いまさらながら『葉桜の季節に君を想うということ』について考えてみる
2004/6/3




2004年版「このミステリーがすごい!」第1位
2004本格ミステリ・ベスト10 第1位
2004年 第四回本格ミステリ大賞受賞
平成16年度 第57回日本推理作家協会賞受賞


 と、2003年3月に発売された本が1年経った今でもまだブレイクした状態が続いている。本書がここまで褒め称えられ、もてはやされる理由はいったい何だろうと色々と考えてみた。

「葉桜」が多くの賞を受賞し、多くの賛同を得た理由の一つには“サプライズ小説”であるという点が大きいと考えられる。「葉桜」は実に“わかりやすい驚き”を読者に提供してくれる。ミステリというものは、緻密さや整合性、トリックなどといろいろなものが求められるものであるが、その中でも重要な位置を占めるものとして“驚き”というものがあると思う。
 かく言う私も、こういったサプライズ性の高いミステリが好きで、「時計館の殺人」「人狼城の恐怖」「眩暈」などといった作品を好んでいる(←別に今挙げた小説はサプライズ性だけで成り立っているわけではない)。

 そういう観点から「葉桜」というのは非常に好まれやすい、かつわかり易いタイプの小説であるがゆえに、多くの人に支持されたのではないだろうかと考える。



 また、他に考えられる事として時代性というものがあげてみたい。島田荘司氏が書いた「占星術殺人事件」は、出版されるのが早すぎたと言われる作品であることは有名である。それに対して歌野氏の「葉桜」は調度良い時代に出版された本と言うことができるのではないだろうか。

 本格ミステリ・ブームに火が付いてから数年が経つ。その中で本格ミステリというもの自体が大きく様変わりしてきた。その転換期といえば、京極夏彦氏、森博嗣氏、西澤保彦氏などが新たなタイプの本格ミステリを世に送り出し始めた時期からではないだろうか。その頃から、東野圭吾氏が言う「枠を広げたミステリ」(←だいたいこのような言葉だったと思う)というものが巷にあふれるようになってきた。 その後、新本格の第1世代、第2世代といわれた作家たちが停滞期に入り、次の作品を出すのに多くの時間を費やすようになったころから、こうした“ミステリの多様化”というものが進み始めたのだと思う。

 さらにミステリが多様化してきた時期に一大ジャンルを築かんと、最近になり出てきたのが“脱格”“変格”などと一部で呼ばれ始めている(←まだ定着したものではないと思う)ものである。これらに対しては本格ミステリ云々というよりも、エンターテイメント作品と呼ぶべき見方もあると思うのだが、あまりにもミステリが多様化されたために、その辺の境目があいまいになり、明確な境界を設けるのはもはや不可能になっていると感じられる。

 こういう状況の中で出版されたのが『葉桜の季節に君を想うということ』である。この作品は“ミステリが多様化された”この時期に発表されたミステリの中における“頂点”というべき本なのではないだろうか。“頂点”というべき言葉はいささか乱暴かもしれないが、それは少なくとも“分岐点”という言い方をふまえたものととらえてもらいたい。

 何ゆえ、ここで“頂点”という言い方をしたのかというと、これから先“ミステリが多様化された時代”というものが終焉しつつあるのではないかという危惧を感じたからである。
 それは何故かといえばこのジャンルにおいて「葉桜」を超える“サプライズ小説”というものを出すのはもはや難しいだろうと考えるからである。たぶん今の“多様化されたミステリ”において、今後出てくるサプライズ性を持った本格ミステリは必ずや「葉桜」と比べられるだろう。いわゆる“葉桜”以後となりうるわけである。

 勝手ながら突っ込んで考えてみると、各賞で「葉桜」が選ばれたのは今の“多様化されたミステリ”の時代を終焉させようという動きのようにも感じられるのである。これは別に各賞に投票・選考した人たちがそのような事を考えて選んだわけではないだろう。しかし、この「葉桜」にたいする大きな流れともいえる現象が、本格ミステリ界における大きな動きを予感させるのである。

 今後、ミステリがどのような方向に進むのかということまでは予想できないのであるが、少なくともこれから出版される本格ミステリには“葉桜”以後という冠がつけられてもおかしくはないと思える。現に2004年の今年に出た乾くるみ氏の「イニシエーション・ラブ」などは“葉桜以後”という言葉がふさわしいように私には感じられた。



 どうも書いているうちに論点がずれてしまったような気がする。なおかつ、書いていることは今さらここで言うまでもなく、いろいろといわれ続けていることがほとんどのような気がしてならない。
 とはいいつつも今年出版された、乾氏の「イニシエーション・ラブ」、貫井氏の「さよならの代わりに」などを読むと“ミステリの多様化”とか、“ミステリの定義”などという言葉についていろいろと考えたくなってしまうのである。
 結論が出る事柄ではないのだが、今後の本格ミステリの流れを追ってゆきながらいろいろと考え続けてみたいと思う。そうする中において、今の私にはどうしても頭の中にある“葉桜以後”という言葉を切り離すことができないでいるのである。







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