鳥籠姫

 

此れは、この世界とよく似た、この世界よりも不思議な物に溢れた世界の、昔々の物語。
とある画家と彼の愛した一羽の鳥の、はなし。

其の世界では、其の頃、魔法の技で作られた美しい「鳥」が持て囃されていた。
其れは只の鳥ではなく、人の姿に鳥の翼、聞く者を魅了する甘い歌声を持つ世にも美しい生き物だった。其の存在は愛玩物として多くの人に求められた。けれど、彼らが生きる為に必要な食物は非常に高価であったので、其れが叶ったのは大金持ちの有閑階級くらいのものだった。
 この為か、天使の如く美しい声と形をもつ「鳥」たちは、憧れと畏れ、それから嫉妬と蔑みを込めて、こう呼ばれていた。妖鳥(ハルピュイア)と。

 其の世界の西涯ての国には、海を臨む美しい都があった。
星のような灯火が、夜には無数に地を彩るこの街は、この大陸の文化の中心であり、芸術の都市であった。
アスタリアという其の名前は、この地で育まれた多くの芸術家、音楽家の名前、作品と共に広く世界に知られていた。
 そんなアスタリアの外れ、栄華の輝きの影のようにひっそりと在る裏通り。
其の一角の如何わしく怪しい店の軒が連なる中に、東西から流れてきた出所も知れぬものを、生物物品問わず商う店があった。
 都で流行りの月光を集めた洋燈など無く、油を燃した安っぽい明かりが照らす暗い店内は、お世辞にも清潔とは言えぬもの。
そんな店の奥に設えられた大きな鳥籠には、一羽の妖鳥が繋がれていた。

 名前はサングローズと言う。
勿論、自身で考えたり親に貰った名前などではなく、最初の主人(あるじ)が、「鳥」の血潮めいた紅玉(ルビィ)の双瞳と薔薇色の華やかな翼の色からつけたものだった。
尤も、サングローズは其の主人の他にも、数を忘れる程、何人もの主人に入れ替わり立ち代り飼われて居たので、其の度、まるで異なる名前を与えられていたのだけれど。
そんな無数の名前たちの中で一番気に入っているのはこの名前だったので、「鳥」は、自らの本当の名前はサングローズなのだとそう思っていた。

このサングローズと言う名前の「鳥」は、妖鳥のなかでも大層な変り種だった。
普通、妖鳥というのは、己で思考する事は殆ど無く、物事を忘れやすく、頭の弱い生き物として作られている。
人に媚びることを何より得意として、臆病で大人しく、主人に従順なのが常であった。けれど、サングローズの性質は、此れとは真逆に出来ていた。
姿かたち、声にも妖鳥としての欠損は無い。だが、中身は気紛れで、その癖ひどく頑固な所があり、よく回る頭と記憶力、皮肉を好む性質を備えていた。

 其の為、この「鳥」は、店の店主が客の前でどんなに促しても、気の向かぬ時には一切口を開こうとはしなかった。
東の国の伝説にある迦陵頻伽(かりょうびんが)もかくやという妙なる声を持ちながら、気難しい妖鳥は、意に沿う其の時だけしか、天上の楽のような歌を奏でることをしようとしなかった。其れは、他の妖鳥の声が色褪せて聞こえる程の素晴らしいものだったので、もしも普通の「鳥」らしい性質を備えていたならどんなにか高値で売れただろうと、店主を悔しがらせるのだった。
 斯様に厄介な「鳥」だったので、中々新たな飼い手はつかず、サングローズは店の隅、埃を被るようにうらぶれて日々を過ごしていた。

実のところ、サングローズは、何人も何人も、この「鳥」の人より優れた記憶力でも忘れるくらいに数多くの主人の間を点々とするような生活に嫌気が差していたのだった。
金持ちや好事家は最初はどんなに目をかけて可愛がってきても、やがては飽きて他に売り渡してしまうから。
放り出されて飢え死にさせられたり、遊び半分に嬲り殺されるよりは遥かにマシだったけれど、気分の良いものではなかった。
さりとて、自分が人間たちの下を逃げ出して生きて行ける程に、強い生き物でないことを、妖鳥は本能で悟っていた。
だから、こうして店主を煩わせ、客を寄り付かなくさせるのが、「鳥」に出来る唯一の運命への抵抗だった。
人から人へでなく、裏通りの店に売り下げられた事を、サングローズは好機だと思っていた。
妖鳥は創られたときに自殺など出来ないように本能に深く刷り込まれている。
だが、人の手で食餌を与えられなければ流石にやがて、枯れて死ぬ。此処では妖鳥たちが本来食餌とする高価な花も蜜も食する事は出来ない。
少しずつ痩せていく身体、緩やかに迫る死。其れを自覚してもなお、サングローズは恐ろしいと感じることはなかった。
生きているものは皆、死を恐れるもの。だけれど初めから生きていないなら。死は恐れるべきものだろうか、と。
サングローズにとって生まれながらに鎖に囚われ自由に飛ぶことも出来ない妖鳥という生き物は、死んでいるのと同じように見えていたのだった。
だからこそこんな、愚かとも言えるだろう選択を、諾々と選び取ることにしたのである。
其れが唯一の開放ではないかと、信じて。

重く垂れ込める大理石色の雲天から、しとどに細い霧雨が降る日。午后の事だった。
サングローズは機嫌よく、何時かにラヂオから流れているのを聞いた、古びた映画の主題歌など口ずさんでいた。
安っぽい恋歌。忘れられやすいけれど、何処か好まれる其れを。
今日は朝から店の主は買い付けに出かけて留守にしていた。だから、今日は無理に客と会わされることもなく、「鳥」は至って平和な時間、貴重なときを楽しんでいた。
歌に飽いたら籠の外ひっそり抜け出して、其処彼処に転がるガラクタたちを弄るのもいいし、
店主の読み止しの新聞、薄い雑誌の類に目を通すのも面白い、等とそんなことを考える。全て、店の主がいないからこそ出来る楽しみだった。
鳥籠の鍵は到って単純な造り。すこし構造を解かってさえいれば簡単に外せるものだった。
手先が以下に人と同じで器用とはいえ、店主は其処までの知恵が妖鳥如きにあるとは思ってもいない。
店の外の扉の鍵は商売柄やはり頑丈で複雑だけれど、彼は鳥籠にまでは気を使って居ないのだ。其のことが幸いだった。
籠の中にいるのは他にいけないから。唯、それだけに過ぎない。
店主の居ない時、店のなかをうろついて回るのは、サングローズにとって密やかな楽しみだった。籠の中は余りにもする事が無く、退屈なので。

珍しく先のたのしい事について考えていた時、ふと鳥籠の直ぐ傍、格子のかかった窓向こうから視線を感じて「鳥」は訝しげに外を向いた。
見れば、紺青の傘を差した黒髪の青年が、此方に目を向けているのが解かった。
サングローズには、彼に覚えがあった。よく店を覗きに来る青年で、店主が確か話のなかで画家の卵だとか言っていたように記憶している。
来る度、此方をよく見ているから印象が残っていたのだ。正確には其の目の色を、だけれど。
物も言わずに凝(じ)っと、自分の方を見ていた彼の目は、青みがかった透明な黒で、聡明そうな面持ちの奥、確かな観察眼を持っていそうだった。
何処か星に似た輝きがあるようだとか、そんな風にサングローズは彼の瞳のことを思っていた。

そんな彼は、今日も雨の中以前と変わらず凝(じ)っと此方を見ている。
何を思っているのか、どうしたのか、そんな事が気になりながら、「鳥」は少しばかり青年のことを脅かしてやりたくなった。
歌を止め、含み笑いにも似た悪戯な表情を僅かに浮かべると、雨音が辺りを支配していてもよく通る其の声を、風が吹くような唐突さで青年へと、かけた。

「──生憎の雨で出かけるにも具合が悪いのに、一体何を見ている? 貴方は」
 そう紡いだ声に、青年は一瞬何処から其れが聞こえたのか、解からないような顔をして、慌ててあたりを見回した。
それからしばししてようやく、格子越しに自分が見ていた紅い目の妖鳥が口を利いたのだと気付いて、彼は目を見開き、随分と面食らったような顔をした。
 サングローズは予想通り、或いはそれ以上に顕著な青年の反応に、天使のような容貌の上、悪さの成功したときの子供のような、楽しげな笑みを浮かべた。
普通の妖鳥は人の言葉を話したりはしない。教えられた歌を唱うほかは、小鳥のような声で囀って簡単な意思表示をする程度だった。
声帯は人の其れと近いけれど、気紛れや酔狂以外で妖鳥に言葉を教え込むものなどいなかったし、
そもそもあまり物覚えのよくない彼らは言葉を覚えるということをしたがらなかった。
サングローズは頭のよい妖鳥であったから、誰に教えられたというわけでもないけれど、
主人たちが自分の前で話していた言葉と意味とを覚えて、不自由なく話せるようになっていた。
喋り方自体はどうしても、主人たちがしていたとような何処か勿体ぶったような話し方になってしまうけれど、
こればかりは他の喋りを余り聞いたことがなかったので仕方ないことだった。
 何であれ、妖鳥が喋った、という事実は青年に余程の衝撃を与えたらしい。
口をぱくぱくと開閉させるばかりで声も出ない様子の青年をからかうように、サングローズはもう少し言葉を続けた。

「どうしたんだい、黙ったままで。口が利けないのか? それとも、わたしのようなものが喋るのがそんなに珍しい?」
 くつりと零れる楽しげな笑い声に、青年は確認するように幾度も目を瞬いてからようやく、呆けたように立ち止まっていた姿勢から動いて、サングローズの方に近付いてきた。
「本当に…今話したのはお前、なのか? 」
「其の目と耳は飾り物か? こうしてわたしは話しているではないか。この声がわたし以外のものだと? 此処にはわたしたち以外に口の利けそうなものはいないというのに」
 疑り深い事だと揶揄するように言って、サングローズは軽く肩を竦めてみせた。
それでようやく青年も現状を認めたらしい。窓の格子に手をかけつつ、唇動かす「鳥」をまじまじと見つめて、青年は感想を口にした。
「驚いた。妖鳥はただ歌うものだと聞いていたから」
「其れは失礼。だけれど何処にも例外は居るものだよ。しかし、口など利いたからイメエジを壊してしまったかな? 」
「いや、そんな事は無い。確かに見た目の雰囲気とは違うけれど、何時も来る度歌うのを聞いていて、其の度もしお前が話すならどんな感じかとか、そんな事を考えていたから」
 寧ろ話せて良かったのだと嬉しそうな表情で青年は言った。

 それから、自己紹介として自分の名前をサングローズに名乗った。彼の名前は、不思議な雰囲気纏う遠い異国の言葉だった。
「銀星? 東の国の言葉か。洒落た響きだな。佳い名前ではないか」
「母が其方の人だったんだ。其れで貰った名前だよ。そう言うお前は何て言う? 妖鳥だって名前くらいあるだろう? 」
「嗚呼、此れは失敬。名乗りが遅れた。わたしはサングローズと言う。初めの主人がつけた名前だ。他にも幾つも名前は持っているけれど、此れが一等気に入っているのでな。良ければ此れで呼んで欲しい」
「たくさん、名前がある…そんなに彼方此方点々としてきたのか、お前は……」
「まあな。人間は大層気紛れだから、最初はどんなにわたしを可愛がっていても、直ぐに飽きて他に下げ渡す。そうして流れ流れて今わたしは此処に居るのだよ。……もう、とうに、慣れたけれど」
 そう言いながらも、自分でも気付かぬうち、何処かさびしげな声になっていたことを感じて、サングローズは軽く口元を歪めた。
自分のなかにも未だそんな感傷が残っていたのだと知って、何処か自嘲気味に。

「…………」
「どうした。そんな顔をするな。此れ位どうと言う事もない、よくある話だよ。だから……だから、貴方が泣きそうな顔をするものではない。其方の方が、困ってしまう」
 黙りこんでしまった銀星の表情に、サングローズは微苦笑した。青年が、どんな言葉かけようかと迷うような、泣きそうにも見える顔をしていたからだ。
「……あれだな。貴方はいい人という奴なのだな、銀星。初めて見る人種だぞ」
「人種って、お前、いい人とかそういうのは人の形容であって種類じゃないんだぞ? 」
「違うのか。わたしはてっきり人の種類はそのように分けているのだと思っていた。キゾクとかビンボウとか、そういう風に分かれているのではないのか」
「そんな訳ないだろ……って、あ」
 微苦笑から楽しそうな笑みに変わっている「鳥」の顔に、はたりと青年は口元を押さえた。すっかり相手の話に乗ってしまったと気付いて。
「普通の顔の方が良いよ。悲しい顔をしたりため息をつくと幸せは逃げるのだろう? 」
格子越しに手を伸ばして、ちょんと、銀星の鼻の頭をサングローズは突付いてみせた。
すると彼は軽く顔を紅くして眉を寄せる。一寸困ったような顔だ。一つ咳払いして、それから銀星は言葉紡いだ。
「…解かった。普通に、するよ。ただ言いたかったのは、そんな人間ばかりじゃないって事だ。
何時かはずっとお前が死ぬまで飼ってくれる様な、そんな主人も見つかる。
……まあ、本当は主人とかそういうのじゃなくて、自由になれたらいいんだろうけど、妖鳥はそうもいかないんだろう?」
 そう生真面目に向けられた言葉に、サングローズは一瞬面食らって、零れそうになる笑い声を抑えて俯いた。
面白いと思う。本当に面白い。こんな人間は初めてだった。「鳥」に対してまるで人のような反応を見せる。気遣いを、見せてくれる。
今まで出会った人間たち、主たちは、サングローズが喋るというのを知ると決まり悪がったものだ。口を利くなと棒で打たれたこともある。
だから不用意に口を利くのは止めていたのだけれど。こんな人間の前でなら話すのもたのしいかもしれない、とそう思った。

「お、おい? どうか、したか? 」
 俯いてしまった「鳥」を心配したらしく青年は精一杯格子に顔近づけて様子を見ようとしてくれているらしい。ちらりと其れが見えて、だから笑いを堪えて顔を上げた。
「……そんなこと、真剣に考えていたのか? 全く、おかしな人間だ」
「おかしい…か? 別に普通だと、思うけれど」
「少なくとも今までには居なかった。初めて会ったよ。貴方のような人には」
 だからもっと色々、相手の話を聞いてみたかった。相手と話をしたかった。
けれど、人よりも良い「鳥」の目に、雨の降りしきる通りを歩いて店主が帰ってくる姿が見えた。未だ随分離れているけれど、それでも余り時間はないだろう。
「しかし、そろそろ店の主が帰ってくるようだな。そうなるとわたしが話していたりするのを聞かれてしまって色々面倒なことになるのでな。お話は此処まで、だ」
「あ…、そうか。其れは残念だ。……ええと、サングローズ。また来ていいか? 店主さんがいなければまたこうして話せるんだろう? 」
 かすかに肩落とすようにして、けれどそれを振り払うように銀星の言った言葉は、「鳥」にとっては思いがけないものだった。
また、なんていう約束をだれかとする日が来るとは思わなかった。そんなことをするのは人だけの特権だと思っていた。
だから赤い目を瞬いて、それから珍しく嬉しそうな表情になっていた。サングローズは銀星の言葉に頷いて返す。
「まあ、気が向いたら、な」
言葉にした返事はそんな、何処か味気ないもの。けれど相手からふいとそらした面は、矢張り嬉しそうな色だった。それに気付いたからか、銀星も何処か嬉しそうに笑った。そうして次にまた話す約束をして、其の日は、分かれた。

それから。店主が留守の日、留守の時間を見計らって、銀星とサングローズは格子越しに会話するようになった。
合図は赤い羽根。店主の居ないときは長い金糸の髪の一本、ぬいた薔薇色の羽の一枚に結わえて格子窓から外に吊るして置く。
其の色は灰色の石造りの建築物ばかりあるこの裏通りでは目を引く色。通りがかった時にそれが吊るしてあれば、銀星は「鳥」と話すために其処に留まって時間を過ごした。

そうして一人と一羽、会話する中で、「鳥」はもっぱら聴き側に回ることが多かった。
画家の卵の青年がする話は、ずっと鳥籠の中に居たサングローズにとって興味深い話ばかりだったからだ。
まだ幼い時に母親と共にこのアスタリアに移り住んだこと。幼い頃から聞いていたという東の国の話。
小さい頃からずっと画家になりたかったこと。母は今は亡く一人きりだけれど、夢の為に頑張る日々は貧しいながらも充実していること。
懸命に生きている彼の姿は、生きているものとしてひどくまばゆく、サングローズの目には映った。
最初のうちは「鳥」も又、色々と自分の話をして返したけれど、明るい気持ち、楽しい気持ちになるような話を、生憎「鳥」は余り持っていなかった。
だから、何時しか話を一つ聞くたび、代わりのように歌を返すようになった。主に余りうまくないけれど自作の歌を。其れは銀星が願ったことだった。
殆どの歌は前の主たちに教えられたものだという「鳥」に、ひとつ、自分のためだけに歌を作って欲しいと。
何処か挑戦めいて向けられた其れに、負けず嫌いの妖鳥は頭を絞って考えた。
結局、歌詞は何処かで聴いたような恋歌のつぎはぎ、作曲したのも「鳥」自身だからひどく拙いものが出来上がった。
妖鳥の声はそんな歌でも美しく響かせたけれど、曲自体の完成度はお世辞にも高いとはいえなかった。
それでも、ただ銀星のためだけに「鳥」が作った其の歌を、青年はことのほか喜んだ。他のどんな優れた歌曲を唱うより、それを歌ってほしいと願うほどに。
銀星との会話はサングローズにとって始めて生きていると感じられる時間だった。ひとにするように当たり前に彼が向けてくれるものがとても嬉しかった。
ものではなく心ある存在として彼は見てくれたから、銀星と居る時だけ、「鳥」は自分が鳥籠の中囚われた飛べない物だということを忘れることが出来た。
幾ら感謝しても足りないとそう思っていた。ただ、素直でない「鳥」は、そんな気持ちは中々表に出すことは出来なかったけれど。

歌と話とを交し合う、穏やかな時間は降り積もって、二人が出会い、一月ほどたった頃。
「前から気になってたんだけど、お前、だんだん痩せてきてないか? 」
何時ものように礼の歌を歌った後のサングローズに、銀星がこう切り出した。
「──。気のせい、という奴だろう。それは」
 向けられた言葉は、図星、だった。実際水以外で此処の店主から与えられるものは彼にとって殆ど栄養になっていない。
「鳥」の身体が受け付ける高価な食餌は、中々用意できるものではないのだ。
相変わらず買い手もつかない妖鳥を店主は持て余し始めているようで、「鳥」の為にそんな高い蜜や花を、態々買い付けてくるはずもなかった。
だけれど、サングローズは、目の前の青年にはそんなことは知られたくなかった。
彼が過ぎるほどにやさしい人間だという事は一月の間によくわかっていたので、
そんな事を知れば、身も省みずに何事かしようとするのではないかとそんな危惧を抱いていたから。
それに、彼と居る時間はとても楽しいものだ。それに翳りの射す様な事柄は話に出したくない。元よりずっと、いられるわけでもないというのに。だから、嘘を付こうとした。

「嘘付け。お前嘘つくとき少し視線が上向くから、直ぐわかる」
 だが、それはどうやら銀星には通用しないようだった。
サングローズが一月で彼の性質をいくらか学んだように、青年もまた「鳥」がどんな心根をしているか解かり始めてきたらしい。
「前はもう一回りくらい手が太かった。髪や羽だってもう少し色鮮やかだったし。
でも、今は違う。手とか枝みたいに細い。髪の金、羽の薔薇色、どちらもなんだか褪せて来てる。顔色も良くない。お前、もしかして、もの食べてないんじゃないのか? 」
 ぴしりと指を突きつけてそう指摘する。どうやら言い逃れなどは許してくれないらしい。
「……確かに、貴方の言うとおりだよ。わたしはものを食べていない。
否、食べられない、というのが正解か。此処では妖鳥の食餌など中々手に入らないからな。だが此れで良い」
「良いって。そんなの、手をこまねいて死を待つようなものじゃないか! こんなこと言いたくないけど、……お前なら頑張ったら直ぐ、新しい主人とか見つけられるだろう? 
どうして、しないんだ。そうしたらこんなに飢えたり乾いたりするような思いはしなくていいんだろう? 」
 がしゃり、と格子を掴んで銀星は必死に言い募ってくる。
情け深い人間。だからサングローズは彼には話していなかった。自分が緩慢な死の訪れをずっと待っている、などとは。
そんな事を言えば彼はきっとさっき言ったような言葉を言うと解かっていたから。何処か困ったような表情を浮かべて、「鳥」は緩く首を横に振った。
「誰とも知らぬ飼い主にまた飼われて、飽きられるまでの間媚を売って、そうしてまた何処かに売り飛ばされる。そんな風にして繋ぐ生などに意味を感じない。
其れならば、こんな風に誰のものでもなく在って、貴方のような変わり者と会話したり歌ったりしている方が、余程「生きていられる」んだ。わたしにしてみれば」
 青年に言い聞かせるためにゆっくりと言葉を紡いでいく。押さえられた静かな声。だけれど其処に籠もる思いは一片の偽りもない、真実だけだ。
「貴方といるときは楽しいよ。本当に、楽しい。貴方はまるで螺子のような人だ。
突然やってきて、わたしを錆びて止まっていたわたしを動かしてくれた。いなかったらこんな気持ちを感じることはなかっただろう。
楽しい、と心から感じるなんて今までなかった。だからその時間を無くしたくない。他にいきたくない。……解かって、くれるか? 」
 それはこの「鳥」には珍しい精一杯の素直な気持ちだった。
言葉を聴くうちに泣きそうに俯いて、黙り込んでしまった銀星に、もう格子の隙間を通るようになってしまった細い手を向けて、彼の黒い髪を撫でてやる。
「解からない。俺は厭だ。死んだら御終いなんだぞ。どんな形でも生きてる方が絶対良い。生きていたら会えるかも知れない。
でも、死んだらもう永遠にお別れなんだ。もう、俺、此処にはこない。そうしたら、心置きなく新しい飼い主見つけられるだろう? ……さよなら、だ」
 隠していたこと、或いは向けた言葉も気に障ったのだろうか。解からなかった。ただ、今までで一番、硬い、険しい声でそう銀星は告げた。
「……な、に? 」
言葉を理解するのに時間がかかった。其れくらいいわれると思っていなかった言葉だった。
それは調子に乗っていたのかもしれない。
さよなら。
言われたくないと、言いたくないと思っていた言葉。そして、止める暇も無かった。
ふるりとひとつ頭を振ったかと思うと、黒い髪の青年は踵を返して、その場から駆け去っていってしまった。待てと止める暇もなかった。

「……銀星……」
彼の居なくなった先を見つめる。空を掻くしか出来ない、残された手が虚しい。
其れを胸元へと引き戻す。もう、彼は此処にこないだろうか。そんなことを思ったら、胸がちいさく痛んだ気がした。
人がましい反応。こんな気持ちを感じるようになったのも銀星と会って、彼と話をしたからだ。
彼が居なければ生まれなかったもの。
会わなければ良かったのか。居なければよかったのか。違うと思う。どちらにしろ自分は緩やかな死に焦がれていただろう。
だけれど、今は少し違っていた。ほんとうは、生きたいと思う。何処でもなく此処で。
様々な気持ちを暮れた青年と会うことの出来る場所で。他では意味がないと思う。それは、妖鳥が願うには余りにも我侭な事だったのだろうか。
そんな事を考えながらサングローズは日の暮れるまで、そうしてずっと窓の外を見つめていた。もしかしたら銀星が帰ってくるかもしれないとか、そんな淡い期待、抱きながら。それはとうとう、果たされる事無く、黒い帳は下り、夜になってしまったけれど。

 銀星の事ばかり考えて、その日はよく眠れなかった。次の日も、その次の日も。
そうして、一週間が過ぎた。あれからずっと、サングローズは毎日のように外を見ていたけれど、店主が居る日も居ない日も、赤い羽根を吊るしておいたのに。
一度とてあの画家の卵の青年が店を訪れる事はなかった。以前は三日と開けずに合っていたから尚の事、会えない日々が辛く感じた。

そんなある日、唐突に買い手がついたと、店主が喜んでまくしたてるのをサングローズは聞いた。
寝耳に水だった。今まで見に来た客らしい客の前では一度たりとて、歌って聞かせることもなかったのに。こんな薄汚れた妖鳥を、誰が飼うと言うのだろう。
疑問浮かべずに居られないほど唐突なことだった。
それに、買い手が付くというのは喜ばしい事などではない。これでは別れの挨拶も、できない。
元よりもう、銀星は「鳥」のところに来るつもりないかもしれないから、此処に居ても何もいえなかったかもしれないけれど。それでも厭だと、思った。
さりとて何が出来るわけも無く、店主に無理やりに身体を洗われて、長い髪に櫛を通され、真新しい白い服を着せられた。
そんな風に綺麗に包装されるのが厭でたまらなくて、珍しく暴れて嫌がる妖鳥を強引に籠に詰め、
其れを馬車に乗せ、店主はその新しい飼い主とやらのところにサングローズを連れて行った。

連れて行かれた先は、アスタリアの郊外。海を臨む丘の上、緩やかな坂道登った先の、こじんまりとした洋館だった。
何時も自分を買うものたちが住む場所とは異なる、何処か寂れたような其処が不思議だった。どんな飼い主なのか。全くわからないのが怖かった。
面には出さないけれど、以前の飼い主の中には「鳥」を酷く苛めるような輩も何人か混ざっていたから。今度の主がそうでないとも限らない。
何処か覚悟を決めながら、玄関先に籠ごと置かれた状態で対面の時を待つ。程なくして、買い手とやらが姿を見せた。

──その、姿は。
サングローズは透き通る紅玉を一つ瞬く。信じられなくて。目の前に現れたのはあの星のような瞳の青年。
「鳥」にとっては唯一の、友人といえる存在だった。一瞬何かの間違いかとも思った。或いは他人の空似かとも。
だが店主と最後の契約のやり取りをする声は確かに銀星のものだったし、その内容は「鳥」を青年が買い取るという旨のものだった。
どんなにうらぶれて値を下げられたと言っても妖鳥は妖鳥。そうおいそれと手が出るはずもないのに。
そう豊かな生活をしていないという彼が、どうやって自分を買ってくれたのか。そもそも怒っていたのではなかったのだろうか。さよならだと、言ったのに。

用事を済ませた店主がそうそうに帰って行っても、サングローズは口を利けなかった。
この「鳥」には珍しい、何処か唖然としたような顔で、銀星のほうを見るばかりで。そんな「鳥」に苦笑して、銀星は籠の鍵を開けながら言葉を向けた。
「驚いてる、だろうな。俺がお前を飼うとか思わなかったろう? あんなことも言った、後だったし。
ごめん。だけど……あれから、ずっと考えてみた。お前のために何が出来るかって。お前に死んで欲しくないし、だからって意思を踏みにじって言い訳でもなくて。
どうしたら一番いいか、ずっと、考えてた。俺、あんまり頭がいいわけじゃないけど、さ。それで、これしかもう思いつかなかった。これなら他のところ、いかなくていいだろ。
俺は、お前を他の飼い主みたいに飽きたらとかそういう理由で他にやったりしない。大切に、するから。だから、だから──生きて、くれるか?」
 向けられる表情は不器用だけれど、ひどく真摯なものだった。
其の表情に胸がいっぱいになる。昨日彼が駆け去っていったときとは又違う、切ないような痛み。
人はこんなときに涙を流すのだろうか? 解からなかったけれど、銀星の言葉に頷いたとき、目の奥が熱い様な気がして、初めて感じる感触に「鳥」は戸惑い、俯く。
其れを誤魔化すかのように憎まれ口を叩いて、それから疑問を口に上らせた。
「…其処まで、貴方が言うのなら。……只一つ聞かせて欲しい。貴方にそんな余裕はあったのか? 貧しい暮らしをしていると言っていたのに」
「細かい事、気にするなよ。此処に、居たいんだろ? だったらそれで、いいじゃないか」
「気になるに決まっているだろう。何か、無茶をしたのではあるまいな?」
 しつこく食い下がるように問いを重ねると、小さく苦笑めいて銀星は口元をゆがめる。
「──手の中にすこしずつ溜めていた食べ物があって。それでもし目の前の飢えて苦しんでる友人が助けられるなら、それを差し出さないのは余りにも冷たいってものだろう。例えば今までの苦労を投げ出す事になっても。なあ、そういう風に言う俺のこと、お前は馬鹿だって笑うか? 」
 そうして紡がれた言葉が、たぶん、答えだったのだ。解かってしまって、だから、思わず目元を擦った。何か零れてきそうな奇妙な感覚が、したから。
「…ばかだ。ばかだよ…貴方は……。とんでもない、ばかものだ……」
 そういいながらも言葉とは裏腹、サングローズの唇から零れる声はこの上なく幸せそうな、優しい響きだった。
それを見れば銀星は笑った。ひどく柔らかい、温かい笑顔だった。
「馬鹿、か。なら、そんな馬鹿の為に一曲また歌ってくれるか? 何時もみたいに。あの、歌を。此処からよく見える海と空にも聞こえるように」
満足そうな表情。目元を拭う「鳥」を籠から外へと手を伸ばして引き出しながら、青年はそうしてひとつ、願いを口にする。
サングローズはその言葉に、深く一つ頷いて、もてる全てで其れに答えようと思った。
其れが、人のように何かを持つわけではない妖鳥に、出来る唯一で一番の感謝を示せる方法でもあったから。
 銀星に手を引かれて海が見える窓辺まで連れて行ってもらう。籠の外、何の柵も囲いも無く、感じる風は心地よい。形の良い唇が喜びと共に開かれる。

The last kiss is raised to the dry room and you lying.
It lies on a red flower, a white flower, and a floor.
Only me, you, and the number of the exchanged sadness.
If good-bye is also danced to a wind, it will be dreams and phantasms.
The bird which cannot fly throws itself into the empty which breaks for you.

もっと幸せな歌詞にすれば良かったとどんなにか思った。だけれど、今歌うのには此れよりふさわしい歌を「鳥」は知らない。
これは、自分と銀星の思い出の歌だから。彼のためだけに作った、歌だから。

The opened window and you who sleep are embraced and the language which was not able to be said is told.
A flower blooms on a white flower, a red flower, and a floor.
Only you, me, and the number of the love for which it longed.
Good-bye melts into the sea and is infinite.
The bird which cannot fly thinks of you and is burned down at dawn.

明るい青い空に溶ける何処か甘い、切ない、旋律。
それはこの上なくうつくしい、今までで一番幸福な歌声だった。

The bird which cannot fly throws itself into the empty which breaks for you.

耳を澄ますように静かに聞き入ってくれる青年の為に唱う。感謝と想いと祈りを込めて。彼が与えてくれたものはかけがえない。
どれだけ返せるか解からないけれど、少しでも届くように。

Hold the eternal love of the life of a basket, and a short end in the feather.

歌うのは全て彼の為に。死んだも同然だった自分に生きる意義をくれた、今の自分という心を作ってくれた、揺るがない居場所をくれた彼の為に。
こんな事は言葉では言えるはずかないから。だからせめて歌にする。言葉よりも歌のほうが雄弁だから。

Hold the eternal love of the life of a basket, and a short end in the feather….

 響き渡る「鳥」の歌声は透明で、恋うるように甘い。
隣で微笑んでいる青年は何も言わないけれど、泣きたい位に感謝している事も、彼の事をどんなに好きか伝えたい事も。
こちらを見つめる、星に似たやさしい黒い眼差しは全てわかってくれているような気が、した。
ずっと厭わしいと想っていた歌声。だけれど、今は違う。自分が歌える事を、彼が喜んでくれる声を持つことを、サングローズは初めて、生まれて初めて感謝したいと想った。

 

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