——STIGMA——
見慣れた自室。
重厚な作りの書斎机の上にはまだ目を通していない書類が乗っている。
冷めた紅茶の入ったカップ。
そこで、彼——オスカー・ハインリヒは自分の置かれている状況が把握できていなかった。…いや、把握したくもなかった。
「……大尉」
頬を撫でて来た手が憎くて振り払いたい。
黒い手袋をしたままの指が、ゆっくりと唇をなぞる。
はだけた軍服。
権力と畏怖の象徴である鍵十字も、今は逆に誘淫の役目にしかならない。
「……普段から、あなたに軍人など似合わないと思っていましたが…」
「…っ!」
大きな手が首を掴んだ。
締め上げる力に呼吸を奪われる。
「よくお似合いですよ、大尉」
喉の奥で笑う彼を睨み付けようとしたが、苦しくて喘ぐことしかできない。
今夜も、いつもどおり激務に追われて寝る時間などないな、と思っていたところだった。普段から忠実で誰よりも信頼していた部下、リヒャルト・クーデンホフ軍曹の突然の訪問に少し手を休める。
「少しお休みになられたほうが…お茶でも淹れましょう」
そう言って差し出された暖かい紅茶を飲んだのが最後だった。
手足がしびれ、次第に体が震えて熱くなっていくのに混乱する彼を、リヒャルトは軽々と抱き上げ、机の上に座らせると両手を後ろ手にオスカーのネクタイで縛った。
「……軍人には似つかわない、綺麗な肌だ…」
引き千切ってボタンの飛んだシャツを掻き分け、夜気に胸元を晒す。
「…貴様……私を裏切る気か…」
「まさか」
再び喉の奥で笑い、一気にシャツを腹のあたりまで引き下ろす。
鎖骨に、肩に、首筋に。
手袋をしたまま撫で上げられる奇妙な感触に、オスカーは眉根を寄せて耐えた。
「あなたは何も知らない…自分の部下のことも」
「…何、を……っ」
胸の突起を霞め、びくっと体を振るわせたオスカーに、リヒャルトは唇の端を吊り上げて笑った。
「我慢、しなくていいんですよ」
「……ふざけるな…」
「…薬に強いはずがありませんからね」
手袋をゆっくりと外しながら、リヒャルトは低く言う。
「まあ、あなたがいかがわしい遊びなどしていなければ、の話ですが」
「………貴様…」
睨みつけるオスカーを、無言で笑うリヒャルトがますます苛立たせる。
笑ったまま、ゆっくりと顔を近付けて、唇を重ねた。
「…っ、………ぅ」
目を開けたままのキスがどれほど屈辱的なものか、オスカーにしかわからないだろう。
まして、薬に翻弄されて自分の意思の効かない状態では、なおさらだ。
「ん、……ふ…ぅ」
次第に熱を増す体は、自分の理性を留めることも自由にならなくなる。
絡み付いてくる舌先に、いつの間にか応えていく自分に、オスカーは混乱する。
「…ぁ……ふ…!!」
口付けられたままの体勢は、首の自由も奪う。
ベルトを外し、滑りこんで来たリヒャルトの掌に背中が震えた。
「んっ、……ん、」
握りこんで、一気に擦り上げる手に体が震える。
あまりに速く解放へ導かれていくのがわかる。———追いつけない。
「んっ、…あ、あ、っ……やっ………!!!」
抱き寄せられていたリヒャルトの肩口に噛み付き、上り詰めた瞬間の快楽に耐える。体が震え、彼の手に欲望を吐き出す。
「……大尉…」
呼吸を乱したままのオスカーの額に、軽く唇を押し当て、リヒャルトは目を覗きこんだ。
冷え切った湖を思わせる、蒼い瞳。
「…知っていますか?」
「………」
唇を白いうなじへすべらせ、耳朶を噛んで低くささやく。
「スティグマ……奴隷や犯罪人に刻印された徴……」
「……っ」
鎖骨の下、柔らかな皮膚に噛み付く紅い鬱血痕。
オスカーの額にかかった前髪を掻き上げて見下ろし、リヒャルトは濡れた指を滑りこませた。
「んっ…!」
体を強張らせ、震える彼の頬や額にキスを落し、体をかがめた。
「…あっ!やっ………」
震えて体が弛緩したのは、リヒャルトの吐息を感じた瞬間だった。
輪郭を辿り、執拗に括れをなぞっては裏側まで舐め上げる焦らすような動きに、高ぶりは遠慮を知らない。
熱い粘膜に覆われ、溢れて泣きはじめるのがわかって自尊心が音を立てて崩れていく。
欲望を知らないはずの渦は奥へと導き、絡み付いて淫らに蠢く。
掻き回す指先は増え、濡れた舌先に愛撫されて凍るような目に見上げられればオスカーを狂わせることなどたやすい。
普段、冷徹で非情な、軍人の鏡とも言えるような男。
変わらない目は、今はオスカーに凶器となって理性を飛ばさせる。
「ん、ん……ふっ……く…」
零れた涙が何のせいか、オスカーにはわからない。
煽られるように波に乗せられ、混乱すら熱に呑み込まれて感覚だけの生き物になる。
「あっ…ああああっ…」
穿ってくる凶器に、拒絶するはずの体が応えて締め付ける。
這い上がる快楽に震え、未だ外されない手が縋りつく場所を探して無意味に動く。
静かな夜を撫でるような悲鳴と吐息が絡み合う。
「…オスカー……」
囁かれた声が掠れていて、それだけで意識が飛びそうになるのは薬のためだけか。
普段は絶対に呼ばせない名前が、その声に乗せられることで違和感と共に更に煽られる。
力関係の逆転する瞬間が、これほど自虐に満ちて同時に駆立てられるものだとは知らない。
濡れた音が、自分の知らない嬌声が書斎を埋め尽くす。
「あっ、あ…あ、あ、……んっ、リヒャル…ト…っ」
濡れた目は、誰でもなくその男を捕らえて誘う。
繰り返される荒々しいまでの律動にオスカーは全てを奪われる。
見下ろしてくる蒼い瞳に、惹き寄せられる。
「んっ、ぁ…は…—————っ!!………」
幾度目かの頂きに耐えきれず、脱落して目を閉じる。————体の奥が熱いのは、受けとめた雄のせいだ。
それにすら震える体に驚愕する余裕すら、オスカーには残っていない。
与えられるキスが心地よく、溜息のような吐息を漏らす唇が無意識に応えた。
頼りなげにひっかかったシャツを肩まで引き上げ、拘束した手に唇が触れて、自由にされるのがわかった。
「…オスカー……」
呼ばれてうっすらと開いた目に、忠誠を誓う普段と同じ目が映る。
抱き上げられて強く香った煙草の匂い。
そのまま続きの寝室へ連れていかれることがわかって、そこから意識が無くなった。
「…………」
リヒャルトは無言でオスカーをベッドに横たえ、シーツをかけると柔らかい髪を撫でた。
はだけた白い胸元に紅い傷跡。
やがては消えていってしまうだろうそれを、わざわざ遺したのは気まぐれなどではなく、辿った指先に含まれる情は知られることもなく死んでいく。
物憂げな瞳は月に照らされる寝顔を暫く見つめ、やがてその手を取って冷たい唇を押し当てる。
「さようなら…私の大尉………」
名残のように、傷跡へ。
閉じてしまった、その瞳へ。
スティグマ
個人に非常な不名誉や屈辱を引き起こすもの
別意——聖痕
数日後、前線に立った彼が戻ることはなかった。
≪了≫
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某チャットの方々から突然リクエストされたもの。
テーマは「軍服下克上」。
ナチの知識ゼロです(泣)。軍曹とかって前線に出るのかどうか知りません(死)。
エロは…………………………………………(逃)。