人間の手がまだ触れない Untouched by Human Hands (Robert Sheckley)
1954年 出版
2007年01月 早川書房 ハヤカワ文庫
<内容>
「怪 物」
「幸福の代償」
「祭 壇」
「体 形」
「時間に挟まれた男」
「人間の手がまだ触れない」
「王様のご用命」
「あたたかい」
「悪魔たち」
「専門家」
「七番目の犠牲」
「儀 式」
「静かなる水のほとり」
<感想>
思っていたよりも読みやすい短編集であったのでびっくりした。それぞれの短編にオチもきちんとつけられており、これは初心者向きのSF短編集としては最適であろう。実際、私はこれを読んだ直後、東京創元社から復刊フェアで出版されていた「残酷な方程式」もすぐに購入してきた。
本書でおもしろいなと思ったのは、人間と異星人との遭遇を描いた作品がいくつかあるのだが、そのどれもが異星人側から描かれていること。異星人にとって人間という種がそれぞれどのように描かれているかを比べてみると、また面白かったりする。ただ、本書の作品は哲学的とか、体系的とか難しく考えるような代物ではなく、基本的には終始ドタバタ劇のなかで描かれている。
SF作品以外でも、ミステリ的な作品があったり、悪魔が出てくるファンタジーっぽいようなものがあったりと、色々な面で楽しませてくれる作品集となっている。この短編集は特にSFというジャンルだと思わないで、奇妙で面白おかしい話を手軽に読みたいという人にはもってこいの本と言えよう。
残酷な方程式 The Same to You Doubled (Robert Sheckley)
1961年 出版
1985年03月 東京創元社 創元SF文庫(2007年復刊)
<内容>
「倍のお返し」
「コードルが玉ネギに、玉ネギがニンジンに」
「石化世界」
「試合:最初の設計図」
「ドクター・ゾンビーと小さな毛むくじゃらの友人たち」
「残酷な方程式」
「こうすると感じるかい?」
「それはかゆみから始まった」
「記憶売り」
「トリップアウト」
「架空の相違の識別にかんする覚え書」
「消化管を下ってマントラ、タントラ、斑入り爆弾の宇宙へ」
「シェフとウェイターと客のパ・ド・トロワ」
「ラングラナクの諸相」
「疫病巡回路」
「災難へのテールパイプ」
<感想>
訳が古いせいか、決して読みやすいとは言えないものの、読みだせば独特な作調の世界に夢中になること間違いなし。SF的なオチというよりも、どれも哲学的なオチのように感じられ、印象に残る作品が多い。決して他の作品では読むことができない独自の世界観が、この短編集の存在感を高めている。
「倍のお返し」は、いわゆる“三つの願い”ものであるのだが、当事者の敵とみなされる人物に願いを二倍にしたものが与えられるという発想が面白い。
そして、「コードルが玉ネギに〜」が、この作品集の特徴をいかんなく発揮していると言えよう。引っ込み思案だった男が、あえて攻撃的な会話を行い、人に嫌な思いをさせていくという内容。“神様、おれは胸くそ悪いことをしました!”。
惑星のキャンプでロボットとのトラブルに遭遇した「残酷な方程式」、知能を持った掃除機に告白される「こうすると感じるかい?」、異星人との奇妙過ぎる遭遇を描いた「それはかゆみから始まった」、記憶の不確かな謎の男の行動を描く「トリップアウト」、などなど。
そのどれもが一風変わった物語を展開させ、皮肉のきいたオチが付けられている。SFというジャンルのみにとどまらない内容であるが、読めば癖になる一冊であることは間違いない。変わった本を読みたい方にお薦め。
フランケンシュタイン Frankenstein (Mary Shelley)
1831年 出版
2010年10月 光文社 光文社古典新訳文庫
<内容>
両親や従妹に愛されて幸福な少年生活を送ったヴィクター・フランケンシュタイン。彼はあまりにも才能に恵まれたあまり、生命の神秘にたどり着き、人造人間を生み出してしまう。しかし、その創造物があまりに醜く、それを作り出したことにより彼は苦悩することとなる。やがてその“怪物”は知恵を持ち、人間社会に興味を持ち、人々と共に生きたいと願うのであったが・・・・・・
<感想>
タイトルはあまりにも有名であるが、読んだ事のない小説というのは数多くある。そんな一つがまさにこの「フランケンシュタイン」ではないだろうか。この“フランケンシュタイン”という単語を知らない人はほとんどいないと思われるのだが、小説自体はそれほど読まれていないように思われる。そうしたなか、光文社古典新訳文庫で出版してくれたので21世紀となった今、19世紀初期に書かれたこの小説を読むことができた。
カテゴリとしてはSF、ホラー、幻想小説とどのようにでも捉えられるのだが、基本は文学小説であり、社会派小説という趣きも強い。決してエンターテイメント小説というわけではないので、全編にわたって、読みすすめやすいとは言えないが(訳は新訳ゆえに読みやすくはある)、ところどころで読み応えのある場面に遭遇することとなる。
個人的にはホラー小説というほどの恐さは感じられないものの、それでも衝撃を受けた一場面がある。それはたわいもないことなのだが、町中で主人公が友人に呼び止められるところであり、そこで初めて“フランケンシュタイン”という名前が登場したときである。単に友人の名前を呼ぶという場面なのであるが、その時の
“フランケンシュタイン”
という単語が飛び込んできたとき、何故か衝撃を感じてしまった。それは、今に至るまでフランケンシュタインの怪物というものを様々な媒体で見てきたことによるものであるのだろう。ただ、この単語一つに不穏、、恐怖、重さといった、さまざまなものを感じ取ることができた。
そして今回初めてこの物語を読んだことにより、創造物を作った青年の末路と創造物自身の運命をたどることができた。単体の作品として名作と言えるかどうかは微妙ながらも、この“フランケンシュタイン”という物語を体現しておくのは決して悪いことではないと思われる。せっかく新訳文庫で登場しているので、入手しやすいうちに読んでおくことをお薦めしたい一冊。
ハイペリオン/ハイペリオンの没落 Hyperion/The Fall of Hyperion (Dan Simmons)
「ハイペリオン」
1994年12月 早川書房
2000年11月 早川書房 ハヤカワ文庫SF(上下)
「ハイペリオンの没落」
1995年06月 早川書房
2001年03月 早川書房 ハヤカワ文庫SF(上下)
<内容>
28世紀、宇宙に進出した人類を統べる連邦政府を震撼させる事態が発生した! 時を超越する殺戮者シュライクを封じ込めた謎の遺跡、古来より辺境の惑星ハイペリオンに存在し、人々の畏怖と信仰を集める<時間の墓標>が開き始めたというのだ。時を同じくして、宇宙の蛮族アウスターがハイペリオンへ大挙侵攻を開始。連邦は敵よりも早く<時間の墓標>の謎を解明すべく、七人緒男女をハイペリオンへと送り出したが・・・・・・
<感想>
これらの作品は文庫によって、読了した。ちょうどこのころ、小説といえばほぼミステリーのみという読書生活を送っていた。SFも何冊かは読んだことはある。それでもそのほとんどがあまり自分にあわずに、面白いと思えることなくなんとか最後まで読み通したり、途中で止めたりということが断続的に続いていた。まぁ、その中で面白かったのは「夏への扉」くらいなものであった。SF作品は面白いとか面白くないというよりは、内容が理解しがたいものが多く、わけがわからなくなって止めてしまうといったことが多かった。
そういうときに、このハイペリオンが文庫で出版された。雑誌などでこの「ハイペリオン」というのが有名な作品であるということは知っていた。そのときに、思ったのは今までSFは肌にあわなかったが、これを読んで面白ければ他のSFも読んでみよう。もし面白くなかったらもうSFは読まなくてもいいだろうと考えた。
そして現在、とりあえず、有名な作品、代表作などを調べながら少しずつ読み出している。ようするに「ハイペリオン」は非常に面白かった。
「ハイペリオン」であるが、SFだけでなく色々な物語が凝縮しているとしかいえようのない構成。原住民との生活、たった一人の闘い、マーリン症候群、詩人の過去、ハードボイルド、過去の秘密と現在の復讐。このような色とりどりな物語が語られ、さらにはそれぞれにSFの色がちゃんとちりばめられながら物語りは進められる。結局「ハイペリオン」の小説の中では、戦争を止めるための、残された唯一の手段と思われる“ハイペリオン”における時間の墓標。そこに向かうために選ばれた7人の巡礼者。彼らが“ハイペリオン”へ向かう途中ひとりひとりが自分の過去について話をしていくというもの。そして“ハイペリオン”に着いたところで「ハイペリオンの没落」へと続く。
ここまで読んでしまうと、絶対に「ハイペリオンの没落」を読まずにはいられない。「没落」に至っては少々話が込み入ってしまう。どちらかといえば、巡礼者たちの話より戦争を抑止しようとしている政府軍側の話のほうに分量が割かれている。少々そのへんがとっつき辛くもあり、残念な点ともいえる。それでも物語の面白さは留まることなく、巡礼者達の運命を追ってページをめくる手を止めることができなくなる。そして大団円。
文庫版では解説に本書での焦点について書いてあるのでわかりやすい。結論としてはかなり面白いのだが、どうもあやふやというかSFならではのとっつきにくさがあるのも確か。例えば、「没落」での主人公の存在とか不明確な“シュライク”とかインターネットみたいなデータスフィアとかコアとか。まぁ、ある程度そんなものなのだと解釈して読み進めていくことが十分可能であるのだが・・・・・・。結局、この作品を読了できたのは、なんといっても登場人物たちの魅力に尽きない。「没落」では「ハイペリオン」ではあまりスポットがあてられなかった政府軍の登場人物が多数出てくるのでそのへんがとっつきにくかったが、巡礼者たちにおける魅力は十二分なもの。好みとしてはもう少し彼らに活躍の場を与えてもらいたかったということぐらい。
エンディミオン/エンディミオンの覚醒 Endymion/The Rise of Endymion (Dan Simmons)
「エンディミオン」
1996年 出版
1999年02月 早川書房
2002年02月 早川書房 ハヤカワ文庫SF(上下)
「エンディミオンの覚醒」
1997年 出版
1999年11月 早川書房
2002年11月 早川書房 ハヤカワ文庫SF(上下)
<内容>
連邦の崩壊から300年あまり、人類はカトリック教会、パクスの神権政治のもとに統べられていた。惑星ハイペリオンの狩猟ガイド、エンディミオン青年は、ちょっとした事件を起こし、処刑されるはめに陥ってしまった。そんな彼を間一髪で助けたのが、かつてのハイペリオン巡礼者・詩人マーティン・サイリーナスであった。エンディミオンはサイリーナスから頼まれ、少女アイネイアーとアンドロイドのA・ベティックと共に長い旅へと出かけることになる。
<感想>
ようやく読み終える事ができた。本書は「エンディミオン」と「エンディミオンの覚醒」を合わせての2冊というとらえかたもできなくはないが、やはり前作ともいえる「ハイペリオン」から合わせての四冊からなる小説と考えるほうが自然であろう。この「エンディミオンの覚醒」を経て、ようやく「ハイペリオン」から続く、全ての謎に終止符が打たれることとなる。
「エンディミオン」のあらすじについては、ごく簡潔にまとめることができる。エンディミオン青年、少女アイネイアー、アンドロイドのA・ベティックが旅をし、その彼らをカトリック教会の神父大佐や怪物ネメスらが捕らえようと追ってくる。と、実際これだけの内容である。よって、「ハイペリオン」に比べればより単純な旅の物語だけともいえなくもない。当然のことながらも、この旅の目的やアイネイアーが何を果たそうとしているのか、などといったことが謎となっているのだが、それらは「覚醒」のほうで明らかとなる。
ただ、これを読んでいて感じたのは、なんとも主人公のエンディミオンが頼りないということ。実際のところ、何故彼が旅の仲間として選ばれ、そこにいるのかが良く分からない。よって、この「エンディミオン」という作品では主人公の名前がタイトルになっているにも関わらず、終始目立たないまま終わってしまい、彼よりもアンドロイドとか、敵役の神父大佐などのほうが強烈な印象を残すこととなる。
とはえい、最終巻のタイトルが「エンディミオンの覚醒」ときては、後の活躍を期待しようという気になるのが当然ことであろう。ということで印象としてこの作品は壮大なる前置きといったところ。
続いて「エンディミオンの覚醒」へと移ってゆく。しかし、こちらの物語が始まった当初は、まだ前置きが続くの? といいたくなるような展開。彼ら3人の旅はいったん終止符を打ったものの、今度はエンディミオンによる一人旅となってしまう。そして彼が再びアイネイアーと会ったときからようやく物語が動き出す。
ということなのだが・・・・・・私が考えていたのと、展開の仕方が異なるなと。タイトルが“エンディミオンの覚醒”であるから、これはエンディミオンがとうとう強力になり、向かう敵をバッタバッタとなぎ倒し・・・・・・などと考えていたのだが、そんな場面は決して現れることなく、エンディミオンはエンディミオンのままとして生き続けることに。
そしてとうとう“エンディミオンの覚醒”か!? と思いきや、“ワトソン役に目覚めただけ??”というような・・・・・・
まぁ、これはあくまでも表面的な話であって、実際の物語としては宗教戦争ありき、コアやアウスターといった当初から謎めいた存在だったものの正体が明らかになり、さらにはアイネイアーが今まで続けていた旅の目的が明らかになったりと、壮大なドラマが繰り広げられている。
ただ、そういった壮大なものすごい物語が展開された中で、私的な注文をあえて3点挙げておきたいと思う。
1つは、仇敵ネメスの強さがあいまいということ。手が付けられないほど強いかと思えば、肝心なときはそうでもなかったりと、どうも設定がややこしい敵であった。
2つ目は、あいまいすぎる時間軸について。あまりにも時間軸をあいまいにしすぎると、結局のところ何でもありとなってしまうのではないかということ。
3つ目は、タイトルは“エンディミオン”よりも“アイネイアー”のほうが語呂は悪くても、彼女の壮絶な人生からすれば、これが一番ふさわしいのではないかと思えるということ。
と、そんな蛇足めいた事を述べながらも、ここまで壮大な物語を読み終える事ができて、とても感激しているということは事実である。本作品は、SFというジャンルのみならず、私自身の読書歴の中でベスト10に入る作品と言ってよいであろう。これは残りの人生のうちに、あと最低2回くらいは読み返したい作品である。
夜更けのエントロピー Emtropy's Bed at Midnight (Dan Simmons)
2003年11月 河出書房新社 <奇想コレクション>
<内容>
「黄泉の川が逆流する」 (The River Styx Runs Upstream:1982)
「ベトナムランド優待券」 (E-Ticket to N'amland:1987)
「ドラキュラの子供たち」 (All Dracula's Children:1991)
「夜更けのエントロピー」 (Entropy's Bed at Midnight:1990)
「ケリー・ダールを探して」 (Looking for Kelly Dahl)
「最後のクラス写真」 (This Year's Class Picture;1992)
「バンコクに死す」 (Dying in Bangkok:1993)
<感想>
ダン・シモンズというと「ハイペリオン」の印象が強く、SF作家と考えてしまいがちだが、よくよく考えれば「殺戮のチェスゲーム」のような作品も書いていたことを思い出す。この本を読めば、ダン・シモンズが幅広くいろいろな作品を書いていることを改めて知ることができる。そしてまさに<奇想コレクション>というにふさわしい作品集となっている。
「黄泉の川が逆流する」
この最初の作品を読んだときは、これはSF色の強い短編集なのかと思った。とはいうものの、ガチガチのSF色にそまった作品というわけではない。そのSF的な設定の中で繰り広げられる物語はホラーに染められたものである。薄ら寒いとでもいうような怖さが味わえる。
「ベトナムランド優待券」
この作品によりSF的なものばかりではないと感じさせられる。主題は“戦後の戦争ごっこ”といったところか。とはいうものの戦争に“ごっこ”などはありえない。なんとなくありがちな作品のような気も。
「ドラキュラの子供たち」
この著者はドラキュラに対してもこだわりがあるようだ。その純然たる作品であり、また、ドラキュラにとって現代は生きやすい環境とはいいがたいようである。
「夜更けのエントロピー」
神経症の話であり、妄想の話でもある。とはいうものの、ここで書かれている事件はすべて現実に起きたものを基にしているらしい。<保険>啓蒙小説家といったところか。そんなはずはない。
「ケリー・ダールを探して」
主人公は教師。自分を探す物語であり、はたまた癒しの物語でもある。互いにとっての必要を追い求める作品のようでもある。
「最後のクラス写真」
この作品の主人公も教師であるのだが、前述の作品とはかなり異なる作品。設定はまさにSF的であり、ゾンビ的であるのだが、主題は“教育と義務”。
義務とは何か? 教育とは何か? 学校は生徒が学ぶだけではなく教師のためでもあるということか。もしくは非日常の中でしがみつかんとする日常という話なのか。
「バンコクに死す」
ベトナム戦争後を描く作品。本当に主人公の人生を変えたものはなんだったのか。彼は何に復讐をしたかったのだろうか。戦後の軍人を描いた象徴的な物語。
イリアム ILIUM (Dan Simmons)
2003年 出版
2006年07月 早川書房
2010年04月 早川書房 ハヤカワ文庫SF(上下)
<内容>
神々や英雄たちが戦いを繰り広げるトロイア戦争。学師ホッケンベリーは戦争の記録をするために各地をとびまわっていた。しかし、単に記録者のはずであったホッケンベリーは女神からとある依頼を受け、戦争の流れを変える働きをしなければならないこととなる。
地球にて享楽的に生きる人類たち。今の地球では人口が統制され百万人のみが生き、死んでもまた生き返ることができ、永遠の命を約束されていた。そんななか、ただ一人文字を読むことができるようになった男が現在の世界に疑問を抱き、自分たちを取り巻く状況を確認しようとする。
木星衛星系に生息する半生物機械たち。彼らは地球と火星の様子を探索していたのだが、ある時火星で短期間にてテラフォーミングが行われていることを発見する。火星で何が起きているのかを調査するために、エウロパ属のマーンムートらは火星へ着陸しようとするのだが、探査船が何者かに撃ち落とされてしまい・・・・・・
<感想>
「イーリアス」と呼ばれる叙事詩。それは詩人ホーメロスが、ギリシア諸都市連合軍が城塞都市トロイアに攻め込んだ様子を描いた叙事詩を集約したものである。その様子をSF仕立てで描いたものがこの「イリアム」という作品。
元々、この叙事詩自体も何でもありのようで、人間達だけの闘いではなく、そこにギリシア神話の神々が参加し、とてつもない様相を繰り広げることとなっているようである。その元々とんでもない壮大な物語をこんどはシモンズ風に語り紡いでいるわけなのである。これが単に叙事詩をまる写ししたというわけではなく、そこにテレポーテーションといった超能力の世界、さらにはロボットなどといった機械の存在が入り込んでいるのである。よって、これは単に“イーリアス”における場面が書きつづられているというものではなく、何らかの力によって創造された世界ではないかということが予想されるのである。しかし、この世界がいったい何を指し示しているのか? 何のために存在しているのかということが謎となっている。
実は本書はこの「イーリアス」の場面のみがメインではない。そこに異なる者たちが直接的なのか間接的なのかわからない状況で介入しているのである。物語は全部で3つのパートからできており、上記に描いた不可思議な“イーリアス”の場面。そして地球の未来が描かれているものの、そこに住む者たちは死や病に脅かされることなく、単に享楽的に生きるだけの世界。もうひとつは、木星衛星系の半生物機械たちが火星で起きている異変を調査するというパート。これら3つが徐々に物語として重なることとなり、やがて真相に近づいていくこととなる。
地球の近未来を描いたパートでは、怠惰な生活を送ることによって何ら知識を持たない人間ばかりが集まった世界が記されている。しかし、その世界に疑問を持った者により、この世界ができるまでの過程が明らかとなり、やがて彼らを襲うであろう異変から守ることができるように準備を始めていくこととなる。このパートでは、さまざまなキーワードが出て来るものの色々な造語が多く、全部を覚えきるのはやや困難である。巻末にまとめられた注釈で再度確認しつつ頭の中を整理した方がよさそう。
また、木星衛星系の生物たちによって火星で起きている真相が明らかになるにつれて、彼らは「イーリアム」の世界へと近づいて行くこととなる。そうして二つの世界がつながれることにより、少しずつ真相が見えてくるのであるが・・・・・・
最初は「ハイペリオン」のように、「イリアム」はこれのみで独立した作品だと思っていたのだが、完全に「イリアム」が上巻で、それに続く「オリュンポス」が下巻という位置づけになっている。ゆえに、この巻だけでは真相に到達できないのである。さまざまな謎が数多く登場し、整理もしっかりとつかないままであるが、これらの真相がどのようになるのかは「オリュンポス」を読めばはっきりとわかるのであろう。かなり気になるキャラクターも数多く出ているので楽しんで読めることには間違いない。ただし、本書だけでは全貌が明らかになっていないので、面白いかどうか評価するのは続編を読んでからということになる。
オリュンポス OLYMPOS (Dan Simmons)
2005年 出版
2007年03月 早川書房
2010年9月10月11月 早川書房 ハヤカワ文庫SF(1、2、3)
<内容>
トロイア戦争の記録をつける役割を与えられた歴史学者ホッケンベリー。しかし、いつしか彼自身が神々の内紛に巻き込まれ、ホッケンベリーは自分の意思で動き始め、紛争の鍵を握ることとなる。
一方、火星の異様な状況が気になり、木星圏からその様子を調査にきた異星人たち。その中のマーンムートとオルフはオリュンポスの大神殿へと入り込み、そこでホッケンベリーと出会うことになる。
また、地球にて自堕落に生きる旧人類たちは、本来の人としての生き方を取り戻すも、ヴォイニックスという大量の機械兵に襲われ追い詰められつつあった。
それぞれの地域で過酷な状況に陥った者達が、とうとう最後の戦いに挑むための準備がはじまり・・・・・・
<感想>
ようやく「イリアム」から始まる一連の話が終結となったのだが・・・・・・話がごちゃごちゃし過ぎていたような。何しろ、一連の物語のなかにさまざまな要素がこれでもかと言わんばかりに詰め込まれている。さらには、数多すぎる登場人物たち。これらの内容をきちんと消化してまとめきることができれば、壮大な物語であったと褒め称えることもできるのであろうが、そう簡単にいくものではない。
こんな事を言うと、物語全体を否定してしまうようなのだが、SF作品としてはギリシア神話のパートはいらなかったのではないかと。これは私個人がギリシア神話に詳しくないとか、「イリアム」という叙事詩に通じていないとかそういったことも理由のひとつ。ただ、宇宙人のパートと、旧人類と機械兵士たちの戦いという物語のみでも十分に濃いSF作品になったであろうと思われる。
とはいえ、それぞれの巻に用語辞典や丁寧な注釈、さらには内容を補完したあとがきが付けられているなど、親切設計となっている。そういうわけで内容を理解するのに困ることはないであろう。ただ、それでも長い作品ゆえに、内容を理解したうえで再読でもしなければ、きちんと内容を消化しきるのは難しい。
オマル 導きの惑星 Omale (Laurent Genefort)
2012年 出版
2014年04月 早川書房 新・ハヤカワ・SF・シリーズ5014
<内容>
巨大惑星オマル。そこにはヒト族、シレ族、ホドキン族の3種族が暮らしていた。以前は3種族による壮絶な抗争が繰り広げられていたが、現在は和平条約により平和が保たれている。そんなある時、巨大飛行帆船イャルテル号に共通の目的を持つ6人のものたちが集まりつつあった。彼らは卵の殻のパーツと共に何者かに呼び寄せられ、この船に乗ることとなったのである。果たして、彼らそれぞれの目的とは? そして何のために集められたのか?
<感想>
良い意味で、ごちゃごちゃした雑多なSF作品という感じ。著者ロラン・ジュヌフォールにより創り上げられた“オマル”という惑星を舞台に繰り広げられる冒険が描かれる。
本書の特徴はそのオマルに生息するヒト族、シレ族、ホドキン族という三つの種族ついて。これらの風習や、考え方感じ方などが物語全編を通して語られてゆくこととなる。
その風習や考え方の異なる3つの種族の6名の者たちが、卵の殻のパーツと飛行船のチケットと共にひとところに集められる。そこで、それぞれが自分のそれまでの人生を語り、やがて彼らが集められた理由を目の当たりにしていくこととなる。
正直のところ、この作品だけで面白いかどうかというのは微妙なのだが、著者のロラン・ジュヌフォールは、この“オマル”という惑星をテーマとした作品を数冊書いており、本書はその最初の作品という位置づけである。それゆえに、この作品は、まず“オマルの紹介”という意味合いが強いものであるとも感じられる。よって、この作品だけで内容を判断せずに、今後シリーズを読んでいけば色々と感じ方は変わってゆくようになるのであろう。また、他の作品も読んでみたいと思わせるほど細部にわたって惑星の詳細が設定されており、著者のこのシリーズに対する強い熱気が感じられる。あと、個人的にはもう少し魅力のあるキャラクターを描いてもらえたらなと望みたいところ。