20世紀SF① 1940年代「星ねずみ」
2000年11月 河出書房新社 河出文庫
<内容>
「星ねずみ」 フレドリック・ブラウン
「時の矢」 アーサー・C・クラーク
「AL76号失踪す」 アイザック・アシモフ
「万華鏡」 レイ・ブラッドペリ
「鎮魂歌」 ロバート・A・ハインライン
「美女ありき」 C・L・ムーア
「生きている家」 ウィリアム・テン
「消されし時を求めて」 A・E・ヴァン・ヴォート
「ベムがいっぱい」 エドモンド・ハミルトン
「昨日は月曜日だった」 シオドア・スタージョン
「現実創造」 チャールズ・L・ハーネス
<感想>
この作品を読んでいた時期、2003年2月1日、米スペースシャトル“コロンビア号”が帰還時に空中分解し、乗組員全員が死亡するという事故が起きた。本書は1940年代、まだ宇宙への憧れが実現されない時代に描かれたSF作品群である。そのころ、もしくはそれ以前から人類は宇宙というものを夢見ていた。それが2000年代に入り、このような事故が起きたことにより、宇宙開発はまた一歩後退するかもしれない。しかしながら、宇宙に対する夢というのは途絶えることなく、これからも生き続けるであろう。これら作品集のそれぞれからあふれる情熱にふれれば誰もがそう思うのではないだろうか。
「星ねずみ」 フレドリック・ブラウン
ループ構造の作品とでもいうべきか。かなりのブラックユーモア的作品であり、ブラウンにおちょくられたかのようにも感じられる。もしも突然、自分が鼠に話しかけられたりしたとしたら、その事を他の人は信じてくれるだろうかと考えてしまった。
「時の矢」 アーサー・C・クラーク
科学に対する情熱の一つの表れを描いた作品。しかし、時として行過ぎた科学というものは、他の分野の科学に対してやっかいな爪跡を残す可能性があるとでも言っておけばよいのだろうか。
「AL76号失踪す」 アイザック・アシモフ
一つの専用ロボットが望まない環境を与えられた際に、いかにやっかいな事を起こすかという事が描かれている。しかし、専用ロボットなら高度な知能は必要ないのではと思えるのだが・・・・・・
「万華鏡」 レイ・ブラッドペリ
星々を巡る夢の中において、辛い現実の一つを描いた作品。孤独と絶望の淵に立ったとき、人は本当のむき出しの人間と化してしまう。
「鎮魂歌」 ロバート・A・ハインライン
これこそがSFを宇宙を夢見るものの気持ちであろう。決して悲しい話だとは思いたくはない。人が希望を持つからこそ夢は実現する。そして大人は誰もが子供の頃から描いていた夢をかなえたいと思うものだと。
「美女ありき」 C・L・ムーア
人が機械の体をまとったときの葛藤を描いた作品。本文中でも示しているように“美しきフランケンシュタインの創造物”とでもいったところであろうか。創った者、創られた者の互いの希望と悩みが交錯し、やがては人の手の届かないところへと昇華していく。作中の主人公たる第三者はただ指を加えて見ているしかないのである。
「生きている家」 ウィリアム・テン
実は裏返してみると、ある種のエイリアンといえるかもしれない。人間の影響力を奪うには“力”ではなく“快適さ”を与えることこそが一番なのかもしれない。
「消されし時を求めて」 A・E・ヴァン・ヴォート
記憶を求める旅は、いつしか空隙を埋めるための時間旅行へと変化してゆく。日常がいつしか未来世界へと変化して行くのだが、目的の深層部分がはっきりしないせいか、やや分かりづらかった。
「ベムがいっぱい」 エドモンド・ハミルトン
ブラックユーモア決定版。本作こそが宇宙飛行士を夢見るものの希望を打ち砕く究極の一編である。「火星はバカらしかった」と言いたくなるような“猿の惑星”を凌駕する作品。こんなもの見たといっても誰が信じてくれるやら。
「昨日は月曜日だった」 シオドア・スタージョン
SF的ミッシングリンクの解釈とでもいうべきか。我々が信じている世界はアナログ世界であるはずなのだが、実は断続的なデジタルな世界であるのかもしれない。夜になると靴を修理してくれる小人の話があったと思うが、これはそのSF版とでもいったところか。ちょっとニュアンスが違うような気もするのだが、なんとなくそんな感じがした。
「現実創造」 チャールズ・L・ハーネス
ややわかりにくい作品であった。タイムパラドックスものであるのだが、結局のところ目的や意味などがとらえにくかった。記憶の隙間とタイムパラドックスをからめるのはいいのだが、もう少し単純化してもらいたかった。
20世紀SF② 1950年代「初めの終わり」
2000年12月 河出書房新社 河出文庫
<内容>
「初めの終わり」 レイ・ブラッドベリ
「ひる」 ロバート・シェクリイ
「父さんもどき」 フィリップ・K・ディック
「終わりの日」 リチャード・マシスン
「なんでも箱」 ゼナ・ヘンダースン
「隣 人」 クリフォード・D・シマック
「幻影の街」 フレデリック・ポール
「真夜中の祭壇」 C・M・コーンブルース
「証 言」 エリイク・フランク・ラッセル
「消失トリック」 アルフレッド・ベスター
「芸術作品」 ジェイムズ・ブリッシュ
「燃える脳」 コードウェイナー・スミス
「たとえ世界を失っても」 シオドア・スタージョン
「サム・ホール」 ポール・アンダースン
<感想>
1940年代に比べて、さらにSF作品の多様化が感じられる作品集となっている。そして科学が発達してきたということもあるせいか宇宙への希望だけが述べられるのではなく、そこにつきまという現実的な問題が徐々に取り上げられてきているように感じられた。そのへんについては戦争という背景などもあるのかもしれない。
「初めの終わり」 レイ・ブラッドベリ
華々しい、夢の広がる宇宙飛行。その宇宙飛行士を目指すものの影には、その者を心配して待ちわびる人たちが存在する。“故郷”と題したくなるような作品。
「ひる」 ロバート・シェクリイ
エイリアンが描かれたSF作品は無数にあるだろう。そういったなかで、無意識のエイリアンが描かれた作品。無意識というか、ただ欲望だけ。そこには善も悪も存在しない。しかし、人間にとってみれば迷惑極まりない客人である。そんな迷惑な客人撃退法。
「父さんもどき」 フィリップ・K・ディック
“偽者の父さんは好きですか?”怪しい父親を撃退しようと、それに対する子供達を描いた作品。ある種、モダンホラー的な雰囲気を感じる作品。
「終わりの日」 リチャード・マシスン
“明日で世界が終わってしまうとしたらどうします?”そんな世界をリアルに描いたこの作品。これはただにSF作品に終わらずに、信仰を描いた作品ともなっている。
「なんでも箱」 ゼナ・ヘンダースン
ちょっと不思議な物語。訳の分からない行動を取る児童というのはどこにでもいるであろう。しかしその行動の裏には何かしらの根拠があるのかもしれない。例えば、他の人には見えない“なんでも箱”を持っているというような・・・・・・そういうような目で見守ることも必要であるといいたいのかな?
「隣 人」 クリフォード・D・シマック
これもエイリアン物。しかも善意のエイリアンというパターン。エイリアンが大衆の目にさらされないようにするには、小さな領域を囲い込むのが最善の方法である。しかも人間はそれに満足してしまったりするのだから申し分なし。
「幻影の街」 フレデリック・ポール
近代のアメリカ文学のような様相。今の時代に読むと、それがSF的なのかラリッてるだけなのかの判別が難しい。
「真夜中の祭壇」 C・M・コーンブルース
これも華々しい宇宙飛行士の裏側を描いた一作。読んでみるとなんとなくベトナム戦争の帰還兵の物語を読んでいるような気分。夢と現実のギャップが残酷なまでに描かれている。
「証 言」 エリイク・フランク・ラッセル
宇宙人の法廷物が描かれていた作品がすでに存在していたとは。「イリーガル・エイリアン」が初めというわけではなかったのか。著者はイギリス人なのだが、描かれるのはアメリカそのものの法廷模様。最初はエイリアンに対して厳しい法廷が描かれていると感じたのだが・・・・・・ラストは感動的。良い作品である。
「消失トリック」 アルフレッド・ベスター
なんでも名作「虎よ 虎よ!」の原作ともいうべき作品らしい。突如、病棟から消える患者達。彼等が訪れていた場所とはいったい? その道のスペシャリスト達が次々と呼ばれて、最後に呼ばれるスペシャリストとは? 戦争の皮肉というものをうまく表した作品。
「芸術作品」 ジェイムズ・ブリッシュ
SFの世界を駆使して芸術が描かくという、離れ業的作品。設定自体はさほど珍しくないと思うのだが、そこに芸術を用いたことによって深みのある作品へと昇華している。そして芸術の価値というものは後世になって明らかになるとでもいうような皮肉がずばり利いている。
「燃える脳」 コードウェイナー・スミス
これはちょっと分かりにくい作品であった。もしかしてこれが仮想ネットワークSF作品の走りなのではと考えられるような作品。
「たとえ世界を失っても」 シオドア・スタージョン
異性人の“性”というものが描かれた作品。なるほどこういう作品もスタージョンの特徴のひとつなのか。SF界におけるタブーがここにあらわにされる。
「サム・ホール」 ポール・アンダースン
50年前に描かれたとは思えないハイテクSF。そこに描かれているのはまさに現代におけるネットワークにおける虚構が描かれている。こういう作品がでていること自体、アメリカがネットワーク先進国であるということを感じさせる作品である。
20世紀SF③ 1960年代「砂の檻」
2001年02月 河出書房新社 河出文庫
<内容>
「復讐の女神」 ロジャー・ゼラズニイ
「『悔い改めよ、ハーレクィン!』とチクタクマンはいった」 ハーラン・エリスン
「コロナ」 サミュエル・R・ディレイニー
「メイルシュトレームⅡ」 アーサー・C・クラーク
「砂の檻」 J・G・バラード
「やっぱりきみは最高だ」 ケイト・ウィルヘルム
「町かどの穴」 R・A・ラファティ
「リスの檻」 トーマス・M・ディッシュ
「イルカの流儀」 ゴードン・R・ディクスン
「銀河の<核>へ」 ラリイ・ニーヴン
「太陽踊り」 ロバート・シルヴァーバーグ
「何時からおいでで」 ダニー・プラクタ
「賛美歌百番」 ブライアン・W・オールディス
「月の蛾」 ジャック・ヴァンス
<感想>
1950年代の作品を読んだときにはSFの多様化という言葉が頭に思い浮かんできた。1960年代の作品になるとSFの多様化どころか、SFかSFでないのか微妙な作品が多いことに気づく。これらの作品群の中で純粋にSFと呼べるもののほうが少ないのではないだろうか感じられた。
実はこの1960年代というのはSFの倦怠期とでもいうべき時代であり、SF作家の多くが試行錯誤を繰り返していた時期であったようだ。正直言ってこの作品群を読んだだけではこれらのアプローチが成功しているのかどうかという判別は付けにくいのであるが、歴史的な分岐の年代に生まれた作品として注目すべきものなのであろう。本作品集は、ここからSFがどう変っていったのかを探るうえでも貴重な資料といえるかもしれない。
「復讐の女神」 ロジャー・ゼラズニイ
これはSF版“スパイ大作戦”といってもいいような内容である。願わくば、もう少しそれぞれのキャラクターの設定をきっちり書いてもらいたかった。特に悪役については少々わかりにくかった。もっとこれぞ悪役というような設定のほうが良かったのではないだろうか。そうすれば主人公たち3人組の存在がもっと栄えたと思うのだが。
「『悔い改めよ、ハーレクィン!』とチクタクマンはいった」 ハーラン・エリスン
時間が管理させた世界をあざ笑うかのような内容の作品。未来の社会に対しての警句ともとれないことはない。
「コロナ」 サミュエル・R・ディレイニー
労働者の青年と人の精神を読み取ってしまう少女との交流。これはもう少し長い作品にしてもらいたかった。短編では内容の深さを出し切れなかったのでは。
「メイルシュトレームⅡ」 アーサー・C・クラーク
これこそまさにSFという作品。あと数時間で死亡する男の気持ちと、その絶望からの脱出を描いた力作。心情描写が見事。
「砂の檻」 J・G・バラード
廃退的な作品。その砂に埋もれた世界の描写が何故かリアルに未来の地球を感じさせる。悪い方向への未来を描いたSF作品というところか。
「やっぱりきみは最高だ」 ケイト・ウィルヘルム
今で言えばネット・アイドルといったところか。そういうものを描いた作品。とはいってもその設定のみがSF的で内容はミステリー的な気がする。と、思うのは40年経った今だから言えることか。
「町かどの穴」 R・A・ラファティ
これはまた笑いを誘いつつも、不気味な話が描かれている作品。ルールがあるようで、ルール無用のSF。最後の一言に爆笑。
「リスの檻」 トーマス・M・ディッシュ
内側の身で描かれている精神的な話。この作品だけただ読んでもSF作品だとは思わないだろうなぁ。
「イルカの流儀」 ゴードン・R・ディクスン
イルカの言葉に対する考え方が学問的に描かれている。この解釈はなかなか面白いかも。ラストで表される一つの考え方も、トンデモ話ながらも何となくうなずけてしまう。
「銀河の<核>へ」 ラリイ・ニーヴン
箱の中に入れられ海底の中に沈められて測定して来いというのを銀河系規模でやっているような話。しかもただ単に観測だけに終わらせずに、異人種間の考え方の違いを用いてオチをつけている。
「太陽踊り」 ロバート・シルヴァーバーグ
一見、開けた話のようだが、これも自身の内側のみの話ともとれる。何が真実なのかという事を知るためには、どの立場にたてばよいのだろうかと考えてしまう。もしくはそれがわからないのならば、かえって何も知らないほうが幸福ということか。
「何時からおいでで」 ダニー・プラクタ
SFのショートショート。解説に書いてあった通り、SFにとどめを刺すような作品。タイムスリップものの極致。
「賛美歌百番」 ブライアン・W・オールディス
一見、古代の世界に見えるが実はそれこそが未来の世界であり、それこそが進化した姿であるというものを表している作品。進化の極致とは、また元へと戻ることなのであろうか。
「月の蛾」 ジャック・ヴァンス
不思議な習慣の星での道徳を描いた作品。これは短編でなく、連作短編あたりで読みたかった作品である。主人公の考え方などが徐々に変っていく姿を見てみたかった。
20世紀SF④ 1970年代「接続された女」
2001年05月 河出書房新社 河出文庫
<内容>
「接続された女」 ジェイムズ・ティプトリー・ジュニア
「デス博士の島とその他の物語」 ジーン・ウルフ
「変革のとき」 ジョアンナ・ラス
「アカシア趣旨文書の著者をめぐる考察ほか、『動物言語学会誌』からの抜粋」 アーシュラ・K・ル・グィン
「逆行の夏」 ジョン・ヴァーリイ
「情けを分かつ者たちの館」 マイクル・ビショップ
「限りなき夏」 クリストファー・プリースト
「洞察鏡奇譚」 バリントン・J・ベイリー
「空」 R・A・ラファティ
「あの飛行船をつかまえろ」 フリッツ・ライバー
「七たび戒めん、人を殺めるなかれと」 ジョージ・R・R・マーティン
<感想>
1970年代となると、ただ単に知っている作家というだけではなく、現在も活躍している作家が数多く登場しているのがわかる。
このラインナップで驚いたのが、ジーン・ウルフ。「デス博士」は国書刊行会から1冊本として作品が出ているので、それに先駆けたアンソロジーとしてこの作品が掲載されていたことにいまさらながら驚いた。また、「ゲド戦記」でおなじみのル・グウィンが女性であることを初めて知った。また女性といえば、今回のアンソロジーでは女性の作家が多く登場しており、それらの存在がSF会におけるフェミニムズの論争を繰り広げたりとさまざまな影響があったということを知る事ができた。
「接続された女」
重々しいテーマを軽快なラップ調の文体を用いて表現している作品。女性の外見と内面というものの関係を近未来のテクノロジーを用いて描き、広告業界を風刺し、さらにはホラーテイストな迫力までも持ち合わせた、まさに怪物的な作品。
「デス博士の島とその他の物語」
この作品は再読となる。以前読んだときにはその内容を読み取る事ができなかったのだが、巻頭の前書きにて“逃避”というキーワードが書かれていることによって、今回はより深く作品の内容に入る事ができた。少年が描いた幻想は必然的なものであったということが、最後に明らかにされている。
「変革のとき」
フェミニズムというものを表した作品であり、またある種の異星人の侵略とまでも感じさせる作品となっている。これはアイディアのみの小説ではなく、その書き方(著者の技量)によって作品として成功したと言えるのではないだろうか。
「アカシア趣旨文書の著者をめぐる考察ほか、『動物言語学会誌』からの抜粋」
何かの冗談のような作品。ただし、これを読むと実際の学会誌をきちんと読んでみれば、このように珍妙な記述が多々見られるのかもしれない。まじめゆえに、どこか現実からずれてしまうということはありえることだろう。
「逆行の夏」
惑星間旅行やクローンなどと、さまざまな科学技術を集めた内容でありながら、ヒューマニズムというものを残した内容にもなっている。この作品の特徴のひとつに“性転換”というものが挙げられる。ただ、一番印象に残るのは水星における日常生活というものが描かれているところであろう。
「情けを分かつ者たちの館」
これは一番わかりづらかった作品。サイボーグのための精神病院の様相が描かれている。やや、前衛的すぎるような気が・・・・・・
「限りなき夏」
一部分の地域、または人の時間が停止するという事件が描かれた作品。そういった不思議な様が戦時中の様子と共に進行しているのが幻想的にさえ見えてしまう。
「洞察鏡奇譚」
異星人ものであるのだが、ちょっとしたアイディアを使って、うまい具合に見せるSF作品となっている。最後の最後まで、人間の立場としては見ている側なのか、見られている側なのかと考えさせられた。
「空」
パラシュートを付けずに、スカイダイビングをするという話。まさに“ほら吹きおじさん”の名に値する作品。
「あの飛行船をつかまえろ」
この著者はドイツの作家なのだろうか? 当たり前のことなのかもしれないが、ドイツの作家というのはナチズムにとらわれずにはいられないような気がする(と、ムアコックの小説を読んで感じた)。この作品は歴史改変もので、第二次世界大戦後の様相が現実とは少し異なるように描かれている。その象徴として“飛行船”が用いられている。
「七たび戒めん、人を殺めるなかれと」
何か後味の悪い小説。前書きにて、結末のヒントは“吸血鬼”と書かれているが、そういわれてもいまいち、しっくりこなかった。辺境惑星においての、侵略者に対する革命を描いたような作品ではあるものの、革命が成就されたかどうかについては微妙。
20世紀SF⑤ 1980年代「冬のマーケット」
2001年07月 河出書房新社 河出文庫
<内容>
「冬のマーケット」 ウィリアム・ギブスン
「美と崇高」 ブルース・スターリング
「宇宙の恍惚」 ルーディ・ラッカー
「肥育園」 オースン・スコット・カード
「姉妹たち」 グレッグ・ベア
「ほうれん草の最後」 スタン・ドライヤー
「系統発生」 ポール・ディ・フィリポ
「やさしき誘惑」 マーク・スティーグラー
「リアルト・ホテルで」コニー・ウィリス
「調停者」 ガードナー・ドゾワ
「世界の広さ」 イアン・ワトスン
「征たれざる国」 ジェフ・ライマン
<感想>
このシリーズも5冊目となる。前から言っていることなのだが、SFというのは多様化が目立つジャンルであるということを今作を読んで、まざまざと感じる事ができた。ここでの1980年代の作品から“サイバー・パンク”と言われるジャンルが確立してきたようだが、その枝分かれについてもSFの流れを決定付けたというよりも、多様化を加速させたのではないかとさえ感じられる。
今回ここで掲載された作品を読むと、SFからの枝分かれというよりも、文学からの枝分かれという印象を強く受けた。文学的なものを語る上で、サイエンス色の強い背景を用いているというように捉えられるのである。
よって、作品のいくつかについては、SF的な背景を扱わなくても十分に小説として確立できると感じられた。ただし、そうしたものが純粋に文学として受け入れられるかというと難しいのであろう。それが多くのジャンルを受け入れやすいSFという世界に流れてきたのではないかとも考えられる。ただし、そこへただ単に流れ着いてきただけではなく、海外ではジャンルの確立における論争を繰り返しながら、時代を経てきているということが各作品の解説によって理解する事ができる。
「姉妹たち」という作品は、小説としては非常によい作品と思うのであるが、別にSFという背景を用いなくてもよいのではないかと感じてしまう。また「征たれざる国」に関しても、あえてSFという背景を用いない方がわかりやすい小説になったのではないかと感じられるのである。
他の作品も同様にSFを用いる事によって、深みが出ればよいのだが、単純に難解さが増してくるということでは、読者は離れていってしまうのではないかと考えられる。ただし、そうした難解さを求めてコアな少数の読者が根強いファンになってゆくという側面もあるのだろう。
各有名作家の代表作ということで取り上げられているだけあって、どれも印象深い作品であることは確かなのだが、上記のことを考えながら読んでゆくと、よりいっそうSFに対する複雑さが増してしまう事が困ったところである。
また、個人的なことであるがどうも私はコニー・ウィリスの作品とはうまが合わないようだと、今回の短篇を読んでさらに感じることとなった。
20世紀SF⑥ 1990年代「遺伝子戦争」
2001年09月 河出書房新社 河出文庫
<内容>
「軍用機」 スティーブン・バクスター
「爬虫類のごとく・・・・・・」 ロバート・J・ソウヤー
「マジンラ世紀末最終大決戦」 アレン・スティール
「進 化」 ナンシー・クレス
「日の下を歩いて」 ジェフリー・A・ランディス
「しあわせの理由」 グレッグ・イーガン
「真夜中をダウンロード」 ウィリアム・ブラウニング・スペンサー
「平ら山を越えて」 テリー・ビッスン
「ケンタウルスの死」 ダン・シモンズ
「キリマンジャロへ」 イアン・マクドナルド
「遺伝子戦争」 ポール・J・マコーリイ
<感想>
とうとうこのシリーズも最終巻となってしまった。さすがに1990年代のラインナップとなると、今でも新刊が邦訳されている作家を多く見ることができる。
SFゆえに、近代的なテクノロジーをいち早く取り入れるというのは当り前のことなのだろうけれども、それだけではなく近代的な文化も積極的に取り入れている様子を見受けることができる。副題にもなっている“遺伝子”だとか、“ネットワーク”またはイーガンが描く心理的な内容のものだとか、90年代らしいテーマがもちいられた作品が集められている。
印象的だったのは冷戦を史実とは異なる視点から描いた「軍用機」。
ロボットものを描くという、海外SFにしては珍しい「マジンラ世紀末最終大決戦」
SFというよりは、ロード・ノベルという趣が強い「平ら山を越えて」
また、今作品中一番のお気に入りは「日の下を歩いて」。これは月での遭難を描いた作品。主人公は救援を待つために、ひたすら月面を歩き続けるというもの。今回の作品群の中では一番SFらしいSFと感じられた。
それと物語として一番面白かったのが「ケンタウルスの死」。これは現実世界で先生が生徒に空想上の物語をしていくというもの。現実のパートと空想上のパートが交互に語られてゆく。この空想上の物語は「エンディミオン」の並行世界のようなものであり、ファンであれば必見の作品。
余談であるが、期待していたソウヤーの作品があまりたいしたことなかったのが残念。
今現在、SFというと非常に幅広い分野で描かれているというイメージがある。SF作品と呼ばれるものを読めば読むほど、そう感じられる。これは、各作家たちがあえて今まで書かれた事のないような物にチャレンジしているという結果なのかもしれない。もしくは、好きなものを書いてみたら、いつのまにかSF作品と呼ばれるようになってしまったのかもしれない。
海外では早いうちにこうした風潮が見られたようであるが、日本ではここ最近になってようやくSFを書く人が増え始め、今現在ようやくこのような軌跡をたどりつつあるように感じられる。この20世紀SFを通して読むことにより、SF界の流れというものを体現できたのはとても貴重であった。日本でも将来、2000年以後から10年ずつ区切って、こういったアンソロジーが書かれるような時代が来てくれることを期待したい。
虚構機関 2007年 年刊日本SF傑作選
2008年12月 東京創元社 創元SF文庫
<内容>
「グラスハートが割れないように」 小川一水
「七パーセントのテンムー」 山本弘
「羊山羊」 田中哲弥
「靄の中」 北國浩二
「パリンプセスト」 円城塔
「声に出して読みたい名前」 中原昌也
「ダース考 着ぐるみフォビア」 岸本佐知子
「忠 告」 恩田陸
「開 封」 堀 晃
「それは確かです」 かんべむさし
「バースディ・ケーキ」 萩尾望都
「いくさ 公転 星座から見た地球」 福永信
「うつろなテレポーター」 八杉将司
「自己相似荘」 平谷美樹
「大使の孤独」 林譲治
「The Indifference Engine」 伊藤計劃
<感想>
2007年に発表された作品を集めた、日本SF傑作選。一応、今後も続けていく予定のよう。
この傑作選を読んでいくと、改めてSFのジャンルというものについて考えさせられる。というのは、読んでいて、えっ、これってSF傑作選に入れるような作品? と思うようなものが多く見られた。特に今回はショート・ショートが多く集められていたために、そのように感じられたのかもしれない。こういった作品群を読んでいくと改めてSFというジャンルの広さと多様さを感じてしまう。
ただ、このように多様すぎてしまうと、SFというジャンルそのものがあいまいになってしまうのではないかとも感じずにはいられない。
今作はショート・ショートが多くとりあげられていたせいか、SFを読んだという感じが希薄であった。ちなみに上記に記載している<内容>のうちの「声に出して読みたい名前」から「それは確かです」くらいまでをショート・ショートとしてよいであろう。「バースディ・ケーキ」は漫画であり、「いくさ 公転 星座から見た地球」も短めの作品であった。
それ以外の短編作品はさすがに精選されただけあり、面白いものばかりがそろっていた。円城塔氏の作品にいたっては、氏の長編をそのまま短編に収縮したような内容であり、まだ円城氏の作品を読んだことがない人は試しにこれを読んでみるとよいのではないだろうか。
ラッキーアイテムによる騒動を描いた「グラスハートが割れないように」
テンムーと呼ばれる遺伝子欠落について描いた「七パーセントのテンムー」
羊山羊と呼ばれる人間の変異をユーモラスに描いた「羊山羊」
不可解なコンビによる不可解で残酷な尋問がなされてゆく顛末を描いた「靄の中」
ヴァーチャールコロニーへの移設を男女の感情を用いて描く「うつろなテレポーター」
霊による事件を解決しようとする特別調査機関の様子を描く「自己相似荘」
宇宙での異性人とのコンタクトと文化のやりとりの難しさを描く「大使の孤独」
内戦時に戦争教育され、戦後の世の中に放り出された少年兵のその後を描く「The Indifference Engine」
どれもそれぞれ見所あり。一番わかりやすいSF作品としては「大使の孤独」をあげたい。その他では「The Indifference Engine」と「七パーセントのテンムー」が特に面白く読むことができた。
知られざる作家の発掘にも役にたち、現在のSFの形というものが読み取れる作品集。続くのであれば今後も読み続けてゆきたい。
超弦領域 2008年 年刊日本SF傑作選
2009年06月 東京創元社 創元SF文庫
<内容>
「ノックス・マシン」 法月綸太郎
「エイミーの敗北」 林巧
「ONE PIECES」 横山三英
「時空争奪」 小林泰三
「土の枕」 津原泰水
「胡蝶蘭」 藤野可織
「分数アパート」 岸本佐知子
「眠り課」 石川美南
「幻の絵の先生」 最相葉月
「全てはマグロのためだった」 Boichi
「アキバ忍法帖」 倉田英之
「笑う闇」 堀晃
「青い星まで飛んでいけ」 小川一水
「ムーンシャイン」 円城塔
「From the Nothing, With Love.」 伊藤計劃
<感想>
SF小説の“今”が読める作品集のはずなのであるが、2008年の作品集を読んだのが2011年になってと、読み手側のスタンスに問題が。2009年、2010年版もすでに出ているので、早めに読まなくては。まさに、SF界の“今”に乗り遅れた格好だ。
気に入った作品と言えば、それぞれの作品集で既読である小林泰三氏と小川一水氏の作品。特に小林氏の「時空争奪」は興味深い。ただ単に論理的な意見を述べているだけでなくホラーテイストをうまく融合させているところが圧巻。
最近、SFアンソロジーでよく見かける法月氏であるが、本作品に関しては悪くはないのだが意外性が足りなかった。なんとなく予期できたクライマックス。
他にも色々とあるのだが、SFらしいものから、これってSFのくくりかと首をかしげたくなるものまで色々。ただ、そういった作品がSFアンソロジー以外でどのアンソロジーにまとめることができるのかというと、やはり“SF”でまとめるしかないのかもしれない。例えば「アキバ忍法帖」なんてジャンルとしては伝奇となるかもしれないが、伝奇アンソロジーなんてあまりなさそうだしなぁ。
今回の作品集のなかで一番面白いと感じたのは漫画として掲載されている「全てはマグロのためだった」。これは作品の内容のみならず、著者の遍歴にも注目すべきところがあり、本アンソロジーの収穫と言えよう。
本アンソロジーは全てが優れた作品とは感じられないのだが、その時代に書かれたSF系の作品に触れることができるという点では非常に価値のあるものだと思われる。
量子回廊 2009年 年刊日本SF傑作選
2010年07月 東京創元社 創元SF文庫
<内容>
「夢見る葦笛」 上田早夕里
「ひな菊」 高野史緒
「ナルキッソスたち」 森奈津子
「夕陽が沈む」 皆川博子
「箱」 小池昌代
「スパークした」 最果タヒ
「日下兄妹」 市川春子
「夜なのに」 田中哲弥
「はじめての駅で」「観覧車」 北野勇作
「心の闇」 綾辻行人
「確認済飛行物体」 三崎亜記
「紙片50」 倉田タカシ
「ラビアコントロール」 木下古栗
「無限登山」 八木ナガハル
「雨ふりマージ」 新城カズマ
「For a breath I tarry」 瀬名秀明
「バナナ剥きには最適の日々」 円城塔
「星魂転生」 谷甲州
「あがり」 松崎有里
<感想>
今頃ではあるが2009年のSF短編の傑作選を読了。驚くべきは、作家の半分は女性とのこと。昔からSF女流作家は存在していたが、ここまで数は多くなかったのではなかろうか。
「日下兄妹」と「無限登山」の2編は漫画。「日下兄妹」はなかなかのもの。この著者の作品集が読みたくなった。
「ナルキッソスたち」は、森氏の作品らしく内容がぶっとんでいながらも、しっかりSFしているところが心憎い。
多重構造というわけもないのだが、マトリョーシカのように絶妙に物語が続いていく「箱」は印象に残る。
現実と過去が絶妙に混じりいる「夜なのに」はうまく描かれていると感心しきり。田中氏の作品集、かっちゃおうかな。
「確認済飛行物体」はタイトルのアイディアが面白い。内容も意外性があり、凝っている。宇宙ドッキリ!?
ツィッターで書いたという作品を集めた「紙片50」。“肉と機械”のやりとりがお気に入り。
「星魂転生」は星間移住が描かれた壮大な内容の作品なのだが、内容もさることながら、ラストの冷徹さも印象的。
「あがり」は第1回創元SF短編賞受賞作とのこと。SF小説というよりは、理系小説・研究小説というような感じ。
結晶銀河 2010年 年刊日本SF傑作選
2011年07月 東京創元社 創元SF文庫
<内容>
「メトセラとプラスチックと太陽の臓器」 冲方丁
「アリスマ王の愛した魔物」 小川一水
「完全なる脳髄」 上田早夕里
「五色の舟」 津原泰水
「成人式」 白井弓子
「機龍警察 火宅」 月村了衛
「光の栞」 瀬名秀明
「エデン逆行」 円城塔
「ゼロ年代の臨界点」 伴名練
「メデューサ複合体」 谷甲州
「アリスへの決別」 山本弘
「all,toi,toi」 長谷敏司
「じきに、こけるよ」 眉村卓
第2回創元SF短編賞受賞作
「皆勤の徒」 西島伝法
<感想>
2010年分のSF傑作選を読了。まだそんな昔ではないはずなのに、なんとなく過去の作品めいた気分がしてならない。それだけ、最近のSF界の動向が早く動いているということなのだろう。
「メトセラとプラスチックと太陽の臓器」は、未来形アンチエイジングが語られる。
「アリスマ王の愛した魔物」は、数学による世界の支配を描いた話。
「完全なる脳髄」は、自立しようとするアンドロイドの話のような感じ。
「五色の舟」は、欠損を埋める幸せな家族の話とくだん。
「成人式」は、漫画。女性の成長をファンタジックに暗く描く。
「機龍警察 火宅」は、機龍警察のひとつのエピソード。しかし、なんでここまで嫌われなければならないのか。
「光の栞」は、奇跡の本の製作過程が語られる。
「エデン逆行」はガイドブックの話と信じることはなかろうと首をかしげるのである。
「ゼロ年代の臨界点」は、3人の少女によるSF創世記。
「メデューサ複合体」は、木星での建造物のトラブルを描く、宇宙土木シリーズ作品。
「アリスへの決別」は、アリスとの決別というか、児童ポルノ規制との決別。
「all,toi,toi」は、幼女虐待者が刑務所の中で何を夢見るかを描く。
「じきに、こけるよ」は、ファンタジックな幽霊の話のような。
「皆勤の徒」は、働き者の話?
面白く読めたのは、小川氏の「アリスマ王の愛した魔物」、津原氏の「五色の舟」、長谷氏の「all,toi,toi」。長谷氏の作品は一番長く、短編というよりも長編。幼女を殺害した男が刑務所で遭遇することを中心に描いた話ゆえに、面白いとは決して言えないものの、これぞ現代的なSF作品だと思えなくもない。
それと、第2回創元SF短編賞受賞作については、角川のホラー大賞のほうがふさわしいのではと感じてしまった。たぶんこれほどまでにSFブームが到来していなければ、ホラー大賞のほうに作品を送っていたのではないかなとも考えてしまう。
拡張幻想 2011年 年刊日本SF傑作選
2012年06月 東京創元社 創元SF文庫
<内容>
「宇宙でいちばん丈夫な糸」 小川一水
「5400万キロメートル彼方のツグミ」 庄司卓
「交 信」 恩田陸
「巨 星」 堀晃
「新 生」 瀬名秀明
「Mighty TOPIO」 とり・みき(漫画)
「神様2011」 川上弘美
「いま集合的無意識を、」 神林長平
「美亜羽へ贈る拳銃」 伴名練
「黒い方程式」 石持浅海
「超動く家にて」 宮内悠介
「イン・ザ・ジェリーボール」 黒葉雅人
「フランケン・ふらん」 木々津克久(漫画)
「結婚前夜」 三雲岳斗
「ふるさとは時遠く」 大西科学
「絵 里」 新井素子
「良い夜を持っている」 円城塔
第3回創元SF短編賞受賞作
「<すべての夢 果てる地で>」 理山貞二
<感想>
2011年は、個々の内容云々よりも、その年に起きた出来事に影響された作品にスポットが当てられたということ自体が特徴と感じられる。
SF界の巨匠、小松左京の死によって描かれた作品、「巨星」「新生」。
小惑星探査機「はやぶさ」に関連付けられる作品「交信」「5400万キロメートル彼方のツグミ」。
3・11の大震災と原子力というものについて言及した「Mighty TOPIO」。
その他にもすっかりこうしたアンソロジーの常連となっている、軌道エレベーターのカーボンナノチューブ開発にスポットを当てた小川氏の「宇宙でいちばん丈夫な糸」、何故かSFという感じのしない作品が掲載されてしまっている石持氏の「黒い方程式」、そして円城塔氏の「良い夜を持っている」。
個人的に円城氏の作品は苦手なのだが、今作は何とか内容を少しでもくみ取ることができないかと力を入れて読んでみた。感触としては、マイコンのような電子部品もしくは機械の説明を擬人化して表しているマニュアルのような感じに捉えられた。そんなものでは決してないということであれば、もっと円城氏の作品を読み込まなければならないであろう。
興味深く読めたのは神林氏の「いま集合的無意識を、」。これは内容そのものよりも、伊藤計劃論について言及されているところを読んで、こんな解釈ができるのかと目から鱗が落ちた。SFの評論をもっと色々と読んだほうがいいのではないかと考えさせられてしまった。
面白かった作品としては、ノスタルジーを感じさせる大西科学氏の「ふるさとは時遠く」、一見普通の娘の結婚を目の当たりにする父親の様相に見える三雲岳斗氏の「結婚前夜」、読み始めは真面目なミステリっぽい宮内悠介氏の「超動く家にて」。
あと、最後に恒例となった創元SF短編賞受賞作が掲載されているが、個人的にはいまいち。ただ長いだけで、まとまりがないと感じられた。これならば、もっと短くしてもよかったのでは。ハードSF的なことをそれなりに描けていたところが大賞を受賞した理由という事なのだろうか? かなりの応募作品があったようなのだが、そのなかでこれが一番というのも・・・・・・別に大賞らしい作品がなければ、無しでいいのではなかろうか。
極光星群 2012年 年刊日本SF傑作選
2013年06月 東京創元社 創元SF文庫
<内容>
「星間野球」 宮内悠介
「氷 波」 上田早夕里
「機巧のイヴ」 乾緑郎
「群 れ」 山口雅也
「百万本の薔薇」 高野史緒
「無情のうた『UN-GO』第二話」 會川昇
「とっておきの脇差」 平方イコルスン
「奴 隷」 西崎憲
「内在天文学」 円城塔
「ウェイプスウィード」 瀬尾つかさ
「Wonderful World」 瀬名秀明
第4回創元SF短編賞受賞作
「銀河風帆走」 宮西建礼
<感想>
2012年は、SFというものが読書界の中で、流行りのジャンルとして認められつつあるようになってきたと言ってよいであろう。SF小説というジャンルにおいてのみではないが、宮内悠介氏、高野史緒氏、円城塔氏などは、その名をはせつつある。これは、SF界にとっても大きなことだと言えるのではないだろうか。とはいえ、あくまでそれらは読書界においての話で、世間一般にはまだまだSFというものが浸透しているとは言えないのであろうが。
読んでいて面白かったのは、野球盤を題材にしたゲーム小説「星間野球」、江戸の町をからくりで彩りつつも、しっかりとミステリ的な仕掛けまでもしている「機巧のイヴ」、過去の遺物のように地球を扱い、その探索の様子を描く「ウェイプスウィード」。
他にもテレビアニメにシナリオを掲載した「無情のうた『UN-GO』第二話」も目新しくて面白い。恒例となったSF漫画も掲載されているが、今回の「とっておきの脇差」は、あまりパッとしなかったような。あと、毛色の変わった文学小説のような味わいの「奴隷」。人を人ではないかのように描いたかのような、何とも言えない奇妙な味わいを残している。
今回のSF短編受賞作は「銀河風帆走」。最初読み始めた時は、最近よくある人口探索衛星を擬人化したような小説かと思い(今回掲載されている「氷波」がそんな感じ)、ありきたりと感じたのだが、読み進めていると、もっと先を行った小説であることがわかる。人間という存在の進化系に挑戦したともいえる野心的な作品。さらには、タンポポの存在とからめて、話全体をうまく表現していると感じられた。ハードSFとしての比重が重すぎて、もうちょっと物語性のほうも色濃くしてくれればと思いつつも、悪くはない内容であったと思える。
さよならの儀式 2013年 年刊日本SF傑作選
2014年06月 東京創元社 創元SF文庫
<内容>
「さよならの儀式」 宮部みゆき
「コラボレーション」 藤井太洋
「ウンディ」 草上仁
「エコーの中でもう一度」 オキシタケヒコ
「今日の心霊」 藤野可織
「食 書」 小田雅久仁
「科学探偵帆村」 筒井康隆
「死人妻」 式貴士
「平賀源内無頼控」 荒巻義雄
「地下迷宮の帰宅部」 石川博品
「箱庭の巨獣」 田中雄一
「電話中につき、ベス」 酉島伝法
「ムイシュキンの脳髄」 宮内悠介
「イグノラムス・イグノラビムス」 円城塔
「神星伝」 冲方丁
第5回創元SF短編賞受賞作
「風 牙」 門田充宏
<感想>
今作では、作家のラインナップがずいぶんと変わったように思われた。宮部氏、円城氏、冲方氏などは例年という感じもするのだが、古参の作家である筒井氏や荒巻氏あたりが登場しているところなどは注目点。新進の作家といえる藤井氏、宮内氏、酉島氏は今後の登場が増えてくることも予想されるだろう。その他に関しては、今まであまり名前を聞いたことがなかったかなと。
シリーズ恒例の漫画作品は田中氏の「箱庭の巨獣」。グロテスクな世界で暮らす人々の様子のみならず、グロテスクな人間性までもを描きあらわしている。また式貴士氏は亡くなった作家であり、「死人妻」は未完原稿であるので、異例の掲載。
奇抜な楽器を用いた音楽の世界を描く「ウンディ」、本を食べることにより本の世界を体感できる快感を描いた「食書」、無能なモンスター達を教育する魔王の手先になった少年の苦悩を描く「地下迷宮の帰宅部」、などが面白く読むことができた。
また、ノイズから必要な情報を抜き出す仕事を描いた「エコーの中でもう一度」はSFとしてではなくても物語が描けるのではないかと。十分、現実的な探偵小説としてのネタで使えそうである。
第5回創元SF短編賞受賞作として「風牙」が掲載されている。こちらは、夢枕藐氏描くサイコダイバーのような内容。ただ、グロテスクさなどはなく、淡々としている分、特徴にかけるかなと。そこそこ長いページ数で描かれているが、そんなに長くする必要はなさそうな内容と感じられてしまった。
折り紙衛星の伝説 2014年 年刊日本SF傑作選
2015年06月 東京創元社 創元SF文庫
<内容>
「10万人のテリー」 長谷敏司
「猿が出る」 下永聖高
「雷 鳴」 星野之宣
「折り紙衛星の伝説」 理山貞二
「スピアボーイ」 草上仁
「φ」 円城塔
「再 生」 掘晃
「ホーム列車」 田丸雅智
「薄ければ薄いほど」 宮内悠介
「教 室」 矢部嵩
「一蓮托掌(R・×・ラ×ァ×イ)」 伴名練
「緊急自爆装置」 三崎亜記
「加奈の失踪」 諸星大二郎
「「恐怖の谷」から「恍惚の峰」へ〜その政策的応用」 遠藤慎一
「わたしを数える」 高島雄哉
「イージー・エスケープ」 オキシタケヒコ
「環刑錮」 酉島伝法
第6回創元SF短編賞受賞作
「神々の歩法」 宮澤伊織
<感想>
SFの業界も速いスピードで変わりつつあるなと。今回、知っている作家と知らない作家が半々くらいでちょうどよいような感じ。
今回、漫画作品は2編。「雷鳴」は恐竜に関するとある仮説を打ち立てていて、面白く読むことができた。「加奈の失踪」は、SFには程遠いものの、こんなこともできるんだと、感心させられる構成の作品。
一番面白かったのはオキシタケヒコ氏の「イージー・エスケープ」。短いページ数のなかで“逃がし屋”が活躍する物語を壮大なスケールで送っている。
他にも、幻が進化する「猿が出る」、空想役所物語とでもいいたくなる「緊急自爆装置」、論文のような構成でヒューマノイドについての仮説を綴る「「恐怖の谷」から〜」、怪談で有名なお岩さんがプログラムとして生き続け、後の世の人々に影響を与える「わたしを数える」。
今回の創元SF短編集受賞作は、「神々の歩法」というサイボーグによる戦闘、エイリアンとの接触などを描いたSF戦闘絵巻。なかなかうまく書かれているものの、あまりにも漫画チックな内容と感じられる。ただ、背景や内容をきっちりと描いているところが漫画チックのみに終わらずに、賞を受賞する結果となったのであろう。
こうして読み終えた後に、もう一度見返してみると、掲載しなくてもよさそうと思える作品が多かったような。わざわざSFには程遠い作品を入れなくてもよさそうなものだが。
アステロイド・ツリーの彼方へ 2015年 年刊日本SF傑作選
2016年06月 東京創元社 創元SF文庫
<内容>
「ヴァンテアン」 藤井太洋
「小ねずみと童貞と復活した女」 高野史緒
「製造人間は頭が固い」 上遠野浩平
「法 則」 宮内悠介
「無人の船で発見された手記」 坂永雄一
「聖なる自動販売機の冒険」 森見登美彦
「ラクーンドッグ・フリート」 速水螺旋人 (漫画)
「La Poesie sauvage」 飛浩隆
「<ゲンジ物語>の作者、<マツダイラ・サダノブ>」 円城塔
「神々のビリヤード」 高井信
「インタビュウ」 野崎まど
「なめらかな世界と、その敵」 伴名練
「となりのヴィーナス」 ユエミチタカ (漫画)
「ある欠陥物件に関する関係者への聞き取り調査」 林譲治
「橡」 酉島伝法
「たゆたいライトニング」 梶尾真治
「ほぼ百字小説」 北野勇作
「言葉は要らない」 菅浩江
「アステロイド・ツリーの彼方へ」 上田早夕里
第7回創元SF短編賞受賞作
「吉田同名」 石川宗生
<感想>
ようやくこの「年刊日本SF傑作選」を出版された年内に読むことができた。今までは積読により、その年のうちに楽しむことができなかったので、来年以降もしっかりと年内に読んでおけるようにしていきたいと思っている。
今作で面白かったのは、「なめらかな世界と、その敵」。パラレルワールドを扱った作品というものは、よく見受けられるが、この作品のようにそれを日常のものにしてしまうというのは斬新と思えた。
他には、
ノアの方舟を題材とした「無人の船で発見された手記」
とある建築物の欠陥を描いた「ある欠陥物件に関する関係者への聞き取り調査」
独特な形でインタビューを描き、自分の作品をアピールする「インタビュウ」
どちらかといえばミステリよりの「法則」
ツイッターが社会的に広まったことにより描かれた小説で時代性を感じ取れる「ほぼ百字小説」
といったところが印象的。なんか一発ネタが多かったような気もしなくもないが。また、既読であった「小ねずみと童貞と復活した女」に関しては、再度読むと印象的になったなと。もっと読み込んで内容をきちんとくみ取れれば、より面白くなる作品なのかもしれない。
そして恒例の創元SF短編賞受賞作であるが、なんと吉田という普通のサラリーマンが突如増殖したという珍事を描いた「吉田同名」。これはアイディアに関してはなかなかの優れもの。珍事件が起きた後の展開もしっかりと書かれていたものの、最後にもうひとハネしてほしかった。これで結末も決まっていれば、いう事なしの作品であった。
行き先は特異点 2016年 年刊日本SF傑作選
2017年07月 東京創元社 創元SF文庫
<内容>
「行き先は特異点」 藤井太洋
「バベル・タワー」 円城塔
「人形の国」 弐瓶勉
「スモーク・オン・ザ・ウォーター」 宮内悠介
「幻影の攻勢」 眉村卓
「性なる侵入」 石黒正数
「太陽の側の島」 高山羽根子
「玩 具」 小林泰三
「悪夢はまだ終わらない」 山本弘
「海の住人」 山田胡瓜
「洋 服」 飛浩隆
「古本屋の少女」 秋永真琴
「二本の足で」 倉田タカシ
「点点点丸転転丸」 諏訪哲史
「鰻」 北野勇作
「電波の武者」 牧野修
「スティクニー備蓄基地」 谷甲州
「プロテス」 上田早夕里
「ブロッコリー神殿」 酉島伝法
第8回創元SF短編賞受賞作
「七十四秒の旋律と孤独」 久永実木彦
<感想>
ひとつひとつの短編の内容云々よりも、色々な作家の作品が読めるという事に意義があるという感じがする。それぞれの出来栄えや内容に関しては、よく出来ていると思われるものから、何でわざわざ掲載したのだろうというものまで様々。
「行き先は特異点」は、ドローンによる荷物配達から、自動運転車など、現代社会における最先端の技術が物語上に面白い形で取り込まれている。著者の体験に基づいて書かれた作品とのことであるが、ここまで一時・一点に最先端科学が集結してしまうというところが面白い。
その他印象に残ったものは、「バベル・タワー」は、歴史的な事象を縦と横の運動に置き換えて表現した作品。「幻影の攻勢」は、高齢者のための日常系SF?。「太陽の側の島」は、日本の昔を描いたような描写でありつつ、手紙のやりとりのなかに、はるかなる距離を漂わせる。「悪夢はまだ終わらない」では、最先端の刑の執行が描かれる。「スティクニー備蓄基地」は、軌道上の基地で起きたちょっとした振動の正体を探っていくと・・・・・・というところからエイリアン的な話へと発展していく。「ブロッコリー神殿」はいつもの酉島氏の作品らしく、生々しく描写している。
今回は、漫画が3作。「人形の国」は短いページのなかに様々なSF漫画要素が詰め込まれたかのような作品。「性なる侵入」は私も読んでいた「それでも町は廻っている」の著者。何故かここに掲載されたのはオゲレツ系のSF。「海の住人」はロボットと人魚の話が融合したような内容。
そして第八回創元SF短編賞を受賞した作品「七十四秒の旋律と孤独」が掲載されている。戦闘ロボットの行動と感情が描かれた作品であるのだが、何気に今回収録された作品のなかで一番の出来と言えるかもしれない。素人離れした描写には頭が下がり、なおかつ短めのページ数のなかに、しっかりとした物語が書き込まれているのにも感嘆させられる。知らずに読んだら、絶対に新人の作品だとは思えない出来。
ゼロ年代SF傑作選
2010年02月 早川書房 ハヤカワ文庫
<内容>
「マルドゥック・スクランブル“104”」 冲方丁
「アンジー・クレーマーにさよならを」 新城カズマ
「エキストラ・ラウンド」 桜坂洋
「デイドリーム、鳥のように」 元長柾木
「Atomosphere」 西島大介(漫画)
「アリスの心臓」 海猫沢めろん
「地には豊穣」 長谷敏司
「おれはミサイル」 秋山瑞人
<感想>
ゼロ年代SFというだけあってか、時代性がよく表れた作品集と感じられた。共通項として感じられたのはアイデンティティとネットワーク。そう考えると、イーガンの作品がいかに今を表し、どうして人気があるのかが理解できるような気がする。さらに付け加えると、サブカルチャーという単語も頭に浮かぶ。ゲームや漫画、アニメなどを背景として育ってきた著者にとっては、それらがバックボーンの一つとして人間が形成されているのは、もはや当たり前と言えよう。
作品のひとつ「地には豊穣」の中で“特徴を強調した日本人”というデータがあり、これは古風な日本人がモデルとされている。もしも、2010年型日本人というデータがあるならば、どのような形で表されるのだろうかと考えると非常に興味深い。
「マルドゥック・スクランブル“104”」
ウフコックとボイドがパートナーとして活躍している“ベロシティ”時代の外伝作品。マルドゥックシリーズの背景が簡潔にまとめられており、シリーズ導入としては一番最適ではなかろうか。
「アンジー・クレーマーにさよならを」
“並行して存在する複数の過去”“同じモチーフによる全く別の歴史”というテーマを扱いたかったようであるが、2つの世界の関連性がどうにもわかりづらかった。
「エキストラ・ラウンド」
「スライムオンライン」というネットワーク格闘小説の後日談を描いた作品。まさにネットワークとアイデンティティがキーワードとなっている。
「デイドリーム、鳥のように」
思考のデバックという考え方が面白かった。さらにそれらをわかりやすく昔話を用いて表現しているところが心憎い。
「アリスの心臓」
章の表紙からしてサブ・カル臭を感じてしまう。内容も21世紀型のボーイミーツガール系。プログラムで構成されている世界の一部改変が行われる。
「地には豊穣」
テラフォーミングの準備が進められるなかで、人類の基本構成について言及されており、人種のアイデンティティまでもが問われている。実は生きていくうえで民族アイデンティティというものが重要であるということを理解させられる。しかし、現代に生きる我々の民族アイデンティティというものがどこにあるのだろうかと、考えれば考えるほど途方にくれてしまう。
「おれはミサイル」
擬人化小説。大地を知らない飛行機の物語。こちらは「地には豊穣」に対して、自身のアイデンティティのゆらぎを無視し、自分にできることのみを遂行していく物語。