「よあらし」右葉ごと 07/1/08 関響は、眠れずにいた。 外はひどい嵐だった。寝床に潜っていても、風の音が酷い。 虎落笛とでもいうのだろうか。 ぴゅーぴゅーと何かが苦しんで、喉から絞り出すような音が、聞こえてくる。いや、 聞こえてくるというのでもない。取り巻いているのだ。今は世がすべて、この音で浸さ れている。 初めの内は、李さんに怒られる・・・と思いながらも、夜が更けるのもかまわずに明 かりを消さず、本を読んでみた。 読んだのは、昔の史実を下敷きにした物語。厨房の加が貸してくれたものだ。 しかし読んでいるうちに、何かざわざわと心を廻るものがある。 物語の中で人死にがでる。そんな場面が出るたびに、胸騒ぎのようなものがわき起こ る。不吉な予感までとは言わないが、何かが起こりそうで起こらない。ざわざわと、そ こはかとなく、不安が増していく。 関響は本を閉じた。 本を閉じて、明かりをふっと吹き消して、寝床の中に身を潜めた。 しかし目を閉じても眠れるものではない。 いつまでたっても収まらない、嵐。 たまりかねて身を起こし、再び明かりを貰いに行こうかとするが、寝床を出て行くこ とに、とてつもない不安感がわき上がった。 先ほど本を読んでいたときに感じた胸騒ぎ。 本の中に人死にが出ただけで感じた不安。それが不吉な予感というものだったら。 この胸の不安が、どこかで顕在化してしまったらどうしよう。こんな嵐の夜に、人死 の出る本を読むなんて。その不吉な行為のせいで、どこかで何かが起こったら。そんな 不安が、これから関響が行うすべてのことにつきまとうような気がしてしまう。寝床か ら腕を一本出す。そのことだけでも、闇の中の何かを突き動かして、波紋のように広が って何かを引き起こしてしまうような恐れを感じたのだ。 荒れ狂う嵐の中に、うずまいている不安感に取り囲まれて、関響は身動きがとれなく なった。目を閉じて、でもどうしようもない。 音を必死で聞かないようにして、早く眠れるように身を凝めた。 しかし眠りに沈むことはできない。風の悲鳴も止むことはない。 永遠に続くかと思われる時間だったが、そこへ、ぽんと布団をたたく者があり、関響 は恐ろしさのあまり、声もたてられず固まった。 「関響、響よ。大丈夫か」 その声でやっと身がゆるむ。関響が使える主人、朱家の当主、朱磁だった。 「朱磁様」 「ひどい嵐だな。眠れないだろう」 「はい、音が酷くてなかなか」 朱磁は、明かりをわきの卓机に置くと、関響の寝台に、そっと腰を掛けた。身を起こ そうとする関響をそっと押しとどめ、頭をぽんぽんとたたく。 「音だけではないのさ」 朱磁は見上げる関響に、そっとほほえみかける。 「こんな嵐だろう。都のあらゆる所に風が、吹き荒れているだろう。すべてをかき回す のさ。いろんなところに凝んでいた、いろんな思い。いい思いも、悪い思いも。きれい な思いも、汚い思いも。形になりきれなかったものや、隠れていたものが、強い風で全 部さらわれて、混じってあちこちにぶつかりながら悲鳴を上げている」 朱磁は祈祷師だった。ただの嵐をそんな風に語って聞かせるのは、ほんとうに朱磁が そんな気配を感じているのか、それとも関響をなだめるためにそんな例えをしているの か。しかし関響は素直に主人の言うことを受け止める。 「だから、あの風の音を聴いていると、不安になるのでしょうか」 「そうだね。嵐の風は閉ざされたものの中に入り込みたいのさ。お前の中にも入り込ん で、お前の思いもさらっていってしまいたい。だからお前の不安を誘う。でもね、関響。 大丈夫さ。お前は家の中にいるのだし、風は入ってこない。いくら不安になっても、嵐 はお前をさらわないよ。安心して休むがいい」 「でも、朱磁様。さっきから寝ようとしても、ぜんぜん眠れないんです」 「眠れなくてもいいから目をつぶって、じっと横になっていればいい。それが一番安心 だ。この家の中の闇も、寝床の中の闇も、それはお前を守るものだ。この中にいる限り、 誰もお前に手は出せない。そうお前が思うことができたなら、外の嵐はただの嵐だ。お 前の不安をあおり立て、お前の中に入って、お前の思いをさらっていくのはあきらめる。 安心して、夢と現の境目を感じていればよい」 「夢と現・・・ですか」 「そうさ。目を瞑って休めば、頭は起きていても体は眠るのだよ。体は眠り頭は現に残 る。お前は夢に漂わず、己の記憶を漂うだろう。感じるのは、闇だけだ。でも、その時 にお前が感じる闇は、恐ろしいものではない。お前を鎮めるものだ。だから怖がらなく てもいいのだよ。安心して身をゆだねればいい」 「はい、朱磁様」 「さあ、関響、目を瞑れ」 実のところは、関響は朱磁のいうことは半分も分からない。けれど朱磁の穏やかな笑 顔で大丈夫と言われたら、大丈夫なのだと思うしかない。関響は目を瞑った。しかしや はり眠りはやってこない。なんとしても、朱磁が横にいるのである。落ち着かない。関 響は再び目を開けた。 「朱磁様。・・・朱磁様はどうして起きてらっしゃったのですか」 「うん。私も眠れないから中庭を見に行っておったのだ」 「けれど、朱磁様。私には、眠れなくとも、そのまま目を瞑れとおっしゃったのに」 ご自分は歩き回っていいのですか。不服そうに言う関響に、朱磁は小さく笑ってつぶ やいた。 「・・・まあ、世の中にはね。嵐にさらわれたいと願う人もいるのだよ」 そういいながら、外に視線をやった朱磁がはっと息を飲んだ。窓に人影が映っている。 人影の主は、いつからかいたのだろうか。部屋の入り口に佇む、朱家の吏長。 「李さん!」 関響は、思わず飛び起きた。しかし李の表情を見、そのまま凍り付く。眉間にしわを 寄せた李は、氷のような声を発する。 「今、何時だと思っている?」 「え、ええと・・・」 「てて、手洗いだ。手洗いに起きた」 あわてて朱磁が答える。ところで朱磁は朱家の当主である。そして李は、朱家の吏長 だ。吏長は召使いの長であり、その家の執務のすべてを司る者だが、当然当主の方が偉 いはずだ。しかしながら朱家の吏長は特殊だった。主人の朱磁にもずけずけと物を言う。 叱りとばす。雷を落とす。いつのころからそうなのか。どうして朱磁はそれを許してい るのか。関響には全く二人の間柄が読めない。読めないが、もう疑問に思うこともなく なった。なにしろ日常茶飯事なのである。当主は吏長にまったく頭が上がらない。朱家 ではそれが当たり前。 そんな、当主よりえらい鬼の吏長は、目をすがめて二人を眺めた。 「ほーう。手洗いにねぇ」 その視線とその口調に、先ほどの得体の知れない不安感とは全く違う、形のある怖さ が関響をおそう。しかしその怖さとはなんと楽しく温かいのだろう。 李はずかずかと歩み寄り、朱磁の首根っこをつまみあげた。 「まったく、夜中に歩き回るなんざ・・・お前、中庭って、外に出ただろ」 「えっ。なんで」 「服が湿ってるぞ・・・だいたい、そもそも、お前は仮にも」 「あーもう、わかったわかったから」 わめく朱磁を引きずりながら、部屋を出しなに李は関響を振り返った。 「響よ。眠れないなら、俺が添い寝をしてやるが」 「いーえ!!大丈夫です!!!!」 にやり。世にも恐ろしい笑顔を残し、李は朱磁をつれて去っていく。 しばらく廊下に話し声が響き、遠ざかり、やがてまた風の音だけが残った。 関響は、残された明かりをふっと吹き消す。 また闇に浸される。 外は嵐。 寝床に身を横たえ、そして目を閉じる。 吹き荒れ、荒ぶ、すべてのものが、早く己のいるべきところに戻れますように。 <了> |