死者の代弁者 Speaker for the Dead (Orson Scott Card)
1986年 出版
<内容>
エンダーの活躍により人類は異星人との戦いに勝利を収めた。しかし、その戦争により相手の種族を皆殺しにしてしまった事を後の世に人類は後悔をし始める。
その戦争から3千年後、人類は再び知的生命体に出会うことに。人類はかつての過ちを繰り返さないように慎重に交渉をし始める。しかし、その一連の交渉の中で地球人が異種族に殺されてしまうという事態が起きた。なぜその者は殺されなければならなかったのか。その真実を探り出すために“死者の代弁者”が呼ばれることに。
<感想>
本書は「エンダーのゲーム」の続編でありながら、打って変わった内容の小説となっている。「エンダーのゲーム」のほうはエンターテイメントの属性が濃かったと思えたのだが、この作品は思想書とでも呼ぶにふさわしいような内容と感じられた。
この物語の中心になるところは、異星人との接触において何故人類が殺されなければならなかったのか? という事と、本書の主要人物の1人であるノヴィーニャの結婚にまつわる謎についての2点が核となっているといえよう。
ただ本書において、この提起される問題とその解答については良かったと思うのだが、謎が提起されてからそれらが解決へ到るまでの間の部分がかなり冗長であると感じられた。話が何故冗長になってしまったのかといえば、本書が「エンダーのゲーム」の続編という位置付けにあるからである。その背景がこの物語の主題になっている部分と係わり合いが薄いにも関わらず、前作の内容を引きずってしまっているがゆえに全体的に冗長になってしまったのではないかと考えられる。
では、本書は「エンダーのゲーム」の続きではないほうが良かったかといえば、それもまた微妙なところなのである。本書は「エンダーのゲーム」の続編であるからこそ感じられる深みというものがあるのも確かなので、いちがいにはどちらが良かったとは言いがたい。
とはいえ、「エンダーのゲーム」とは趣が違うからこそ、あえて異なる物語にするというのも一つの手ではなかったかと思える。
本書は実際、ノヴィーニャの半生についてが代弁者から語られるところや異星人との接触など、見るべきところは満載である。ただ、その余計とも思える冗長な部分があったゆえに異星人の生態について語られるべきところが削られ、その様相がわかりづらくなったのではと感じられた。
全体的には見事なストーリー展開であったために、あれこれと余計な注釈を付けずにはいられなくなってしまう作品であった。ただ、やはり全体的に落ち着きすぎる印象の内容ゆえに、万人にお薦めできる内容とはいえない作品である。もう少し読みやすくしてくれれば、「エンダーのゲーム」並に名をはせたと思うのだが。
氷 Ice (Anna Kavan)
1967年 出版
<内容>
気候変動により世界が氷にの浸食を受けつつある世界。“私”が思いを寄せる少女が姿を消したとき、“私”は全てを投げうって少女を追い求め続けるのであったが・・・・・・
<感想>
序文によりクリストファー・プリーストがこの小説のジャンルを“スリップストリーム文学”と定義している。スリップストリーム文学が何かはよくわからなかったのだが、このように定義づけるとうまく当てはめられるような作品もあるかのように思える。例えばカフカの「変身」あたりは、この定義に当てはめられるのではなかろうか。
本書は、幻の傑作とも言われていたようであるが、個人的にはあまりしっくりとこなかった作品。内容をダイレクトに受け止めれば、男が少女を追い求めるという、やや偏執的な冒険譚のような。ただ、実際にはそのようなダイレクトなものではなく、“私”や“少女”という存在を何かに当てはめるべきような抽象的な作品ではないかと考えられる。ただ、それがあまりにも漠然で、受け入れがたいというか、容易に立ち入ることのできないような雰囲気がある。
あと、小説の手法としては、なんらかの効果を狙ったものなのかもしれないが、途中で人称が突然変わったりと、読んでいて混乱させられる部分もあった。これは一見、“私”という一人称の小説のようでありながら、実際には三人称で捉えるべきものであったのかもしれない。
どうも難しいというか、心情的には妙に風に歪んだ世界を描いていたような。それともそれを冷酷な世界と捉えるべきなのか。