孤児たちの軍隊 ガニメデへの飛翔 Orphanage (Robert Buettner)
2004年 出版
2013年10月 早川書房 ハヤカワ文庫SF
<内容>
西暦2040年、地球は木星の衛星ガニメデに前進基地を築いた謎の異星人により攻撃を受けていた。この危機を打開すべく、世界各地で兵士を養成し、ガニメデへ軍隊を派遣することが考えられた。そうしたなか、異星人の攻撃により唯一の肉親である母親をなくしたジェイソン・ワンダーは兵士となることを決意した。ただし、それは軍役に付きたかったからではなく、刑務所へはいるか、兵士になるかの2択を迫られたからであった。17歳で歩兵志願者として軍隊に入団したワンダーは、やがてガニメデ派遣軍に選出され、戦線の最前線で戦うこととなり・・・・・・
<感想>
21世紀版、「宇宙の戦士」とのことであるが、まさしくそのまま。個人的には、「宇宙の戦士」や「老人と宇宙」、また国内のSF作品で「宇宙軍士官学校」などを立て続けに読んでいるせいか、やや食傷気味ではある。とはいえ、この作品がよく出来たSFであり、面白いということは確かである。
本書は英雄を描いた小説ではなく、どちらかといえば、劣等生がいつの間にやら最前線で戦うことになるという過程を描いた作品。主人公のジェイソン・ワンダーは、決してよくできた人間というわけではなく、本人はそうは思っていなくても、周囲からは鼻つまみ者のような扱いを受ける。唯一の取柄は、射撃の腕がよいというくらい。たいした志もないまま、軍隊に入ってしまい、いやいやながらも、その軍隊生活を受け入れていくという様相。
ただ、ジェイソンは、周囲の人間に恵まれ、さまざまなサポートを受け、時には命を懸けて助けられつつ、一人前の兵士として成長していくこととなる。そうして、いつしか彼は戦線のなかで生き残り、最前線において重要な役割を果たさざるを得なくなるという状況に追い込まれていく。
本書の特徴は、2000年代になって描かれたというところではなかろうか。それゆえに、描かれているのは対異星人ではあるのだが、なんとなく地球上で行われている近代的な戦線に置き換えて読むことができてしまう。そうした、事実上の戦線のなかでは、兵士たちがこのように戦っているのではないかと容易に想像ができてしまうのである。
と、面白く読めたことには間違いないのだが、あまりにも「宇宙の戦士」に近い内容というのはどうかと思った。基本的にそれらを近代的な様相に置き換えたのみといったところ。ゆえに、オリジナルとしての見どころが少なかったように思えた。もう少し、この作品ならではのオリジナリティーが欲しかったと感じられた。
火星人ゴーホーム Martians, Go Home (Fredric Brown)
1955年 出版
1976年11月 早川書房 ハヤカワ文庫SF
<内容>
SF作家ルークは、カリフォルニア州の砂漠の一軒屋で、原稿が書けずに四苦八苦していた。そこに突然、奇妙な緑色の小人が出現してなれなれしく話しかけてきた。「やあ、ここは地球だろ?」地球に大挙してやってきた奇妙で、意地悪で、悪戯好きな小人は、どこにでも現れては、いらぬことをしゃべりまくって人類の邪魔をし・・・・・・
<感想>
確かにSFだろうが、厳密にはSFではないような気もする。それはあまりにも火星人的(?)ではないし、痛烈な皮肉のようでもある。結果として、世界中を巻き込んだはた迷惑ないたずらでしかないような気もする。ただ、そのとき我々はどうするのだろう?世界はどうなってゆくのだろう?ということを想像せずにはいられない小説ではある。いやはや予想もできないところをつついてくる小説だ。
宇宙の一匹狼 Rogue in Space (Fredric Brown)
1957年 出版
1966年10月 東京創元社 創元SF文庫
<内容>
火星と金星が、地球の植民地となった時代。世界には悪徳と腐敗が横行し、まともなことは何一つないご時世。そんなときに、何百万光年ものかなたから、一つの不思議な岩が太陽系に近づきつつあった。考えることのできる、ほとんど万能のこの生物的無生物は、いわば宇宙の変り種であり、ごろつきである。いっぽう人間界きってのごろつき犯罪人クラッグは、この宇宙の一匹狼のような岩を迎えて、いかなることをしでかすのか?
<感想>
ヒーローものの王道を行くストーリーかと思いきや、かわされる、かわされる。単純な話に終わるのかと思ってたのだが、中盤以降、こちらの予想し得ない方向へと展開し、どのように終局するのかとどきどきさせられる。
この主人公は日本のSF漫画のコブラの走りなのだろうか? と思わず考えてしまった一冊。
73光年の妖怪 The Mind Thing (Fredric Brown)
1961年 出版
1963年10月 東京創元社 創元SF文庫
<内容>
地球から73光年の彼方にある惑星からアメリカに飛来した知性体という奇怪な生物。これは自由自在に他の動物に乗り移れるという不可思議な力を備えている妖怪だった。知性体の到来とともに、その地方には人間や家畜や野生の動物が自殺するという異様な現象が起こり始めた。この怪現象にいち早く注目したのは、たまたまその土地に来ていた天才的な物理学者だった。この姿なき怪物の正体を看破して人類を破滅から救おうとする教授の頭脳と、知力の塊りともいうべき知性体が演じる虚々実々の知恵比べ!
<感想>
宇宙からの知性体と地球人との対決。しかも1対1であり、さらには知力による駆け引きの対決。
知性体は地球のルールを知らないので、他から怪しまれないように恐る恐る相手の隙を狙う。老物理学者は敵と思える存在を感じながらも実体がつかめず、相手の目的、能力もわからない。このような互いを探るような展開の中でのやりとりが実に緊迫感を感じるものとなっている。知性体のルールとそれを看破しながら戦う人間。なるほど、アクションだけが能ではないとつくづく感じさせられる一冊。
天の光はすべて星 The Lights in the Sky are Stars (Fredric Brown)
1953年 出版
1982年05月 早川書房 ハヤカワ文庫SF
2008年09月 早川書房 ハヤカワ文庫SF<新装版>
<内容>
1997年、人類は星々に対する情熱を失い、宇宙開発計画は長らく中断されていた。57歳の元宇宙飛行士マック・アンドルーズもそうした世の中を憂い、悶々とした日々を過ごしていた。そうしたなか、女性上院議員が木星探査計画を選挙公約にあげたという知らせがもたらされる。マックはその上院議員に協力し、木星探査計画が実現するよう力を注ぐのであったが・・・・・・
<感想>
老境に差し掛かった宇宙飛行士が必死に夢を追いかけようとする、宇宙に浮かぶ星々に情熱を持った者のサガを描いた小説・・・・・・のはずであったのだが、どこで歯車が狂ったのであろう。
かつての宇宙飛行士が、目の前にある木星探査計画に力を注ぎ始めるということは良い。ただ、そこから話は工学的な話とか、宇宙飛行士として再生してゆく話なのではなく、単に政治的な話ばかり。それも“老宇宙飛行士にとって都合の良い人生”と銘を打ちたくなるような展開。
そして物語の終盤に入り、さらに話が大きく変わってゆくこととなるのだが・・・・・・ひとつ疑問に思えるのは、この作品を読んで宇宙の星々に対して夢が描けるのだろうかということ。これからSFを読んでいこうという人には、最初には手にとってもらいたくない小説。なんか、大人の嫌な話という感じがして・・・・・・
宇宙をぼくの手の上に Space on My Hands (Fredric Brown)
1951年 出版
1969年03月 東京創元社 創元SF文庫
<内容>
「緑の地球」
「1999年」
「狂った星座」
「ノック」
「すべて善きベムたち」
「白昼の悪夢」
「シリウス・ゼロは真面目にあらず」
「星ねずみ」
「さぁ、気ちがいに」
<感想>
フレドリック・ブラウンらしい、楽しめるSF作品集に仕上げられている。何が楽しめるのかといえば、各作品にちりばめられたアイディアのみならず、壮大なことを行いつつも、どこか日常的というか庶民的な部分を残している。なんとなく、我々の身近なところでとんでもない物語が進行しているのではと、つい想像させられてしまうのである。
「緑の地球」は、未開の惑星で遭難した宇宙飛行士の話。その未開の惑星では緑色のものがないため、主人公は地球をもう一度見ることを夢見ながら生き残りを図る。ラストでは、驚愕の真相と展開が待ち受ける。
「1999年」は、“嘘発見機”が裏をかかれ、犯罪者たちが無罪を勝ち取り続けるという事件を、ひとりの捜査官が調べるというもの。この真相がまた、想像の斜め上を駆け抜けており見事。
「狂った星座」は、恒星の多くが突如、定位置から動き始めるというとんでもない現象が起こる。しかし、その現象の原因となるものが・・・・・・なんともいえない脱力感に襲われることとなる作品。
「すべて善きベムたち」は、異星人との接触を描いた内容。大した事件もなく、ちょっとした珍事ということで済まされてしまうのがなんともいえない。
「白昼の悪夢」は、殺人事件が起こるのだが、目撃者が皆、異なる発言をし、めちゃくちゃな状況となる。さらに、被害者がもう一度殺害されてしまうというとんでもない展開。その珍事に孤軍奮闘する捜査官の様子が描かれる。SFサスペンス・ミステリといったところか。
「シリウス・ゼロは真面目にあらず」は、宇宙船に乗って旅する家族の不思議な冒険を描いたもの。これ以上書くとネタバレになってしまうので、これは読んでもらうほかはない。タイトルの通り、決して真面目な内容ではない。
「星ねずみ」は、他のアンソロジーにて既読。ひとりの科学者が自分でロケットを打ち上げ、そこにネズミを乗せるというもの。そのネズミが異星人によって確保され、知識を得てしまうことからとんでもないこととなる。壮大な物語のはずが科学者とネズミのみの小さなスケールで描かれてしまうところがなんともいえない。
「さぁ、気ちがいに」・・・・・・今だったら、タイトルだけでアウトだなと。自らが狂っているかどうかを問い続ける物語。実は途中まできちんとしたストーリーがあったはずなのだが、終盤ではどうでもよくなってしまっている。
10月はたそがれの国 The October Country (Ray Bradbury)
1955年 出版
1965年12月 東京創元社 創元文庫SF
<内容>
「こびと」
「つぎの番」
「マチスのポーカー・チップの目」
「骨」
「壜」
「みずうみ」
「使者」
「熱気のうちで」
「小さな殺人者」
「群集」
「びっくり箱」
「大鎌」
「アンクル・エナー」
「風」
「二階の下宿人」
「ある老母の話」
「下水道」
「集会」
「ダッドリー・ストーンのふしぎな死」
<感想>
ブラッドベリというと「火星年代記」しか読んだことがなかったので、SF作家というイメージしかなかったのだが、本書を読む事によりそういった印象は一変してしまった。ブラッドベリは多彩な書き手であると。
本書の最初の短編が「こびと」という題名。最近、乱歩の小説を読んでいたために感覚がだぶってしまったが、これは十分互いに通じるところがあると思う。この一編を代表として、この作品集には怪奇的、幻想的な小説が描かれている。もしブラッドベリの本があまり訳されていなかったら、今頃、河出書房新社の<奇想コレクション>のひとつに取り上げられていただろうと思える内容だ。
ここに掲載されている作品は幻想的な色合いが濃く、決して結末とかがきっちりと付けられているとはかぎらないものとなっている。どちらかといえば、話の後に読者に先行きを想像させるような物語として描かれている。
この作品集の中ではどの作品も甲乙つけがたい内容となっており、代表作を一編だけあげるというのは難しい。やはり、これは“10月はたそがれの国”という一冊の本として評価すべき作品なのであろう。
“幻想と怪奇”と名のつく本に興味があるのならば、必ず読んでおきたい名作といえよう。
華氏451度 Fahrenheit 451 (Ray Bradbury)
1953年 出版
2014年06月 早川書房 ハヤカワ文庫SF(新訳)
<内容>
451と刻印されたヘルメットをかぶり、書物を焼き尽くすという仕事を担う男たち“昇火士”。そのうちのひとり、モンターグはある風変わりな少女と出会う。その出会いによって、モンターグは彼が住む世界に疑問を抱き、このような生活は間違っているのではないかと考え始める。そうしてモンターグはやがて行動に出ることを考え始め・・・・・・
<感想>
レイ・ブラッドベリによる有名作。舞台となる仮想世界では、情報が規制され、人々は偽りの情報を政府から与えられつつ、物質的には豊かに過ごしている。人々が個人的に余計な情報を得ることがないように政府は情報統制を行い、本は見つけ次第全て焼き払われる。そのような世界で生きるひとりの男が、ひとつの出会いを元に自分の生活に疑問を抱くというもの。
内容的には、そんなに突飛なものでもなく、ありがちな内容だと感じてしまう。それは、既に歴史的なさまざまな事実が明らかになったり、この作品以後にさまざまな似たような話が創造されたからなのであろうか。とはいえ、ありがちな内容だといっても、ここで語られている話が重要なものであるというのは間違いない。現代の世界においても、歴史的遺産や書物が処分されているということがニュースなどでも語られている。これらが自由を掲げている資本主義社会においても起こりうることだという警鐘だとも考えるべきものなのであろう。
と、そういう重要な内容が盛り込まれていつつも、エンターテイメント小説としては、さほど面白いというほどのものではなかったかなと。本書は、いつ、どの時期に読むかという事も重要なのかもしれない。ただ、ここに描かれている世界が現実のものとなりつつあるとき、その重さは計り知れないであろう。というよりも、そのような世界にならないようにと訴え続けている物語なのであろう。
限りなき夏 An Infinite Summer (Christopher Priest)
2008年05月 国書刊行会 <未来の文学>
<内容>
「限りなき夏」
「青ざめた逍遥」
「逃 走」
「リアルタイム・ワールド」
「赤道の時」
「火 葬」
「奇跡の石塚」
「ディスチャージ」
<感想>
プリーストの短編を日本で独自編纂した決定版とも言うべき作品集。全ての作品を網羅したというわけではないようだが、主要な作品は全て入っているとのこと。
私は別のアンソロジーで「限りなき夏」だけは読んでいたが、やはりそれが代表作となるようだ。他の作品に関しては必ずしもSF色が強いとも言い切れなく、あくまでもジャンルを問わない作品集という感じがした。ゆえに、“SF色”というものを求めて本書を手にした人は、微妙と感じられるかもしれない。
「限りなき夏」
言わずと知れた代表作。プリーストの短編といえば、この作品がくるのであろう。戦時中、部分的に時間が止まり、さらに部分的に時間が回復するという世界が描かれている。
二度読んで、ようやく全体的な構成がわかったという気がする。一読しただけではわかりにくいかもしれないが、力作ということは必ず伝わるであろう作品。何度か繰り返して読む事をお薦めしたい。
「青ざめた逍遥」
タイム・パラドックスというわけでもないのだが、時間を越えた一人の男性の恋の物語。誰にでもありそうな、昔を懐かしむ恋の物語がSF的に表現された作品。そして、ラストの展開はこれもSFならでわの技によるものと言えよう。
「逃 走」
モダンホラーのような内容。短い作品ゆえに、背景がきちんと語られていないので、わけがわからないともいえるのだが、実際に場面を想像すれば不安と恐怖がかきたてらえるのは確か。
「リアルタイム・ワールド」
宇宙での実験エピソード。宇宙できちんとした情報が与えられない場合にどのようなことが起こりうるのかを観測してゆく物語。とはいえ、結局のところ最後まで真相が明らかにされない部分もあり、物語が中途半端に終わるという感もある。その物語のどのように結末を付けるかは読者の判断にゆだねるということか。
「赤道の時」
ショートショート。戦時中に赤道直下を見下ろす話・・・・・・と言ってしまうとまとめすぎか。
「火 葬」
最初は見知らぬ土地での恋愛の話かと思いきや、奇怪な虫の存在が明らかになってから雰囲気は一変する。民族ホラーとも言えるような内容。
「奇跡の石塚」
簡単に言ってしまえばジェンダーを取り扱った作品。SF作家にとって、こういった内容の作品を書くということは、必ず誰もが一度は通る道なのであろうか。
「ディスチャージ」
現実とは異なる擬似世界での兵役とそこから逃れる恐怖を綴った作品。ここでもやけに生々しく性体験が描かれているのは特徴といえるのだろう。そして、その体験が主人公にとって恐怖となって残り続けることとなり、それが彼が描く絵画に現れてくるという内容。
ドリーム・マシン A Dream of Wessex (Christopher Priest)
1977年 出版
1979年年07月 東京創元社 創元SF文庫
<内容>
未来を予測するための計画、“ウェセックス計画”が立ち上げられた。それは、39人の男女を神経催眠装置につなぎ、その意識から150年先の未来の町を作り上げるというもの。彼らは、未来社会のデータを現実の世界に持ち帰るということを繰り返し、実験結果を積み上げていった。そうしたなか、一人の男が未来世界へ行ったまま、2年間戻ってこないという事態が起きていた。その男を連れ戻すという使命を帯びたジューリア・ストレットンであったが、実験にかつての恋人が新たに参加することとなり、計画全体が狂い始め・・・・・・
<感想>
あらすじに目を通さずに読んでいったので、序盤は何が起きているかよくわからなかった。そこにいるはずの男(最初は死体かと思った)を探すという行為に出ているように見えたりということがあったのだが、話が進むにつれてようやく内容を理解することができた。本書は仮想空間で別の世界を構築するという内容のSF作品である。
現代において、仮想空間でRPGめいたことをして過ごすというような作品は多々見受けられるが、この作品では未来世界を創るという途方もない設定。その世界から情報を持ち寄り、現代社会の行き詰まりを解消しようという試みがなされている。
ただ、こうして内容に触れるとハードSFと思われるかもしれないが、実際にはこうした説明は細かくなされていない。どちらかといえば、この作品については男女の恋愛小説めいた印象のほうが強いと感じられるものとなっている。しかも、主人公の女性が、やたらと周囲とドロドロとした関係を結んでおり(現実世界でも未来世界でも)、こうした話が受け入れづらいという人には合わない作風であるかもしれない。
とはいえ、最終的にはSF的に帰結すというか、SF的に収束しつつひとつの恋愛関係が収まるところに落ち着くというか、そんな感じとなる。またそれに伴う、未来世界と現実世界のカタストロフィについては、なかなかのものであった。単なるSF作家に収まらないクリストファー・プリーストが描く、らしい内容の小説。恋愛小説とSF小説が微妙な形で組み合わさった異色作。
夢幻諸島から The Islanders (Christopher Priest)
2011年 出版
2013年年08月 早川書房 新・ハヤカワ・SF・シリーズ5011
<内容>
無数の島からなる“夢幻諸島”。そこは時間勾配によって生じる歪が原因で、地図の作成が不可能な世界。その島と島の住人に関する本が作家チェスター・カムストンによって描かれた。それは諸島の特徴などが書かれたガイドブックにように見えるのだが・・・・・・
<感想>
夢幻諸島ガイドブックという体裁をとった本。夢幻諸島にちらばる島々の案内をしてくれる。そうしたなかで、いくつかの物語が差し込まれ、次第にそれぞれの物語、それぞれの登場人物が関連付けられてゆくこととなる。
わかりやすい物語としては、パントマイム・アーティストのコミス殺害事件について。コミスという人物が殺害され、容疑者と思しき人物が囚われ、死刑となるのであるが、その事件に対して疑問を抱くものの手記が掲載される。そして、徐々に挿話が付け加えられ、事件の真実が明らかとなってゆく。
この話以外にも、多くの登場人物が複数回登場(または、名前のみが複数登場)し、それぞれの物語が関連付けられてゆくことになる。ただし、全部がひとつにまとまるというものではなく、あいまいなままで残る物語も数多くある。不死の存在、スライムという危険生物、死の塔と謎のガラス、無人探索機などなど。表面上は、あまり他の物語に関連していないようにも思えるのだが、深読みするとそれらが重要なキーワードになっているようにも思われ、読み方や読む回数によって印象が異なってくることになるであろう。
パッと読んだ上では、結構取っ付きにくい物語であるが(特に序章)、メモをとりながら読んでみたりすると、思わずはまってしまう作品と言えるのではなかろうか。真実にたどり着く物語というよりも、自分で真相を見出すべき物語という感じの小説である。
逆転世界 Inverted World (Christopher Priest)
1974年 出版
1983年06月 サンリオSF文庫
1996年05月 東京創元社 創元SF文庫
<内容>
ヘルワード・マンは託児所を出て、ギルドの見習員として働くこととなった。それまで都市の外に出たことがなかったヘルワードは、都市が軌道に沿って、移動を続けていることを知る。彼と共に働く者が言うには、都市は最適線というものに沿って移動し続けなければならないのだそうだ。ヘルワードは、他の仕事も経験し、少しずつ自分が暮らす世界について知ることとなる。やがてヘルワードは都市から南へと移動することと、北へと移動することにより、それぞれ奇怪な世界の変わりようを目の当たりとし・・・・・・
<感想>
ハードSFっぽい作風のわりには、わかりやすいSF小説として読むことができた。舞台はまるで終末の世界を描いたかのようなもの。その背景こそが本書の核となるので、真相については読み進めてもらいたいが、読んでいる最中は荒廃した惑星のなか、ただ都市のみが彷徨っているというような印象。ここは地球なのか、それとも別の惑星なのか、はたまたなんらかの建造物の中なのか? など、色々なことを想像しつつ読み進めてゆくこととなる。
主人公のヘルワード・マンは、都市のなかで育ち、大人になってからようやく外の世界を目の当たりにすることとなる。そこで、ようやく都市が移動しており、しかもその移動することに大人たちが多大な犠牲を払いつつ日々活動しているということを身をもって知ることとなる。また、都市のなかは人口減少という問題を常に抱えており、近隣の村から女性を借りて来て子供を産んでもらっているという事実も知ることとなる。
こういった背景の中で、年をマイルで換算したり、都市から南へと行くと起きる現象や、今度は北へ行くと別の現象が起こることなどを主人公の眼と共に読者は経験していくこととなる。その南や北へ行くことによる現象については説明がなされているものの、なかなか図というか絵としては思い描きにくいものであった。しかし、なんらかの奇妙な現象が起きており、これがどう解明されるのかを期待しながら読んでいくこととなる。そして、ヘルワード・マンが外から来た、とある女性と接触することにより世界の秘密が明かされることとなるのである。
壮大な冒険を味わったという感じであった。これは、本書の主人公が経験したもののみではなく、都市が経てきた道筋というものを考えると非常に長い旅路であったと思わずにはいられない。そして最後に明かされる都市の真実もなかなかのもの。なんとなく、ミステリ風の作品というようにも捉えられることができるほどである。最初は都市が移動するSFというもは、結構多いような気がしていたのでありきたりかなと思っていたのだが、決してそんなことはなかった。移動都市ものの金字塔と、勝手に命名。
スペース・マシン The Space Machine (Christopher Priest)
1976年 出版
1978年04月 東京創元社 創元SF文庫
<内容>
セールスマンのエドワードが自分が開発したゴーグルを売るために、高名な学者であるサー・ウィリアムの秘書であるアメリアに取り入ろうとする。アメリアに気に入られたエドワードは、サー・ウィリアムの屋敷に招待されることとなり、そこでサー・ウィリアムが開発したタイムマシンを目の当たりにする。そしてサー・ウィリアムがいない間に、アメリアとエドワードはタイムマシンを試乗しようと乗り込むのだが操作を誤り・・・・・・
<感想>
ちょっと古めの作品。2014年の復刊フェアの際に購入した本。
序盤、読み始めた時はタイムマシンが主軸となる話かと思ったのだが、実はタイトルの“スペース・マシン”に表されているように単なるタイムマシン話ではない。なんと、別の星へと飛ばされてしまい、そこで主人公らが冒険を繰り広げるという展開がなされてゆく。
一応、SF作品ではあるのだが、どちらかというと冒険小説という感じで、読みやすい内容。物語についても予想だにせぬ展開が続き、決して読者を飽きさせない。また、感心してしまったのが、文庫本で500ページを超える作品であるにも関わらず、主要登場人物をほぼ二人のみに限定しているというところ。それで、壮大な物語を作り上げてしまうのだから物凄い。
世界観とか、さまざまな設定とか、突っ込みどころは満載でありつつも、ただただ物語の壮大さに圧倒されてしまう。深読みすれば社会風刺的なものも作品に色々と込められているのかなと考えさせられる部分もあるのだが、これはもう単に、果てない冒険譚を楽しめばそれでいいのだろうという感じ。
異星人の郷 Eifelheim (Michael Flynn)
2006年 出版
2010年10月 東京創元社 創元SF文庫(上下巻)
<内容>
14世紀の夏、ドイツの村に突如謎の雷鳴が響き渡るという異変が起きた。その数日後、ディートリヒ神父を含む村の人々は森で異形の者達と出会うこととなる。人々は異形の者達を恐れながらも、乗り物が壊れたといい、怪我をしているクランク人と名乗る者たちを受け入れ始める。徐々にクランク人たちと上ホッホヴァルトに住む人々との交流が始まるのだが・・・・・・
<感想>
宇宙人と人間との交流を描いた作品。イメージとしては、ミステリ作品でカドフェル修道士というシリーズがあるのだが、彼らが暮らす地域にもし宇宙人が流れついたらどうなるかというのを描いたような内容。ただし、実際には年代も地域も異なり、14世紀のドイツの村が舞台である。
この作品は14世紀を舞台にしたパートと、現代から見たパートとの2つの視点で描かれている。現代のパートは上ホッホヴァルトというところで昔奇妙な事件が起きたのではないかということを、物理と歴史による学術的視点から解明していくというもの。そして実際に上ホッホヴァルトではどういったことが起きていたのかということがディートリヒ神父の体験を通して物語が進められてゆく。
この物語で感心するのが宇宙人とのファーストコンタクトをあえて必要以上に劇的なものとして描いていないところである。宇宙人という言葉さえも連想できない昔の人々は彼らを“悪魔”と呼び称し、恐れはするものの、パニックというまでには至らない。積極的に関わるものから、存在を無視するもの、あまり関わらないようにしようとするものと、さまざまなスタンスで異形の者たちを取り巻いていく。
一方、異星人であるクランク人たちも変わった形で書かれている。技術的には地球人たちよりも進んでいるものの、精神的には決して成熟しているとは言い難く、やや粗暴とさえ言えるような状況。それが村の神父に行動を抑えられつつ、自分たちの世界へと帰ることを望みながらも、一方では村に人々との暮らしに慣れ親しんでいこうとさえするのである。
この両者の控えめな状況と抑えられた物語が何とも言えない現実味のようなものを醸し出している。抑えられているがゆえに決して劇的というような展開は少ないのだが、抑制されたがゆえに素晴らしいと感じられる物語を味わえるのである。これは神父が主人公となり、宗教的精神を全面的に押し出しているということにも関係があるのだろう。
少し残念に感じたのは、現代のパートがあまり効果的ではなかったように思えたこと。せっかく現代のパートを描くのであれば、現代と過去がつながるような仕掛けも欲しかったところである。とはいえ、従来のSFとは異なるファーストコンタクトを味わうことができ、深いものを心に残す作品であった。SF史に残る一作であることは間違いないといえよう。