ぼくは怪我をよくするタイプの人間である。大仁田厚にはまけるが4回ほど縫ったことがある。学生時代には怪我のスポーツ、ラグビーをしていたこともあり、上手に怪我をするのが得意である。 特に後頭部の流血には素人ではトップレベルである。海辺で苔に滑って流血。夜の公園でウォッカ片手に鬼ごっこをし、鉄棒で頭を打ち流血という具合にところ構わず『ファイアー』と叫びたくなるような惨事を数々産み出してきた。 この世に生まれて、ヨチヨチ歩きを始めると好んで階段に行き、案の定、落ちて頭パックリの救急車なベイビーであった。二本足で歩けるようになるとさらにである。 小学生のある雨の日、忍者ごっこをしていた。当時地元で流行った『ニンジャ』と言うアクション映画の主人公がぼくの親父に瓜二つで親父は『俺はニンジャだ』と、今思えば嘘を付いていたのだが、ぼくは断固信用し、『俺もニンジャだ』と風潮していたのである。そしてその日鉄塔に登り頂上で天皇陛下スマイル(当時本当に流行っていた)をビシッと決め、『とりゃ』と鉄塔(2.5階ぐらい)から飛び降りながら、金網に捕まろうとし、雨で滑る金網などに捕まれる訳もなく、見るも無残に落下し、地面よりさらに落ち地下の鉄柵に頭がささったのである。 人間テンパると何をしでかすかわからず、血を流しながら、家まで猛ダッシュで帰り、病院へ直行である。『何でどこでこんな怪我を』と言う医者の問いに、『病院で忍者ごっこ』と答えた。そうである、病院の敷地内で怪我をし、一度家に帰り、その病院で縫ったのである。 病院で縫われながら説教され、家に帰れば親父に説教と一日中泣いたものである。 ついでにいうと、その週の運動会で赤組なのに白いネット(包帯)を被り、『お前、何組やねん』状態になり、トホホな気分も味わったのである。 しかし、最近ぼくはトンと怪我をすることがなくなった。毎日、仕事をし休日はブラブラと街にでるだけなのだから仕方がない。 怪我もするが楽しい生活、怪我はしない平均な生活。ぼくは楽しい刺激のある生活がスキである。だから会社員は窮屈である。きっと、失敗も大怪我もするだろうが、自分に合った楽しい生活を選んで生きていくのだろう。少年時代のようにのびのびと、不可能の文字を忘れていられる仕事を現在考案中である。誰か名案ございませんか? |
『なぜ勉強しやなあかんねん』『数学なんかやってなんの意味があんねん』 学生時代に思った一言である。 確かに数学のグラフも科学記号も、実際際立って使うことなんて気付かないし、ないのかもしれない。 今日、テレビを見た。 87歳のおばあさんが小学校の5年、6年の2年間、児童と共に算数を学ぶという番組である。 『算数なんかやっても意味ないもん』。算数嫌いの少年が吐く名文句である。 でも、おばあさんは、『算数習って良かった』って言ってた。 買い物のちょっとした暗算もできるし、料理の時も材料を何等分すればいいのかすぐにわかるから。 でも、おばあさんは6年生の算数にだんだんとついていけなくなった。文章問題の言葉がうまく理解できず、また彼女の耳も音を聞くことが不便になったからである。 おばあさんは、毎晩眼鏡をかけ虫眼鏡を片手に算数に取り組んだ。 『どうせ学校行くんじゃったら、ついて行きたいけーの』 と、彼女は言った。 実際、すごい言葉である。 『学校なんて遊ぶところ。友達を作るところ』。これはぼくの考えであり、この番組を見たからといって変わりはしない。 でも、今彼女を見て学校に行きたくなった。勉強してみたくなった。 ぼくは、学校を苦に感じたことはない。どちらかと言うと、行くのが当たり前って感じだった。だから、『学生の本分は勉強だ!』なんて思ったこともなく、あと何年遊べるか確認していたタイプである。 そして、勉強は馬鹿がすることであって、勉強以外の事ができる奴はしなくていいのだ!という甘ったれた哲学を自分に押し付けて納得していた。 今日、親が社会が勉強しろと言っているのか理解できた気がする。 その答えは、ぼくだけの答えであり、ここで公表する気は全くない。でも、子供ができたらうまく説明してやれるはずだ。もちろん、この答えを子供にだけ説明するのではなく、明日からの自分の職場、生活にも活かしていくつもりだ。 話が堅かったかも知れないけど、これでいいのだ。 でないと、あの毎朝、校門で一礼をし教室に向かうおばあさんに失礼である。 ぼくのクラスにおばあさんがいたら? 恋は絶対にしないと言い切れるのは確かである。いやいや、想像してみると結構、おもしろいかもしれない。 でも、じじぃはイヤだな、ババァがいいな。 |