楊万里(五五三〜六〇四) 字は廷秀、号は誠斎野客。二四歳で進士に及第した。 長く地方官を勤め、一時中央に呼び戻されて東宮侍読から宝謨閣学士に至ったが、 あまりに誠実な性格のため再び地方に転出させられた。 詩をよくし清新淡雅の風格で、南宋四大家のひとりとされる。初入淮河(初めて淮河に入る)
中原父老莫空談 中原の父老 空しく談ずる莫れ 逢着王人訴不堪 王人に逢着して 堪えざるを訴うる。 却是歸鴻不能語 却って是れ 帰鴻は語る能わざるも、 一年一度至江南 一年に一度 江南に至る。 中原のお年寄りたちよ、何を言っても無駄なのです。 天子様の使者に出遭うと、辛くてやり切れぬと訴えるけれど。 そこへいくとあの雁は物こそ言えないが、一年に一度は江南に帰れるではないか。