第六大陸 (全2巻)
2003年06月 早川書房 ハヤカワ文庫JA(1巻)
2003年08月 早川書房 ハヤカワ文庫JA(2巻)
<内容>
西暦2025年、極限環境下での建設事業で実績を誇る後鳥羽総合建設は新たな建設依頼を受注した。その依頼とは月に建築物を設けてもらいたいというものであった。後鳥羽総合建設社員の青峰はこの計画の指揮をとることになり、依頼主のレジャー企業会長の孫・桃園寺妙と共に宇宙事業に着手することに!
<感想>
去年の話題作なのだが、積読になっていてなかなか着手できなかった。しかし、読み始めたら途中で止められなくなり、思わず一気読みしてしまった。これは久々に面白い本を読んだという気にさせてくれるSF小説であった。
本書はSF小説ゆえにある程度は難しい用語等が出てくるのだが、そのへんは結構控えめに書かれており、読みやすい小説となっている。また、SF小説で宇宙へ飛び立つという内容であっても基本的には建築の話となっており、そういった点でも通常のSFよりはとっつきやすくなっているのではないだろうか。たとえSFに興味がないという人でも建築に興味があるという人には是非とも読んでもらいたい本である。
内容については“うまくまとめきったな”という一言。本書では月に建築物を立てるうえでどのような計画が必要かという事が事細かに考えつくされた内容となっている。とはいえ、本当にそれらについて事細かに言及していけば、とても2冊の本に収まりきる内容ではないだろう。また逆に、本書は2巻で完結しているが、書きようによってはもっと長い物語として書くことができたのではないかと思われる。しかし、そこを余分なことをできるだけ省略し、重点事項に絞って書いたことによって凝縮された面白い小説として完成されたのではないかと思う。
ただ、凝縮したがゆえに、登場人物らの感情面については書ききることができなかったのではという印象も受ける。特に主人公の二人が互いに恋愛感情を持ち始めたという部分については、特段の理由もなく、ただ単にお約束の展開としか感じられなかった。
と、こと細かく見ていけば欠点も多々ありそうな内容なのだけれども、そうした些細なことなど吹っ飛ばしてしまうほど夢と希望にあふれた内容の小説として受け入れられるものとなっている。これは多くの人に読んでもらいたい小説である。私のように積読にしておくにはもったいない。是非とも読み逃しのないように。
復活の地 (全3巻)
2004年06月 早川書房 ハヤカワ文庫(Ⅰ)
2004年08月 早川書房 ハヤカワ文庫(Ⅱ)
2004年10月 早川書房 ハヤカワ文庫(Ⅲ)
<内容>
惑星統一を果たしたレンカ帝国。そのレンカ帝国が大震災にみまわれた。突然の災厄により、死者数十万人、多くの国家機構が崩壊し、都市部の中枢は機能が停止してしまう。
ちょうどそのとき、都市内にいながらも生き延びることができた植民地総督府の官僚・セイオは震災により亡くなった上司の意志により、機能を失った都市部の回復に奔走する。また、皇宮も崩れ皇族らの安否を確認することができないことにより、辺境に住んでいた十代の皇族、スミル内親王が急遽、摂政の地位に付く事に。
帝都庁、陸軍、国会議員らによるさまざまな圧力を負いながらもセイオらの活躍により少しずつ都市は機能を回復していくのだったが・・・・・・
<感想>
良く練られ、考えつくされた壮大な物語である。とにかく面白いとしかいいようがない。その中で、いくつか感心した点を列記してみたいと思う。
<考えつくされた災害の状況>
災害が起きた際に起こる問題のみならず、その後に起きる事後の後始末等、とにかくよくここまで考え付くなと言いたくなるほど細かい事象についてまで書き込まれている。さらには、それらの事件事故が起こったときにどのように対処すべきかと言うことまでが書かれており、読んでいるほうは、ただただため息をつくしかない。そしてそれらの書き込みは地震対策にまで及んでいく。
こうした事象が起こるだろうということをこの著者は頭の中だけで想定しているのだろうか? 一応は数々の文献を参照しているようだが、現実世界ではなくSF世界の中においてよくここまで書き込めたなと感心してしまう。是非とも著者には現代版の地震対策マニュアルを書いてもらいたいものである。
<SF世界について>
物語が始まってからしばらくの間は地球ではないにしても、それと似たような世界の中で大震災が起き、そこでの復興を描いた物語であると捉えていた。よって、途中から宇宙へと話が広がったり、他の惑星が絡む話が出てきたときは、これらの部分は余計なのではないかと感じられた。しかし、実際にはその惑星の中の一つの小国という位置付けが重要であり、それを基盤とした物語が創られているということを後になってようやく理解することができた。最初はSFにしなくてもよかったのでは、などと思ったのだがいやいや決してそんなことはなかった。この物語が語られるため、そして物語を収めるためにSFという世界観を見事に利用した作品であると言えよう。
<各キャラクター設定と物語の流れについて>
本書を読み始めたときは、災厄に見舞われ都市が崩壊した後、有能な人たちが現われて、さまざまな妨害を乗り越えて磐石な体勢ができあがる、という物語なのだろうと思っていた。しかし、そういう流れは途中までで、物語の後半は私が考えていた予想をはるかに上回る流れがつむがれていった。そこには、話の最初に語られた“公僕の矜持”というものが大きな意味を持つことになり、より深くより重みのある展開が待ち受けていたのである。
などと、とにかく褒めちぎると言うよりは、読んでいて感心してしまったと言う一言である。たぶん冷静に読み直せば、もう少し否定的な意見も出てくるのかもしれないが、読了後は壮大な物語に飲み込まれてしまったという気分である。これは「第六大陸」に続いて、文句なしに誰もに進めたくなる1冊である。
老ヴォールの惑星
2005年08月 早川書房 ハヤカワ文庫
<内容>
「ギャルナフカの迷宮」
犯罪者達が送られたのは、決して出ることのできない迷宮の中であった。
「老ヴォールの惑星」
終焉を迎えようとする星に生息する者たちがとるべき行動とは・・・・・・。
「幸せになる箱庭」
地球外生命体とのコンタクトに向かった宇宙飛行士たちが遭遇したものとは!!
「漂った男」
戦時中、惑星パラーザに不時着した男は無事に故郷へと帰ることができるのか!?
<感想>
これはまさに最近の小川氏らしさが詰め込まれている作品集といえよう。小川氏の作品を初めて読む人にはもってこいの短編集。
「ギャルナフカの迷宮」
これは読んでいて「復活の地」を思い起こしてしまった。設定はまったく違うとはいえ、秩序のないところに秩序を構築していくというスタンスに何か似たものを感じる事ができた。
犯罪者達を閉じ込めるための迷宮。そこに入るものは地図を渡され、食料の場所と水の場所をひとり一箇所ずつ教えられると言うもの。それだけの設定から、迷宮内に人としての秩序をもたらし、人が住む都市というものを構築していくというアイディアは見事。そしてラストにはカタストロフィ有りと、もはや言う事無しの作品。SFファンじゃなくても、、読んでもらいたい一編。
「老ヴォールの惑星」
打って変わってハードSFが繰り広げられる作品。ただ、ハードSFといっても機械的なものが出てくるわけではないので、科学ファンタジー小説とでも言えばよいのだろうか。惑星の崩壊を通して、種の保存というものを書き表した作品。
「幸せになる箱庭」
こちらこそ、ハードSFの呼び名に相応しい作品。未知の地球外生命体とのコンタクトが描かれたものとなっている。それなりに面白かったのだが、アイディアとしては他でも聞いた事のあるような内容。とはいえ、その細部にいたるものの考え方や描写は誰にでも書けるようなものではない。
「漂った男」
スタージョンの作品に似たようなものがあったような気がする。ただ、こちらは孤独ながらも会話によるコネクションが挿入され、より味わい深い作品となっている。
ひとり未開の惑星に取り残されながらも、決して死ぬことなく漂い続けるだけの主人公。ひとつの通信機を通して主人公と、それを救おうとする者とのやりとりが繰り返される。その最中に様々なトラブルが繰り返され、主人公の苦悩が切々と書かれてゆく物語。そしてラストではその運命がどうなるかという事こそが見ものの作品。短編ながらも感動の大作。
天涯の砦
2006年08月 早川書房 ハヤカワSF Jコレクション
<内容>
地球と月を中継する軌道ステーション<望天>にて壊滅的な大事故が勃発した。どのような事故が起きたのかもわからないまま生き延びた数名の人々。周囲には気密された部屋を取り囲む真空の空間と漂う死体のみ。取り残された人々はこの極限の状態から脱出する事ができるのか・・・・・・
<感想>
これはSF系パニック・サスペンスと言えばよいのだろうか。宇宙空間で起きた緊急事態を打開して生存を図る、というような内容の小説である。また、もうひとつのテーマとしては“真空と人類との闘い”が取り上げられている。
読んでみて面白くはあったのだが、全体的になんとなく、物語がぎくしゃくしていたようにも感じられた。
ひとつには登場人物たちの目的に対する統一感のなさ。これは物語上意図していたことであろうと思われるので、別に非難するような点ではないのかもしれないが、物語を締める上でも登場人物たちがもう少し道徳的な行動をとるようにしてもよかったのではないだろうか。危機的状況の中で人々が普通の行動をとることができるのかとか、超人的な主人公よりも苦悩を持った普通の主人公をとか、そのような意図で書かれたのだろうとは考えられるのだが、どこか全体的にキャラクター面でしまりがなかったという気がしてならない。
もうひとつ挙げてみると、生存者の中にひとりだけ生存活動を妨害しようとする人物がいるという点。
確かに最後まで読んでみると、そこに物語上の整合性がとられ、納得はさせられるものの、どうしてもイレギュラーというような感覚を拭い去る事ができない。あくまでも<望天>に事故が起きたこと自体は偶然であり、そこにまた他の偶発的な敵キャラクターを存在させるというのは強引なのではなかったか。それならば、事故自体もその目的のひとつとしてまとめてしまったほうがしっくりといったように思える。
と、読んでみると人それぞれ色々と思う点があるのではないだろうか。このへんは読む人によってさまざまな感想が出てくると思うので、それらを色々と読み集めてみると面白いかもしれない。
というように、個人的にはさまざまな欠陥があるように思えた小説であったが、だからこそ読むものを惹きつける小説だともいえるのではないだろうか。色々と注文はつけたものの、一貫性のとれたきっちりとしたSF小説として仕上げられているので楽しめる作品であるということは間違いない。
時砂の王
2007年10月 早川書房 ハヤカワ文庫
<内容>
邪馬台国の女王・卑弥呼が謎の怪物に襲われたとき、これもまた謎の異形のものが彼女を救った。そのものは2300年後の未来から、地球の運命を救うべく遣わされた戦士だという。原因不明の人口知性体たちの襲来を受けた地球。未来から過去へと遡りながら、繰り返し行われる戦いの中、この運命に終止符を打つことができるのか!?
<感想>
変な感心の仕方になるかもしれないが、読み終わった後に感じられたのは、よくこの作品をこんな短いページにまとめたなぁということ。このような内容で、ここまで設定ができあがっていれば、いくらでも大長編化することはできたのではないだろうか。しかし、それを短いページに凝縮してまとめたというのは、それはそれですごいことであると思える。
本書の内容は、未来におけるエイリアンらしきものとの闘争を、過去に遡る事によって解決を図ろうというもの。そして、未来人たちは過去に遡りつつあることによって、真相を突き止めることを図り、一番良い解決策を模索していくのである。
そうしたなかで、最終的に選ばれた(といってよいのだろうか)のが卑弥呼が邪馬台国に君臨してる時代となるのである。未来から過去を遡ってきた主人公は卑弥呼に協力を依頼し、ともに謎の生命体を撲滅する作戦に乗り出すことになる。
もうひとりの主人公として卑弥呼が登場しているのだが、未来人のオーヴィルのほうがどうしてもインパクトが強いので、存在感がちょっと薄めになってしまったと感じられた。卑弥呼の存在も強調するのであれば、もう少し書き足してもよかったのかもしれない。
時間を遡りつつ、事態の解決を図るという以外は、特に目新しさというものは感じられなかったが、短いページ数の中で物語がうまくまとめられていたと思われた。ハードSFとしての要素が若干強めであるが、読みやすいSF小説の部類にはいる作品であろう。
フリーランチの時代
2008年07月 早川書房 ハヤカワ文庫
<内容>
「フリーランチの時代」
「Live me Me.」
「Slowlife in Starship」
「千歳の坂も」
「アルワラの潮の音」
<感想>
「老ヴォールの惑星」に続く第2短編集とのことなのだが、前作の短編集に比べると、小川氏の作家としての幅が広がったようにも思える。「老ヴォールの惑星」を読んだときには、小川氏らしい短編集と感じたのだが、今作では「こういった作品も書くのか」と感嘆させられる。
特に「Live me Me.」あたりは、作品としては珍しい部類のものではないのだが、こういったものも書くのだなと、なんとなく感心させられた。脳死状態におちいった女性が脳波をつなぐロボットとして活動しつつ、それらを取り巻く社会の変革までもを描いた作品。そしてさらには、しっかりとロマンスまでもが描かれている。
「Slowlife in Starship」はいかにも現代人っぽいなというSF作品。それをいうなら「フリーランチの時代」も、なんとなく若者っぽいニュアンスというか、陽気さが込められているようにも思える。
また、「千歳の坂も」はSFというよりも、高齢者社会を皮肉った社会派小説のようにさえ感じられる。
「アルワラの潮の音」はボーナストラックといった感じ。これは長編「時砂の王」の外伝。「時砂の王」を用いるのであれば、このような短編はいくらでも書けそうな気がする。
青い星まで飛んでいけ
2011年03月 早川書房 ハヤカワ文庫
<内容>
「都市彗星のサエ」
「グラスハートが割れないように」
「静寂に満ちていく潮」
「占職術師の希望」
「守るべき肌」
「青い星まで飛んでいけ」
<感想>
今回もまた楽しめるSF短編集を届けてくれた。SF初心者からベテラン層まで幅広く楽しめる。
「都市彗星のサエ」はいわゆるSF版ボーイ・ミーツ・ガールもの。ただし、それだけにとどまらず、二人の男女の“自由”というものに対する考え方の違いが焦点となっている。さらには、希望とさらなる冒険へとつながる幕の引き方も見事。
「グラスハートが割れないように」と「占職術師の希望」はSFという感じはしなかった。
「グラスハート」のほうは、小さなコケにとらわれる人たちの様相を表しているものの、何ゆえそれにのめり込むのかが、ややわかりにくかった。
「占職術師の希望」はちょっと変わった超能力とサスペンス小説とを合わせた内容。人の転職を見抜くという能力がうまく話に盛り込まれている。
「静寂に満ちていく潮」は未知との遭遇を表したものなのだが・・・・・・人間のたくましさにびっくりさせられる。これと正反対の内容が描かれた海外SF小説を読んだことがある。
「守るべき肌」はいくつかの有名なSF小説のネタを組み合わせたような内容に思えた。最初はなされている行為の理由が理解できなかったのだが、読んでいくと不可解な行動の理由が明かされることとなる。物語が終わった後の世界の様相が気になる内容。
「青い星まで飛んでいけ」は壮大な宇宙航海を描いた作品。人間の持つフロンティア精神がいかんなく発揮されていると言えよう。
コロロギ岳から木星トロヤへ
2013年03月 早川書房 ハヤカワ文庫
<内容>
2014年の日本、北アルプス・コロロギ岳の山頂観測所に突如異変が起きる。観測所の上にとてつもなく大きなものがどこからともなく落ちてきたのだ。その巨大なものは観測員達に話しかけ始める。彼は自らを“カイアク”と名乗り、彼の尻尾はここから217年先の木星トロヤにひっかかっていて、それを解放してもらいたいというのである。二つの時間と空間の異なる場所をつなぐ壮大な計画がいま始まろうとしている。
<感想>
いや、これは面白かった。ページ数は文庫本にて240ページくらいなのに、壮大なSF小説を読んだ気分。近年、ページ数が分厚いSF作品が多いが、これくらい質・量ともにまとめてくれればなと強く感じてしまう。それくらい、SF成分が濃縮された作品。
日本のコロロギ岳観測所と、そこから217年未来の木星トロヤにて宇宙船に閉じ込められた二人の少年をつなぐという話。内容や理論的には難しいところもあるのだが、そんなのすっ飛ばして読んでも十分に楽しめる物語。時間と空間の異なる場所で、どのようにしてコミュニケーションをとるのかが見もの。
また、本書はある種の異星人との遭遇を描いたものともいえるが、その異星からの使者が突飛なもの。人間には考えられない質と量を持った存在であり、そもそもその存在自体人間の次元では考えられないという。そんなもんとコミュニケーションをとれるということ自体が眉唾なのだが、そこはあえて置いといて話を簡単なほうへともっていっている。
短いページながらも、異星人との接触から、未来の木星に住む人々の様相、時空を超えたコミュニケーションと見どころ満載。これこそ手軽に読めるハードSFと言えよう。
天冥の標Ⅰ メニー・メニー・シープ
2009年09月 早川書房 ハヤカワ文庫(上下)
<内容>
地球から遠く離れた殖民惑星メニー・メニー・シープ。この星には化石燃料が存在せず、電気エネルギーは殖民船シェパード号が全て供給していた。しかし、ここ数年臨時総督ユレイン三世の様子がおかしく、大陸全土に配電制限がなされ、民衆は不自由な暮らしを強いられていた。
やがて、その不自由な暮らしも限界に達し、メニー・メニー・シープでは大きな反乱が起きようとしていた。医師団のひとりであるセキア・カドムは見た事のない奇怪な生物との邂逅をはたし、“海の一統”を率いるアクリラは新天地の発見へと旅立ち、アンドロイドの集団“恋人たち”は反乱を手助けし、政府側に従事している“石工”たちは処遇に悩み、議会議員であるエランカはこの状況を打開しようと行動をする。
そうして反乱が最高潮に達したとき、このメニー・メニー・シープの真実の姿が見え始め・・・・・・
<感想>
うん、これを読んだだけでは納得できない、というのが読んでの感想。というのもあたりまえで、本書は小川氏が挑む、全10巻のシリーズの1作目なのである。よってここから話が始まってゆくはずなので、今後どうなるのかを早く読みたいというのが現在の痛切な願いである。
この第1巻は物語の始まりなのか、それとも終焉を意味するのか、もしくは途上であるのか、それすらも全くわからない。数多くの伏線や謎をかかえたまま、次巻以降に持ち越しということで実に心憎い。ここまででは、全貌どころか現在地さえも見えない状況なので早く続刊を読みたいところである。
しかし、今回はこのような終わり方をして、今後どうやって話を続けていくつもりなのだろう?? と、これからの展開さえも予想できない始末。次の巻は2010年春ということなのだが、どうにも待ち遠しい。すべて書き終えるまでにどのくらいの時間がかかるのかも気になるところである。
天冥の標Ⅱ 救世群
2010年03月 早川書房 ハヤカワ文庫
<内容>
西暦201x年、ミクロネシアの島国パラオで謎の疫病が猛威をふるっていた。その情報を聞きつけた国立感染症研究所の児玉圭伍と矢来華奈子は現地へ向かう。そこで彼らは今まで見た事のない原因不明の疫病の対応に追われることとなる。児玉らは現地でかろうじて生き延びていた者達から情報をもらい、生存者の救援に奔走する。やがて世界中から救援隊が到着し、事態は沈静化へと向かう。
しかし、原因不明の疫病ゆえに各地へと広がるおそれがあり、そして実際にこの島国を越えて他の国へと飛び火していくこととなる。人類は新たな疫病との闘いに挑まなければならない羽目となる。
<感想>
前作を読み終えたときに、この「天冥の標」はどのように続くのだろうと不思議に思っていたのだが、なんと前作の内容とは全く異なる物語が始まってしまった。
今作では現代を舞台に、バイオハザードをテーマに新たな疫病と戦う人々の姿を描いた作品となっている。なんとなくこれを読むと、以前に小川氏が書いた「復活の地」という作品を思い出す。この作品では、新たな疫病が蔓延したときに、人類はどのような対策をとるのか、そうしてどのような対策が効果的なのか、ということを表したシミュレーション小説とも言えよう。もちろん主要登場人物がいるので、あくまでも主人公主体の物語にはなっているが、身近で起こりうる事態を描いたノン・フィクション小説のようにも感じられる作品。
今回は2作目ということなのだが、これも前作と同様この一冊で話が完結しているとも言えなくもない内容。そうすると次の舞台はどうなるのか? 次回作の内容はきちんとは書かれてはいないものの、3巻目の副題は“アウレーリア一統”となっているので、舞台は1巻に戻るのではないかと予想される。そうすると、二つの舞台を交互に描きながら、やがてその二つが徐々に関連を持ち始めるという構成なのであろうか。それらを考えてみるだけでも決して興味が尽きることはない。
ちなみに本作、当然のことながら続きゆえに1巻から読み始めた方がよいのだろうが、これ一冊でも十分に内容を楽しめる作品なので、とりあえず2巻から始めてみても全く問題はないと思われる。例え、これが続きものではなくて一冊の本であったとしても十分にお薦めできる作品であることは確か。
天冥の標Ⅲ アウレーリア一統
2010年07月 早川書房 ハヤカワ文庫
<内容>
西暦2249年、木星で発見された謎の建造物“ドロテア・ワット”に調査団が派遣された。しかし、その調査団は“ドロテア・ワット”ごと宇宙のどこかへと消えてしまった。
西暦2310年、“酸素いらず(アンチ・オックス)”といわれる集団のなかのひとつノイジーランド大主教国アウレーリア家一統は彼らのなりわいである海賊狩りにいそしんでいた。その当主の名はサー・アダムス・アウレーリア。一見、少女に見える外見をしているが立派な男性である。
そのアウレーリア一統の艦船は冥王班患者の集まりである“救世軍”と接触することになる。彼らは海賊たちに“あるもの”を盗まれたというのだ。そのあるものとは、謎の遺跡“ドロテア・ワット”のありかを示した報告書だというのだ。こうしてアダムスを中心としたアウレーリア一統は遺跡を巡る海賊との闘争に巻き込まれてゆくこととなる。
<感想>
この巻でようやく本格的に面白くなってきたと感じられた。今までは見られなかったような実に主人公らしいと言える人物が登場し、SFらしい戦艦どうしの戦闘シーンなど、これぞSF作品という展開がなされている。さらには、今まではシリーズ作品という気がしなかったのが、この巻はⅠとⅡを結ぶ内容となっており、一気にシリーズらしさが加速していくこととなった。ちなみに時系列順としては現代に近いⅡ巻が始まりで、その後に宇宙を後悔することが普通となった時代がこのⅢ巻で、そこから時代を置いてⅠ巻へと続いている。
どうやらこのシリーズ作品のテーマは“エネルギー”であるよう。現代の世界においても、石油をはじめとするさまざまなエネルギー問題が持ち上がっている。それをそのまま未来へとと引き継いだかのようなテーマで物語が語られてゆく。究極のエネルギー源ではないかと想像される“ドロテア・ワット”を巡る物語が今後も続いてゆくのであろう。
Ⅰ、Ⅱ巻で出てきたキーワードがこの巻でようやくきちんとしたものになりつつある。“ドロテア・ワット”“救世軍”“酸素いらず”“医師団”など。これでようやく話がつながりつつある。ただし、Ⅰ巻で出てきたキーワードでいくつか明らかになっていないものもあるので、今後それらに関する物語が語られてゆくのではなかろうか。
Ⅲ巻とⅠ巻の間にはかなり長い時間が空いているのだが、Ⅳ巻あたりでその間が埋められるのだろうか。もしくは、Ⅲ巻以前の話においてもまだ謎の部分はあるので、そのあたりが語られるのかもしれない。
時代に関してはどこが背景になってもかまわないのだが、今回の主人公がこの巻のみで見られないとすると、やや残念な気がする。もし、今回登場したアダムスの出番がこれだけなのだとしたら、さらなる魅力的な主人公が登場することを期待したい。
天冥の標Ⅳ 機械じかけの子息たち
2011年05月 早川書房 ハヤカワ文庫
<内容>
キリアンは目覚めたとき、自分が妙な所にいることに気がつく。そこで彼はアウローラと名乗る女性と二人きりであった。キリアンとアウローラはいつしか果てない性技の旅を繰り広げることとなるのだが、突如聖少女警察を名乗る者達に拘束され、ひどい扱いを受けることとなる・・・・・・
その後、キリアンは自分の記憶を取り戻すこととなるのだが、<恋人たち(ラヴァーズ)>と名乗る彼女らがキリアンにこだわる理由とはいったい!?
<感想>
今作は時系列としては前作3巻の続きとなっているのだが、場所も登場人物も全く異なるものとなっている。1巻に出てきた“恋人たち(ラヴァーズ)”と名乗る者達が今回の物語の中心である。
シリーズを通してのキーワードである“救世軍”“冥王班”“保険機構ロイズ”という言葉が出てきており、シリーズとしての物語のつながりを十分に感じることのできる続編となっている。とはいえ、今作では“恋人たち”が住む区域のみでの話となっており、4巻のみの内容としては小さくまとめられてしまったという気がしてならない。
ページ数はかなり分厚いものの、最初から最後までほぼ同じことをして、同じことを悩み続けていたという印象。一応はシリーズを通しての鍵となりそうな人物とか事件とかが出てきており、続きの話としては重要なものを感じ取ることができたのだが、なんとなくただの通過点のように思えなくもない。最後には“恋人たち”と“救世軍”との間で重要な事柄が起こるのだが、その様子もあくまでもエンディングにてちょっとだけ。なんか性的な妄想の世界、もしくは凝りに凝ったプレイの様子を眺めていただけというそんな感じの内容であった。
天冥の標Ⅴ 羊と猿と百掬の銀河
2011年11月 早川書房 ハヤカワ文庫
<内容>
西暦2349年、小惑星バラスにて野菜農場を営む農夫タック・ヴァンディ。農場の経営は決して順調とはいえなく、機械の調子が悪かったり、大手チェーンが進出してきたりと悩みの絶えない日々が続く。さらには農場での生活を嫌がる反抗期を迎えたひとり娘サリーカの行動にも悩まされることに。そんなとき、彼の農場に地球から来た学者を招き入れることとなり・・・・・・
一方、6000万年前のこと。地球の存在する銀河から遠く離れた星にて、海底に繁茂するサンゴ虫のなかで、ひっそりと自我が芽生え始めていた。その自我はいつしか“ノルルスカイン”という名前をもつようになる。ノルルスカインの長く果てしない旅が始まり、6000万年の時を経て、それはやがて地球のある銀河系へと・・・・・・
<感想>
今作では宇宙で農業を営む農夫の話と、はるか昔に覚醒した“ノルルスカイン”という自我の話が平行して語られるものとなっている。
“ノルルスカイン”のパートについては、始めは地球の昔話かと思われたのだが、遥か遠い銀河の話であり、一見この一連の物語とは何も関係なさそうなもの。しかし、話が進んでくるにしたがい、実はこの物語の背後に密かに蠢く、全体に大きな影響を及ぼし続けていたものであるということが明らかとなる。
最初はこの“ノルルスカイン”が“冥王班”に直接絡んでくるのかと思ったのだが、ちょっと違うような気も。この自我が物語全体に及んでいるというのは確かなのだが、どういったところと結びついているのかは再読してみなければ細かくはわからなそう。重要なキーワードはちょくちょく出て来ていたのだが。
農夫タックのパートについては、今までの物語から普通に時代が流れつつある西暦2349年が舞台。よって、前作までに登場した人物が直接出てくるということはないのだが、語り継がれていたり、組織として残っていたりと、こちらはシリーズを直接感じることができる内容。
なんとも興味深いのは宇宙で農業を行うという行為について。地球上で作物を育てることができなくなったので、宇宙で新鮮な作物を育てることになったという背景。そうしたなかで、宇宙という壮大な中でありつつも、ごく一般的な普通の農夫と同じようにタック・ヴァンディは悩みつつも、自分の地に足が付いた(というのも変な表現だが)生き方に満足しながら農業に励み続ける。
この農夫タックのパートが後半に入ると、実は今までのシリーズ上で重要な位置を占めるものと、大きな関わりがあることが明らかとなってくる。このシリーズの流れからすると、直接彼らが再登場ということにはならないと思うが、血筋の系譜としては受け継がれてゆくこととなるのかもしれない。
農夫のパートと謎の多い自我のパートと、全く異なるものが平行して話が進められてゆく内容であったが、両者の思想としては似たりよったりのところがあると思われる。懸命に農業品種を守り抜こうとする農夫。さまざまな種の存続を守り抜こうとする自我。規模は違えど、両者の思いは同じところにあると言えよう。
天冥の標Ⅵ 宿怨 PART1
2012年05月 早川書房 ハヤカワ文庫
<内容>
西暦2499年、人工宇宙島群スカイシー3にて、救世群の少女イサリは遭難した。イサリはフェオドールというロボットと共に旅していたスカウトの少年アイネイアと遭遇する。イサリはアイネイアに助けられ、行動を共にすることに。そしてアイネイアはスカウトの一団と合流し、そこにイサリを加え、イサリが目指していたという星のリンゴがある場所を目指していくのであったが・・・・・・
<感想>
その巻その巻、それぞれの展開は理解できるのだが、全体における整合性というものまでは、もはやわからなくなってきた。読者のそうした事態を見越してか、今作の巻末には登場人物一覧と年表が付けられている。これで多少、解読には役に立つものの、やはり全貌を理解するには何度か読み返さねばなるまい。
今作ではボーイズ・ミート・ガールものというか、少年と少女との邂逅から話が始まる。スカウトという、まるでボーイスカウトの集団のようなものと、救世群の少女。彼ら彼女らが旅をし、次第に仲良くなっていく・・・・・・というだけでは、話は終わらない。
その出会いを発端とし、やがては救世群、ロイズ保険機構、酸素いらず、といった今まで登場したことのある集団たちが一大決戦をしようという準備に入っていくのである。このPART1は、まさにその準備というところ。今まで均衡を保っていたかのような、それぞれの状況であったが、それが実は危ういものであり、何百年もの時を経て、とうとう反乱・反攻へと事態は転じようとしている。
次の巻はⅦではなく、ⅥのPART2となるようであるが次巻でPART1で噴出した事態の全てに決着がつくのであろうか。そしてⅦでは、また時を経ることとなるのだろうか。今回登場した少女の名前が第1巻に登場した怪物と同じ名前であることが非常に気になる。
天冥の標Ⅵ 宿怨 PART2
2012年08月 早川書房 ハヤカワ文庫
<内容>
西暦2502年、太陽系に対し、自らの独立を目指す救世群。太陽系の各政府が集まる場へと参加することができたまではよかったが、無視と侮蔑という結果で終わることとなる。そこで救世群は自らの存在を示すために強硬路線を打ち出していく。彼らは太陽系外から飛来した異星人との密かな接触により、強大なテクノロジーを手に入れていたのであった。自らを甲殻化した救世群は、故郷である地球へと向かう・・・・・・
<感想>
シリーズ6冊目となる「天冥の標」であるが、今作は6冊目のPART2。要するに前作の続きである。これで“Ⅵ”は終わるのかと思いきや、まだPART3へと続くらしい。やけにこの巻に力を入れてくるなと思っていたのだが、今作を読むとそれも納得させられてしまう。物語は大きな方向へと動き始めることとなる。
今作は、救世群が太陽系政府に対し、反乱を起こすという内容。500年近く抑圧され続けた救世群の感情がとうとう爆発することとなる。その反乱を起こす一因となる、強大なテクノロジーを持った異星人との接触というのも興味深いところ。物語中ではさほど存在感を示さない異星人であるが、最後の最後でとあるカタストロフィを巻き起こしてしまう。
ここまでの物語で未だ分かりづらいのは“ロイズ”という存在が抱える思惑というもの。救世群対太陽系政府という構図であるのだが、実は太陽系政府=ロイズと言っても過言ではない。そのロイズがどうして救世群をそこまで抑圧しなければならないのか。一見、私怨のようにも思えるのだが、ひょっとすると対ノルルスカインという目に見えない抗争が秘められているのかもしれない。
よくわからないことも、今後色々と明らかになってくるだろう。しかし、今はこの物語の展開の方が非常に気になるところ。シリーズとしての先行きよりも、このシリーズ6巻目の結末の方が気になって仕方がない。次巻で決着はつくのだろうか?
天冥の標Ⅵ 宿怨 PART3
2013年01月 早川書房 ハヤカワ文庫
<内容>
救世群は、強大なテクノロジーによる襲撃と冥王班による脅迫により、次々と太陽系内を手中に収めていく。一方、対抗勢力もそのまま黙っておらず、反旗を翻すタイミングをはかっている。そうしたなか、巨大遺跡ドロテア・ワットが起動し、勢力図を一変させる事件が起こる。表面にて行動する者たちと、裏から操る者たちとの思惑が交錯する中、事態は次第に収束へと向かいつつ・・・・・・
<感想>
まさに太陽系内の勢力を一変させる“巨大な戦争”という事象。世界は破壊されつつ、物語は収束しつつも、まだまだ希望と破滅の種は残されたままという感じ。
ようやくここへきて、第1巻の「メニー・メニー・シープ」の世界へとつながりつつある。最初は不可解な世界と思えたのだが、ここに来てようやく、その世界がどのように構築されたが理解できるようになってきた。とはいえ、すぐに第1巻の世界へと行かず、もう1、2巻くらい、そこへ至るまでの世界の流れが書き加えられるかもしれない。そのへんは7巻に期待したい。
今作まで来てようやく太陽系での戦いの構図がわかるようになったものの、あまりにも複雑で理解しがたい。これは、図でも書いてきちんと内容を理解しなければ難しそうである。何しろ、同じ勢力に別々の組織がついていたりと、表面から見ただけの構図では分かりにくかったり、余計な組織が加わってきたりと、どうにも勢力図を頭の中だけでは描ききれない。
さて、この物語、今後第1巻の世界に近づいていくというのはわかるものの、そこからどのように展開していくこととなるのであろうか。さらには、対ノルルスカインといった裏の抗争については、真の決着をみることができるのだろうか。まだまだ予断を許さない、興味の尽きないシリーズである。
天冥の標Ⅶ 新世界ハーブC
2014年01月 早川書房 ハヤカワ文庫
<内容>
救世軍による侵攻と冥王班から生き延びた人々。小惑星セレスの生存者たちは、ブラックチェンバーと呼ばれる避難所に逃げ延びる。その狭い限られた空間で生活することとなったのは、52,244名。しかも成人の数はわずか1029名。子供ばかりの集団のなかでアイネイア・セアキらスカウトの面々は、なんとか秩序を維持しようとするのであったが・・・・・・
<感想>
今までは、巻をまたぐと長い年数が経過しているという形態であった。しかし今作は、前作のⅥから直結した内容となっている。よって、すんなりと物語に入り込むことができる。
今作は、前作以上にこのシリーズの分岐点的な役割をしていると言えるような内容。前回までの内容で、だいぶⅠの「メニー・メニー・シープ」の物語に近づいてきたと思っていたのだが、今作ではそれがよりいっそう具体的となっている。いや、具体的というよりも、たぶんこのⅦの世界がⅠに直結しているのだろうということが明らかとなりつつある。
ただ、その世界へ行きつくまでの過程がなんと過酷なものなのか。閉ざされた世界の中、どこからも助けがくるという希望を持てぬまま、子供だけの世界をやりくりしなければならないという絶望感。そうしたなかで、日々を生き延び、なんとか未来につなげようとする奮闘、披露、孤独、絶望といったさまざまな感情が描き出されている。もうそれくらいでいいよ、と言ってやりたくなりつつも、人類は決して死に絶えることなく、沸々と生き延びてゆくこととなるのである。
この「天冥の標」の先行きに希望は見えてくるのであろうか? また、仮に人類が生き延びる方法が見出されるとしても、それらがどのような方法であるのか? さらには、結局歴史は繰り返されることとなってしまうのか? 未来への希望を熱望しつつ、物語の行く末を見守りたい。
天冥の標Ⅷ ジャイアントアーク PART1
2014年05月 早川書房 ハヤカワ文庫
<内容>
ブラックチェンバーの生き残りたちは、その後人口を増やし続け、いつしか“植民地メニー・メニー・シープ”と名付けられた地で発展を遂げていった。そうしたなか、人類の生き残りを探索していた救世軍にて、イサリが意識を取り戻す。救世軍内での自分の扱いに疑問と違和感を覚えたイサリは、救世軍から逃げ出し、生存した人々が住むメニー・メニー・シープへと行くのであったが・・・・・・
<感想>
とうとう第8巻にして、第1巻に直接つながることとなった。このシリーズを読み続けていた人にとっては感慨深い巻となったことであろう。ついに“イサリ”という名が6巻から続いてきた流れと、1巻における未来が一致することとなる。
最初に1巻を読んだときには、その地に住む人々の視点からしか語られない故に、未知の世界に不思議なものを感じ、また理解できない部分が多々あった。それが、2巻以降の過酷にな歴史により1巻の世界であるメニー・メニー・シープが創られたという事がわかったことにより、いろいろと納得させられることとなった。あの不安定な世界観の理由は、まさにこの、今生きている世界のみが唯一希望であり、その希望も非常に危ういところに立地しているものなのだと。
ようやくこれから本当の意味で、この「天冥の標」も未来が語られてゆくこととなる。人類を待ち受けているのは希望なのか、それとも絶望なのか。時間はまだ8巻のPART2ということで、最終巻はまだ先であるが、そろそろ人類の行く末は見えてくるのであろうか? そしてイサリの未来はどのように収束することとなるのか!?
天冥の標Ⅷ ジャイアントアーク PART2
2014年12月 早川書房 ハヤカワ文庫
<内容>
西暦2803年、メニー・メニー・シープは、“咀嚼者”(フェロシアン)の侵入により平和が潰えた。真実を知ったカドムは、イサリ、ラゴスらと共にメニー・メニー・シープの天井をめざし、その目で事実を確かめようとする。一方、咀嚼者の進行を受けるメニー・メニー・シープの人々は新大統領のもとに、都市ごとに連携を図り、反抗の狼煙をあげてゆく。生き残った人々がその全貌を知らないまま、人類の生存をかけた攻防が始まってゆく!
<感想>
ようやく物語が結末へ続きつつあるというのを実感できるようになってきた。1巻で繰り広げられたメニー・メニー・シープの物語に話が追いつき、ようやく“今後”という考え方がクローズアップされるようになってきた。
今までシリーズを通じて世界を悩ませてきた“冥王班”についても、打開策が出てきたような気がするのだが、今後それがどう活かされるのか。それを打開策として、コロニーの中での“共存”は選択肢に組み入れられるのか。それとも、人類が生存をかけて咀嚼者征伐を成し遂げるのか。
未だ、羊と羊飼いがカギを握り続けているような気がするので、想像外の展開が待ち受けているのかもしれない。カドム、イサリ、ラゴスらの相関関係と、それぞれが選択する人生についても大きな意味を持つこととなるであろう。希望の抱ける未来を期待しつつ、次巻を楽しみに待ちたい。
天冥の標Ⅸ ヒトであるヒトとないヒトと PART1
2015年12月 早川書房 ハヤカワ文庫
<内容>
カドムらは、イサリの話や彼ら自身の体験により徐々にメニー・メニー・シープの世界の成り立ちと秘密を知ってゆく。ラゴスの記憶を取り戻すべくシェパード号を目指す一行であったが、そこで思いもよらぬ再開が待ち受けることとなる。そして争いは、救世軍と新民主政府の攻勢のみにとどまらず・・・・・・
<感想>
物語が段々と佳境というか、核心に迫って来ており、今までのどんな風に物語がつながるのかという読み手側の心境が、ようやく到達点は何処へ! という心持に代わってきた。今作では、それぞれの集団の目的というものが少し見えてきたように思われた。とはいえ、まだまだ謎は残されているように思えるので、決して予断はゆるさない状況。
また、本書で明らかになるのが太陽系の“星連軍”という存在。今までこのコロニー外の人類は死滅していたと考えられていたが、実は生き残りがいるということが明らかになり、そうするとその外との関わりがどうなってくるのかが問題となる。さらには、カルミアン本星などの存在も出てきており、物語が収束しつつあると言いつつも、この作品でコロニー外の存在が出始めてきており、まだまだそう簡単に物語は終わらないと言われているようにさえ思われる。
さらに小さなところでは死んだはずのアクリラが登場し、カドムとイサリとの関係に待ったをかけてくる。この人と人とのつながりが、実は小さな事というものではなく、本シリーズの一つのテーマであったりするようなので、この進展も物語上重要なこととなるのであろう。
これらさまざまな事も含め、次の巻辺りでは、その他もろもろのことや、進むべき方針が具体化されてゆくのではなかろうか。
天冥の標Ⅸ ヒトであるヒトとないヒトと PART2
2016年10月 早川書房 ハヤカワ文庫
<内容>
セレス地表で世界の真実を知ったカドム、アクリラら一行はメニー・メニー・シープへ帰還をはたす。そこで彼らはさらなる真実、このセレスの地が異星人であるカシミアの故郷へと向かっていることを知らされる。どうやら彼らの究極の敵の手によって操作されているらしいと。カドムらは敵対している“救世群”を説得し、協力して未知なる敵との戦いに臨もうとするのであったが・・・・・・
<感想>
本書の帯の裏に、「天冥の標Ⅹ」は2018年刊行、巻数未定、最終巻まで連続リリースと書いてある。2018年ということで、急いで読む必要もないと思っていたら、いつの間にか半年も積読のままにしてしまった。
そして本書であるが、ようやく話も終盤となり、方向性も見えてきなと(毎回感想で同じようなことを書いている気がしなくもないが)。おおまかな対決としては、“ダダーのノルルスカイン”とその敵との
戦いということとなる。ただ、それらが直接戦うのではなく、間にいる人類その他たちが巻き込まれてというか、その代理であるかのように戦乱に巻き込まれるという構図。
その戦乱に巻き込まれている数多くの者たちがいる。カドムらメニー・メニー・シープに住む者。そのなかにはアクリラらアウレーリア一統や議会の面々も含まれる。その他にラバーズ、地球艦隊の先兵として来ている者達等々。そしていま彼らと戦っている“救世軍”はというと、こちらも一枚岩とはいえず、分裂寸前。そんな彼らが現在生活しているセレスは、異星人カシミアの故郷へと向かっているという状況。
本来ならば人類たちでまとまって、異星人らと対峙しなければならないはずが、まだまだまとまるには程遠い状況。さらには、“人類”という言葉でまとめることのできない者たちもいるなかで、徐々に副題である“ヒトであるヒトとないヒトと”という言葉が重くのしかかって来て、本当に全体がまとまることがあるのかと疑問に感じられてしまう。最終的に大雑把にはまとまりそうだが、部分部分、個人個人で離脱、もしくは裏切るのではないかと思われるような節が色々と。
そういった課題を残しつつ、物語は最終局面へと突入する。大雑把な状況はまとめられてはいるものの、結局その人類が何に直面することになるのかが全くわからないので、何がどうなるだろうとも予想できない。最終的には何が待ち受けているのか? そして、今まで人類が苦しみつつも必死に生き抜いてきたことに答えはでるのか? どのような結末を迎えるのか最終巻を楽しみとしよう。