今日は成人の日だった。
自分も今年は成人式なのだが式には出席しなかった。
その理由は格好をつけて言えばまだ自分は成人と名乗るには幼すぎるから。
本音を言えばめんどくさかったから。
また去年の成人式を思い出すと行く気がなくなったから。
しかし地元の成人式は荒れたわけでもない。
荒れた一部地方のせいで自分の地域の式もそれと同じように感じでしまう。
少しマスコミの情報に惑わされすぎか。気をつけないといけないと思いながらもやはり影響されてしまう。
しかし今年も荒れるところは荒れていたようだ。
荒れていた映像をニュースで見ていたとき頭の中にふと千歳飴が浮かんだ。
成人式というより七五三。暴れていた彼らと、そして自分には成人式より七五三のほうがよく似合う。
そもそも成人式とは何なのだろうか?
成人ということは大人ということなのだろうか?
では大人とは?社会に出て通用するような人のことだろう。社会人ということか。
では二十歳を迎えただけで社会に通用する大人に慣れるのだろうか?
なれるわけはない。自分を見ていればよくわかる。そして周りにもそのような人が多すぎる。
二十歳未満でも大人と呼べる人たちは大勢いる。例えば高卒で働きはじめた自分の兄。
今の十九歳の自分と就職一年目の兄。兄のほうがずっと立派だった。
社会に出た人と大学に通う人。社会に出ると人は大人になる。
大人になるには年齢は関係ない。ただ経験だ。
だとしたら今の成人式は意味があるのだろうか?
自分には意味は感じられない。ただ昔からやっているだけの式典。
昔は二十歳といったらもう立派な社会人だった。大学も今と比べてもっと立派なところだったのだろう。
社会に出るにも、進学するにも、どちらでも立派な大人だった。
しかし今は違う。20歳でも15歳でも大して変わらない人ばかりだ。
もう式は意味がないのではないか?
これからは成人式は七五三と同列扱いの子供の成長を祝う日として、
そして今の成人式に変わる大人の日と大人式というものを作って年齢は関係なく立派に大人になった人を祝う日を作ったほうがいいのではないか?
哲学とは少し違うが今日感じたことをここに書く。
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