「うけとめるもの」 右葉ごと 98/10/25 17:42 「こちらでございます」 朱磁は、広々とした部屋に通された。豪華な部屋である。尋常でない金がかかっ ていることは、言わずとしれている。しかし朱磁が驚くことはなかった。仕事がら こうした屋敷への出入りは多い。むしろ目は肥えている。 「ふむ。金はかかっているが・・・」 「はい?」 「あ、いや。なんでもありません」 笑顔で返し、指図されるままに、腰をおろす。卓机の向こうにはこの屋敷の吏長 である蓬が腰をかけた。 「お話はもうお聞きのことと存じます。本日、朱磁様に来ていただきましたのは、 ほかでもありません。ええ、その・・・」 こほんと、蓬は咳払いをした。 「・・・出るようで」 「出る。」 「ええ、まあ、そのなんと言ったらよいのか」 蓬は、使用人でありながら気品と知識と分別とを兼ね備えた人物のようだった。 大家の吏長にふさわしい。その人物が、話しをするのに、とまどい、そしてなぜか 照れさえ見せている。朱磁は卓机ごしに蓬を眺め、そして、ひそかに微笑んだ。こ うした人物と話すのは好きだった。 「夜中に・・・物音がするんでございます」 「なるほど」 「覗いてみても誰もおりません。初めは気のせいかと思ったのですが、何度も何度 も続きます。しかも、かなりの物音で」 蓬は声をひそめながらも、しだいに早口になっていく。 「猫やら犬やらのたぐいが入り込んでいる気配はございません。もちろん鼠などと いうものが当家にいる筈はあり得ません。見張りも張り込ませましたが、何も捕ま えることはできませんでした。一体なんなのでございましょう。朱様。いまのとこ ろ実害はありませんが、私に説明がつかないものが当家にある、というのが正直、 我慢がならぬところでございまして」 蓬は一気にまくしたて、そして一息ついた。 「どうでしょう。朱様。・・・なにかおわかりになりませんか?」 朱磁はにっこりと笑った。 「まだ、なんとも言えません」 「は、そうでございます、ね」 蓬は汗を拭った。 「奥方様のお友達の晒様から、朱様は一流の祈祷師だと伺っております。どうぞよ ろしくお願いいたします」 ふかぶかと頭を下げる蓬を見やり、朱磁は少し目を細めた。 「祈祷師、とは少し違うのですがね」 「は?」 「いえ。・・・すこし見せてもらってもいいですか?」 返事を聞く前に朱磁は立ち上がり、部屋をぐるりと静かにひとまわりした。なん と言うこともない、普通の客間。いや、豪華ではあったが。 部屋の中央でしばらくの間、目を閉じる。 見守る蓬の視線の中、朱磁は一脚の椅子に導かれていった。 椅子を見つめ、そして身を返すと腰をかける。実に優雅に。蓬はその姿にしばし 見とれた。目を閉じ、椅子に腰掛ける朱磁の姿は、まるで一枚の絵のようだった。 しばらくして朱磁は目を開け、そして唇をひらく。 歌が、紡ぎだされる。その唇から。 歌にあわせて部屋の至るところから音が奏でられる。卓机は卓机の音を。飾り棚 は飾り棚の音を、硝子は硝子の音を。蓬は蓬の音を。絨毯は絨毯の音を。 椅子は朱磁の体をうけとめ、そして、音をもうけとめる。うけとめるものの中で、 音は一つにまとまり、うつくしい音楽を奏でるのだ。 椅子は、そう。うけとめるもの。 「で、どうなったんだ?」 「うん。もうあの家で、原因不明の音はしないだろうね」 朱磁はお茶を飲みながら答える。 空になった器に、すかさず琥珀の液体をそそぎ込んでくれる。李は朱家の吏長だ。 同じ吏長である蓬とは大違いだ。口の悪い、お調子者の吏長。こんな吏長は他にい ないだろう。 「何が原因だったんだ?お前、分かっているんだろう」 「うん。多分ね。さみしかったんじゃないかな」 「誰が?」 「椅子が」 いたずらっぽい顔で、朱磁は微笑んだ。 「ふーん」 分かったのか、分からないのか、李は曖昧な言葉を返した。 「聞きたい?」 「聞きたいって、何?」 「うん」 朱磁は笑う。それで通じる。 「聞けるのか?それ」 「聞けるよ。この中に入っているもの」 言いながら、朱磁は自分の体を指した。 椅子はうけとめるもの。そして朱磁もうけとめるもの。 「それが私の方法だから、ね」 まつげをふせ、朱磁はつぶやく。 様々なものの、様々な悩み、不満、願い、おもい、思い、想い。うけとめたそれ らは朱磁の中で渦巻いている。朱磁は器だ。うけとめ、おさめ、なだめ、なぐさめ る。祈祷師なるものとは、根本的に違う。それを何というのか、朱磁は知らない。 けれど、それが、朱磁の、やり方。 「聞く?」 「うん」 「いいよ。その代わり」 笑った朱磁の顔は美しかった。 「肩をもんでくれないか?」 「・・・仕方ないな」 苦笑する李の手を取り、みずからの額にあてる。 二人はしばし、音楽に聞き入った。 <了> |