SF ア行−イ 作家 作品別 内容・感想

宇宙消失   Quarantine (Greg Egan)

1992年 出版
1999年08月 東京創元社 創元SF文庫
<内容>
 2034年、地球の夜空から星が消えた。冥王星軌道の倍の大きさをもつ、完璧な暗黒の球体が、一瞬にして太陽系を包み込んだのだ。世界各地をパニックが襲った。球体は<バブル>と呼ばれ、その正体について様々な憶測が乱れ飛んだが、ひとつとして確実なものはない。やがて人々は日常生活をとりもどし、宇宙を失ったまま33年が過ぎた。
 ある日、元警察官のニックは、匿名の依頼人からの仕事で、警戒厳重な病院から誘拐された若い女性の捜索に乗り出した。だがそれが、人類を震撼させる量子論的真実に結びつこうと・・・・・・


<感想>
“宇宙消失”という題名からどんな内容かと思いきや、始まりはハードボイルド調で幕が上がる。密室からの脱出までからめられ、さらには捜査するのはゾンビコップ。どんな展開になるのかと読み進めると、中盤以降は理論的SF小説として進められる。もちろん序盤も完全なるSF調であるのだが。

 いやー、それにしても量子論が飛び交う展開の中、話についていくのが難しい。というよりついていけない。シュレーディンガーの猫がどうたらこうたらとか、パラレルワールドのようなものが時間をまたがって存在しているようにも見え、新たなる発見によってなんでもありになって、収束することによってどうでもよくなって・・・・・・うーーんだめだ。

 要は箱の中に猫を入れて、そこに怪しい光線を当てて、それが箱を開けるまでどういう状態になっているかは判らなくて、箱を空けたら犬が入っているかもしれない。そんなことであろうか? いや、違うのか。
 なんとなく、パラレルワールド的な選択肢によるタイムマシン的な話のような気もするのだが・・・・・・

 解説を見ると、物理的な解説などなくても楽しめると書いてありながらも、絵付きで物理的な解説が行われているし・・・・・・とりあえずこれを読んで勉強するべきか・・・・・・うーーーん、また今度ということで


順列都市   Permutation City (Greg Egan)

1994年 出版
1999年10月 早川書房 ハヤカワ文庫(上下)
<内容>
 21世紀半ば、世界では科学技術が発達し、人間の“コピー”をコンピューター上に作ることが可能となっていた。その世界の中で多大な富を持つ者たちはコンピューター上に自分の記憶や人格をコピーして生き続け世界を支配していた。しかし、ポール・ダラムという男は、さらに未来永劫生き続ける事ができる世界というものを提唱するのであったが・・・・・・

<感想>
 いや、こういうものこそガチガチのハードSFというのであろう。要するに、難しかったと言う事である。

 コンピューター上に“コピー”を作り、それがいわゆるクローンのようなものであり、そしてそのクローンが増殖しそれぞれが個性を持ったとき、どのような考えを持つのか? というような内容くらいに収まるのかと思っていた。しかし、そんな予想などはるかに超えて、“世界”そのものまでを構築してしまうところにまで発展していってしまう。さらには、その構築された新世界での未知の生命体との接触と、本当に突き抜けた内容となっている。

 とにかく、その発想には脱帽するしかなく、気軽に読もうという者など置いてけぼりを喰らわせるような鮮烈さであった。こういった雰囲気の小説は好きなのだが、まだまだこれを読むには私自身のSFレベルが足りなかったかもしれない。いつか再チャレンジしてみよう。


しあわせの理由   Persons to be Cheerflu and Other Stories (Greg Egan)

2003年07月 早川書房 ハヤカワ文庫
<内容>
 「適切な愛」
 「闇の中へ」
 「愛 撫」
 「道徳的ウィルス学者」
 「移相夢」
 「チェルノブイリの聖母」
 「ボーダー・ガード」
 「血をわけた姉妹」
 「しあわせの理由」

<感想>
 イーガンの長編は2作ほど読んだ事があるのだが短編は初めて。長編に劣らず短編も難しい内容なのだろうなと思いきや、長編に比べればとっつきやすい。それなりに分かりづらい話も含まれてはいるものの、SF小説としては結構読みやすい部類ではないだろうか。

 読んでいて感心させられるのは、その豊富なアイディア。それぞれの短編作品にて色々なアイディアを披露しているのだが、他の作家であれば、その一つ一つを使って長編を書いてみたいと思うのではないだろうか。それくらいアイディアに溢れた短編をこれだけの量、惜しげもなく書いてしまうのだからたいしたものである。

「適切な愛」
 SFというよりは精神的な面で考えさせられるような内容となっている。主人公がさまざまな葛藤に悩むのだが、確かにこれは悩まざるを得ないであろう。現実に似たような話で“代理母”というものがあるが、それすらを超越したところで行動し続ける主人公に対しては、かける言葉さえ見つからない。

「闇の中へ」
 これはスピード・アクション・サスペンスとでもいったところか。もっとわかりやすい内容にすれば映画化するのも面白いかもしれない。作中の背景はハードSFたる内容で説明されるので状況がわかりにくいものの緊迫感は伝わってくる。もっと内容を広げてもらって、長編で読みたくなるような作品。

「愛 撫」
 SFというよりはハードボイルドといってよいような内容。そこに芸術と科学を融合させたグロテスクさがそびえ立つ。きっちり話が終わっているにもかかわらず、読了後は虚無的なものにさいなまれる。

「道徳的ウィルス学者」
 ある種の笑い話のような内容。道徳的ウィルス学者に対して、裁きを下す人物の造形が逸品。

「移相夢」
 これが私にとっては一番分かりづらい話であった。「順列都市」に近い内容のような気がしたが、全体的な背景がつかみにくかった。また、そこで取りざたされている“移相夢”自体がさらにわかりづらかった。

「チェルノブイリの聖母」
 金銭的価値がないはずのイコンに何故高価な値段をつけるのか? ひとつのイコンにまつわる謎を解いていくというサスペンス作品。タイトルがタイトルだけに、なんとなく予想がつくものの、そこに科学的な見地を用いてひときわ物語を重厚なものにしている。

「ボーダー・ガード」
 これもある種「順列都市」のような内容であるのだが、そこに人間の感情を強く用いた作品となっている。どのような形態で生きるにせよ、人は独りでは生きてゆけないということか??

「血をわけた姉妹」
 双子モノの作品のようで、意外と普通に物語が展開されて行ってしまう。双子のうちの片方の視点から、自分達“姉妹”の存在というものについて問いた作品のようでもある。

「しあわせの理由」
 この作品を読むとその内容云々よりも、自分が感じる感情というものが脳に与えられるパルスでしかないという見方に考えさせられてしまう。SF版、「アルジャーノンに花束を」といったところか(似たような作品を何でもかんでも「アルジャーノン」に例えるのはあまりよくないことかもしれないとふと気づく)。


祈りの海   Oceanic and Other Stories (Greg Egan)

2000年12月 早川書房 ハヤカワ文庫
<内容>
 「貸金庫」
 「キューティ」
 「ぼくになること」
 「繭」
 「百光年ダイアリー」
 「誘 拐」
 「放浪者の軌道」
 「ミトコンドリア・イヴ」
 「無限の暗殺者」
 「イェユーカ」
 「祈りの海」

<感想>
 イーガンの短編集は刊行された順番に読んで行こうと思っていたのだが、間違えてしまって「しあわせの理由」を先に読んでしまい、先に刊行されたこの「祈りの海」のほうが後になってしまった。ちなみにどちらも日本での独自編纂による短編集である。

「しあわせの理由」よりも今作のほうがテーマとしてはある程度統一されていると感じられた。本書に掲載されている作品では人と人とのつながりや自己のアイデンティティについて描かれている。ハードSFの設定の中でそれぞれ自己を見出そうという主人公達の様子が斬新に描かれているのだが、どれもが皆、悩み悩むものばかりでどこか鬱屈しているようにも感じられる。

「貸金庫」
 この作品は奇抜なアイディアが光っている。不定期に他人に乗り移りながら成長してゆく名前のない者の物語。何故、このような事象が起こるのかというよりも当人にとっては、自己を見出すことのほうが重要であったという内容。

「キューティ」
“擬似子供”とでも表現すればよいのだろうか。これとは異なる形で、あまりにもありそうな話ゆえに笑うよりも、真剣に考えさせられる作品。

「ぼくになること」
 テーマは不死とアイデンティティ。不死を体現するために体に宝石を埋め込むという技術とその行為に悩む主人公の様子が描かれている。そして主人公が真実を知ったとき、自己崩壊もしくは自己再生への道が示されることに。不死への皮肉が描かれているような作品。

「繭」
 企業を狙った爆弾テロから、性に関する差別への背景がゲイである主人公を通してしだいに見えてくるという作品。海外のSF作品でこうしたジェンダーに関わる内容の作品を見かける事がある。海外ではデモ活動といったさまざまな大きな動きがあるようだが、日本では馴染みがないせいか思想としてわかりづらい部分もある。 「百光年ダイアリー」
 未来を知る事ができるようになった世界が描かれた話。こういったSF作品はよく見られるのだが、そのどれもが後ろめたいような結末で終わる事が多い。

「誘 拐」
 かなり形態は違うと思うが現代における“あるある詐欺”を思い浮かべてしまう。だまされているとわかっていても、行動せざるを得ない主人公の苦悩が表された作品。オンラインRPGの利用者がゲームの中のアイテム類を現実のお金で売買するという話を聞いた事があるが、本編はそれの最たる話と感じられた。

「放浪者の軌道」
 社会の革編に逆らおうとするものの話。しかし、逆らおうとする行為自体でさえも、他からの力に操られていると疑心暗鬼にとらわれる主人公。自己による自由というものが存在しうるのかということを問われているような作品。

「ミトコンドリア・イヴ」
 人の家系をたどっていく事によって唯一の人物、つまり“アダムとイヴ”にたどりつくことができるかという内容。そしてこのような内容であれば、宗教という問題を避ける事は決してできない。真実が大切なのか、信じている事を証明するための材料がほしいだけなのか、主人公はそこに悩むこととなる。

「無限の暗殺者」
 パラレルワールドがいたるところに発生するようになった世界の中で、その影響を決して受けない人物の話。ただし、実は影響を受けないというわけではなく、そこにはとある理由があった・・・・・・というような事象がこの作品の主人公を悩ませることとなる。

「イェユーカ」
 ほとんどの病気の存在を無くす事ができるような完璧な世界のなかで、古い時代の医学にひたすらすがりつこうとする青年の話。発展途上国へとわたった青年は完璧な世界などありえない事実と、自己の無力さにうたれつつ、己の道を見出そうとしてゆく。

「祈りの海」
 タイトルにもなっている、本書のなかで一番長い作品。これは異世界を舞台に、主人公が狂信的に信じる宗教を抱きつつも、自分が成長するにしたがい現実と科学によって己の人生に対して矛盾を感じてゆくという内容。主人公が成長していく過程を描いた作品としてはよいと思うのだが、最終的にわかることになる真実については、あまりにも・・・・・・と感じられてしまう作品。


TAP   TAP and Other Stories (Greg Egan)

2008年12月 河出書房新社 <奇想コレクション>
<内容>
 「新・口笛テスト」
 「視 覚」
 「ユージーン」
 「悪魔の移住」
 「散 骨」
 「銀 炎」
 「自警団」
 「要 塞」
 「森の奥」
 「TAP」

<感想>
 人気SF作家であるグレッグ・イーガンの短編集。日本で発表されるのは、これで4編目となる。今作は<奇想コレクション>で集められた作品ということもあり、SF色という面では若干薄いと感じられる。またイーガンの初期の作品も掲載されているので、今まで翻訳された作品とはまた違った印象をうけるものも含まれている。個人的には今回の作品群はややわかりづらいというものが多かったかなという感じがした。

 一番印象に残った作品は「視覚」。これは、こんなアイディアをよく考え付くものだなというようなもの。最初は単なる幽体離脱ものかと思えたのだが、その幽体離脱のような現象を思いもよらない角度から攻めてゆくこととなる。内容よりも、そのアイディアに惹かれた一編。

 他にもコマーシャルソングをテーマにした「新・口笛テスト」、天才の子供をさずかるために成した行為の行く末を描く「ユージーン」、奇怪なウイルスの発生源を突き止めようとする「銀炎」、環境難民という設定とホラーミステリーのような展開が印象に残る「要塞」などが秀逸。

 そしてタイトルとなっている「TAP」がイーガンの作品を象徴するような中編として完成されている。殺人事件の謎を解きながら、脳内に組み込む装置によって、変質すると思われるアイデンティティについてを語りつくしていくという内容。


ディアスポラ   Diaspora (Greg Egan)

1997年 出版
2005年09月 早川書房 ハヤカワ文庫
<内容>
 30世紀、人類のほとんどは肉体を捨てて、人格や記憶をソフトウェア化して、ポリスと呼ばれるコンピュータ内の仮想現実都市で暮らしていた。そしてごく少数の人々だけが、ソフトウェア化を拒み、肉体を持った元々存在する人類のままとして生存していた。そうしたポリスのなかで、ソフトウェアの中から生まれた孤児ヤチマが見る人類の行く末とは・・・・・・

<感想>
 ここまで来ると人類の進化とはとても思えない。もはや地球外生命体の生態を描いた作品のようにさえ思えてしまう。最初にソフトウェアの中から孤児としてヤチマが生まれ、その後、彼を中心とした物語が描かれてゆく。

 たぶん物語の構造としては、さほど複雑ではないのであろう。登場人物も主人公ヤチマを含めた少数のみ。物語のあらすじを追っていくと、ヤチマの誕生と成長、ポリスという仮想現実都市のありよう、地球に訪れる危機、そして宇宙への進出。と、言葉にすれば簡単なはずであるのだが、実際に読んでいくと、ひとつひとつの描写があまりにも理解できなさすぎるのである。

 だいぶ前に同じくイーガンの「順列都市」を読んだ時もややこしいと感じたのだが、この作品はそれ以上であるような気がする。まさに「順列都市」の進化系であり、ここまでくるとハードSFというよりは、ナノSFとでも言いたくなるような人の眼には見えないようなところで展開している物語。

 わかりやすかったところと言えば、やはり肉体を持った人類が登場するところ。従来の人類が出てきてくれると、なんとなくホッとしてしまう。ただし、その肉体を持った人類に対して未曾有の危機が訪れ、それをソフトウェア化された人類であるヤチマらが思想の異なる彼らを助けようと奔走する。

 そういったわかりやすく感じられるところもあったものの、ポリスという世界や宇宙へ進出するために進化をしていく人類のありようなど、分かりにくいというよりも想像が覚束ない場面が多かった。どうにも3次元を超えてしまうとついていくのが大変だ。

 本書はSF界においては代表作と言われる大作であるのだが、とても一般向けとは言えなそうな作品。イーガンの作品はまずは短編集から入るほうが順序としては良いのだろう。また、本書はイーガンの長編作品を読むうえでも、後回しにしたほうがよさそうにも感じられる。とはいえ、最高のSF作品と言われるものがどのようなものか、とりあえず怖いもの見たさということで体感してみるのも良いのかもしれない。


ひとりっ子   Singleton and Other Stories (Greg Egan)

2006年 出版
2006年12月 早川書房 早川文庫
<内容>
 「行動原理」
 「真 心」
 「ルミナス」
 「決断者」
 「ふたりの距離」
 「オラクル」
 「ひとりっ子」

<感想>
 イーガンならではのアイデンティティに比重をおいた短編集。今回も存分に難解なハードSFを堪能させられた。

「行動原理」「真心」「決断者」は、とある効果が得られるソフトウェアを体に注入するかどうかの迷いを描いている。そのどれもが、爆発的な効果があるというわけではなく、なんとなく、そのような状況になるというあいまいなもの。しかし、それらをインストールすることにより、心の平穏が得られるということのほうが肝心なところと考えられる。

「ルミナス」は、サーバーSFアクションのような出だしから始まるものの、行き着くところはほかの作品と同じようなもの。その行き着くところが数学的に表されているゆえに、内容を理解しにくい。

 そうしたなかで、ソフトやハードを駆使して、行き着くところまで行ってしまったのが「二人の距離」。二人の距離を縮めようとすることで、孤独へといたるという結末に皮肉が効いている。

「オラクル」と「ひとりっ子」は実は対になっている作品であると、あとがきを読んでようやく気づかされる。よくよく読まなくても、大変重要な人物が両作品に登場していた。「オラクル」は時間改変もので、「ひとりっ子」は病気にならず死ぬことのない子供を作り出すという話。「ひとりっ子」のほうは、両親の苦悩を描いたものでそれなりに理解しやすいが、「オラクル」は内容を理解しにくい。ただ、「ひとりっ子」読了後に再度「オラクル」を読めば、作品へととっつきやすさがかわってくる。この2編はセットとして、繰り返し読むべき作品と感じられた。


ゼンデギ   Zendegi (Greg Egan)

2010年 出版
2015年06月 早川書房 ハヤカワ文庫
<内容>
 新聞社の特派員であるマーティンは、テヘランで大きな政治動乱に遭遇し、そこで取材を続けてゆく。その動乱が落ち着いた後、マーティンは現地の女性と結婚し息子・ジャヴィードをさずかる。
 イラン人女性のナシムは10歳のときに、母親と共にアメリカへ亡命し、その後工科大学の研究室で生命情報科学を専門とする。そしてテヘランでの政治動乱が集結した後、母親が国へ帰ると言い、ナシムは一緒にテヘランへと戻ることとなる。
 ジャヴィードと共に過ごすマーティンは、自分の死後、マーティンの成長を見守ることができないことを嘆き、VR体感ゲーム“ゼンデギ”の制作者のひとりであるナシムに頼み、自分自身をVR上にスキャンしてもらうことを頼むのであったが・・・・・・

<感想>
 イーガンの作品としては意外と普通の作品であったような。アジアを感じさせるような作調になっており、なんとなく別のSF系の著者がよく描くような感じの小説であったかなと。

 全体的に社会道徳というものを感じさせるような内容。イランでの政変であるとか、ネット社会おける特にVRに対する警句であるとか、さらには親と子の関係を通しての生き方であるとか、そういったものを問いただしつつ、何かを見出そうとしているような作品。

 なんとなくではあるが、そうした問題点を色々と問いだしつつも、どこか飛び抜けたところへ到達するという内容ではなく、問題提起のままで終わってしまったように感じられた。ある意味、極めて人間的で、現実的な作品というようにも捉えられる。




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