SF か行−き 作家 作品別 内容・感想

かめくん

2001年01月 徳間書店 徳間デュアル文庫
<内容>
 かめくんは、自分が本物のカメではないことを知っている。本物ではないが、本物のカメに姿が似ているから、ヒトはかめくんたちのような存在をカメと呼んでいるだけなのだ。だから、カメではなく、レプリカメと呼ばれたりもする。
「木星戦争」に投入するために開発されたカメ型ヒューマノイド・レプリカメ。「どこにも所属してない」かめくんは、新しい仕事を見つけ、クラゲ荘に住むことになった。しかしかめくんはかめくんであって、かめくんでしかないのだった・・・・・・
 空想科学超日常小説。

<感想>
 物語として成立しそうであって、しなさそうな微妙な狭間の中で、“かめくん”の日常が描かれている。それが極めて人間的である。作者が何を意識して書いたのかはわからないが、どうも“かめくん”に人間を投影してしまう。“かめくん”のような人、“かめくん”のような行動をとる人、“かめくん”のように考える時。だから何というわけではなくとも、何かを思わせ感じさせる。そしてそれはなぜか懐かしく感じてしまうのだ。


神様のパズル

2002年11月 角川春樹事務所 単行本
2006年05月 角川春樹事務所 ハルキ文庫
<内容>
 綿貫基一は理系の大学四年生。卒論のためにゼミに入るも、恋心を抱く女の子につられて入ったゼミはかなり難関な様子。このままでは卒業もおぼつかなく、就職も先行きがみえないという状況。そんななか、綿貫はゼミの担当教授から、ある生徒の面倒をみてくれと頼まれる。その生徒とは飛び入学で大学に入った天才児の女の子。しかし、最近は不登校気味で大学に来ていないというのだ。その子の名前は穂瑞沙羅華。そして沙羅華と出会った綿貫はいつのまにやら、“宇宙を作ることはできるのか?”という難問を彼女と共にゼミで立証しなければならない羽目に・・・・・・

<感想>
 本書は第三回小松左京賞を受賞し、本屋の店頭にも並べられ、前からかなり気になっていた本であった。いつか読んでみたいと思っていたのだが、文庫化を機に入手し、ようやく読むことができた。

 本書の最大のテーマはなんといっても“宇宙を作ることができるのか?”ということ。その疑問について、ゼミの中で、または主人公同士で語り合いつつ、話が進められてゆく。当然のことながらかなり難しい話となるのだが、なるべくとっつきやすいように工夫して話を進めているようなので、物理科学が苦手だという人でも読める・・・・・・かもしれない(たぶん)。

 まぁ、本書を読むにあたって、理屈っぽいであろうとか、難しいであろうという事はあらかじめ覚悟していたので、そういうことに関してはあまり気にせず読み通すことができた。また、私自身が書いてある内容に対して、さほど理解したというわけでもないのだが、にも関わらずそれなりに楽しめたということだけは付け加えておきたい。

 と、そんなわけで、“面白かった”とは言えるものの、内容に関しては語れるほどではないので、この程度の感想で止めておきたい。

 ただ、本書に対して全面的に面白かったといいがたいところがあり、それは何かといえば、やけに人間関係がドロドロしているということ。

 せっかくの学園を舞台にしての理論的なSFが展開されるわけであるのだから、あくまでもそれを主とすればよいわけで、妙なドロドロとした嫉妬やスキャンダルというようなものを組み込む必要はなかったのではないかと感じられた。それにより、後半はなんとなく冷めた気分になってしまい、楽しむべき部分を楽しく読むことができなくなってしまった。また、それにも関わらず、最後は全てがすっきりと片付いてしまっているようで、それはそれでなんとなく腑に落ちないようにも思われるのである。

 別に、このような内容であるのならば、もっと全編爽やかに描いてくれても良かったと思えるのだが・・・・・・


スペースプローブ

2007年07月 早川書房 ハヤカワSFシリーズJコレクション
<内容>
 2030年、いよいよ日本からもロケットを飛ばし、有人月面着陸を実現することとなった。そのクルーも決められ日々訓練が行われていたが、パイロット達はとある計画を練っていた。それは計画半ばで頓挫していた彗星の探査に関することであった。消息不明となった彗星探査船があったのだが、その船が失踪直前に“ライト・ビーング”とのメッセージを残していたのだと・・・・・・

<感想>
 本書はSFにしては珍しく、その大部分が会話でなりたっている作品。しかも作品の前半半分は、主人公である宇宙船のクルーたちによるカラオケボックスの中での会話のみとなっているのである。まさか、そのまま最後まで行くのかと思っていたのだが、後半はちゃんと宇宙へ出て、という展開がなされている。

 まぁ、それなりに楽しめるSF小説であることは間違いなのだが、最初から最後まで違和感があったのは、宇宙船のクルーだけで今回のようなクーデターじみた行動を行うことができるのかということ。今まで未経験のことを行うというだけでも、スタッフ一同が一丸となって進めてゆかなければできそうもない計画。それをクルーが単独で簡単に別のことを行ってしまうというのは、道義的にも実質的にもどうなのだろうと考えてしまう。そこのところが引っかかって、いまいち話にのめりこむことができなかった。

 物語の後半に関しては、ある種のコンタクトに近いようなことが行われている。ただし、それに関しても煮え切らないというか、どうもきっちりとしていないなという感はあった。しかし、考えてみると地球人と地球外生命体とのコンタクトというものは、実際にこのようなものになるんじゃないかとも思える。いくらわかりやすいからといって、エイリアンが出てきて“こんにちは”というほうが展開としてはどうかしているのであろう。そう考えると、それなりにリアリティのある小説という風にもとらえることができる。

 そんなわけで、意外と実利的に書かれているところもあって、SF作品として濃い内容になっているとも感じられた。ただし、本書は人によって納得できる部分と、納得できない部分などと、さまざまな感情や意見が分かれるところがあるのではないだろうか。よって、万人向けとは思えないが、はまれる人ははまれるSF作品であるのではないかと思われる。


光の塔

1962年08月 東都書房
1972年06月 早川書房
1975年12月 早川書房 ハヤカワ文庫
<内容>
 人類が火星など、他の太陽系の惑星間を行き来するようになった時代、水原少佐は火星から地球に還る途中、宇宙で奇妙な現象を目撃する。そして、それが世界を未曾有の大災厄へと導く始まりであったことに水原少佐はやがて気づくことになる。
 突如現れ、地球を破壊しつくそうとする光の塔。その正体もわからない者達は人類からの和平もいっさい無視してひたすら地上を焼き尽くそうとする。果たして人類は生き延びることができるのか?

<感想>
 SF作品というのは、未来を描いた作品が多いのであるが、それが描かれた時代によって描く未来も大きく異なってしまうのだから面白いものである。そういった意味でも、戦後の1962年という時代に書かれたSFがこうして語り継がれているということはとても貴重であると思われる。

 本書は謎の光る生物によって、地球が破壊され、それに対抗しようという人類の様相が描かれた作品となっている。ただし、単なるパニックホラーではなくて、事細かな物理的な設定や時代における思想や風刺といったものも織り込まれているために、非常に内容の濃い小説となっている。

 ここで内容について思ったことを述べたいと思うのだが、この作品についてはネタバレしてしまうとかなり興が冷めてしまうと思えるので、いくつか気がついた点だけをまとめておくことにする。

 ひとつは、ネットワークのないSFということ。今現在描かれるSF作品であれば、無視してはならないものが“ネットワーク”というキーワード。昭和の中期であれば、ネットワークについて語られないのは当然とはいえ、それはそれで新鮮であるとさえ感じられてしまう。これこそ昭和初期のSFの醍醐味ともいえるかもしれない。

 ふたつめは、軍国主義の色合いが濃いこと。書かれた年代と著者の年齢を考えれば当然の事だろうと思われるが、SF作品でこうした背景で書かれたものをあまり読んだことがないので、かなり目新しい感覚で読むことができた。

 物理的な分野について事細かく描かれているために、SF作品という印象が強まっていたが、部分部分では風俗的な背景から江戸川乱歩風の“対怪人”小説のようにさえ感じられた。これは私自身が昭和初期、中期の作品といえば探偵小説に限ってしか読んでいないためであろう。

 みっつめは、日本至上主義であること。本書では驚くほど外国の存在について描かれていない。全く外国人が出てこないわけでもなく、海外の存在がとりざたされないわけでもないのだが、ほぼ登場しないといってもよい。この作品の内容は、未知の存在による地球の破壊というもののはずだが、まるで世界に日本しかないような書き方がなされているのである。今、このような作品が描かれたならば、必ず全世界を焦点に当てて国際問題も含めたものとなるのだろうが、こういったところも時代性が感じられる作品となっている。

 ただ、本書はあくまでも単なる時代性を感じさせるだけのSFではなく、そのときに考えうることができるありとあらゆるSFの要素が盛り込まれているといっていいほど、先鋭的な作品である。当時の風俗的な描写を除けば、この作品自体は現代よりも先へ行ったものと感じられるし、SF作品のネタとしてもこれ以降の作品で使われているものも多々見ることができる。そういった先端的な分野でも本書が真に優れたSF作品であるということは間違いない。これは今後も語り継がれてゆく、昭和中期に描かれたSF史上の代表作であろう。


小説探偵GEDO

2004年07月 早川書房 ハヤカワSFシリーズJコレクション
<内容>
 通称“げど”こと三神外道は表向きの顔は広告屋。そして裏では“小説探偵”をやっている。“げど”はいつからか、自分が小説の世界の中に入れることを知り、そうしていつのまにか“げど”は小説の中から外へ出て来た人たちのために探偵家業をやることに。今日も新たな依頼人が“げど”の元を訪れ・・・・・・

<感想>
 全体的な感想としては微妙としか言いようがない。本書は連作短編集の形式がとられているのだが、それが後半の話に行けば行くほど世界が破綻してしまっているように感じられた。

 そもそもこの作品の主人公は小説の世界へ行き来できるという設定であるのだが、この設定自体がかなりあやふやである。それゆえに、後半へ行けば行くほど「あれ? そんなこともできるんだ」という設定が増えてきて、そのごちゃごちゃした世界に混乱させられる。

 さらには、登場人物も最初の話で出てきたものが次の話に出てと、話をまたいで出てくるがゆえに、後半に入るとそれらの登場人物が皆出てきてしまい、そこでもさらなる混乱をまねくことになる。よって、最初のほうの話はそれなりに面白く感じられたのだが、後の話になればなるほど、わけがわからなくなってしまった。

 そして何より一番不服なのは、本書がこの一冊で終わっていないということ。連作短編集というこの一冊の中で、明かされていない事やあいまいな部分を全て閉じてしまったほうが良かったのではないかと思う。本書でのあいまいさや収拾のつかなさを続刊へと引きずっていってもしょうがないと思えるのだが。




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