レキオス
2000年05月 文藝春秋 単行本
2006年01月 角川書店 角川文庫
<内容>
西暦2000年沖縄。突如、沖縄に魔方陣が出現し、それからというものその沖縄を舞台に奇怪な出来事が次々と起こる。米軍、学者、女子高生、背後霊、占い師、アメリカのスパイ、中国の活動家などなど・・・・・・さまざまなモノ達が入り乱れるなか、“レキオス”の復活が刻一刻とせまる!!
<感想>
こんなぶっ飛んだ小説があったとは! 発表当時、それなりに知られる存在ではあったので注目はしていたのだが、読んでみてびっくり、こんなとんでもないエンターテイメント系小説であったとは。
本書は、単純にキャラクター小説であると言い切りたい。そう言いたくなるほど各キャラクターが栄えている。この作品は多視点で描かれているのだが、多くの小説で多視点のものといえば、きちんと書ききれていないものが多い。そういった中でこの本は多視点ゆえに面白いといえるような作品になっているのだ。
主人公だけではなく、登場する多くの人物それぞれに物語が与えられ、ちょい役でしかないと思われた人々にもきちんと見せ場が用意されている。そのキャラクターひとりひとりの生き様に吸い寄せられるかのように、物語にのめりこんでいってしまうのである。
本書の様々なキャラクターの中で一番ぶっ飛んでいるといえるのはオルレンショー博士だと思えるのだが、それを越えるかのような“ろみひー”というものまで出てきてしまう。どのようにぶっ飛んでいるかといえば・・・・・・それは読んで確かめていただきたい。
この作品を読む前はSF小説というイメージが強かったのだが、実際に読んでみると、伝奇小説というようにとらえられる。SF的な設定も多々出てくるのであるが、それだけではなく、沖縄土着の伝承やさらには日本古来の伝承と色々な要素が入り乱れた中で物語が展開しているので、エンターテイメント小説であると言ってしまったほうが早い話になるかもしれない。
それで、その内容なのであるが、細かい設定は独特のものもあると思えるのだが、全体的に見ればそれほど目新しいという感じはしなかった。簡潔に言ってしまえば、沖縄に眠る何か(レキオス)をよみがえらせるという一点に収まってしまう。そこに、いろいろなキャラクター達の七転八倒ぶりを交えて大きな物語に仕立てているというのが本書である。
とにかく、全体的に満足させられはしたのであるが、唯一の不満は残り100ページの展開(文庫版は全600ページ)。後半になり、登場人物がさまざまな立場から終結し、いざ戦いへ・・・・・・となるはずだと思ったのだが、そこでいきなり別の世界での展開となってしまったのは、ちょっと肩をすかされた感じがした。物語上では確かに重要な場面かもしれないが、なんとなくそこで一時的に気分が冷めてしまったのは残念なことであった。
とはいえ、これだけ書き込んで、ここまでやってくれる小説というのもここのところ類を見ないのではないだろうか。十分堪能できる小説となっているので、ぜひとも一読してもらいたい小説である。ときに池上氏の作品ではこの後にでた「シャングリラ」というこの「レキオス」を超えたといわれる小説があるので、まずはこちらを読んでから「シャングリラ」に備えてもらいたいところである。
ぼくのキャノン
2003年12月 文藝春秋 単行本
2006年12月 文藝春秋 文春文庫
<内容>
村のシンボルであり、守り神として祭られる丘の上にそびえたつカノン砲、通称“キャノン様”。村を守る三人の老人、巫女のマカト、隻腕の漁師・樹王、盗人のチヨらは“キャノン様”に関わる秘密を抱えて生き続けていた。彼ら三人は既に高齢であり、そろそろ“キャノン様”を守る者の代替わりを考えなければいけなくなっていた。しかし、彼らの孫はまだ10歳と幼く・・・・・
そんな中、村の開発を巡って大企業を率いる女社長や怪しげなアメリカ人たちが村を狙いはじめる。村のものたちは“キャノン様”のもと一致団結して村を守ろうとするのであったが・・・・・
<感想>
「レキオス」に続いての池永氏の本を読むのはこれで2冊目となる。この本も単行本で出たときに気にはなっていたのだが、とりあえず文庫待ちをし、ようやく読むことができた。本書は「レキオス」に比べると重厚さという点では劣るかもしれないが、その作調は「レキオス」にも充分通じるものがあり、なおかつユーモア小説としてはさらに読みやすいものとして仕上げられている。
本書は村に住む人々が描く理想、その理想のために外部から村を守る、さらにはその理想を維持するための村の秘密を隠す、ということが中心として描かれた内容となっている。最初に“キャノン様”をあがめる怪しい集団という感じで村長たちが登場したときは、なんか胡散臭い感情が沸きあがってきたのだが、それらが実は村に対する郷土愛が込められたものということを理解するとまた違った見方にさせられた。
この作品では極端というか一見やり過ぎのような村の治め方がユーモアに描かれつつ、そしてそこに住む少年達の成長ぶりが瑞々しく描かれつつも、あくまでも根底にあるのは人々の郷土愛であると思われる。その土地に対する愛情、周囲の人々に対する愛情を中心に、村の秘密にまつわる事件が描かれた作品と言ってよいであろう。そして、その人々の郷土愛を守るためにそびえたつ“キャノン様”の存在が最後の最後には人々の願いをかなえるかのように動き出す様は圧巻であった。
村に住む人々の様相といい、村の抱える秘密の真相といい、実にうまく描かれた作品であった。希望、郷土愛、仮想現実というものが組み合わさって創りあげられた良作である。
シャングリ・ラ
2005年09月 角川書店 単行本
2008年10月 角川書店 角川文庫(上下巻)
<内容>
世界では地球温暖化が加速されていた。降り注ぐ豪雨に悩まされていた日本では、東京にまるでバベルの塔を思わすような超高層建造物の建築計画が進められていた。その名を“アトラス”という。徐々に積み上がってゆくアトラスとそこに住む人々。しかし、アトラスに住むことができるのはごく一部の人たちのみ。多くの人々は森林化していく地上で、雨と森の浸食に悩まされていた。そうしたなか少女・北条國子を首領とする反政府ゲリラ、メタルエイジ。彼女たちは打倒アトラスを目指すのであったが・・・・・・
<感想>
著者得意の群像小説。確かにこれは池上氏自身が描いた「レキオス」を超えた作品と言えよう。
その「レキオス」というのも、ずいぶん前の作品だが、従来のSF小説や伝奇小説を超えたノンストップアクション小説であった。それをページ数ではるかに超え、しかも内容までもをさらに濃密にした作品がこの「ジャングリ・ラ」である。
細かい事を言えば、欠点や短所は多々あると言えるのかもしれない。しかし、その短所を打ち消すスピード感と圧倒的な物語の力強さが全てを受け入れさせてしまうのである。まるでバベルの塔を思わせるような建築物“アトラス”を中心とし、地球温暖化防止、炭素削減命令、さまざまな金融政策に格差社会と、これでもかと言わんばかりの設定を内包させている。
さらには、濃いキャラクターが目白押し。主人公と言える反政府ゲリラの総統でセーラー服姿でブーメランをふるう國子。その母親役で父親役でもあるニューハーフのモモコ。彼女たちを筆頭に、さまざまな人物たちが登場し、交わり合い、物語を形成していく。そうしたなかで、徐々にアトラスにまつわる秘密が明らかになってくる。
もう内容の細かいことはどうでもいいのだが、登場人物たちが詳細な設定など関係ないとばかりに、自分勝手にわがままに動き出しているのではないかと錯覚してしまうほど生き生きと活動しているのである。そして、ちょい役としか思えないような登場人物までもが、物語の最後まで自身を主張したりと、まさに最後まで読まなければ何がどうなるかが読めない状況。通常、こうしたメチャクチャとも言えるような作品は好きになれないのだが、この作品はメチャクチャにも関わらず、物語を決して壊さずにむしろうまく生かしながら展開させているところが見事と言えよう。
読みやすい作品なのであるが、ページ数文字数共に多いので読み終えるには長い時間がかかった(購入して以来、読み始めるまでにもずいぶん時間がかかった)。それでもこれは読んでよかったと思える一冊であったことは間違いない。ただ、これよりもさらに長そうな「テンペスト」についてはどうするかは考え中。
虐殺器官
2007年06月 早川書房 ハヤカワSF Jコレクション
<内容>
世界中でテロが激化するなか、アメリカはテロを掃討するべく暗殺機関を設立した。その機関で自身について悩みつつも任務を遂行し続けるシェパード大尉。今回、彼らが狙うのは各地でテロ活動を行う中心人物とされているジョン・ポールという男であるのだが・・・・・・
<感想>
暗殺を行う“組織”を描いているにもかかわらず、個人の事のみに終始している作品と思えた。SF小説ならではの描写はハードSFともいえるほど緻密に描かれているのだが、総合的に見ると人の内面や生死を描いた精神的なSF作品となっている。
全体的に見てみると、うまく書かれたSF作品といえるのであろうが、どうも私自身は作品にのめりこむことができなかった。主人公が個人の感情のみに収束していくというのはまだよいとしても、その個人的な考えによって組織構成員としての任務がおろそかになってしまうのはどうかと思われる。どう考えても当の暗殺するべき人物と長々と話をするというのは越権ともいえるし、ましてや相手の思想に飲み込まれてしまうであろうというのが見え見えなので、そういう場面を目の当たりにしてしまうと、ふと物語から覚めてしまう。そして、それが最後の戦闘にあまりにもわかりやすく影響が出てしまうというのもいかがなものかと思われる。
と、そんな感じでSFとしてはうまくできていると思われるが、面白いか面白くないかというのは主人公の行動に共感できるかできないかにかかっているようにも思われる。できれば次作は主人公の内面に踏み込まない方向の作品を・・・・・・というのを期待したい。
ハーモニー
2008年12月 早川書房 ハヤカワSF Jコレクション
<内容>
21世紀後半、世界は“大災禍”という危機を経て、医療革命を起こしていた。人間の体内に常時監視する装置を埋め込むことにより、人類は病気をほぼ絶滅させることに成功する。そんな世界の中でひとりの少女ミァハは、統一された世界に不満を持ち、友人のトァンとキアンの二人に自殺を試みる事をもちかける。しかし、自殺に成功したのはミァハだけで、トァンとキアンは生き延びることに。
そして以後、トァンらはミァハの死がきっかけとなった統一された世界の変容を目の当たりにすることに・・・・・・
<感想>
伊藤氏の最初の作品「虐殺器官」はわかりにくく、あまり面白い作品とは思えなかったのだが、この「ハーモニー」は前作と比べると格段にわかりやすく、読みやすいと感じられた。内容の行き着くところはともかくとして、うまく描けているSF作品であると思われる。
本書においてメインとなるのは、統一され、無毒化された世界というもの。意図的に人類全てを監視することによって、人々の健康を守るというシステムが構築されている。ただ、そういった世界というのは想像できるとおり、精神面までが健全であるとは決して言えない。
いや、ある時点までは精神的にも統一された世界と言えたのかもしれないが、そこに異分子となる“ミァハ”という存在によって世界が大きく変容していくこととなる。
この作品を見ると、統一された世界というものは、いかにテロなどといった悪意のある攻撃に対してもろいかということを思い知らされる。統一した意思というのはある意味便利という側面があるようにも思えるが、決して万能でもないということが感じ取れる。この事象については身近なシステムなどさまざまなものに置き換えることができるであろう。
なんとなく物語としては、大きな世界であるにもかかわらず小さな世界のなかだけで収束されてしまったという気がしなくもない。ただ、小さな世界にとどめたからこそ、わかりやすくまとめられていたというようにもとることができる。この物語についての結論というものは決して出すことはできないものの、色々と考えさせられたということは事実である。
今回の作品に触れることにより、今後も伊藤氏の作品にどんどんと触れてゆきたいと思っていたのだが、驚いたことに伊藤氏が今年の2009年3月に亡くなっていたという事をあとから知った。闘病生活を経てということで、突然のことではなかったらしいが34歳という年齢では早すぎる死だと言えよう。冥福を祈るとともに、今後新たな作品を読むことができないのが残念でならない。
屍者の帝国
2012年08月 河出書房新社 単行本
2014年11月 河出書房新社 河出文庫
<内容>
19世紀末、屍者復活の技術がヨーロッパに普及していった世界。医学生であるジョン・ワトソンは、ウォルシンガム機関に所属するヴァン・ヘルシングの命により、諜報員としてアフガニスタンへと潜入する。彼の任務は、多数の屍者を連れて、王国を築こうとするカラマーゾフの動向を探るというもの。ワトソンは屍者の世界に関わっていくうちに、その深淵の謎へと迫ってゆくこととなり・・・・・・
<感想>
伊藤計劃氏がプロローグと企画用プロットのみを残していたものを、円城塔氏が作品として完成させた小説。文庫になるのを待って、ようやく手を付けることとなったのだが、今となっては映画化された作品のほうが話題になっているよう。
思っていたよりは読みやすかったのだが、全編読み終えて何か残るものがあるかというと、「うーん」とうなり声が出るのみ。シャーロック・ホームズで有名なワトソンが主人公であるが、彼を主人公にした意味があるのかどうか微妙。ただ、ワトソンをはじめとして、物語上の人物や史実の人物を登場させることによって、物語に取っ付きやすくなっていったのは事実である。ただ、それらの登場人物をもう少し物語上に活かせてもらいたかったところ。
設定については十分面白いものだと思えた。人間そのものや、ロボットなどを扱って、人間とは? 魂とは? と考える作品は多数あると思われるが、死者を主題として生命について考えるというのは新しい試みであろう。“屍者”をよみがえらせ、労働力として使う技術が発達した世界を築き上げたことこそが、本書の一番の収穫であると言えるかもしれない。
本来ならば、その屍者から、どういったものを結論付けるかということに注目がわくはずなのであるが、最終的に話があいまいになっていったように思える。それどころか、物語の途中から、しばし目的を見失いがちと感じられてしまった。その辺の物語の流れについては、伊藤氏の考え全てを円城氏が継ぐことができたわけではないので、曖昧になってもいたしかたないところか。円城氏についても、あまり自分勝手に物語に結論付けるのはためらわれたのかもしれない。そうしたことを考えると、このような物語の流れになっても致し方ないところか。
冬至草
2006年06月 早川書房 ハヤカワSFシリーズ Jコレクション
<内容>
「希望ホヤ」
「冬至草」
「月の・・・・」
「デ・ムーア事件」
「目をとじるまでの短い間」
「アブサルティに関する評伝」
<感想>
医学者として勤務しつつ作品を書き続けてきた著者が、1999年から発表してきた作品を集めたSF医学作品集。
一応、SF医学作品集などと書いてみたが、実際にはSFと医学小説の間に位置するような内容の小説と感じられた。もしくは、医学フィクション小説と言ってしまってもいいのかもしれない。どの作品も厳密にSFというようには思えなかったのだが、そういった雰囲気は持った小説であることは間違いない。また、よくよく考えるとSFというのはサイエンス・フィクションの略なのだから、この作品集もSFと言い切っても特に問題はないのだろう。
本書で描かれている作品は、主人公が研究者や医者という特異な立場についてはいるのだが、そのどれもが世間一般に密接したような内容となっているので、どこか身近で起きているような出来事と感じられた。よって、身近なところで起こりえるようなSFとしてそのどれもがとても興味深く読むことができるものとなっている。また、帯に書かれている「科学という狂気、生命という虚構」という言葉がこの作品集の全てを表現していると思える。
「希望ホヤ」
これは昔見た映画「ロレンツオのオイル」という作品がモチーフになっているのではないかと思われる。治療できない難病の謎を、一介のサラリーマンが解き明かそうとするもの。ただし、映画とは異なり、ちょっと皮肉めいた終わり方をしているところが特徴か。
「冬至草」
過酷な地域で珍しい植物の研究を行う様子が、鬼気迫る描写で表されている作品。その植物自体が単なるものではなく、人の血液に関連性があったり、兵器開発と関わりをも含めて描かれている。植物のはかなさとはうらはらに、人間のすさまじさを感じ取れる作品。
「月の・・・・」
右手に月が見えるようになった男について、精神医療の面を含めて描いた作品。とはいえ、医学小説というよりは幻想譚。
「デ・ムーア事件」
火の玉が見えるという患者の様子を科学的な面から調査してゆく作品。ドキュメンタリーのような内容となっているのだが、最終的には生物兵器やバイオ・ハザードといったような内容に大きく広げて書かれている。とはいっても、あくまでドキュメンタリー形式なので淡々と描かれているのだが。
「目をとじるまでの短い間」
この作品はSFから離れて、完全に医療小説という作品として独立している。寒村で行われる医療について、医者の視点によって鬱々と描かれた作品。
「アブサルティに関する評伝」
とある科学者について描かれた作品なのであるが、そこには科学者が行うデータの捏造というものが重要なテーマとして描かれている。読んだ限りではこれは実際にありそうな話であり、現場で働いている人に聞いてみれば色々なことがわかりそうな話でもある。