「在るところ」  右葉ごと  98/10/03 00:07

どこまでも、どこまでも、沈んでいく。
とうめいな水の中を。
どこまでも。
底は見えない。
当然だ。私は上を向いて沈んでいくのだから。
でも、不思議と怖くはないのだ。
空に。
登っていくほうが、怖いと思う。
とうめいな水の中をどこまでも沈んでいくのだ。
水のきらめきが私の目で、輝いている。
とても、とても、すみきっている。
水は空気よりも、やさしく私を包み込んでいる。
じわじわと、包み込んでいく。
髪を水がやさしくなでる。
そして、沈んでいく。どこまでも。
どこまでも、沈んでいくのだ。
だんだんと、水はねっとりとからみついてくる。あたたかくなってくる。
光は届かなくなる。
水に、私自身が解けていくの?
光は届かなくなる。
暗くなるとは感じない。視覚さえも水に解けていくだけだ。
このまま沈んでいく。どこへいくの?
どこにいくという感覚も解けていってしまう。

手が。
手がのびている。目の前に。
もう、見えるはずもない。
けれど。
さしのべられた手は、つかむためにある。
当然つかむために、つかむためだけに、そこにあるもの。
私はなんの疑問もなく、すっとその手に私の手をすべりこませた。

さぶん。
水の皮膜を私は破る。
光が私を包む。風が、通り過ぎる。匂いが、音が、私に押し寄せる。
私は自分をささえるために、さしのべられた手に、しがみついた。
静かに見つめられる。
見つめられたその目に、せき込むように訪ねた。
「まだ、登るの?」
空へ。
空へ?
その人は、首を振った。ゆっくりと。
「登らないよ。そして沈みもしないんだ。」
そして、ゆっくりと手を離した。
私は、こわごわと、立ってみた。
自分の足で。
自分の力で。

風が。高いところを通り過ぎていった。
私の在るところは地上。


            了