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ぼくは、酒・特にビールをこよなく愛する男である。だから何なんだといわれたら、返す言葉もないが、ぼくはビールが大スキだと告白したいのである。

そんなビール界の横綱がお酒の正しい味わい方をドカーンと発表します。そりゃないよって事もあるだろうが横綱の意見は絶対なのである。

まず、居酒屋に入る。そしておしぼりが
でる。まず第一のチェックポイント。おしぼりで顔を拭く。これを忘れると美味い酒の味も半減する。男性諸君は礼儀として覚えて頂きたい。アブラギッシキュな顔でお酒を頂こうなんてビールはもちろん周りの友人にも失礼である。

注文の一発目は生中である。カクテル、サワーなど言語道断、そんな選択肢など全く存在しないのである。そして乾杯である。
初心者は乾杯をナメているが、ここが核なのだと勝手に断言したい。考えてもらいたい乾杯は世界のどこに行ったって存在する。地球上に生まれたからにはもはや乾杯は避けては通れない道なのである。うん、もっともな意見だ。つまり乾杯で始まらない飲み会なんて飲み会じゃない、お食事会に過ぎないのである。ではこの大事な乾杯と言うイベントをどう乗り切ればいいかお教えしましょう。

核である乾杯のそのまた核であるのは紛れもなくその表情である。ムスっとしたのや、視線が妙に上を向いていたりしたらいけないのである。表情はニッコリと音が鳴るくらいの笑顔でジョッキは気持ちナナメ、あくまで気持ちナナメである。間違っても90度なんかに傾けるとこぼれちゃうので注意である。グラスを合わせる人は無理のない周囲2Mまでである。遠くの人にまでグラスを合わせることはないのである。無理に合わせようとすると、その人はもう飲み始めているので、飲みながらグラスをコチンとされると歯と上唇の間が痛くなるので要注意である。後は飲んで食べての単純な行為の連続である。

以上のように行えば、必ず飲み会は円滑に進行される事でしょう。ただし、コンパでこれをしちゃうと間違いなくアウトである。人間使い分けが大事である。
秋があっと言う間に過ぎてしまった、今日このごろである。
秋と言えば、食欲!読書!スポーツ!芸術!の暗黙のスローガンが存在する。
『ノンノン、秋といえばぼくちんの誕生日!秋真っ只中の10月30日はぼくちんのバースデーなの!』
と言うような、誕生日だいすきっ子は置いといて、世間一般では、食欲!読書!スポーツ!芸術!なのである。

さて、ここで厄介な問題が発生する。
『食欲の秋』は、秋が旬な秋刀魚や山菜を食べれば満喫できるだろうし、
『読書の秋』は、司馬遼太郎を完読することによってOKである。
『スポーツの秋』は、鼻息を乱れさせて汗をかけばクリアである。

問題は芸術である。
『よっしゃ、いっちょ絵でも描くとするか』
と言ってはみたものの、何を描けばいいのやらである。
『おい、君、君。君の裸体を描きたい。芸術の為だ!頼む』
なんて言っても、ただのドスケベで確実ビンタである。
無難にリンゴを描いたところで10分弱で描き上げてしまい、
『これは芸術ではなく、紛れもなくただのリンゴの絵だ。そうともリンゴの絵としか言い様がない。いや、梨にもみえる。ふむふむ』
と、秋を堪能するどころか鬱になってしまう。

そもそも、芸術とは一体なんなのだ!とアーティスティックな事を考えても、耳から煙で
ある。わかりやすい絵や彫刻から、変なポーズや言動までも、本人が言い切ってしまえば芸術である。だからと言って、ぼくが公園で全身タイツで変なポーズをし、只今秋堪能中なんて言ったところで馬鹿野郎間違いなしである。

では、一体何をすれば堪能できるのだぁ!と海に叫んだところで、わかるはずがない。
ぼくが思うに、芸術の枠ってものは存在しないのだろうか。枠がないっと言い切ったが、
『どうだい、ぼくのこのウンコ。綺麗にトグロまいてるだろっ。アートだろっ』
と言ったお調子者のウンコまで、芸術だと言ってるんではない。
自分の誇れる言動、第三者が見てなんらかの感想が抱けるものが芸術の本質ではないのだろうか。
そして、大多数の第三者が『いいものだなぁ』と感想を抱けば、その1枚のただの絵は、芸術と言う最大級の世辞を得、皆から大切に扱われるのであろう。

だから『芸術の秋』はひとつ趣味を増やしてみようというような乗りで、遊んでしまえばいいのだ。
所詮、芸術なんて人間の作った遊びの延長なのだ。
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A DAY IN THE LIFE
乾杯の極意
秋を堪能すべし