月世界小説
2015年07月 早川書房 ハヤカワ文庫JA
<内容>
友人とトランスジェンダーのパレードに来ていた蘆屋修介は、突如世界の終りに遭遇する。その後、蘆屋を待ち受けていたのは、戦後日本語を失った架空の過去の日本というパラレルワールドの世界であった!!
<感想>
タイトルから想像した内容とは違ったかなと。“月世界”小説と思っていたのが、月世界“小説”であったというような。
物語はパラレルワールド化された世界を描いている。その世界では“日本語”がないという設定であり、何故日本語が存在しないのかということを不思議に思った者達が真相に迫ってゆくというもの。
主にパラレルワールド化した1975年を舞台に、学生運動やテロリズムという背景の中での活動を描いている。ただ、学生運動主体というわけではなく、あくまでも“言語”というものを前面に押し出した内容。戦闘は起きるものの、もはや現実の世界とはかけ離れた、架空の“月世界”におけるSFらしい闘争が繰り広げられることとなる。
ハードSFではないので、用語がわからないというようなことはなく、取っ付きやすいSF作品ではある。といいつつも、その世界の内容を十分に把握できたかといわれれば、そうでもない。結局、何故このような世界が出現したのかもわからないし、一見個人の妄想という感じで収束してしまえるようにさえ思えてしまう。“言語”というものについて語りつくしたいというような意図も感じられたのだが、そこからどこへ行こうとしていたのかまでは読み取れなかった。もしかしたら、単に言語SF小説を描きたかったというだけなのかもしれないが。
ヴィーナス・シティ
1992年11月 早川書房 単行本
1995年12月 早川書房 ハヤカワ文庫JA
<内容>
森口咲子、26歳、現在独身。職業は不良会社員。そんなあたしが、夜毎コンピュータ・ネットワーク・ゲーム用の転換ルームをくぐり抜け、男性のボディを身にまとう。
ジェンダーさえもが望みどおりとなる、コンピュータ・ネット上に構築されたヴァーチャル都市<ヴィーナス・シティ>で多発する暴力事件は国際的情報犯罪の布石だった。21世紀初頭、巨大ネットワーク国家となった日本を描く! 第14回日本SF大賞受賞作。
<感想>
結構ありふれたような設定であるが、背景の書き込みがしっかりしているために目新しささえ感じる構成となっている。さらにいえば、ラブロマンスにもなりがちな設定を一歩踏みとどまって、無理なく話が進められているのにも好感が持てる。ラストはスピーディーな展開になり、ページ数が足りなかったのではと思われた。登場人物ひとりひとりをもっと生かして、もう少し話を長くしてくれればなぁと感じた。そこまでいうのはぜいなくであるのかもしれないが。
血液魚雷
2005年09月 早川書房 ハヤカワSFシリーズ Jコレクション
<内容>
地方都市の医院にて放射線科医として働く石原祥子。その元に患者として、かつての恋人の妻、羽根田緑が運ばれてきた。患者は心筋梗塞ということで、従来どおりの血栓の除去が行われ、手術も無事に終わったかと思われたとき、モニターに不気味な影が映る。その正体を突き止めようと、まだ試験中で実際には使われていない血管内の世界を見る機械“アシモフ”を投入するのだが・・・・・・
<感想>
この本の帯に“このミス大賞、落選作品”なんて書いてあったけど、確かにこの内容では落選するだろうなと納得。
本書は「ミクロの決死圏」という作品を意識したものとなっており、人の血管の中に高性能のカテーテルを挿入して、謎の微生物と戦うという話・・・・・・なのだが、本当にこれだけで終わってしまっている。描写の大半が病院の検査室の中のみと限られており、そこで機械を使って微生物を追っているのみ。確かにSF的というか、科学的、医療的な見方としては良く描いているなとは思うものの、それだけで終わってしまっているのは小説としてはどうかと思われる。
主人公を含めた三角関係により人間像を描いていたり、微生物との戦いとその謎、といったテーマもあるようだが、結局のところどれも消化不良で終わってしまっている。特にその微生物の謎に関しては、あれだけ引っ張っておいてこの終わり方はないだろうと言いたくなるものであったし、それこそ決してSF的な終わり方ではないものと思われる。
描写や科学的な知識はともかくとして、設定したモノの詳細や小説として完成度がなければ、ただの空想でしかないという一例。
代書屋ミクラ
2013年09月 光文社 単行本
<内容>
大学および各種教育研究機関にて、研究者は3年以内に一定水準の論文を発表できないと退職しなければならないという法案が成立した。それにより、多忙を極める研究者達は“代書屋”と呼ばれる者たちに論文の代書を委託することとなった。先輩の紹介により、代書屋の仕事に就いたミクラ。彼は、研究者たちからさまざまな研究論文の完成を求められることとなり・・・・・・
「超現実的な彼女」
「かけだしどうし」
「裸の経済学者」
「ぼくのおじさん」
「さいごの課題」
<感想>
第1回創元SF短編賞を受賞し、作家デビューした松崎有理氏による連作短編集。この中の作品が「NOVA」にも掲載されており、既読のものもある。そういったこともあり興味を示し購入。ただし内容は、SFでもなければミステリでもなく、現代文学風の作品という感触のもの。
映画「とらさん」を現代風に描くとこんな感じ・・・・・・ではないか。毎回、各研究室の癖のある研究者たちにより論文の代書を頼まれるミクラ。その仕事をこなしつつも、各短篇で毎回新しい恋に落ち、毎回その恋に破れるという展開。
こういった作風の本を読むと、“現代風”の作品だなといたく感じてしまう。内向的な普通の青年がつつましく暮らし、つつましい仕事を行う。そうしたなか、己の中で現実以上のことを妄想しつつ、現実的な出来事に夢破れる。そうした出来事を通しつつ、少し幸福になるか、または少し不幸せになる。こうした一連の流れが、如何にも現代風というか、現代社会を表しているなと感じられてしまう。また一見、青年の成長物語のようでいて、実はさほど成長しているわけではないというところも現実的で痛々しいようなほのぼのとしたような・・・・・・
あがり
第1回創元SF短編賞受賞作(「あがり」)
2011年09月 東京創元社 単行本
2013年10月 東京創元社 創元SF文庫
<内容>
「あがり」
「ぼくの手のなかでしずかに」
「代書屋ミクラの幸運」
「不可能もなく裏切りもなく」
「幸福の神を追う」 (文庫化にあたり追加収録)
「へむ」
<感想>
SFっぽいがSF小説らしくない内容の作品集。なんとなく理系文学小説という感触が強い。理系(と思われる)の著者が“研究”というものにスポットを当てて描いた作品集。
また、単なる理系作品集というだけではなく、それぞれの作品が若干ではあるものの互いにリンクしているところも見どころ。全体でひとつの作品として構成を見ると、実は最初の作品である「あがり」こそが全ての終焉を表しているようにさえ感じられてしまう。
「あがり」は、遺伝子を複製していって、それが最後まで行き着いたとき、つまり“あがり”となったときにどのようになるかを描いたもの。内容のみならず、研究室の中で異端として過ごす者の様子がうまく描かれている。
「ぼくの手のなかでしずかに」は、数学者の恋を描いた物語のはずであったのだが、その研究が行き過ぎて、皮肉とも捉えられるような結末を迎えることとなる。
「代書屋ミクラの幸運」 こちらは、すでに単行本化されているシリーズ作品のひとつ。報われないミクラのちょっとした幸福が悲しすぎる。でも、本人は十分幸せなのかな?
「不可能もなく裏切りもなく」 100ページ近くの中編。こちらは「あがり」に近い内容で二人の仲の良い研究者の共同研究の様子を表している。しかし、タイトルにもあるように不穏な雰囲気となり、なんとも言えない結末を迎えることに。
「幸福の神を追う」は、文庫のみ追加収録。実験動物に入れ込み過ぎた研究者の行き過ぎた行動を描いている。なんとなく普通にありそうな話と言えそう。
「へむ」は、打って変わって少年少女の物語。研究所の通路で体験する、ちょっとした奇跡のような子供のみが体現できる物語。
すごろく巡礼 代書屋ミクラ
2016年07月 光文社 単行本
<内容>
かつて“結婚できない呪い”をかけられたことを気に病む代書屋ミクラ。しかし彼は、しあわせになることを望み、行方不明となった女助教の後を追い、彼女に結婚を申し込むことを企てる。その助教は辺路島へと研究のために行ったようであり、ミクラはそこを訪れ現在島で行われている“すごろく祭り”に参加することを試みる。その祭りで優勝したものはしあわせを手に入れることができると言われており、益々はりきるミクラであったが・・・・・・
<感想>
あくまでもSFではなく、現代的な物語・・・・・・のようでありつつも、やっぱりファンタジー的な作品。ひとりの男がしあわせを求めるロード・ノベルとの見方もできなくはない。もっと言えば、民俗系ロード・ノベル・ファンタジー。
まぁ、内容云々にふれる必要もなく、ちょっと変わった“すごろく祭り”を楽しみつつ、主人公の行く末を祈ってもらいたい作品。なんとなく、そのすごろく道中で、“しあわせ”というもののヒントがちりばめられているように感じられる。
殺伐とした現実から逃避して、このような作品をゆっくりと読み込むことが一番のしあわせではなかろうか・・・・・・ということは、一般の人からは理解してもらえないであろうか?
司政官 全短編
2008年01月 東京創元社 創元SF文庫
<内容>
星々に進出した地球人類が植民地を支配するために新たに設けた司政官制度。その役割を担う司政官の活躍を描いた作品集。
(司政官シリーズとして1971年〜1980年にわたって書かれた全短編を収録)
「長い暁」
「照り返しの丘」
「炎と花びら」
「扉のひらくとき」
「遙かなる真昼」
「遺跡の風」
「限界のヤヌス」
<感想>
人類の宇宙進出後、人外の惑星にて“司政官”という役職を担った者が統治を司る様子が描かれている。よって、設定としては実にSFらしいSF作品なのであるが、読んでみるとSF部分よりも司政官という機構について力を込めて書かれた作品だという印象の方が強かった。
太陽系外のさまざまな惑星が舞台となっているので、さまざまな星の様式、文化、そういったものがこと細かく描かれており、人類とは考え方の違う世界ではどのような問題が発生してゆくのかということがそれぞれの短編で描かれている。ただ、そうした各惑星の住民の話よりも、司政官の悩みや苦悩、そういったもののほうがよりクローズアップされているように思われた。よって、各惑星で起きた事件についても、完全には解決されないまま話が終わってしまうことも多く、読む人によっては期待するものとは異なるという可能性もあるかもしれない。
これらの短編集の基盤となるのはタイトルにあるとおり、司政官そのものであり、そのシステムがどのようなもので、そしてそれが時代と共にどのように変化していくのかということにある。よって、SF設定のなかでの地域官僚の苦悩が描かれた作品だと言えないこともない。もしくは、官僚機構SF作品とか、そのような言い方もできるかもしれない。
そんなわけで、華々しいSF作品というものではなく、未知の惑星の様子が詳細に描かれながらも、地道で精神的な内容というわけである。また、これら短編に出てくる主人公についても、同じ人物は登場せず、あくまでも司政官という地位についているということだけが共通項となっている。よって、各短編が続編と言うよりはシステムの継承という形で次に進んでいくという気がし、こういった様相もまたこの“司政官”という堅苦しいタイトルに表された通りとなっている。
ただ、これは日本のSF史に残る、濃い内容のSF作品であるということは確かなので、読んでおいて決して損のない1冊である。宇宙における官僚機構と統治システム、それに対する原住民や開拓民たちとの関係の行く末を、ぜひとも読んで確かめていただきたい。