「図書館 〜扉〜」右葉ごと 01/01/28 18:31 −−図書館は私の心の友−−− Josie Cater−−− 図書館に流れる、あの独特のにおいというのは、なんだろうか。 同じく本の溢れる本屋にはない。 図書館にしかない、あのにおい。 紙のにおいなのか。 いや、それだけではない。 もしそうなのなら、「それ」は本屋にもある筈だ。 図書館にだけ。 あの静謐な雰囲気の中に流れているもの。 それは、いったい何なのだろう。 帰省し、必ず一度はふらりと寄ってしまう場所の一つに、図書館がある。 自転車で15分ほどの所にある、さほど大きくはない図書館。本を読むこと が好きなので、帰省中のふと空いた時間をうめるために、何冊か本を借りたり する。といっても自分自身のカードは今や期限切れなので、父親のカードを使 ったりする。父には内緒のことだ。 父のカードをこっそりと使う。なぜだかその行為に、普段反発してばかりの 父とのつながりを、ちょっとだけ感じている。これまた誰にも内緒のこと。 手書きの図書カードを使っていたのは、あれは一体いつ頃までだったろうか。 記憶にあるのは、高校か、大学の初めくらい。そのときはまだ本が借りられる のは2冊くらいまでだった気がする。今は10冊まで借りられて、それはうれ しいかぎりだ。 この図書館は、手書きのカードでは、借りたことがない。つまり幼い頃から 通っていたわけではない。けれど、私にとってはとても大切な場所だ。 浪人時代。大学の論文書き。そしてただ、本を読むという行為。 ここで人と関わったことは全くない。ただ本とだけのつきあいだ。それなの に、ここまでここが心の中のひどく穏やかな場所に位置されているというのは、 大事な場所だと認識されているというのは、一体どうしてだろう。 あるいは本当はそれはさみしいことなのかもしれないけれど。 本を探して本棚の合間を歩く。「あ」から順番に歩いていく、いつもの方式。 目当ての本は何もない。ただおもしろそうな本を探して歩く。好きな本は、 大体が推理小説の類だ。たぶん、するりと謎がとけていく、そのスッキリ感が いいのだろう。本を読むからには幸せな気分で終わりたいと思う。だからハッ ピーエンドがいい。 人との出会いもあるように、本とも出会いがあるような気がする。 その出会いを求め、「あ」から背表紙をたどる。 大体がまず題名にひかれ、作者にひかれ、ジャンルにひかれ、手にとってパ ラパラとめくり、そして借りることとなる。 出会いを求め、「あ」から順番に歩いていく。いつもの方式。 久しぶりの図書館で、いつもの方式はなかなか上手くいかない。勘がにぶる というのだろうか、こういうの。 例えばパチンコ狂いの、ある友人の顔を思い浮かべる。当たりを出すのには、 打とうが打つまいが毎日通って台を見なくてはならないと聞く。 こうして本棚をゆっくりと歩いていても、良さそうな本を見つける勘が、久 しぶりだと上手く働かない。本の位置が前とは微妙に違っている。読んだ本が どれだったか、曖昧になっていく。本の題名が目に飛び込んで来てくれない。 あるいは勘がにぶるというよりも、もうこの図書館には私の出会うべき本が 残り少なくなっているということなのだろうか。でもそうは思いたくはない。 さほど大きい図書館ではないけれど、本の量は沢山ある。私は全部の本を読ん でいるわけではない。まだ見ぬ本の中に、私が夢中になれる本があるに違いな い。あって欲しいと思う。 ページをめくりはじめ、目は文章を追う。 だんだんとめくる速度がはやくなり、結末が知りたくて、知りたくて、たま らなくなる。飛ばして読んでしまいたい衝動をおさえて、一気に読み進めてし まう。 インターバルを取ることなどできない。誰かに声を掛けられていることも分 からないくらい、本に夢中で取り組んでしまう。ひきこまれてしまう。本の世 界に。読んだ後も本の世界にとらわれ続ける。 そんな本に出会えたら、とても、とても幸福だと思う。 「な」行まで進み、何冊かの本を手にとった。10冊借りることができるの だから、当たり外れはあるだろうけれども、とりあえず興味のありそうな本を 手にとる。たぶん、今までの経験からいえば、何冊かは期限切れで読まずに返 すことにはなるかもしれないが、それでも何故だろう。読む前の本には必ず、 淡い期待感がもれなくついてくる。読んでしまう前の期待感のほうがきらきら と輝いていることの方が多いかもしれない。読み初めて数ページで消えていっ てしまう、あわい光り。 少し疲れた。本棚の合間に置いてある椅子に腰掛けて、少し休もう。 椅子に腰掛けて回りをぼんやりと眺めてみる。本を手にとり、パラパラとめ くってみたりする。天井が高い。低い位置から本棚がずらりと立ち並んだ光景 を見つめた。この位置が好きだ。本棚の合間に人がちらほらと見える。行き交 う人は言葉を交わしたりはしない。家族や友達で来ている人たちもいるが、会 話はひそやかに。人は多いのに、存在が気にならない。 つまり、ここは本と対話をするところだから。 図書館が迷宮になっていたり、図書館から別世界に紛れこんだり、そんな小 説をいくつか読んだ気がするけれど、それは本当に納得できる。たとえば、ど こまでも本が続く迷宮がこの地下や、どこかの扉から通じているような気がし てならない。そしてここからいなくなっても、きっと誰も気づかない。もしも 消息不明になるのなら、図書館で消えてしまいたい。 本棚の合間をぐるぐると巡りながら、ふと気づくと人影が消えている。窓も なにもない、ただ本だけが続くそんな空間に、いつの間にか紛れ込んでいる。 私はぐるぐると歩き続ける。 なんだか水族館を泳ぐ魚になった気分。そのうち、本棚の向こう側に、本の 隙間に何かを探し求めて歩くだろう。何かってなんだろう。探すのはきっと本 ではない。本がこんなにも沢山あるのに、探すのは本ではないなんて。 そしてやがて階段があらわれ、登っていくとそこには見覚えのある風景があ る。いつもの図書館に戻っている。けれど、そこは元の世界? 一歩、外に足を踏み出してみれば、そこは全く違う世界かもしれない。始ま っていくかもしれない、新しい物語。 なんてね。 再び本棚の合間を巡り始める。 あと三冊。 どれにしようか、一冊戻しては別の物に手をのばし。結構真剣に選んでしま うのだ。結局全部読めるとも思えないのに。 手に取る一冊の本。本の扉をそっとめくる。めくるめく本の世界。 そうだ。言ってみれば真実、図書館は迷宮の扉と言えるかもしれない。本の 表紙を開き、そして読むという行為を通して私たちはまさに別の世界を知るこ とができるのだから。けれど本はあくまで扉にすぎず、そこから別世界に紛れ こむことができるかどうかには、様々な条件が必要になってくるのが問題だ。 条件。たとえば読む人の興味関心やら想像力や集中力や、そういった類の。最 近の私から失せていくもの。最近本に入っていけない自分を感じる。本を持続 して読むことがつらい。それが、ちょっとつらい。 本当に図書館に迷宮があって、そこに紛れることができればいいと思う。リ アルな体験には、想像力も集中力も好奇心も何もなくても、其処にいる人を参 加させてしまう、有無を言わさず引きずり込む力があるから。 でも、ない。 できるのは、本棚の合間を歩くこと。何冊もある本の中から、探し出すこと。 そして想像すること。 「6日までに返してくださいね。」 「はい。」 父のカードを差し出し、しかし男性の名前なのに何も言われず無事に10冊 借り出す。 果たして何冊の本を読みきり、その中で充実した時間を過ごすことができる だろうか。わからない。借りてページをめくっただけで、終わってしまう本も あるだろう。それでも本を借りることがやめられない。本当に夢中になれる、 本が与えてくれる時間を知っているから。 ある意味、本当に迷路に紛れることと同じくらい、すごいことなのかもしれ ない。そんな本との時間。 「ウィーン」 自動ドアが開く。 10冊の本をバックに入れて、私は図書館を後にした。 おしまい |