「Evil and Flowers」 右葉ごと 船は、真っ暗な空間を音もたてずに進んでいた。CR4-10は計算を続ける。航行 は順調。あと1ヶ月もすれば船は予定通りセントラルに入港する。何も危惧はない、 順調な航海。 ブリッジから通信が入った。 「テンー?お茶持ってきてくれ〜。」 「はい船長。」 船長の持ち込みで、この船には各種のお茶がそろっている。船の航行に必要なあら ゆる知識がインプットされているCR4-10が、この船に乗って初めての知識を仕入 れたが、それは、おいしいお茶の入れ方だった。今日はアールグレイにしてみる。 お茶を入れ、ブリッジに行くと、船長はだらしなく椅子に腰掛けていた。ずり落ち ていたと言った方がいいかもしれない。 「船長。お茶です。」 「おお、ありがとさん。」 船長は嬉しそうにお茶に手を伸ばした。 「ま、おまえさんも座って、飲んでいきねえ。」 「はい。」 船長と二人で、ブリッジでお茶をすする。何度となく行われている風景。客観的に 見て、なんだか奇妙である。きっと普通の船では行われるはずがない光景だからだ。 普通、船長とタイプCが一緒にお茶をすするなんてことは、ない。 「ヒマだ。」 船長は大あくびで涙を流した。 「テン、ヒマだよう。」 「はい。そうですね。交代まで、あと1週間の辛抱です。」 CR4-10は、これまた何度目かになるか分からない返事を繰り返した。 航行中の船。他のクルーや乗客はコールドスリープしている。この船長は今の『船 長』であるが、正式な船長は今は寝ている。2週間毎に行われる『船長』つまり船番 の交代。オートで運行されている船だが、何かあったときの為に最低一人は起きてい なくてはならないのだ。(船の規模により、この人数は変わるが。)数世紀前と違 い、今のオートドライブは完璧で、本当は人間なんて必要ないくらいだ。 睡眠の必 要のないタイプCも随時起きている為、船長も起きているといってもコールドスリー プに入っていないだけで、定時のチェック以外は惰眠をむさぼったり、趣味の世界に 入っていたり、様々に過ごしている。 航海のど真ん中で起きていなくてはならないこの船長は、『船長』たちの中で一番 下っ端だ。けれど、こんな楽そうに見える『船長』も判断能力の高い選ばれた者しか なれないと聞く。この航路は海軍の巡航地域で全く安全そのものだが、一端外洋に出 ると、何が起こるか分からないからだ。様々な場面に対処できる訓練をパスしなくて は、『船長』にはなれない。そんな『船長』に若くしてなれるのだから、この船長は 相当能力が高いのだろう。 しかし。この船長は変わり者だと、つくづくCR4-10は思うのだ。 たとえば、タイプCとほのぼのお茶を飲んでしまうくらいに。 「こうヒマだとさ。何か事件でも起きればいいって気にもなってくるね。」 「そうですか?」 「そう。たとえば海賊が来るとか。エイリアンが乗っているとか。幽霊船を見かける とか〜。」 「そんなことが起こる確率は、このX898航路にはあり得ません。」 「わかってるよ。でも幽霊船とかだったら、わからないだろ。それか船が急にぶっこ われたりコンピューターがくるっちまったり進路が急に変わるとか。」 「そんな。進路が狂うことはありえません。」 「わからないぜ。」 船長は急に真顔になった。 「たとえば俺が」 つうっと人差し指を上げる。 「これで、オートを解除する。」 コードパネルに指を伸ばす。 そして、話し続ける。 静かに、静かにコードパネルをなぞりながら。 なぜかCR4-10は、その指先から目がそらせなくなった。 「たとえば、そのまま船の行き先を変える。そしてたとえば、お前の制止をふりき り、ここをめちゃくちゃにしたら・・・。」 「しかし、そのようなことをしても、船長には何もメリットはありません。それに、 私は船長を制止できる能力があります。」 「うん。・・・そうだな。」 船長は微笑んだ。CR4-10に分からないほほえみ方だった。いつもの彼の笑顔で はない。過去のパターンにはない。何を考えているのか、分からない、笑み。CR 4-10は、その笑顔を、どうしても解析しなくてはという気持ちになった。 分からない、未知のものがあると解析したくなる。それは自分に予めそうプログラ ムされたものなのか、そうでないのかはCR4-10には分からない。当てはまらなく てはならないものが、当てはまらない。はまるはずのピースが見つからない。計算し きれないものがある。納得のいかない、説明のつかない、いらだち。人間の言う不安 ・・・というのが一番当てはまる気持ちなのかもしれない。その不安をなくすため に、船長の表情の裏を、気持ちを知りたくなる。とても。 「なぜそう思うのですか?退屈でもトラブルがあるより、ずっといいではありません か。退屈な生活を平和と呼ぶのでは?」 「まあね。」 船長は、顔を背けて、窓の外に広がる闇を見つけた。 「でも、こんな闇をみているとさ。吸い込まれたくなったりしないか?」 船長の横顔は無表情だった。彼の瞳は宇宙の闇にはりついたまま。漆黒の闇からは 何の感情も伝わってこない。 「・・・どういうことでしょうか。」 「わからないか?」 「ええ。」 「たとえば、コールドスリープの電源をいきなり切ってしまいたくなったり。」 「ロックがかかっています。それに万が一供給自体がとまっても予備電源がありま す。」 「俺の紅茶に毒を入れてみたくなるとかさ。」 「そのような物は、この船にはないです。」 「ハッチのボタンを押したら、どうなるだろうと想像してみたり。」 「・・・。」 「ふらっとステーションのホームから落ちたくなる。人が傷つく言葉を分かってい て、あえて言ってみたくなったりする・・・。」 「・・・。」 「そういうのは、テンはないのかな?魔がさすっていうのか。吸い込まれる瞬間って のがさ。」 CR4-10は考えた。吸い込まれる瞬間?何に・・・。 「人間の心にはそういうのがあるんだよ。テンにもいつかは訪れるかもしれない な。」 「そう・・・でしょうか。」 タイプCの人権が認められて50年になる。製造以来、様々な問題がおこり、さん ざん取り沙汰された末に最低限の人権は認められた。それは人道上の問題からではな い。そうしないとタイプCがらみの犯罪が激化していく一方だったのだ。人間と同じ 機能。もしくは改造によってそれ以上の能力を持つ物体に、善悪の判断、個性、人権 を持たせることにより、犯罪に利用されることをふせいだのだ。 だから人権が与えられたことがイコール『心』が認められたことにはならない。 『心』の概念は誰にもつかめない。誰にも。本当の『心』とは、何なのだろう。 「船長は・・・。」 「ん?」 「いえ、なんでもありません。」 船長は、なぜこんな話題を自分にふるのだろうと思った。人権はあるとはいえ、タ イプCは機械として差別的に扱われることがほとんどだ。そんな中で、この船長は、 多分何も考えずに自分と相対しようとする珍しい存在だった。だけど、どうして、こ んな時に、何の意図でこんな話を自分にふるのだろうか。 なぜかCR4-10は突然、考えることを止めたくなった。 船長は自分を人間として扱っているのか、機械としてとらえていたのか。 自分は自分をどうとらえていけば、いいのか。 自分の発する発言。思考。判断。それらはすべて、プログラミングによるものなの だろうか。 船長の言う『吸い込まれる』瞬間は過去にあったのだろうか、これからくるのだろ うか。 自分とは、つまり、いったい、なんなのだろう。 すべてに答えは出ない。計算しても突き詰められない。 答えの出ない、それらを突き詰めていくことは、そのまま自我の崩壊へとつながる ようにも感じられた。 「・・・。」 黙ってしまったCR4-10を見つめて、船長は困ったように微笑んだ。 「ごめんな。変なことを言った。」 そして、CR4-10の髪をぐちゃぐちゃにした。子供にするように。 いつもの船長に戻ったようだった。 見覚えのある笑顔。でもそれでCR4-10は安堵はできなかった。CR4-10の頭の 中は戻らない。考えはストップさせたまま。でも何かが残っている。 「テン、お茶入れるの、うまくなったな。」 「・・・ありがとうございます。」 「お代わり入れてくれるか。」 「・・・はい。」 くるりと背を向けて、CR4-10はブリッジを出た。 戻ってCR4-10は、お湯を沸かす。お茶を入れる、ただそれだけを考えることに した。ただそれだけを。 準備していると、ブリッジから通信が入った。 「テン〜。」 「はい。」 「今度はミルクティーにしてくれ。あとおやつ〜。腹減った。」 「はい。」 「・・・待ってる。一緒に食べよう。」 「・・・はい。」 通信は切れて、しばらく静けさがあたりを漂った。お湯が沸く音だけが聞こえてく る。 CR4-10はお茶を入れることを再開する。 今度はアッサムにしよう。その方がミルクティーには合うだろう。 缶を手にとったCR4-10の唇が、少しだけ、ほんの一瞬だけほころんだ。 見ているものはいない、観客のいない、意図のない、笑み。 それは、本当に、一瞬だけの、優しい表情だった。 船は、真っ暗な空間を音もたてずに進んでいた。 乗る者が皆、何に吸い込まれていくのか。誰も知らない。 <FIN> |