2001年12月。
「桜子の綴りごと」が誕生した。
(ジャジャジャジャーン)
きっかけは、友人のすすめ。
あの頃、桜子はめちゃめちゃ落ち込んでいたのだった。
(理由は、とても言えません^^;)
不思議なもので、落ち込んでいる自分のほかに、それを冷静に見つめている自分。
その両方が混在している。
ボーとしている(今でも十分ボーとしているが -_-;)毎日に、もう一人の私はうんざりしていた。
でも、何もできない自分。
「意欲」がわかない。
そう、生きる「意欲」までなくしてしまっていた。
ただ・・・なんとなく生きている毎日。
20年来の友人は、そんな桜子を心配したのだ。
「燃つき症候群」
離婚して一人。
がむしゃらに働き、自分の時間を楽しむ余裕など持たなかった桜子が落ちたブラックホール。
気晴しのつもりで出かけたデンマーク旅行が引き金になった。
「Nice to Meet You♪」でも書いたけど、デンマーク旅行では、いろんな出来事に遭遇して刺激にもなった。
その反面、今までの荒れ野のような人生にむなしさを感じてしまったのだった。
枯れきった毎日に、気持ちだけが焦る。
「なにかしなくちゃいけない」
仕事も勉強も、機械的にこなすだけで、「生きている」実感のない日々。
「書くこと」をすすめられたのは、そんな時だった。
桜子は、昔から「書く」ことが好きだ。
これでも、学生時代は文芸部(なんとレトロな響き…)に籍を置き、ポエム(甘ったるい響きだ ^^;)などを書いていたメルヘン少女の人だったのだ (笑)
メルヘン少女というには、少し語弊がある。
桜子の当時のペンネームは、「節」。
(これで"しきり"と読ませていた ^^;)
中性的な文章が多く、周りの部員達が、愛だとか恋だとかを詩にしていたのとは違っている。
(昔からひねくれものだったらしい…)
そんなことから、友人は、「書くこと」を勧めたのだ。
そして、友人は「小説」を書くことを勧める。
自伝でもいい。
空想でもいい。
とにかく、何かを「書く」ことを始めろと。
白いノートに、思っている言葉を書いてみる。
それが「第一歩」だった。
そして、もう一つ。
ホームページの開設を勧められた。
「ただ書くだけじゃ、自己満足で終わってしまう。人に読んでもらうことが、いい緊張感を生み、励みにもなる」
そう力説した。
それは、悪魔のささやき。
本当は、何でもいいから人との接点を持たせたかったらしい。
そのくらい、一人の世界にこもっていたみたいだな…^^;
でもさ…。
ホームページって、むずかしくない?
インターネットなんてさ、遊ぶもんじゃん。
(おいおい…)
自分には縁のない世界。
……のはずだった。
いつもの桜子なら、きっと拒否していたと思う。
「できるわけない!!」ってね。
でも、何でも良かったんだ・・・あの頃の桜子は。
何をしなければ、自分がダメになる。
その危機感が、ホームページの開設を決心させたと言ってもいい。
ワラにもすがりつきたい気持ち。
焦繰感は、日々募るだけで、解決策も見出せない。
だったら、「悪魔のささやき」でもいい。
とにかく、「小説」を書こう。
友人の「悪魔のささやき」に負けたのだ。
いや……
何かをする気持ちになれたのだから、天使のささやきだったのかもしれない。
それから、ひたすら、ノートに書きまくった。
起承転結もあったもんじゃない。
言葉もなかなか浮かばない。
ホームページ開設前に、挫折か?
小説が書けなかったら、ホームページは必要なくなる。
考えてみれば、桜子には文才がない。
初めての就職が、出版社。
小さな出版社で本の編集をしていた。
取材も原稿も、自分でしなければならない。
しかし、号数を重ねるうちに、役割分担ができていく。
三人のスタッフの得意・不得意が、自然と役割分担を構成していった。
桜子は、外に出るより社内にいることが多くなる。
取材・原稿よりレイアウトやアポを取るような裏方仕事が多い。
現在の原点にもなった「経理職」の兼任も、ますます現場が遠ざかった原因にもなっている。
結局、文章を書く才能はなかったのだ。
残念だけど。
それから15年。
結婚していたせいもあるが、「手紙を書く」以外に文章を書くことは、なくなっていた。
一つの転機と言えば、今の仕事に就いて、マニュアルや報告書を書くことになったことかな。
人生経験を積んだせいか、昔よりまともな文章を書けるようになっていたし。
だけど、小説を書けるほどの文才はない。
試行錯誤、四苦八苦しながら、なんとなく書き上げた「処女作」。
次は、ホームページにTry。
この後、どんなに苦労するかなんて、想像もつかない。
おかげで、かなり苦労した。
甘く見ていたんだな(笑)
やっぱり、友人の勧めは、悪魔のささやきだったのかな…(-_-;)