何の本なんだろう。

 会話の合間に、ふと、窓の外を見る。
 目を凝らしても、霞む空に、もう富士山は見えなかった。