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ぼくは今、生まれ育った大阪を離れ、花の都大東京の隣の埼玉で一人暮らしをしている。自分の育った町はやはり愛すべき町で懐かしむこともよくある。しかし人間の記憶とは実に曖昧なもので、あんなに毎日冒険のような日々があったのに、すぐに忘れてしまうのである。

ぼくは最近ふと、自宅から小学校までの通学路を思い出してみた。すると溢れんばかりに次から次へと記憶が蘇ってきた。ケンカした道、鬼ごっこしたマンション、秘密基地だといってエロ本を集めたただのエロ屋敷、今まで思い出せなかった宝物の日々が次々と出てきた。

そんな通学路の話である。少年時代の帰宅時の遊びと言えば、石蹴り、荷物持ち、塀歩きである。塀歩きとは、ひたすらブロックでできた塀の上を綱渡りのように歩く単純な遊びである。そんな単純な遊びも、鼻タレのガキによっては危険な度胸試しの場になってしまう。
ぼくは小学生当時、完全無欠の単細胞生物で『危険』の2文字に男を感じてしまうオポンチなお子様だった。卒業アルバムのスキな芸能人『ジャッキーチェン』と誇らしげに書いていることからもよくわかる。

さて、そんなリトルジャッキー少年、塀で逆立ちはもちろんダッシュなどして、もはや自分が忍者ハットリ君である事を疑う余地すらなかったのである。さらに激しく、カッコイイ新必殺技をあみ出そうと馬鹿な頭で考え、馬鹿な答えを弾きだしたのである。その答えとはケンケンである。ケンケンとはご存知のとおり、ケンケンパのケンケンである。

下校中のいつもの塀でランドセルを置き、友達にお披露目である。さっそく頭に描いた塀ケンケンを実行した。ケンケン、ウォー、ケンケン、ウォーとぼくのケンケンに皆一様に驚きと尊敬の入り混じった歓声をあげた。調子に乗ったぼくはケンケンを繰り返した。ケンケン、ウォー、ケンケン、ウォー、ケンケンパ。パ?ケンケンパ?そうである。ケンケンの命である片足を滑らせ『パ』の状態になったのでる。塀の上で『パ』である。ついさっきまで足の下にあった塀は、見事に股間の下である。ウォーはウァーと驚きと心配に早変わりである。
泣きながら家に帰りパンツを脱ぐと少年の股間は血だらけであった。

このように、通学路には思い出が溢れている。暇な時、寝る前などに思い出して頂きたい、映画や本などでは味わえない感情がそこにはあるはずである。
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A DAY IN THE LIFE
ジャッキーチェンの通学路
『浪漫』。この言葉を聞くと、男なら誰でもググッと腹に力が入る。
ただし、この語尾『チック』が入ると、ヘナヘナと力が抜ける。

『食後の煙草・・・、男の浪漫だゼ・・フフッ』ってな、たそがれモード。よくある話である。
しかし、ここで悪魔の語尾こと『チック』を加えてみよう。『ロマンチックなのよん』と内股になること請け合いである。

ではこの女性っぽい『ロマンチック』と言う言葉は女の専売特許なのか?と言えばそうではない。むしろ、男の方がロマンチックである。内に秘めたるロマンチックがひとたび暴れだしたとき、少々行き過ぎてしまうのは男であるが故の性(サカ)である゛。
というのも、秘めたスケベ、いわゆる『ムッツリスケベ』の方が『オープンなスケベ』よりスケベだと言うのに似ていて、普段、ロマンチックを殺しているからこそ、いざと言うときはここぞとばかり必要以上にロマンチック全開で振舞ってしまうのである。

夜景を見ていたとする。
美しい夜景、爽やかな夜風、寄り添う二人・・、一面の小さな光は全て二人の為だけに光り、最高の時間がそこに流れる。実に、ロマンチックである。するとどういう訳かこれだけで満足できず、ムズムズ、ムズムズと男の中の秘めたる場所から、よっこいしょとロマンティックが動き出す。
そして、髪をピンクに染めた、ドラムを叩くロマンチックの伝道師が現れたとき、『ロマンティックは止まらない』。fufuーである。

『夜景・・・キレイだね。君の方がもっとキレイだよ・・・』

『出ました!!解説の田中さん、ここで来ましたね、君の方がキレイだ台詞!』
『いやいや、これはいけませんよ、いけません』
『うっとりしてるのは、発言した男性の方だけと見受けられますがどうでしょう、解説の田中さん?』
『いやー、その通りですね。女性の方を見てください。テンションが急降下し、興ざめした顔になってますよ。』
『ほんとですね、これは発言した男性のミステイクと受け止めていいのでしょうか?』
『いやー全くその通りですね。これは男性、ロマンチックに潰され自滅してしまいましたね。』
『おっと、男性の方が何やら、もう一言何か発言しましたよ。』

『お前の目に映ったこの夜景、すっげぇキレイだ。おれ、この夜景忘れないよ』

『ここで、またまた来ましたね、解説の田中さん、これは暴走とみていいんでしょうか?』
『そうですね、これは非常にマズイ状態です。彼を見てください、彼は自分に酔ってますよ。』
『と、言いますと、田中さん?』
『彼の目、だいぶと遠くを見つめてますよね?これは非常にマズイです!!』
『彼は自分の台詞に酔ってしまい、彼女の心理が全く読めてないことでいいんですね。』
『そうですね、彼は彼女が肌寒く感じているのを汲み取れていませんね。おっとここにきて小石を投げ出しましたね。』
『ほんとだ、あろうことか小石を投げ出しましたね。おっと、時間も来たようですし現場からは以上です。よつかどさん!!、現場から以上です。』

このように女性は静かな夜景に十分うっとりしているのに、男と言うのはさらに高いところへ、さらにロマンチックへと走ってしまう。ロマンチックの二段重ねである。甘いものがいっぱいあるのと同様にロマンチックがいっぱいあると、女性は胸やけする。

ドラマのような恋がしたい!!
誰しも一度は思う事である。
しかし、現状はコレである。これはドラマではなく、周りから見たらほぼコントである。
ぼくも『浪漫』については、それなりに語れるものの、ロマンチックになるとてんでである。

ロマンチックの演出、これは男に課せられた最大の課題かもしれない・・・。
浪漫と言う名の試練