<内容>
「愛と死を見つめて」
「マリ子の秘密」
<ジョートショート・ミステリ>
「記憶」「終着駅」「安楽椅子」「対案吉日」
「ボタンの花」
「海辺のゲーム」
「村一番の女房」
「鏡の中で」
「鼬」
「飛行機でお行きなさい」
「目は口ほどに」
「女に強くなる法(問題編・解決編)」
「廃墟の死体(問題編・解決編)」
「ありふれた死因」
「道づれ」
<資料集>
<感想>
この作品集の著者である芦川澄子という人は、週刊朝日・宝石共催の探偵小説コンテストに入選してデビューを果たす。5年間の執筆活動をした後、鮎川哲也氏と結婚して筆を絶つ。3年後に鮎川氏とは離婚するが、晩年に復縁したという。この作品集は、芦川氏の5年という短い期間に書かれた全ての作品を網羅したものである。
さすがにコンテスト入選作というだけあり、「愛と死を見つめて」は秀逸であった。本格推理というよりも、心理サスペンスという趣が強いのだが、女性が描いたならではのミステリが展開されている。事件を追っていくうえでの主人公の心変わりを見事に描いているところもさることながら、読了後にも読者に疑問を提起する書き方は見事である。
ただ、この「愛と死を見つめて」を超える作品が他になかったことが残念であった。家政婦の日記を盗み見する子供を視点として、資産家の家族の様相を描いた「マリ子の秘密」は、それなりにうまくできていたのだが、その他は短めの作品ばかり。犯人当ての作品も含まれているのだが、おせじにもうまく書かれているとはいえない。内容からすると、むしろ普通の作品として書いた方が良かったのではないかと思えたのだが・・・・・・
デビュー作の「愛と死を見つめて」がうまくできているからこそ、これに次ぐ作品が出てこなかったのが惜しいところ。できれば、この作家の長編を読んでみたかったところである。
<内容>
PART1「密室犯罪学教程 実践編」
PART2「密室犯罪学教程 理論編」
PART3「毒草/摩耶の場合」
「密室作法(改定)」
<感想>
読んでみて驚いた。色々なことに驚かされた。まず最初にPART1「密室犯罪学教程 実践編」というものからとりかかった。この章では10編のミステリ短編を読むことができる。読んでみて、まず感じるのは文章の読みにくさ。昔に書かれた小説なので読みにくいことは当然なのだが、なかなか情景が頭に入ってこない。こういう本を読んだのは小栗虫太郎以来という気がする。そして10編を読み終わった感想というと、“密室”があまり出てこなかったなという事くらい。
しかし、PART2を読んでみると驚くべき事実が浮かび上がる。PART2は評論・解説の章なのだが、何を解説しているかというと、何とPART1の作品を自分自身で解説しているのだ。しかもどう考えても“密室”ミステリとは思えないものを“密室”という分類の中に当てはめて語っているのだ。これには何とも唖然とさせられた。
そしてPART3はではまたPART1と同様ミステリの短編が載っている。こちらはPART1での主人公で切れ者であったはずの島崎刑事が当て馬となり、エキセントリックな刑事の摩耶が活躍するものとなっている。まぁ、PART1と比べると突拍子もないトリックが多くなっていたかなと感じられた。
ざっと感想を述べると以上の通りである。しかし本書はよくよく考えてみれば、あくまでも密室“教程”なのだから表紙からすれば間違ったことをやっているわけではないともいえる。とはいうものの、それらが面白いか面白くないかという事はまた別の話であるのだが・・・・・・
本書はミステリを書くというよりも、密室の分類・定義が先にあり、それに属したものを書くというスタイルで描かれた作品であると感じられた。感覚としては学者が書いたミステリ、いや、ミステリ研究の書といったところであろうか。よって、私的にはあまり物語りとしての評価とか作品としての評価というのは語りづらいものがある。
それよりも自作の解説を抜きにすれば、りっぱな“密室作品”の研究書、評論として読むぶんにはなかなか良いのではないかと思われる。ただし、多くの有名作品のネタバレをしているので読む際には気をつけたほうがよいであろう。
何はともあれ、本書ははっきり言って万人に薦めることができるミステリとは言いがたい。昔のミステリの書をコンプリートしようとか、ミステリに精通している人のみが読むためのマニアックな濃いミステリと言い切ってよいであろう。これはただ単に“密室”好きというだけの人には荷が重過ぎる作品であると思える。
<内容>
「麻雀殺人事件」
「省線電車の射撃手」
「ネオン横丁殺人事件」
「振動魔」
「爬虫館事件」
「赤外線男」
「点眼器殺人事件」
「俘 囚」
「人間灰」
「獏 鸚」
<感想>
海野十三氏により1930年から1935年にかけて書かれた作品のなかで帆村荘六を主人公とした作品を集めた短編集。帆村荘六はシャーロック・ホームズのもじりである。
「麻雀殺人事件」 麻雀をしている最中に死んだ男は誰に? どのようにして殺害されたのか?
「省線電車の射撃手」 電車のなかで起きた連続射殺事件の真相は?
「ネオン横丁殺人事件」 寝床にて天井の節穴から銃殺された男の事件の真相とは?
「振動魔」 振動を利用して、とある殺人をもくろんだ事件の裏に隠された秘密とは?
「爬虫館事件」 失踪した動物園園長の行方は? そのカギは爬虫類館に勤める男が握っているようなのであるが。
「赤外線男」 人の目に映らない男が事件を起こし、東京中をパニックに陥れる。
「点眼器殺人事件」 名探偵帆村は男の謎の死因は点眼器にあると推理し・・・・・・
「俘 囚」 密室を出入りすることができる謎の怪人の正体とは!?
「人間灰」 謎の失踪事件と空気工場の秘密。
「獏 鸚」 “藐鸚”に隠された謎の暗号の正体とは?
80年以上も前の作品にも関わらず、決してミステリとして色あせていないと言えよう。今の時代に読んでも十分楽しめる作品集となっている。面白かったのは「省線電車の射撃手」「振動魔」「赤外線男」あたりか。物理トリックのはしりともいえるような作品がいつくか書かれていると事も特徴と言えよう。
海野氏の作品は、たまに単発で短編集として編纂されることがあるが、むしろ全集としてしっかりと読むことができるようにしてもらいたい昭和ミステリ作家のひとりである。今回、この“名探偵帆村荘六の事件簿”の他にもノン・シリーズ短編集を創元推理文庫で出版してくれており、こういった具合に全てのミステリ短編作品が手軽に読めるようになってもらいたいものである。
<内容>
「電気風呂の怪死事件」
「階 段」
「恐しき通夜」
「蠅」
「顔」
「不思議なる空間断層」
「火葬国風景」
「十八時の音楽浴」
「盲光線事件」
「生きている腸(はらわた)」
「三人の双生児」
「『三人の双生児』の故郷に帰る」(エッセイ)
<感想>
海野十三氏、作品集。こちらはさまざまなノン・シリーズ作品が集められたものとなっている。既読作品も少々あったかなと。
探偵小説としては「電気風呂の怪死事件」が面白い。あっという間に3人の被害者が出そろい、そこから奇妙奇天烈な真相が明らかとなってゆく。銭湯という今とはちょっと異なる風俗的なものがなつかしい。
海野十三氏の代表作ともいえる「三人の双生児」もなかなか。こちらはミステリというよりは、綺譚といった感じ。奇妙な虚実の人生が徐々に明らかになっていくというもの。
その他、幻想作品のようなものがこの作品集では多かったかなと。「蠅」とか「顔」のように、同一のテーマで複数の物語書き上げられているものなどは面白かった。また、全体的に科学的・生物的な分野が取り上げられた理系幻想譚となっているところも大きな特徴と言えよう。
<内容>
「蠅 男」
「暗号数字」
「街の探偵」
「千早館の迷路」
「断層顔」
<感想>
探偵・帆村荘六が活躍する短編を取り上げた作品集の第2弾。今回は、「蠅男」が長編といってもよいくらいの分量で、作品の大半を占めている。その他は短めの作品。
「蠅男」は、江戸川乱歩が描く“怪人対名探偵”風の作品となっている。謎の怪人物“蠅男”が、警察、検事、探偵らを煙に巻き、次から次へと不可能犯罪を巻き起こす。それらに頭脳だけではなく、体も張って対決してゆく帆村探偵の奮闘が描かれている。普通に冒険ものとして面白いと思える。ただ、“怪人対名探偵”風の作品ゆえに、なんとなく子供向けの作品のようにも感じられてしまう。あと、“蠅男”という命名もインパクトはあれども微妙かなと。
その他の作品については、微妙なものばかりという印象しか残らなかった。事件簿1に掲載しきれなかった残った作品という感じ。
「暗号数字」は、途中までは面白かったものの、結局「解かずに終わるのかい!」と・・・・・・
「街の探偵」は、ガスによる事件を扱ったものというか、事件報告のような感じ。
「千早館の迷路」は、中途半端なホラー風の作品。いきなり吸血鬼!?
「断層顔」は、内容よりも設定が凄い。火星探検から帰ってきた男とか、電気分解とか、何気にSFしている。また、ここでは老探偵となった帆村荘六が登場。
<内容>
貧しい大学生・桐原進は友人の古川昌人と起業を計画するが、それを成すには先立つ金が必要であった。そこで古川の手引きにより強盗により金を手に入れようとするのだが、思いもよらぬ殺人事件が起きることとなり・・・・・・
<感想>
本格推理小説を読んだというよりも社会派小説を読んだという感触。倒叙小説でありつつも、工夫をこらした部分も見受けられる。
学生である桐原が起業するために必要な金を稼ぐために犯罪に手を染めようと計画するところから物語は始まる。その計画部分を担う古川と共に貴重品を強奪しようと実行するものの、現場で桐原と古川が争うこととなり、殺人事件が起きてしまう。その後、事件は裁判へと移行していく。
前半の主人公は桐原で、後半からは弁護士の俵が主として物語が展開していく。桐原と古川が貴重品の強奪を企て、実行しようとしたことは間違いないものの、それを主導した者、そして複数の殺人を犯したものとして桐原が全ての件の容疑者とされてしまう。そうしたなか弁護士の俵は、桐原の恋人と友人に依頼され、事件の真相を見抜こうとする。
倒叙小説ゆえに大筋はわかっているので、後半の弁護士のパートについては、最初やや退屈に感じられた。しかし、俵弁護士による桐原への執拗ともとれるような尋問と、そこから検察側の追及との矛盾を見つけ真相を見極めようとする手腕には惹かれるものがあった。また、事件の真相を明らかにする重要なパーツとして現れるものが意外なもので驚かされることとなったのだが、よく考えればそれがタイトルに表されているのだとようやく気づかされる。
「罪と罰」を意識したような物語と弁護士の奮闘ぶりに惹かれる小説であった。昭和という時代を感じ取れる社会派小説でもある。
<内容>
「赤痣の女」
「三月十三日午前二時」
「大師誕生」
「美しき証拠」
「黒 子」
「立春大吉」
「涅槃雪」
「暁に祈る」
「雪に消えた女」
「検事調書」
「浴 槽」
「幽霊はお人好し」
「師父ブラウンの独り言」
「胡蝶の行方 −贋作・師父ブラウン物語−」
<感想>
積読となっていた“大坪砂男全集”の1巻にようやく着手。私はこの大坪氏の作品に触れるのは初めてなのだが、あとがきによると「凝り性の遅筆家」という評価が非常に適したものだとのこと。また、遅筆家とはいえ、それなりに短編作品はあるのだが、有名作もしくは良作として評価されているのが「天狗」という作品のみとのことである。
本書を読んでの感想はというと、凝り性であるかどうかはわからないが、起承転結がわかりにくい小説だなと感じられた。転や結はともかく事件の発端がわかりにくく、いつの間にか探偵小説となっているという作品が多くみられた。意外にも、普通小説が多いのかと思いきや、ここの掲載されている作品は、導入は一見普通に見えながらも、途中から急にしっかりとした探偵小説になっていくというものが多くみられた。
「三月十三日午前二時」などは、後半になると、とんでもない大がかりな探偵小説であると驚愕させられる内容であったし、本編のなかでは比較的わかりやすい「美しき証拠」あたりなどは毒殺小説としてなかなかのものと感じられた。また、「立春大吉」なども、短いページ数ながらも、意外なトリック小説であることを見せつけられる。
あと、最後の二編にブラウン神父ものの作品がアンソロジーのような形で書かれているが、こちらはあまり受け入れられなかった。特に「師父ブラウンの独り言」は、ブラウン神父らしさが全然なかったような・・・・・・
個人的には、凝り性というよりも、癖のある探偵小説を書く作家という感じがした。次の全集2には、噂の「天狗」が掲載されているので、読むのを楽しみにしたい。
<内容>
〈第一部 奇想篇〉
「天 狗」
「盲 妹」
「虚 影」
「花 束」
「髯の美について」
「桐の木」
「雨男・雪女」
「閑雅な殺人」
「逃避行」
「三ツ辻を振返るな」
「白い文化住宅」
「細川あや夫人の手記」
〈第二部 時代篇〉
「ものぐさ物語」
「真珠橋」
「密偵の顔」
「武姫伝」
「河童寺」
「霧隠才蔵」
「春情狸噺」
「野武士出陣」
「驢馬修行」
「硬骨に罪あり」
「天 狗」(初稿版)
「変化の貌」(「密偵の顔」異稿版)
<感想>
「立春大吉」に続く、大坪砂男全集の2冊目。前作のあとがきに大坪氏について“凝り性の遅筆家”とあったのだが、本書を読んでみると、意外と色々な作品をそれなりの数出しているではないかと感じてしまう。しかも全集は4冊まであるし。
本書での目玉はなんといっても「天狗」という著者の代表作と言われる作品。これが読んでみてびっくり。想像を超えるような、なんともいえぬ内容。一人の女性に対するストーカーのような描写から、突然のアクロバティックな完全犯罪実行へとスピーディーに変貌していく。結局のところ“完全”犯罪となったのかどうかはわからないが、その展開と発想に驚かされるばかり。また、他の作品と比較して、描写の仕方がこの作品だけやけに独特であったなと感じられた。
第一部の綺想篇ではミステリ的な作品が取り上げられているが、ミステリというよりは、どれもが男女関係のもつれを描いた作品というように捉えられた。「三ツ辻を振返るな」だけ、少々趣向が異なっていたが、全体的に印象に残るという作品はあまりなく、平凡な物語という域を脱していないようにも思えた。特に、印象に残るようなキャラクターも見受けられず。
第二部は時代篇ということで歴史的な物語であるのだが、不思議と平凡。忍者なども出てくるので、もう少し冒険活劇めいた内容でもよかったと思えるのだが。猿飛佐助とか、いくつかの短編にわたって登場するものもいたので、シリーズ化させるような感じで描いてもらった方が、取っ付きやすかったかもしれない。
「私 刑」
「夢路を辿る」
「花売娘」
「茨の目」
「街かどの貞操」
「初恋 −課題小説に応えて−」
「外 套」
「現場写真売ります」
「第四宇宙の夜想曲」
「密航前三十分」
「ある夢見術師の話」
「男井戸女井戸」
「ショウだけは続けろ!」
「電話はお話し中」
「危険な夫婦」
「彩られたコップ」
「二十四時間の恐怖」
「ヴェラクルス」
「『私刑』絵物語」
「名作劇画『私刑』」
「『私刑』後書」
「水谷先生との因縁」
「純系の感じはどこから来る−大坪砂男評」 木々高太郎
「解 説」 中島河太郎
「『閑雅な殺人』読後−大坪砂男氏の近業」 中島河太郎
「大坪砂男−推理作家群像11」 中島河太郎
「ホフマンと大坪砂男」 紀田純一郎
<感想>
大坪砂男氏についてはさほど知らないので、そんなに作品を書いていないのかと思いきや、全集として集めてみると、結構多くの作品があるようだ。既に全集も3冊目。この作品集では、従来の小説のみならず、犯人当て小説や映画のノヴェライズなど、色々な内容のものが掲載されている。
ただ、このように色々な作品が並べられているものの、印象に残る作品はほとんどない。この作品集ではタイトルにもなっている「私刑」を力を入れて紹介しているようであるが、あまりピンとこない内容であった。黄金の仏像の争奪戦が描かれているのであるが、サプライズというか、細かい伏線とか繋がりに微妙なところがあり、全体的にも微妙になってしまっている。
その他、色々な作品があるのだが、器用貧乏というよりも、どれもがものにならず、色々な分野に挑戦したというような気がしなくもない。ただ当時であれば探偵小説が確立されていたわけでもなさそうなので、小説家として色々と書くのは当然の事か。そもそも大坪氏自体、別に探偵小説家であるという意識はなかったのかもしれない。
【第一部 幻想小説篇】
「零 人」「幻影城」「黄色い斑点」「幻術自来也」
【第二部 コント篇】
「コント・コントン」「寸計別田」「階 段」「賓客皆秀才」「銀 狐」
「日曜日の朝」「憎まれ者」「露店将棋」「蟋蟀の歌」「三つのイス」
「現代の死神」「ビヤホール風景」「天来の着想」「旧屋敷」
【第三部 SF篇】
「プロ・レス・ロボット」「ロボット殺人事件」「ロボットぎらい」「宇宙船の怪人」
【その他】
「推理小説とは」「推理小説私見−大坪砂男氏にこたえて」 高木彬光
「再び「推理小説」に就いて」「困った問題」「讃えよ青春!−不可能への挑戦−」「受賞の言葉」「宮野叢子に寄する抒情」
「戦後派探偵作家告知板」「夢中問答」「改名由来の記」「πの文字」「アンケート「宝石」1951年10月増刊号」
「アンケート「宝石」1952年1月号」「相馬堂鬼語」「意義ある受賞」「怪奇製造の限界」「ミステリーとは何ぞや」
「願 望」「佐久の草笛」「『花束』の作意に就いて」「筆名もとへ戻る」「椅子は空いている」
「短篇形式について」「地下潜行者の心理」「POST ROOM」「私人私語」「重厚な作風」
「人生を闊歩する人」「新人らしく生真面目に」「透明な空間の中にあって」「?の表情」「会計報告について」
「新しき発展へ」「ノーベルが残した五つの賞金」「ミュスカの椅子」「アルバイト」「病気という名の休養」
「アンケート「宝石」1957年10月号」「街の裁判化学」「ふるえ止め」「影の理論」「見ぬ恋に憧れて」
「奇妙な恋文−大坪砂男様に」 宮野叢子
「アラン・ポーの末裔−大坪砂男氏と語る」 渡辺剣次
「幻物語」 山田風太郎
「推理文壇戦後史(抄) 山村正夫
「夢幻の錬金術師・大坪砂男−わが懐久的作家論」 山村正夫
「大坪砂男さんのこと」 色川武大
「故 人」 色川武大
「書評 逆さまの椅子−『天狗』(国書刊行会)」 倉阪鬼一郎
<感想>
大坪砂男氏の作品全集の最後をかざる4冊目。この辺に来ると、残り全部という感触になっており、「幻想小説」「コント」「SF」「その他もろもろ」といった、雑多なものが集められている。
基本的にこの人の小説って、わかりにくいというか“唐突”という感じがしてならない。ゆえに、最後まで読んでもしっくりと来なかったり、よくわからなかったりというものが多かったような気がする。今回の中では表題となっている「零人」が読み応えがあったものの、主題としてはありがちな内容の作品であったという気もする。ただ、“零人”という言葉の意味はそれなりにうまく使われているかなと。
その他「コント集」というものが多く掲載されているものの、どれも面白いというような感じではなかった。これについては、単なる時代のせいだけでなないような気もするのだが。あと「SF」に関しては意外と面白かったなと。そうしたなかで、「ロボット殺人事件」は、そこそこのページ数のもので、SFミステリとして描かれている作品ではあるのだが、これが“唐突”そのもの。面白そうな展開であったわりには、真相がいきなり現れるという感じであった。
後半は、小説のみならず、大坪氏がアンケートに答えたものや、ちょっとした文章を書いたものなど、さまざまなものが掲載されている。これらは、全集というだけあって、とにかく大坪氏の痕跡を全て集めたというような感じ。むしろ、ここまで一つの作品集のなかに集められているところが凄いと感嘆させられる。
この大坪砂男氏についてであるが、幻の作家的な位置づけのようにされているところもあるが、実際のところあまり大衆に受け入れられなかった作家という感じがしてならない。代表作とされる「天狗」でさえ、決して読みやすい作品とは言えず、内容に関しても決して一般的に受け入れやすいというものではなかろう。そういったところから、結局のところいつしかマニアックな作家のひとりというところに落ち着いてしまったのではないかと思われる。こういうような作家は、実際のところ数多くいると思われるが、そうしたなかで一つの代表作があるということと、そしてそれなりに数多くの短編を書いていたという事から、全集が編纂されたということなのであろう。
<内容>
降矢木算哲博士は一度も住まず5年しか経っていない館の内部を大改修した。人々からは“黒死館”と呼ばれるその館。改修後、そこに住む者達は次々と不可解な自殺を遂げていた。そうして当主である降矢木算哲までもが自殺をし、さらなる惨劇が幕を開けることとなる。
現在、黒死館に住むのは算哲の息子・旗太郎と、算哲が連れてきた4人の外国人、そして使用人たち。4人の外国人のうちの一人、グレーテ・ダンネベルグ夫人が神秘的な状態で死んでいるのが発見される。なんと死体となったダンネベルグは自ら光を放っていたのである。
さらに、館に住む者たちへの殺害予告が見つかり、その予告にそうように次々と殺人事件が起きてゆく。次々と起こる事件に法水麟太郎が見出した真相とは!?
<感想>
ついに永遠の積読と思われた一冊を読破! 普通の積読のように、なんとなく読まなかったとかではなく、読もうとして挫折した作品。それをどうにかこうにか読みとおしたわけだが・・・・・・読了したにもかかわらず、結局よくわからない。
大まかな(かなり大まかな)内容については理解できる。黒死館というところで次々と住人が奇怪な死を遂げるというもの。だが、それ以外はほとんどよくわからない。奇怪な死を遂げると書いたものの、その状況が幻想的過ぎてよくわからない。事件を捜査しているはずの法水麟太郎がどのように捜査を進めているのか、よくわからない。最後に真犯人の名が告げられるものの、それにも関わらず全貌が全くわからない。
といった、不可思議な作品。歴史的価値として、こういった不可思議な館で起こる連続殺人事件を描いた作品は、当時他の作家によっては書かれていなかったのではなかろうか。新本格ミステリ台頭後の今であれば珍しくはないが、その前の作品と考えると、代表作的なものを挙げようとしても思いつかない。また、他の作家では描きようのない怪しげな小栗虫太郎ならではの作風に彩られているというのも大きな特徴なのであろう。
そう考えれば、確かに日本三大奇書の名にふさわしい怪作と言えよう。本来、一度読んでよくわからなかった作品については再読することを考えるのだが、この作品については再読したからといって理解できるとはというてい思えない。果たして、生きている間にもう一度読むことがあるのかどうか。それでも、本棚の一角にとどめておくことは間違いなかろう。
<内容>
A女学院にて働く女教師ニシ・アズマ。彼女はちょっとした出来事などからその裏に隠される真相を導き出してしまう。そんな彼女の元にいろいろな事件の話が持ち込まれてきたり、または彼女自身が首を突っ込んでみたりとさまざまな冒険譚をつむぎだしていく。
<感想>
全編にわたって何かモダンな印象を受ける作品集である。何がモダンかというと名前の表記が“ニシ・アズマ”となぜかカタカナ表記であるとことが変わっている・・・・・・というのは冗談として、この作品が45年前に書かれたものであるとは信じられないくらい現代風なのである。それを考えると当時であれば本書に対してモダンな印象を受けたという人もいるのではないだろうか。
内容は今で言えば“日常の謎系”というのがしっくりとくるものである。そんな昔からもこのような作風のものが書かれていたのだなと感心してしまうことしきり。
本書はミステリーであるのだが、“ニシ・アズマの推理”というよりは“ニシ・アズマの奇妙な日常”とでもいったほうが良いように思える。女教師のニシ・アズマが日常のなかで見た人々の奇妙な行動に対して疑問に思ったことを検討するというもの。とはいってもその中にも推理小説としてすぐれた作品もいくつかは見受けられる。なかでも「蛇」という作品なんかは、はっとするような推理が展開されている。一編、一編は短いもののメケルマンの「九マイルは遠すぎる」をほうふつさせるような作品なども含まれている。
<内容>
「オラン・ペンデクの復讐」
「オラン・ペンデク後日譚」
「オラン・ペンデク射殺事件」
「海鰻荘奇談」
「海鰻荘後日譚」
「処女水」
「蜥蜴の島」
「月ぞ悪魔」
「蝋燭売り」
「妖蝶記」
<感想>
香山滋氏といえば、“ゴジラ”の原作者として知られる人物であるが、本書はその著者の原点を知ることができる作品集となっている。
ここに取り上げられている作品は、1947年から1958年にかけて様々な雑誌(「宝石」など)に掲載されたものである。どれもが冒険小説となっており、さらにはそのどれもが“秘境”を思わせるようなものとなっており、そこに著者独自の作風というものを感じ取ることができる。
最初の3作品は“オラン・ペンデク”という新種の人種をとりあげたものとなっており、単なる冒険譚というだけでなく、ミステリ的なものも感じさせるような内容に仕上げられている。ただ、肝心の“オラン・ペンデク”というものの設定が微妙であるような感じは否めないが、あえてそういった特殊なものを持ち出してきたところは賞賛すべきところなのであろう。ただ、それならばいっそうのこと、オラン・ペンデクのみで一冊の作品を仕上げたら良かったのではないかと思えてならない。
「海鰻荘奇談」とその後日譚は、2作でひとつのセットというようなもの。一見、普通のミステリ小説のような形態をとっているのだが、子供たちの出自をあえて異様なものにしてしまうところが変わり種と言えよう。それにより、普通の別荘でのミステリが一気に、魔境的な味わいに変わってゆくことに。
美少女と怪奇な容貌の教師との恋(?)の行く末を描いた「処女水」
謎の生物の正体が明かされる「蜥蜴の島」
雑誌記者が老紳士から聞いた、海外で遭遇した見世物女との恋を語る「月ぞ悪魔」
謎の蝋燭売りの蝋燭を通して描く男の女の秘め事を幻想的に描いた「蝋燭売り」
幻惑的な“蝶”にたぶらかされる男の行く末を描く「妖蝶記」
“オラン・ペンデク”や“海鰻荘”意外の作品のどれもが怪しげな“魔境”的なものを思い起こさせるようなものとなっており、妖しい幻惑と冒険心に彩られた作品集となっている。ミステリ的な内容ではないものの、昭和に描かれた冒険的幻想譚として楽しむことができる。
<内容>
会社社長・真山十吉の前に現れた女は、昔別れた恋人そっくりであった。ただ、その恋人はすでに亡くなったはず。話を聞いてみると、彼女は真山がかつて交際していた尾崎嘉代子の妹で伊都子だという。二人は会うたびに惹かれ合い、やがて結婚することに。その後、真山の会社の経営に関連した事件が起こることとなり・・・・・・
<感想>
話の最初に、この作品はエログロの探偵小説ではなく・・・・・・といったような内容がわざわざ書かれている。これは、当時の探偵小説に対する偏見が強かったのであろうかと想像する。本書を読むと、普通の社会派っぽいミステリ作品という感じであったが、この当時はこのような作風のミステリはまだ書かれていなかったという事なのであろうか。
ページが薄めで、あっさり目のミステリという感触の内容。かつての交際相手の妹と再婚することとなった会社社長にまつわる事件を描いている。社内での内紛、過去の恋愛模様から派生した復讐劇、会社社長の地位に対する嫉妬、そういったものが絡み合って起こる事件。果たして、事の真相は・・・・・・
タイトルにある“三面鏡”に込められた心理的な意味合いが面白い。全体的には薄味で、ちょっとそれぞれの要素について描き足りないような気がした。まぁ、それでも書かれた時代から考えると、社会派ミステリの先駆け的な作品と言えるのかもしれない。
<内容>
昭和の時代に世間をにぎわせた怪人二十面相。その正体はサーカスの団員であった武井丈吉という男であった。丈吉はサーカスで学んだ技、そして自分で考案したさまざまな手妻を使うことによって、世間のその名を知らしめ、やがて怪盗と呼ばれるようになってゆく。そして、名探偵明智小五郎と小林少年との因縁。さらには、丈吉の跡を継ぎ二十面相を名乗る事となる、かつてのサーカス団の弟子・平吉。怪人二十面相に隠された真実が今明かされる。
<感想>
この作品は昔ハヤカワ文庫で読んだ事があるのだが、ほとんどその内容を覚えていなかった。今現在、ちょうど江戸川乱歩全集を読んでいるところなので、タイトルを見て、かつ完全版ということなので購入して読んでみたしだいである。
ただ読んでみた感想としては結構不満が多い。といってもその不満とは作品自体というよりは、そのスタンスにある。本書では“怪人二十面相”をにくめない人望のある人物として描き、探偵の明智や小林少年については非常に嫌な人物として描いているのである。その事については著者が江戸川乱歩シリーズを読んだことによって感じたものを一つの作品にしたわけであるから良いも悪いもないのだが、いくらなんでも特に探偵の性格の差異については極端すぎるのではと感じられた。
また、怪人二十面相を元サーカス団の団員として設定するまではいいとしても、その後の怪盗としての活動が不十分にしか描かれていない。できればもっとアイディアを取り入れて書いてもらいたかったところだが、この辺はあくまでも乱歩作品を下地にして、それ以上のアイディアというものは見られなかったように思える。
そして、特に平吉が名乗る二十面相に関しては自分のアイディアがなく先代のノートを見て泥棒修行をしたりとか、また明智と二十面相の闘いがほとんど両者の談合によって行われているといったところもどうかと思われる。
ある程度のリアリティを用いて二十面相を描いたようではあるが、変にリアリティ過ぎて、二十面相が単なる庶民としか感じられないように思えてしまうのは、何か残念な気がする。これはあくまでも私見であるが、私にとっては二十面相というのはもっと超人的な人間のように感じられたからこそ、この作品が残念に思えてしまうのだろう。
まぁ、あくまでも著者の思いをぶつけた本という位置付けで良いのであろう。ある種の二十面相研究書と言ってもよいかもしれない。
<内容>
作家の野津田は糖尿病になりかけ急遽病院に入院することとなった。そのときひと悶着遭って、どの病室に入るかなかなか決まらなかったのだが、最終的に東病棟第四号室に決まった。実は、そこはいわくつきの部屋であり、幽霊が出るという噂が!? なぜそのような噂があるのかというと、役人の横領・心中事件の後、当の男女がここに入院したという。ただし、男は死亡し、女は病院から逃亡した後入水自殺をしたという。さらには、役人が横領した八千万円の行方がわからないままだとか。野津田は妻と友人の石毛警部の力を借り、事件を追うことにしたのだが・・・・・・
<感想>
楠田匡介という名前は聞いていたものの、どうやら長編小説を読むのは初めてのよう。何気に有名な小説家のような気もするが(似たような名前の別の人と間違えているのかも)、今の時代に入手しやすい長編小説は少ないようである。ひょっとすると、今後この河出文庫で紹介されることになるかもしれない。
この作品、導入はなかなか面白い。いわくつきの病室に入院した作家が暇をもてあまり、病室に出るといわれる幽霊の正体を追っていくというもの。その病室では8千万円を横領した役人が心中事件を起こしたのちに死亡した場所といわれ、しかも8千万円の行方が未だにわかっていないというのである。当の作家とその妻、さらには友人の警察官の協力を得て、事件に対する詳細な捜査が始まってゆく。
というところまでは面白かったのだが、後の展開がいまいち。普通に物語が流れてゆけばすむところを、無駄に複雑にしてしまっているという感じがした。特に、犯人ら首謀者たちのひとりが作家の妻に似ているとかは無駄なギミックであったとしかとらえられなかった。
ユーモア小説的な作風も相まみえて、なかなか読ませる小説に仕上げられているだけに、後半になるにつれ、話がグダグダになってくるところが惜しかったかなと。もう少し、ページ数を削って、締まった作品とすれば、それなりの有名作となったのではなかろうか。
<内容>
東京・丸の内の路上に止められた自動車内から首切り死体が発見された。自動車の持ち主を調べると、資産家の熊丸猛のものとわかり、当の熊丸が殺害されたのかと思いきや、当人はちゃんと生きているのが発見された。では、自動車のなかで発見された熊丸に似た死体はいったい誰なのか? この不思議な事件に関わることとなった探偵小説家の村橋信太郎は、熊丸の家を訪れる。するとそこは多くのカエルが集められた“蟇屋敷”として近所では有名な曰く付きの屋敷だった。村橋はその後さまざまな怪事に遭遇することとなり・・・・・・
<感想>
出だしは本格ミステリっぽい始まり方であるのだが、話が進んでゆくとジュブナイル風のサスペンス冒険小説となってゆく。また、サスペンスはサスペンスでもどこか白々しいような感触の内容。なにしろ徹頭徹尾、
「危ないから近づくな、かかわるな!」
「何が危ないんだ?」
「それは言えない」
という繰り返し。もう少し工夫できなかったものかと。
物語上の謎となっている、よく似た男の秘密とか、蟇屋敷の秘密とかに関しては非常にわかりやすいもの。まぁ、元々そんなガチガチのミステリ小説として書かれた作品ではなく、娯楽大衆小説として書かれたのかなというような印象を受ける。
<内容>
商事会社社長・村井喜七郎。生きているにも関わらず、何故か彼の死亡広告が新聞に掲載されてしまう。冗談好きの村井は、これを利用して模擬生前葬と還暦祝いを企画することに。すると、親族らの嫌な予感があたり、生きていたはずの村井喜七郎が棺桶のなかで死体として発見される。しかも、その後死体が消失するという事態までが起きてしまう。門前署刑事・鹿島、喜七郎の娘の婚約者・中沢保は、法医学者・小窪介三の力を借りて真相を探ろうと・・・・・・
<感想>
最近、河出文庫から“KAWAEノスタルジック 探偵・怪奇・幻想シリーズ”として、ミステリ小説の古典作品が復刊されている。それによりさまざまな作品に触れることができるようになった。しかし、そこで感じたのは昔のミステリ小説の作風というか構造が今とはずいぶんと異なっているなと。本格ミステリっぽい展開を期待して読むものの、そのどれもが冒険小説っぽい展開となっているのである。実際のところ、今でいう本格ミステリと過去の本格ミステリとでは、だいぶ構造の違うものであるのではないかと、最近にしてようやく感じるようになってきた。
そこで本書「疑問の黒枠」についても、同様のことが言える。序盤は、謎の毒殺、死体の消失、そして怪しげな登場人物たちと、本格ミステリっぽい展開で始まるものの、途中からは他の古典的ミステリ作品と同様に、いささか冒険小説っぽいような展開となる。それでもこの作品はまだ、冒険小説っぽさが幾分抑えられていたかなと思いつつも、もうちょっと本格色が濃ければなと、感じずにはいられなかった。
内容は面白いものの、いささか荒々しさが目立つ作品。重要容疑者であった人物について、あっさり目に物語上スルーしていったり、伏線の回収が雑であったりと、どこか大雑把なミステリ。探偵役として活躍を期待させられた法医学者の扱いについてもいささか荒々しい。全体的に微妙だと思いつつも、昔のミステリ作品ってだいたいこんな感じだったのだろうと、納得せざるを得ないのであろう。
<内容>
「幽霊紳士」
「女社長が心中した」
「老優が自殺した」
「女子学生が賭けをした」
「不貞の妻が去った」
「毒薬は二個残った」
「カナリヤが犯人を捕らえた」
「黒い白鳥が殺された」
「愛人は生きていた」
「人妻は薔薇を怖れた」
「乞食の義足が狙われた」
「詩人は恋をすてた」
「猫の爪はとがっていた」
「異常物語」
「生きていた独裁者」
「妃殿下の冒険」
「5712」
「名探偵誕生」
「午前零時の殺人」
「妖婦の手鏡」
「密室の狂女」
「異常物語」
<感想>
柴田錬三郎氏といえば、眠狂四郎シリーズなどで有名な剣豪小説家。長年の作家生活の中で実はこのようなミステリ小説も書いていたようである。それが2014年に創元推理文庫から「幽霊紳士」と「異常物語」の2冊合本として復刊された。
「幽霊紳士」はサスペンスミステリ系推理小説。連作短編というか、主人公が次の作品の主人公へとバトンタッチしていくというようなリレー形式のような構成。さまざまな謎を、幽霊と思わしき“紳士”と自称する謎の男が解決してゆく。
基本的にどの作品も痴情のもつれから発生する事件を描いている。前半から後半へと行くにしたがって、ややマンネリ化しそうと感じられたものの、奇想天外なアイディアによって、最後の最後まで飽きさせない内容となっている。ミステリとして決して完成度が高いとは思えないのだが、“フェアなミステリ”というようなことを念頭に置いていないからか、それにより予想外の結末を楽しむことができる。惜しいと思われるのは、探偵役である幽霊紳士の必然性があまりにも薄いところ。
作品を読んでいて感じたのが、これらは戦後に書かれた小説なのだが、女性がたくましく描かれているなと感じられた。それに引き換え、男性諸氏のみが戦後の重みを引きずりつつ、しょぼくれていると感じられてしまった・・・・・・
「異常物語」は、ミステリというよりは綺譚を描いた作品。歴史上の人物を交えながら、さまざま物語が語られる。内容としてはそれほどのものではないのだが、しっかりとした文章でしっかりと背景を調べて書いているので、きっちりとした作品と感じさせられる。作品のなかにホームズ譚も混じっているものの、ちょっといまいちという印象であった。
<内容>
【未来への危険な旅】
「宇宙大密室」
「凶行前六十年」
「イメージ冷凍業」
「忘れられた夜」
「わからないaとわからないb」
【心のなかへの奇怪な旅】
「変 身」
「頭の戦争」
【機内サービス映画】
「カジノ・コワイアル」
【民話へのおかしな旅】
「鼻たれ天狗」
「かけざら河童」
「妖怪ひとあな」
「うま女房」
「恋入道」
「一寸法師はどこへ行った」
「絵本カチカチ山後篇」
「猿かに合戦」
「浦 島」
【追加オプション 見知らぬ過去への旅】
「地獄の鐘が鳴っている」
【都筑道夫インタビュー】
「日本SF出版黎明期」
<感想>
都筑道夫氏というと、基本的にはミステリ作家というふうにとらえていたのだが、実はSF界に貢献した人物であると、この本のあとがきを読んで初めて知る。SF関連の書籍の翻訳から、編集編纂紹介と幅広く手掛けてきたようである。一応、SF関連の作品も書いてはいたようだが、数が少ないせいか、著作としてはさほど有名にならなかったようだ。
この作品集はその貴重な都筑氏によるSF作品が収められた作品なのであるが、全部が全部SF作品というわけではないのが残念なところ。タイトルこそ「宇宙大密室」であるが、目論見としては今まで他の作品集には掲載されなかった作品を集めたという趣も強いようである。よって、以前徳間文庫版で出版された時には別のタイトルとなっていた。
それでも「宇宙大密室」という作品はなかなかの内容。アシモフのSFミステリ作品を頭に思い描いてしまった。短めの作品であるというところが残念なのだが、真犯人の動機が実にうまく練られている。
「凶行前六十年」や最後に掲載されている「地獄の鐘が鳴っている」はタイムマシンを扱った作品。近年の時間旅行ものというと妙に理屈っぽいが、細かい事を抜きにした昔に書かれた日本SFの時間旅行もののほうが、自由な発想で楽しめるものが多いように思える。
他にも色々な内容のものが収められているのだが、個人的にはSF作品のみで固められたものを読みたかったところである。何しろわざわざ創元SF文庫で復刊されているわけなのだから。それでも巻末のインタビューや解説などはSF黎明期を存分に味わえるものとなっているので、それだけでも十分に価値のある一冊と言えるかもしれない。
<内容>
精神科医の私のもとへ、警察から丹野という男の精神鑑定の依頼が来た。丹野は自殺を図ったものの未遂に終わり、警察に保護されたのだが、人と殺してしまったと語っているのだという。しかし警察が調べたところ、当の殺されたはずの人物は生きているのだという。私は事件の深層を調べるべく、殺されたといわれるマンションに住む人妻のもとへと向かうのであったが・・・・・・
<感想>
これはなかなか面白い本であった。ジャンルとしては心理サスペンスとでもいえばいいのであろうか。最近読んだ本の中ではジョン・F・バーディンあたりを思い起こさせるような内容である。
話は不可思議な場面から始まってゆく。精神科医と殺されたと言われている人妻との会談が交わされる。ここを最初読んだときは、ただ単に丹野という患者の妄想というだけに留まり、話がどのように広がってゆくかがまったくわからない。そして精神科医は、その人妻と丹野に関わっているものたちと次々と会っていき、話を聞き続ける。すると、それが最終的には一つの線で結びつかれ、とある事件への道筋がつながってしまうのである。この構成はお見事としかいいようがない。
本格推理という内容ではないのだが、サスペンス小説としてはなかなかの傑作ではないだろうか。内容だけでなく、全編を多い尽くす、どことなくけだるく怪しい雰囲気が個の作品としての特徴となっている。読んだことのない人は、この復刊の機会を逃すなかれ。
<内容>
下町の小さな相撲部屋に突如、大砲から砲弾が打ち込まれるという事件が起きた。さらには、牛乳に石見銀山が混入され、飲んだものが病院に運ばれ、神社から盗まれた将軍家拝領の弓矢によってけが人がでるなど、奇怪な事件が相次いで起こる。高校生の3人組が野次馬根性を発揮して事件を調べてみると、なんと町内に住む作家が連載している小説と同じことがこの町に起きていることに気がつく。これは小説に見立てた事件なのか・・・・・・?
そう思いついた矢先、こんどは相撲部屋から親方の小学生の一人娘がさらわれ、犯人は世にも奇妙な要求をしてくる。これも先の事件となんら係わり合いが??
<感想>
コミカルな下町コメディとでもいう作品であろうか。ズッコケ3人組ともいえる主人公達が出てきて、彼らが住む街で奇怪な事件が次々と起こる。そこへ、主人公達があちらこちらと顔を出しながら、事件を解決というよりはさらなる混乱を巻き起こし、物語が進んでゆくというもの。
本書の特徴はこの江戸っ子気質とでもいうような下町の様子がうまく表わされていることだろう。粋な職人が出てきたり、細かいことを考えないような登場人物らや力士やすし屋と、楽しい登場人物のオンパレードである。
また、物語の展開も速いスピードで事件が起き、さらには奇妙な誘拐事件までが起こり、あっという間に読み終えることができてしまう。肝心の事件自体は、最後で煙に巻かれたか? というような気もするのだが、話としてよくできていたと思うのでそれなりに楽しむことができた。
ただ、一番不満に思えたのが“探偵役”についてである。読み始めたときは当然、主人公3人組が事件を解くと思っていたのだがそういうわけではない。というよりもこの3人組自体がさほど活躍していないというのはどういうことだろうと疑問に思われた。これならば、語り手が1人で出てくれば済むことではないかと感じられる。探偵の役割をするものを、もうすこし前面に押し出したほうが、もっとわかりやすいユーモア・ミステリーとなったのではないだろうか。
<内容>
高校野球のコーチが度々命を狙われる羽目に。原因はいったい!? ちょうどその時期、超高校級のエースが転向してきたことに何か関係があるのか。そして事件は誘拐事件にまでへと発展して行き・・・・・・
<感想>
前作に続き、ドタバタミステリーとして楽しむべき内容である。軽快なテンポで話が語られてゆき、あれよあれよという間に物語りは大団円へとなだれ込むという作品である。
ただし、ミステリーとしての評価はまぁまぁといったところであろう。今回は前作に比べれば、探偵らしき人物が固定されている分、全体的な構図としてわかりやすいと思える。ただ肝心の謎自体に一貫性が無く、全てがバラバラであるものを無理やりひとまとめにしたという感じがしてしまう。複数の要素のものを一つなぎにしてしまう力技には感心するのだが、説得力がやや弱かったように思えた。
何はともあれ、それなりに楽しませてくれるミステリーであることは確か。年齢に関係なく、誰でも気楽に手に取れる本である。
<内容>
おなじみ三人組はデパートのお化け屋敷にて首吊り死体を発見する。しかし通報を受けた警察が着たときには死体の影も形もなかった。その事件を発端にして起こる盗難事件の数々。謎の怪盗の正体を三人組は暴くことができるのか。今回は天才棋士の力を借りて謎を解く。
文庫化されなかった幻のシリーズ3作目が17年ぶりについに文庫化!
<感想>
おなじみ(といても3作のみだが)3人組が謎の怪盗を追いかけて、事件の裏の謎にせまるドタバタコメディ・ミステリー。今作は前2作に比べると少し薄く全体的に、より薄味な印象。まぁ、気楽に手に取れ、手軽に読めるということでよいのではないだろうか。
しかしその内容はよくよく考えれば首をひねりたくなってしまう。結末まで読んで全てが明らかになった時点で全体を考えてみると、これほど大騒ぎにする必要はなかったのではと考えられる。むしろ、大騒ぎになればなるほどまずい結果になるのではないだろうか。本書のような内容であれば、第三者ではなく当事者自身が身近な出来事を不思議に思い、そこからミステリーに発展していくというのが自然ではないかと感じられるのだが。
というわけで、いちおうシリーズ全巻も復刊した“名探偵シリーズ”なのであるが続けて読んでみて不思議に感じられるところがある。それは主要の3人の主人公以外の登場人物が巻が変るごとに全く変ってしまって、前作に出ていた人物のほとんどが出てこないということ。これはせっかくのシリーズであるのに何でこのようにしたのだろうかと考えてしまう。そうするのなら、わざわざシリーズにしなくてもよいのではないかと思うのだが・・・・・・。どうもあとがきではこのシリーズの四作目を執筆中とのことであるが、そんなにこのシリーズにこだわる必要があるのかどうか??
と、大人の立場で文句を言ってみたが、基本的のこのシリーズは少年向けの本ということなのかな。
<内容>
実業家の令嬢から事件の依頼を受ける探偵・藤枝真太郎とその友人である雑誌編集者の小川雅夫。二人は令嬢から秋山家を襲う不気味な謎の手紙の存在を聴くことに。その手紙により、主人である秋山駿三は隠遁し、家に閉じこもるようになったという。さっそくその謎を調べ始める藤枝と小川であったが、その後すぐに事件が起こることとなる。秋山駿三の妻・ひろ子が毒により死亡したというのだ。これは自殺なのか? 他殺なのか? 事件を調べていくうちに次々と起こる殺人事件。自体は連続殺人事件へと発展してゆく。令嬢から依頼を受け、事件を調べ始めた探偵・藤枝と屋敷の主人から依頼された探偵・林田英三、さらには警察捜査が続く中、殺人事件は止められず・・・・・・
<感想>
長らくの積読であったハヤカワ・ミステリのなかで数少ない日本人作家が描く作品のひとつである「殺人鬼」。これだけでも昭和の代表的な作品と言えるのではないかと思うのだが、あまり推理小説史においてこの「殺人鬼」が取り上げられることはないような気がする。また、この作品の内容について別のミステリ作品で取り上げられているような事はなかったと思われる。三大奇書と言われる作品であれば、それぞれよく言及されているのを目にするのだが。
本書を実際に読んでみて感じられたのは、やや地味な話かなと。連続殺人事件が行われるにも関わらず、それぞれの事件が地味に思え、この作品のみというオリジナリティが少ないように感じられた。また、実在の事件を元にした事件が取り入れられたり、度々「グリーン家殺人事件」を取り上げたりと、むしろオリジナル作品というよりも、パスティーシュめいた雰囲気さえ感じられてしまう。
とはいうものの、全体的に出来が悪いかといえばそんなことはなく、この作品が書かれた1930年代にこれだけの分量のミステリ作品が日本で書かれたということ自体がすごいことだと考えられる。動機とか、過去の因縁とか、そういった地味な方面に力を入れ過ぎていると感じられるのだが、それゆえにきっちりと書かれた作品だともいえないことはない。
もう少し、全体のなかでどこか突出するところがあれば、もっと有名な作品になったのではないかと惜しいところである。もっと猟奇的にとか、もっと奇怪な探偵を描き上げるとか。それゆえに、今の時代に読んでしまうと地味な探偵小説という印象しか残らないところがとにかく惜しい次第である。
<内容>
探偵事務所をかまえる元検事の藤枝真太郎とその友人の小川。小川のいとこの大木玲子が相談事があると探偵事務所にやってきて、殺人の現場を見たという。藤枝と小川が現場へと行ってみると、そこで質屋の主人らしき人物が鎖に縛られた状態で殺害されていたのを発見する。その事件を発端とし、事態は連続殺人事件へと発展していく。不可解な事件の動機とはいったい!?
<感想>
浜尾四郎氏というとハヤカワミステリから出ている「殺人鬼」が有名。この作品は、その「殺人鬼」の次にあたる事件を描いており、引き続き元検事である探偵・藤枝と助手の小川の二人が活躍する作品となっている。
この作品の方が「殺人鬼」よりもずっと、取っ付きやすいと感じられた。ゆえに「殺人鬼」を読んで微妙と思い敬遠している人には、ぜひともお薦めしたい。また、浜尾四郎氏の作品を読んだことがないという人には、是非ともこちらから読むことをお薦めしたい。
内容は鎖に縛られた状態で殺害されるという連続殺人を描いたもの。この時代に書かれた作品らしく、本格推理小説というよりは冒険小説の趣が強いものとなっている。それでも、スピーディーな展開により物語が進められていくので、その内容に惹きつけられることとなる。
犯人が犯行を行った動機については意外とうならされる。また、真犯人の正体に関しても、なかなか工夫がなされている。それなりに面白く出来たミステリ作品といえよう。ただ、被害者が多すぎて、探偵の役割が機能していないのではないかと(まるで金田一耕介みたい)感じられる部分もある。とはいえ、この時代に書かれたミステリのなかでは、かなりよく出来ている部類に入ると思われる。
<内容>
都内にて放置された盗難車両から青年の変死体が発見される。新聞記者である神尾はその事件の発見者であり、やがて被害者が新潟の資産家の娘・山津瑛子の婚約者であることを突き止める。すると、その当の山津瑛子が東京を訪れ、神尾に対し、事件に不審なものを感じるのだと告げる。その後、新潟で瑛子が行方不明になるという事件が起き・・・・・・
<感想>
80年以上も前に書かれた探偵小説の復刊作品。この作品は森下雨村氏の処女作でもある。
読んだ感想はというと、ごちゃごちゃしているというか、あまりにも視点が定まらない作品であるなと感じられた。序章では主人公が神尾という新聞記者なのかと思わせておいて、その後は新潟に住む永田という新聞社の客員とかいう素性のわかりにくい人物。ただ、では物語の進行が永田に移り、そこから全てが永田の視点になってゆくかというとそういうわけでもなく、また神尾に移ったりと、どこか全体的にあやふやな感じ。
事件自体も、最初に東京で青年の変死体が見つかるものの、それはメインではなく、主となる事件はあくまでも資産家の令嬢失踪事件。ただし、この失踪についても死体が発見されたわけではないので、これにかんしても、あやふやな感じでの進行となってゆく。
全体的に何を基盤として全体を見ていったよいのかがわかりづらく、その割には登場人物らの関係性を複雑にしてゆくので、どうにも内容を把握しにくい。最終的にうまく話をつなげていると思われる部分もあるものの、もう少しうまく書けたのではないかと感じられる部分もある。処女作であるから仕方のない部分もあるかもしれないが、なんとなく惜しい大作という印象が強い。
<内容>
定期船が沖合で破損し、もうすぐ沈没しようというとき、ひとりの男が救命ボートに乗ろうとする女性に“大事なものを預かってほしい”と懇願する。さらに、貴重なものなので不審な者に注意するようにと言われた女性は、快く依頼を引き受ける。船上で男が預けたものはロマノフ王朝に伝わるダイヤモンドであり、その後多くの者たちが、ダイヤを預けられた女性を探そうと争奪戦が繰り広げられ・・・・・・
<感想>
「白骨の処女」に続いて森下雨村氏の作品が河出文庫にて復刊されたのでこちらも購入して読んでみた。これら2冊を読んだ感じでは、本格ミステリを書く作家というよりも、広い意味での色々なミステリを欠いていた作家という印象(といっても、それほど多くの長編は書いていないようだが)。
こちらの作品は冒険譚という感じの内容。高価なダイヤモンドを巡る争奪戦が繰り広げられるジュブナイル的な作品。イメージとしては、クリスティー描くトミー&タペンス(素人の男女が探偵となり冒険をしていくというというもの)を思い起こすようなもの。
まぁ、面白くはあったものの、普通の昔に書かれた冒険小説という感じ。1930年に書かれた小説ということで、そこに読みどころはあるかもしれない。全体的に意外と明るい雰囲気であるところが特徴というか、ジュブナイル的。
<内容>
[PART1]
「砧最初の事件」
「銀知恵の輪」
「死の黙劇」
「金知恵の輪」
[PART2]
「扉」
「神技」
「厄日」
「罠」
「宗歩忌」
「時計」
[PART3]
「離れた家」
<感想>
単行本化は初という幻の作家・山沢晴雄氏。どのような作品を書いているのかと思いきや、どうやら昔、光文社文庫で「離れた家」を読んでいるようなのだが全く覚えていなかった。よって、全ての作品を新鮮な思いで読むことができた。
[PART1]に代表されるように山沢氏というのは基本的にはアリバイものを書くのが作風といえよう。ただし、単なるアリバイものというわけではなく、そのアリバイを必要以上に難解にしてしまうのが最大の特徴といえるであろう。最初のほうの短編にしても、30ページ前後という短い作品にもかかわらず、きちんと読んでいかないと何を行っているのかがさっぱりわからないという書き方がなされている。この作風は、どうにもマニア向けという気がしてならなく、このような形で単行本化されたのは実に正しいことであるといえよう。
[PART1]では私立探偵の砧という人物が事件に巻き込まれながら懇意にしている警部とともに事件を解いていくというもの。これらの作品のなかでは「砧最初の事件」が一番よくできていると感じられた。アリバイトリックには詳しくないので、ひょっとしたらこの作品の前例があるかもしれないが、なければまさに“最初の事件”と言うにふさわしいトリックであろう。
[PART2]はノン・シリーズをまとめた章となっている。その中でも興味深かったのが「扉」という作品。これは一見パズラーのようにも見える作品であり、読者に考えさせる作品である。ただし、最終的にはちょっと違うところに到達してしまうのだが、物語としてもよくできているのではないだろうか。
「神技」という変わった作品に対して、それを補完するかのような「厄日」という2作で形を成している変わった作品が掲載されている。ただし、補完といっても、それで本当に完成させたと言えるのか微妙なところである。この2作品こそ、山沢氏のマニアックな作風を顕著に表す作品と言えよう。
また山沢氏が将棋に対する愛情がこめられている作品が[PART1][PART2]と続けて描かれている。これもまた著者のこだわりを表すものなのであろう。
[PART3]は100ページからなる中編「離れた家」が収められている。個人的にはこれ一作だけでも十分という内容であった。
降霊術の雰囲気を秘めたなかで行われる瞬間移動トリックが用いられている。ただし、そのトリックがとあるアリバイトリックにより簡単に解かれる・・・・・・と思いきや、さらにそこから複雑なアリバイトリックへと発展していくところが見事である。これは一見の価値がある作品と言えよう。
というわけで、一般受けする作風とは言いがたいものの、推理小説に対する独特のアプローチ方法を確立しており、語り継がれるべき作家であることは間違いないと思われる。まさに日下三蔵セレクションにふさわしい作家である。
<内容>
[小 説]
「影」 「少女」 「象牙の牌」 「嘘」 「赤い煙突」 「父を失う話」 「恋」 「可哀相な姉」 「イワンとイワンの兄」
「シルクハット」 「風船美人」 「勝敗」 「ああ華族様だよと私は嘘を吐くのであった」 「遺書に就て」 「アンドロギュノスの裔」
「花嫁の訂正 夫婦哲学」 「或る母の話」 「男爵令嬢ストリートガール」 「浪漫趣味者として」 「巷説『街の天使』」
「悲しきピストル」 「指環」 「モダン夫婦抄」 「モダン夫婦抄 赤いレイン・コートの巻」 「四月馬鹿」 「夏の夜語」
[掌 篇]
「春ノ夜ノ海辺」 「夕の馬車」 「小さな聖人達に与う」 「淋しく生きて」 「若き兵士」 「森のニムラ」
「足 素人製作者のための短篇喜劇」(「鏡」 「不幸」 「風景」 「足」
「兵隊の死」
「子供を泣かしたお巡りさん」(「子供を泣かしたお巡りさん」 「石あたま」 「一年生のお爺さん」)
[脚 本]
「氷れる花嫁 他三篇」(「進軍」 「老いたる父と母」 「子供と淫売婦」 「氷れる花嫁」)
「どぶ鼠」
「山」(「山 影絵映画のシナリオ」「降誕祭」)
「縛られた夫」
[翻訳・翻案]
「新薬加速素」 「絵姿」 「外科医の傑作」 「王様の耳は馬の耳」 「島の娘」 「矮人の指環」
[映画関係の随筆ほか]
「想出すイルジオン」 「或る風景映画の話」 「オング君の説」 「なんせんす・ぶっく」 「『疑問の黒枠』撮影を見る」
「古都にて」 「関西撮影所訪問記」 「アルペン嬢の話」 「続アルペエヌ嬢の話」 「兵士と女優」 「十年後の映画界」
「十年後の十字街」 「各種アンケート」
<感想>
渡辺温作品集、ということなのだが、タイトルと創元推理文庫から出ているということで、てっきりミステリ色が強いものなのかと思いきや、そうでもなかった。どちらかといえば文学よりのような気がしなくもないのだが、はっきりとどのカテゴリとも言えず、創元社やミステリ界隈あたりでまとめなければ、どこも手を出さないようなマイナーな作家ということなのかもしれない。
小説のタイプとしては、初期の乱歩風、文学青年風というか、体を壊して療養している者が描く作品というか、何かそんな感じ。別の言い方をすれば社会的弱者からの視点とでも言えばよいのだろうか。昭和前半のミステリ界隈の作家というと、労働者階級の視点から描かれたものというのが少ないような気がする。海外でも、その視点から描かれたクロフツの作品がもてはやされたのも珍しかったからなのかもしれない。社会派ミステリというものが台頭してきてから、ようやくさまざまな視点から小説が描かれるようになってきたかのように思われる。
この作品集であるが、短い作品がほとんど。更に言うと、初期の短編作品は書き込みが多く、濃密で暗い印象を受けた。それが徐々に、子供向けの作品やモダンな雰囲気のものへとシフトしていったように思え、このへんは年代の推移というものも感じ取れる。
渡辺氏による翻訳作品も掲載されているのだが、それらが有名作品ゆえに著者の作品よりもこちらのほうが面白かったりするのは皮肉なところか。H・G・ウェルズの「新薬加速素」や、ドリアン・グレイの肖像を描いた「絵姿」などは秀逸。
ミステリ色云々というよりも、マニアックで入手しづらい作家の作品を1冊の本にまとめたという位置づけのもの。どうにも薦めるにしても決して万人向けとはいい難く、昭和初期の風刺に興味ある人向けの作品としかいいようがない。
<内容>
「『雷鳥九号』殺人事件」 西村京太郎
「誰かの眼が光る」 菊村至
「虹の日の殺人」 藤雪夫
「消えた貨車」 夢座海二
「やけた線路の上の死体」 有栖川有栖
「無人踏切」 鮎川哲也
「『死体を隠すには』」 江島伸吾
「親友 B駅から乗った男」 秦和之
「砧最初の事件」 山沢晴雄
「鮎川哲也を読んだ男」 三浦大
「無人列車」 神戸登
「或る駅の怪事件」 蟹海太郎
「暗い唄声」 山村正夫
「幽霊列車」 赤川次郎
<感想>
1986年に出版されたアンソロジーが22年ぶりに新装版となって登場。これは時代を感じさせる逸品と言ってよいであろう。どこに時代を感じるかと言えば、現代において鉄道をあつかったミステリ作品のみでアンソロジーを組むことができるかと考えると、難しいのではないだろうか。20年以上前の鉄道ミステリブーム全盛の時代だからこそこういったアンソロジーを組むことができたのであろう。
また、なんといっても有栖川氏や赤川氏がこのアンソロジーでは新人として扱われているところが新鮮でたまらない。この二人はデビュー作が掲載されているのだが、特に赤川氏の「幽霊列車」はよい作品である(かつて読んだはずなのだがすっかり内容を忘れていた)。
作品としては西村氏と赤川氏の作品が特に優れていたと感じられた。西村氏の作品はほとんど読んでいないといってもよいほどなのだが、ここに掲載されている作品を読むと、単なるアリバイトリックだけに終わらない濃厚なミステリを感じさせてくれ、今更ながら驚かされた。
赤川氏の作品は事件のインパクトは見事なもので、荒唐無稽ともいえるトリックを見事にやりきっている。
他に良いと思った作品は「親友 B駅から乗った男」。トリックは微妙であるかもしれないが、この時代に書かれた作品としては先鋭的という風に思えた。
また、「『死体を隠すには』」も鉄道とはあまり関係ないようなのだが、田舎の事件という風味があり、良い味を出している。
鮎川氏の「無人踏切」も王道のミステリという感じで、良い仕上がりっぷりだ。
「或る駅の怪事件」は実は単純な事件を、見事に複雑怪奇に書き上げており、そのうまさにうならされる。
あと、山沢氏の「砧最初の事件」は何度か読んでいるはずなのだが、何度読んでもその内容の複雑さに頭を捻らざるを得ない。
三浦大氏の「鮎川哲也を読んだ男」は、当時まだ訳されていない「ジョン・ディクスン・カーを読んだ男」をモチーフとしたものであり、これが訳されている今読むことにより、当時とは違った面白さを楽しむことができるであろう。