<内容>
高校に入学した折木奉太郎は無気力なままで学校生活を過ごしていた。そんな中、海外旅行している姉からの手紙により、「古典部」に入部することに。入部と言っても部員が誰もいなく、部の存続のために入ったつもりであったのだが、すでに千反田えるという同級生の女子が入部していた。そして、いつのまにやら部員も増え、“古典部”は文化祭に向けて文集を出す準備を始めることに。皆が昔の文集を調べているうちに、「氷菓」という謎のタイトルの文集の事がとりざたされ・・・・・・
<感想>
薄いページの本ながら、それなりにミステリーしていたと思われた。序盤はちょっとした日常の謎を短編小説風に暴いていき、後半では過去の文化祭にまつわる謎を解明するという構成はよくできていると感じられた。また、学校内を主体に繰り広げられる物語や、少数の生徒が「古典部」という怪しげな響きの部活を復活させてという展開なども含めて、青春小説としても楽しめる内容となっている。
米澤氏の本はこれが最初ではなく、3冊目となり、先に「いちごタルト」を読んでいるのだが、ある意味本書は「いちごタルト」とは対をなす学園ミステリーであるといえるであろう。両者の相違を比べながら読んでみるとよりいっそう楽しめると思われる。
これは中学、高校生くらいに是非ともお薦めしたい本。ちょっとした読書に最適。
<内容>
古典部の部員達は部長となった千反田えるの誘いにより、2年F組が文化祭のために作成したという映画を鑑賞することになった。その映画はミステリー仕立てになっているものの、中途半端なところで終わっていた。話によれば、脚本を書いていた生徒が倒れ入院してしまったために、撮影が続けられなくなったというのだ。古典部の部員達は映画のできているところから犯人を推理してもらいたいと頼まれるのだが・・・・・・
<感想>
前作のようにユルユルとした学生生活ならではのミステリーが展開されるのかと思いきや、序盤からすぐに本題に入り、なんと今回は映画を扱ったミステリーが描かれている。映画のミステリーというと、我孫子武丸氏の「探偵映画」が思い浮かんでくる。まぁ、映画といっても、文化祭の出し物として作られたショートムービーなのだから、流れとしては案外自然なのかもしれない。それどころか、学生生活ならではの展開といってもよいのであろう。
で、内容はどうかと言えば、なかなか楽しませてくれるミステリーに仕上がっている。ただ、本書の中で自称ミステリ・マニアの人が一つの解を出すのだが、ミステリ・マニアであれば主人公が思いついた結論が真っ先に出てきてもよいのではとも感じられた。
読み終えて解説を読んで初めて気がついたのが、本書がバークリーの「毒入りチョコレート事件」を意識した作品であると言う事。確かに言われてみればなるほどとうなずける。ライトノベルズ系の「毒入りチョコレート事件」、もしくは「毒入りチョコレート事件」を読む前段としての作品という位置付けで考えれば、本書はミステリー初心者向きの良書といえるのだろう。
最後にひとつ注文を付けるとすれば、最後の最後でもうひとつ大きなオチを付けてくれれば、すごい作品になったと思うのだが・・・・・・とはいっても、そういうのが狙いとして書かれているわけではないと言う事はわかっているのだが。
<内容>
高校3年、弓道部に所属する守屋は同級生の太刀洗と雨の中、学校から帰る途中、雨宿りする外国人の少女と出会う。彼女はマーヤといい、ユーゴスラヴィアという国からやってきたと語る。守屋たちはその不思議な少女と数ヶ月の日々を過ごすことになるのだが・・・・・・
<感想>
ユーゴスラヴィアと言われてもピンとはこない。思い出すのはせいぜい、有名だったサッカー選手の名前やワールドカップで日本と戦った国の名前とかそれくらいである。どこにあるのか、どんな人々が住んでいるのかもわからない、そんな日本とはかけ離れた国から来た少女が一つの物語を創ることとなる。
読んでいるときはミステリ風だと感じた。冒頭を読んだときには、ちょっとエキセントリックな謎解きなのかと思ったのだがそんなことはなかった。物語は少年少女たちの日常が青春小説のように語られてゆく。その少年少女たちの様相が何かを探しているかのように日々を過ごしているように感じられたことがミステリ風と思えた一因かもしれない。また、物語の途中ではさまれる“休憩”という章では、“ゲーデル問題”のようなものが語りかけられ、やはり本書はミステリなのかと考えた。
しかし、最後まで読み終えたときには、本書がミステリだという印象は消えてしまった。やはりこれは一つの物語として語られたものなのだろうと思う。それは実に不思議な余韻を残す物語であった。そして本書を読み終えたとき、この本のタイトルのふさわしさに感じ入ってしまった。
<内容>
僕、小鳩常悟朗と小佐内さんは高校に入ったら他の人たちから見て目立たない“小市民”になろうと約束した。しかし、そんな二人の誓いを嘲笑うかのように彼らは数々の事件に巻き込まれることに。そしてある日、春期限定のいちごタルトをつんだまま小佐内さんの自転車が盗まれてしまい・・・・・・
<感想>
私は中学生の頃には本格的に推理小説を読み始めていた。そうした中で探偵の存在とはあこがれの存在であったような気がする。とはいえ、それはあくまでも本の中の話であり、日常の中で推理を発揮する場面があったり、物語に出てくる探偵のような人物が現われたりという事は当然のごとくありえなかったわけである。もしも、実生活の中にこうした探偵めいた人物が出てきたとしたら、どう感じられるのだろうか。
と、本書を読んでこういった事をつい考えてしまった。今年読んだ別の本で「本格推理委員会」というものがあったのだが、そちらも本書と似たような感じで探偵役のものが煮え切らない感じで、遅々として話が進まないという展開であった。こういった本を続けざまに読むと学生生活の中で探偵が存在するということはありえないもの、もしくは望まれないものなのかなぁと考えてしまう。
逆に考えてみれば探偵という家業はナイーブで普通の人間には向かないということが言えるのかもしれない。探偵としてやっていくには二通りの人物像、一つは“最強の人格者”、もう一つは“無敵の恥知らず”、そのどちらかでないといけないのだろう。なかなかどうして学生探偵をやっていくのも大変な事であるようだ。
といった煮え切らない設定で本書は終始進められてゆく。ただ、全体的にミステリーとしても弱いと思うし、謎を解く根拠も弱いかなと思われる。あくまでも本書は学園ミステリーの雰囲気を楽しむための一冊といったところのようだ。ちょっとぬるめの現代っ子の探偵物語を楽しんでもらいたい。
でも創元推理文庫でこういう種類の本を出すなんて時代も変わりつつあるなぁ。
<内容>
文化祭が始まり古典部では予定通り文集の発行を間に合わせ、いざ本番となったのだが印刷屋から届いた文集の数は予定外の200部。少しでもさばききろうと、古典部の四人はそれぞれいろいろな策を練ろうとするのだが・・・・・・
そんな学園祭のさなか各参加団体の中で、ちょっとした小物の消失事件が起きていた。しかも「十文字」を名乗る者からの犯行声明付きという手の込みよう。この学園祭でいったいどのような事件が起こっているのか??
<感想>
これは「氷菓」「愚者のエンドロール」と順番に読んでおいて正解であった。前2作にて語られていた学園祭がようやく本番当日を迎えるのがこの作品。ゆえに、本書はこの時点では古典部シリーズの集大成ともいえるべき作品となっている。
本書はミステリーというには少々弱いと思われる作品。一応、物語の中で事件が起きるものの、その意味や本題なども話が進んでいかなければ全貌が見えてこなく、かつ、あくまでも物語主体の中での流れにおいての謎解きというようなものと受け取れる。
よって、本書は「氷菓」から続く一連の学園祭までの流れを描いた物語のひとつという風にとるべきものなのであろう。よって、ミステリー的な要素もあくまでもその物語の流れの中に組み込まれるものであると考えたほうが自然のように思えた。
ただ単にミステリー作品を読む、と言う風にとらえずに古典部シリーズの続き物として楽しむべき内容であると思える。まだ、このシリーズを読んでいない人は是非とも「氷菓」から3作品まとめて読んでもらいたい。
<内容>
紺屋(こうや)は東京で働いていたものの、体調を崩し地元に戻らざるをえない羽目になってしまった。紺屋は知人の薦めもあり、心機一転して個人での自営業を行う事にした。それも犬捜し専門の探偵事務所を。
その探偵事務所を開いたとたんに依頼が舞い込んできたのだが、なんとその内容は人捜し。他にすることもないので受ける事にした紺屋。そしてさらには後輩が雇ってくれと事務所を訪ねてきたり、村の古文書の解読を頼まれたりと、いろいろな厄介ごとが舞い込んでくるのだが・・・・・・
<感想>
今までの米澤氏の作品と言えば、学生が主人公の青春ものばかり。それが本書では打って変わって、大人が主人公のハードボイルドのような内容のものとなっている。
本書で面白いのは「犬はどこだ」というタイトルにあるように犬捜し専門の探偵事務所を始めたにも関わらず、そのような仕事は来ずに、普通の探偵事務所に来るような依頼ばかりが舞い込んでくるという事。そしてその依頼というのは人捜しと古文書の解読。“古文書の解読”というと、どうも“古典部シリーズ”あたりを思い起こしてしまい、またかという気分にさせられてしまう。この辺は、あえてもっと違った作風を狙ってもよかったのではないかと思う。また、人捜しのほうを主人公が受け持ち、古文書の解読のほうを後輩の半田にまかせて、二通りの視点から物語が語られていくという構成も微妙と感じた。これに関しては、もし“犬捜し探偵”がシリーズ化するのであれば、それなりの効果といえるのかもしれないが、本書一冊かぎりではいかんせん何ともいえない。
と、構成に関してはいろいろと述べたい事もあるのだが、内容、特にその結末に関してはなかなかと言える様なものであった。結局のところ、本書ではこの一連の物語に対してどのように結末をつけるのかと言う事が大きなポイントであると思えたのだが、それがなかなか意外な方向から攻めてくるようなものとなっており、これはなかなか驚かされた。
確かにこの締め方ならば、タイトルの“犬はどこだ”という言葉にも意味合いが出てくると言うものである。なかなか傑作のハードボイルド・ミステリーであった。
<内容>
小市民として日々を平穏に過ごそうと決めている小鳩と小佐内。高校二年の夏休み、小鳩は小佐内に誘われるがままに“小佐内スウィーツコレクション・夏”と命名された甘いもの巡りに付き合うことに。そんな緩やかな日々を送るはずであったのが、いつのまにやら二人は不穏な事件に巻き込まれてしまう事に!?
<感想>
まさか出るとは思っていなかった“小市民シリーズ”第二弾。とはいえ、前作がなかなか好調な売り上げであったとのことなので、2作目が出るのも必然といってもよいのであろう。ということで、読んでみたのだが、今作は前作に増して良い作品となっている。
本書の構成は、連作短編のような形式をとっており、小さい事件がいくつか起きて、そしてそれらに関連する大きな事件が最後の起こるというもの。全体を通して見てみると、実は小さなエピソードのひとつひとつが一つの話に結びついているという構成はなかなか良く出来ていると感じられた。
そして内容においても、悪意に満ちたような真相のひねり具合がなんともいえないものとなっている。米澤氏の作品で言えば本書は「犬はどこだ」に通ずるものがあると感じられた。ただ単に、謎を解いていくというだけではなく、その裏に秘められた関係者達の感情のひねり具合によって、よりいっそうミステリ的なものを際立たせている。
これは単なる人気だけではなく、ひとつの作品として大いに指示されるのではないだろうか。ということは第三弾の“秋期”が出ることも確実か!? とはいえ、今回の作品の終わり方では次がでるのかどうなのか・・・・・・このまま終わってしまっても気になるところではあるのだが。
<内容>
嵯峨野リョウは二年前に諏訪ノゾミが死んだ場所へとやってきた。その場所に着くとすぐに家から電話がかかってきて、寝たきりの兄が死んだことを知らされる。タイミングが悪いと思いつつも、すぐに引き返そうとしたリョウであったが、ノゾミが死んだ崖っぷちから転落してしまうはめに・・・・・・
ふと気がつくと、そこは落ちた崖からは、かなり距離の離れた自宅の近くであった。そしてリョウは自分がたどり着いたのは、自分が生きていた世界とは異なる並行世界であることに気がつくことになり・・・・・
<感想>
本書はミステリーというよりは、もう完全に青春小説としての比重のほうが高い作品といえるであろう。しかも、その青春小説としての内容がかなり痛々しいものとなっている。
主人公は自分が存在する世界とは別の並列世界へやってきてしまい、そこで自分が生きている世界とこの世界とを比較してゆくこととなる。
昔、ブルーハーツの歌で、世界が歪んでいるのは自分自身のせいかもしれない、というような歌詞の歌があったのだが、本書を読んでいて、思わずその歌を思い出してしまった。
本書を読んでいただければわかるのだが、書き方によっては主人公によって良い感情をあたえることができる内容を、あえて痛々しさや悪意のみを抽出して作り上げている。この本のラストでの終わり方だけに留まらず、もう少し主人公の行く末を見守りたかったのだが・・・・・・
<内容>
条件はいいものの、やけに胡散臭い内容のアルバイト広告。さまざまな思惑を抱え、集まったメンバーは12人。彼らは一週間、とあるルールのもとで閉ざされたスペースの中で生活することとなった。そのルールとは、条件付の殺人ゲームであった!!
<感想>
本書の設定を見て感じたのは、今年の初旬に出版された関田涙氏の「晩餐は『檻』のなかで」。この作品も「晩餐」と似たような建物の中で、行われつつある犯罪を探偵役が推理をしていくというルールで物語が展開されてゆく。
その設定だけを聞くと、最近よく見られる“殺人ゲームもの”を想像すると思うが、本書では少々変わった趣向がとられている。それは“アンチミステリー”という思考。この物語の中ではいかにも過去のミステリ作品をほうふつさせるようなさまざまな小道具が登場するものの、それらについてはさほど言及されないまま、さらりと流されて話が進行してゆく。さらには主人公自身が意図的に“ミステリのお約束”を裏切るという行動を取り続ける。そういった感じで、通常のミステリ作品とは多少異なる雰囲気を味わうことのできるものとなっている。
ただし、いくら“ミステリ的お約束”の展開を否定しようとも、全体的に行われていることは通常のミステリ作品そのものであることは間違いない。ゆえに瑣末な部分(読む人によっては瑣末と思えないかもしれないが)を取り除いてしまえば、普通の“殺人ゲーム”が行われている作品でしかないともいえる。
とはいえ、普通のミステリ作品としてみても十分読むに応える作品に仕上げられていると感じられた。特に最後の数字の計算により犯人の動機にせまっていくというクライマックスは圧巻であった。なにはともあれ、読んで損のない堂々とした“ミステリ作品”であると宣言しておきたい。
<内容>
「やるべきことなら手短に」
「大罪を犯す」
「正体見たり」
「心あたりのある者は」
「あきましておめでとう」
「手作りチョコレート事件」
「遠まわりする雛」
<感想>
古典部シリーズの短編集。ミステリとしてもとらえられないことはないのだが、それよりも長編作品の補完的な古典部外伝という趣が強いように感じられる。もしくは、この作品一冊で、古典部の一年間をあますことなく紹介しているようにも思えるので、一冊の長編としても見ることができる作品である。
このシリーズの見所の一つは、現代における部活動がテーマとなっているにも関わらず、伝統や昔の習慣といった懐かしさを感じることができる背景にあるのではないだろうか。何故か本書を読んでいても、現代チックな若者像というものを感じ取ることができず、現代の中に古臭さというものが残されていて、それが非常に心地よいもののように感じられるのである。このシリーズを読み続けている人は、こういった雰囲気に惹かれるという人も多いのではないだろうか。
本書はミステリとしてはどれも薄味であったと思われる。その多くは学園の中でのちょっとした事件を扱ったもの。変わったものとしては旅館での幽霊騒動を描いた「正体見たり」ぐらいであろうか。「心あたりのある者は」は別のアンソロジーでも読んでいたのだが、再読しても無理やりという感が薄まることはなかった。
ただ、古典部の人間関係を表すといううえでは、それぞれがうまく描かれているというようにも感じられた。「あきましておめでとう」は一見、希薄なような人間関係にみえながらも、実はそれなりの友情でつながっているということが垣間見える一作。
また、「手作りチョコレート事件」を読んだときには、なんだこの結末はと思ったのだが、次の「遠まわりする雛」でうまくそれが補完されていたりと感心させられたりもする。
こういして一冊全てを見渡してみると、古典部を描く物語としてはうまく描かれているんだなぁと改めて思いなおしてしまうような作品集であった。
<内容>
「身内に不幸がありまして」
「北の館の罪人」
「山荘秘聞」
「玉野五十鈴の誉れ」
「儚い羊たちの晩餐」
<感想>
米澤氏による短編集。ミステリ短編集というよりは、ホラー短編集という趣が強いように感じられた。
それぞれが独立した短編作品となっているが共通項がいくつかあり、女性が主人公、資産家の屋敷、“バベルの会”というものが挙げられる。
「身内に不幸がありまして」は、他のアンソロジー集で読んだ事があり既読。昭和のミステリ作品を思わせるような内容と雰囲気がマッチした作品。タイトルに付けられている一言がラストで大きな効果を挙げている。
「北の館の罪人」は資産家の館で働く事になった女性の視点から、その館に閉じ込められている人物の謎について言及していく内容となっている。これもまたうまくどんでん返しが用いられた作品といえよう。館に閉じ込められている人物の不可解な買い物という謎だけにとどまらず、資産家の家族全体を前面に押し出してくるような終盤の展開が見事である。
「山荘秘聞」は山の中の山荘の管理をまかされた女性の物語。いかにもという展開がなされながらも、読者の予想をうわまわる展開に裏切られることとなる。極めて現実的な主人公による現実的な作品。
「玉野五十鈴の誉れ」は資産家の娘とその使用人の娘との物語。ということで、設定は「身内に不幸がありまして」に似ているのだが、全く異なる話の展開が繰り広げられる。物語の流れとしては平凡のように思えるのだが、最後に口にされる一言については、本書のなかで一番薄ら寒くなる一言であった。
「儚い羊たちの晩餐」は海外の「料理人」という作品を思わせるような内容。ただ、ちょっと幻想的すぎる内容になってしまったかと思われる。特にこの作品では他の作品のなかに出てきた“バベルの会”そのものについて言及してるせいもあってか、他とは少々趣の異なるもとのなってしまったと感じられた。他の作品に比べると食い足りない気もするのだが、一連の物語の結末をつけるうえでは必然とも言えよう。
<内容>
小鳩や小佐内らが通う船戸高校の新聞部で揉め事が起きていた。新入部員の瓜野は学校外の事件なども積極的に取り入れたがったのだが、部長の堂島に反対されて、なかなか思うように活動ができなかった。そんなとき、船戸高校の周辺でいくつかの放火事件が起こる。瓜野はそれらの放火事件を同じ人物による連続放火と断定し、新聞の記事にするために調査を行い始める。そんな折、瓜野の前に現れたのが小佐内で、二人は突然つきあい始めることに。そして小鳩もまた、別の女の子から告白され・・・・・・
放火事件の行方はどうなるのか? また、小鳩と小佐内との関係の行方は!?
<感想>
シリーズ第三弾として、今回は“秋期限定”ということで始まった物語なのだが、すぐに冬になってしまう。それなのに“秋期限定”って・・・・・・と思ったら、今作は日々の経過がものすごく早く描かれている。今回は上下合わせての作品となるのだが、なんとそのなかで時間が一年経過してしまうのである。話自体は決してスピーディーというほどのものではないのだが、一年が経つのなんてあっという間と言わんばかりに時間が経過してゆく。
そして今回の物語であるが、個人的にはあまり好きになれない内容。というのは、今作での中心人物となる瓜野が批判をあびそうなキャラクターではあるものの、それよりも主人公の小鳩と小佐内の言動のほうが鼻に付くというか、気に入らなかった。
瓜野という人物は独断専行型であり、周囲を省みないで自己中心的に突っ走ってゆくタイプである。しかも自分自身を出来る人間だと思い込んでいる。というように、近くにいるとはた迷惑なキャラクターであるのだが、物語の全てが終わってみると、なんとなく彼に同情的になってしまうのである。
小鳩や小佐内の言動を見てみると、失敗する事がかっこ悪いというか、小市民だと名乗りつつも(実際のところそうではないことに気づいてはいるようだが)周囲の人を見下している態度といい、そちらのほうがどうかと思ってしまう。
まぁ、瓜野君は今回の事件のことなど気にせずに立ち直ってくれればと願っている。そういった失敗を繰り返すことによって、うまくいけばより心の大きな人間になっていくのではないかと思っているのだが、どうだろうか。
ということで、ミステリ的な内容については何も語らずに終わってしまったが、実際のところ今作はミステリとしてはかなり薄めであったかのように思われる。小鳩が披露する論理的思考についても、部分的に飛躍しすぎていたようにも感じられた。
と、そんなこんなで個人的な感情の面からいうと、今作はあまり好きになれなかったかなというところ。
<内容>
菅生芳光は父親が亡くなったために、大学を休学することとなり、古書店を営む伯父の家に居候し、仕事を手伝うという日々を過ごしていた。ある日、古書店に父親が生前に書いた5つの短編作品を探してもらいたいと依頼する女性が現れる。芳光は報酬にひかれ、伯父に内緒でその仕事を引き受ける。調べているうちに、当の作家が生前にある事件に関わっていた事がわかり・・・・・・
<感想>
文学とミステリの狭間を漂う意欲的な挑戦作。
本書はミステリ作品というよりも、ある種文学作品に近いような印象を受けた。しかし、話が進むにつれて過去に起きた事件の真相が暴かれてゆくこととなり、これを考えるとミステリとも言えなくもない。ただし、その真相が明らかになるのは、推理とか捜査ではなく、発見される小説の内容によって徐々に真実が暴き出されるという形態なのである。このような作品は類を見ないように思えたので、一概にミステリと呼んでもよいのか迷ってしまった。
内容は、とある男が生前描いた5つの作品によって、過去に起きた事件の真相が徐々に明らかになってゆくというもの。ただし、それぞれの小説に直接的に真相が語られているというわけでは決してなく、比喩的間接的にそれとなく事件で起きたときの心理状況がうかがえるという程度のものである。そこから主人公は、現実に何が起きたのかを推測してみることとなる。
それは直接的ではないゆえに、決してすっきりする解決とはいえないのだが、書いた者、読んだもの双方の紆余曲折的な感情が入り乱れることにより、話を複雑にしつつも内容に深みを持たせているようにさえ感じ取れるのである。
また、本書で注目すべき点は主人公たる青年が普通の心理状況ではなく、故郷を離れ伯父のもとに居候しているというやるせない状況にあること。こうしたなか、どこか短編を書いた作家の苦悩とだぶるように思われ、主人公が苦悩に絡め取られるように、真相へとたどり着かないわけにはいかないという奇妙な欲求さえもを感じ取れるのである。
著者の米澤氏はライトノベルスからデビューした作家であり、現在も“小市民シリーズ”といったライト系の作品も書いているが、この作品を読めば決して軽めの小説を書くだけの作家ではないということが理解できるであろう。本書は米澤氏の作家生活途上における、重要な通過点、もしくはある種の到達点といっても過言ではないであろう。
<内容>
高校2年生となった古典部に所属する折木奉太郎。彼を含めた古典部の面々は他の部活と同様に新入生の勧誘を行っていた。そうしてようやく一名、大日向友子が入部するはずだったのだが・・・・・・ある日急に部には入らないと言いだした。奉太郎は学校行事である20kmのマラソン大会を行いつつ、そこで大日向の真意をただそうとするのであるが・・・・・・
<感想>
古典部シリーズ久々の長編。米澤氏にとってはデビュー作となるシリーズで、本書はその第5作目であり、これらは著者にとっても主たるシリーズのひとつと言えよう。とは言いつつも、そんなに肩肘はって読むような作品ではなく、気軽に手にとって読んでもらいたい作品である。
近年、米澤氏もいろいろな作品を書き、一般的な知名度はどうかはわからないが、ミステリ界では流行作家のひとりと言っても過言ではないだろう。ただ、そうした活躍っぷりが作品に対するハードルをあげ、気楽に本を書きづらくしているのではないかと心配しているところである。
このシリーズはできれば、もっと気楽な感じで文庫本あたりで、半年に1冊とか、少なくとも1年に1冊くらいの割合で読みたい作品である。よって、さほど労力をかけてくれなくてもよいので、もっと書きまくってもらえればと熱望している。
といっても、本書はライト系ではあるにしろ凝った内容になっているのは事実。内容は単純で新入部員が部活に入るのを辞めるのは何故かということを明らかにするだけ。ただし、それを周囲や本人の誤解を取り交ぜ、そういった事柄を解きほぐし真相をあらわにするという展開になっている。読み始めた時は一見、恋愛話なのかと感じたのだが、真相はどうなっているのかということは是非とも読んでたしかめてもらいたい。
なにはともあれ、もっとたくさん読みたいシリーズ作品であることは確か。次回作はあまり年をおかずに、早めに書いてもらえたらと願っている。
<内容>
イギリスの東に浮かぶソロン諸島。領主ローレントの娘アミーナは自然の要塞をかまえるこの平和な島で育った。しかし、この島にはひとつの不気味な物語が伝わっていた。それは切っても死なない“呪われたデーン人”による襲来の噂であった。領主ローレントは突如、島の危機を感じ、傭兵を集めだす。その傭兵たちは魔術師やら、異国の騎士など一癖も二癖もある連中。さらには、暗殺騎士を倒すために放浪している騎士ファルクとその従士ニコラもこの島へとやってくる。そうして数多くの者が島にそろったとき、殺人事件が勃発する! アミーナはファルクとニコラの力を借りて犯人の正体を暴こうとするのだが、そこに呪われたデーン人達が襲来し・・・・・・
<感想>
骨太のファンタジー・ミステリ作品。単なるファンタジーとあなどることなかれ、見事な本格ミステリとして完成されている。
舞台は十二世紀末の欧州とファンタジー世界を融合させたもの。当たり前のことながらなじみのない世界。最初はその慣れない世界に少々とまどい、読書がいまいちはかどらなかった。それが徐々にその世界観に馴染み始め、物語の構造がある程度見え始めてからは、どんどんと読むペースも速くなり、後半は一気に読むことができた。
内容は、領主を殺害できたものは誰か? ということを数名の容疑者のなかから論理的に暴くというもの。そこに“呪われたデーン人”の襲来と、暗殺騎士とそれに対抗する騎士との闘いの話が平行に進められてゆく。
ミステリとして、論理的に犯人を暴くという点については見事であったが、それだけにとどまらずどんでん返しを用いることにより、物語としてもうまく結末をつけている。魔術などの不可思議な力がはびこるという設定の中で、うまく物語を収束させていると感心させられた。
この作品は、近年思いついたものではなく、米澤氏がデビュー前に思いついた発想のもので、ネット上で問題編として公開していたとのこと。それが作家デビューが決まったことにより解決編を書くまでには至らなかったようだ。それをこのミステリ・フロンティアの七周年の企画で書くことができたのだという。これは日の目を見ることができて良かった作品だと言えよう。個人的には、この設定で続編を書いてもらえたらと思えるほど魅力的な舞台であった。
<内容>
父が失踪したことにより、今まで住んでいたところを離れ、母親の故郷に母と弟と3人で引っ越してきたハルカ。閉鎖的と感じられる小さな町に不安を感じていたハルカであったが、中学校で友達もでき、普通に過ごせそうな手ごたえを感じていた。しかし、弟がこの町にやってきてから不思議な予知能力を発揮し始め、徐々に不穏が漂い始める。また、ハルカは学校で“タマナヒメ”という町に伝わる伝承の話を聞き、その“タマナヒメ”について調べ始めてゆくのであるが・・・・・・
<感想>
二年ぶりの新作ということで期待をしたのだが・・・・・・個人的には今までの米澤氏の作品のなかではワーストという感じ。
序盤は、主人公のハルカが町や自分の家族に嫌な雰囲気を感じ始めていくのだが、このへんの様相がまるで道尾秀介氏の作品を読んでいるかのよう。途中から、“タマナヒメ”という伝承について調べてゆくあたりは、米澤氏らしさがでてきたなと思えたのだが、全体的に雰囲気が“嫌”すぎる。その雰囲気からか、なかなか読むスピードがはやまらず、読み終えるまでに結構時間をかけてしまった。
物語の結末も、一応ここでの話をきちんと収束してはいるものの、主人公のハルカ自身の物語は決して収束したとはいえず、なんとも不安の残る終わり方。ミステリ作品というよりも、モダンホラーというほうがふさわしいような内容。何故、ここまで“嫌”な雰囲気を全面的に押し出したのか、聞いてみたくなるような作品。
<内容>
「夜 警」
「死人宿」
「柘 榴」
「万 灯」
「関 守」
「満 願」
<感想>
米澤氏の作品集。特に統一されたテーマはなく、いろいろな内容の作品を魅せてくれている。ミステリとしてもなかなかの内容であったと感じられた。
のっけから警察小説が繰り広げられるのだが、米澤氏にしては珍しい作風なのではないだろうか。「夜警」は、駐在所で起きた警官死亡事件を掘り起こすという内容。そこで働く警官たちの内面がうまくあらわされている。
「死人宿」は、自殺者が多く出るという山中の宿で起こる綺譚。まるで怪談のようでもあるが、ある種の犯人当て(正確には自殺者当て)にもなっている。最後の一幕により、心憎く物語を締めている。
「柘榴」は、家族の離婚に至る様子を妻の側と娘の側から描いた作品。一見、普通の家族小説のように思えたのだが、徐々に明らかになってゆく娘の思いに心凍らされることとなる。
「万灯」は、海外で働くビジネスマンがもくろむ、完全犯罪を描いたかのような事件。最終的にはリドルストーリー風ともとれる。
「関守」は、ひとりのライターが事故の多い峠を取材するというもの。ホラーネタを手に入れようと、閑散とした食堂の老婆から話を聞くのだが・・・・・・結局本人がホラーの世界の真っ只中へと入り込むというなかなか怖い作品。しかも、決してホラーのみに終わっていなく、ミステリ的な要素も濃い。
「満願」は、この作品集のなかではミステリというよりも“小説”的な色合いが濃い。男を殺害した女性と、彼女を弁護するかつての知人との物語。最終的に、加害者となった女性の強い想いがタイトルに込められていることが明らかになる。
<内容>
ジャーナリストとなった太刀洗万智であるが、勤めていた新聞社を辞め、フリーのジャーナリストとなる。そうして、海外旅行特集の記事を組むためにネパールへと向かう。そのネパールで日々を過ごしていると、王宮で王族殺害事件が発生する。ジャーナリストとして、事件を記事にしようと取材を始めた万智であったが、彼女が取材した人物が殺害されるという事態に直面する。この事件の裏には何があるのか!? 真相を探るべく、万智はさらに取材を続けようとするのであるが・・・・・・
<感想>
ミステリというよりも職業小説という感じ。ミステリ的な部分もあるのだが、そこは非常に薄いと感じられた。ゆえに、ミステリ部分に期待し過ぎると、期待を裏切られるかもしれない。また、本書は「さよなら妖精」という作品に出ていた太刀洗万智という人物が再登場するが、本書と前者との物語上の関わり合いは薄いので、この作品のみ単体で読んでも全く影響はない。
この作品は、太刀洗万智という人物がジャーナリストとしてどのようなスタンスで仕事をしていくべきなのか、ということについて言及した作品である。何故、自分はジャーナリストの仕事をしているのか? 何故、自分は海外に来て取材をしなければならないのか? そこで誰に何を伝えるべきなのか? ということについて、太刀洗万智が悩みながらも取材活動を進めていくというもの。
話の半ばで、殺人事件が起きて物語はミステリ的な展開へと移り変わってゆく。その殺害された人物は、誰に、何故殺害されたのか。それを万智は王族殺害事件と絡めて書いてよいものかと、事件の真相を探るべく取材活動を進めてゆく。
と、ミステリ的な展開になったものの、最終的にたどり着いたところは、ジャーナリストとしての矜持的なところへ収束する。結局のところ、最初から最後までジャーナリストとは? というものを問いかける職業小説であったことに気づかされた。
<内容>
ジャーナリスト、大刀洗万智の活動を描いた6編。
「真実の10メートル手前」
「正義漢」
「恋累心中」
「名を刻む死」
「ナイフを失われた思い出の中に」
「綱渡りの成功例」
<感想>
昨年出版された「王とサーカス」が評判であったので、そこに同じく大刀洗万智が主人公を勤める短編集を出版するのはタイミングとしては絶妙であると思える。また、内容についてもミステリとは言えないものであるが、「王とサーカス」同様にジャーナリズムというものの活動とその仕事についての矜持を描いたものとして、しっかりとした作品に仕上げられている。
「真実の〜」は、大刀洗が新聞記者時代に経験した出来事。会社倒産後に批判を受け、失踪した女性の行方を捜す。
「正義漢」は、駅のホームで起きた事件とその顛末。
「恋累心中」は、心中した高校生の男女の事件について、大刀洗が真相を探る。
「名を刻む死」は、“無職”の男の死について、その死んだ男の生前の思いを洗い出す。
「ナイフを〜」は、3歳の娘が刺殺された件について、容疑者とされる16歳の少年による手記から真相に迫る。
「綱渡りの〜」は、水害の後、取り残された老夫婦の救出劇の裏側に潜むものを見出す。
これら作品はどれも大刀洗万智が主人公であるものの、主たる視点は常に別の者となっている(「真実の〜」のみ、大刀洗視点)。また、その視点は作品によってそれぞれ異なっている。そうした異なっている視点から大刀洗の仕事ぶりをうかがい、ジャーナリズムというもののあり方について問いただしているように思える。
また、それぞれの作品が単に事件記者としての活動を描いただけのものではなく、その裏に潜む真相に迫るものとなっていて、小説としても読み応えはある。ジャーナリズムゆえの小説であるかどうかはわからないが、少々後味が悪い内容のものが多いように思えるのは確か。この作品を読んだからといって、ジャーナリズムというものの在り方が見えるわけではないのだが、ジャーナリストとしてのひとつの形に触れることができるものとなっている。
<内容>
「箱の中の欠落」
「鏡には映らない」
「連峰は晴れているか」
「わたしたちの伝説の一冊」
「長い休日」
「いまさら翼といわれても」
<感想>
“いまさら古典部シリーズといわれても”と思ったのだが、意外とそれぞれきちんとできていると感じさせられた。もっとライト系な感じかと思いきや、意外と濃い内容の短編集であった。
「箱の中の欠落」は、生徒会長選挙にて、投票数が生徒数を大幅に上回るという事件が描かれる。なかなかミステリのネタとしても面白く、つかみの作品としてはよかった。ただ、結局犯人の意図や犯行後の行動がよくわからないというのは微妙なところ。
「鏡には映らない」を読むと、シリーズ主人公ともいえる折木奉太郎が、中学時代に一部のひとから嫌われていたようだという話が描かれている。そんな設定だったっけ? と思ったが、たぶんその卒業製作にまつわる話のみということなのであろう。話の内容よりもそちらが気になってしまった。後、できれば図入りで書いてくれればわかりやすかったかなと。
「連峰は晴れているか」は、ちょっとした話であるのだが、意外とハッとさせられるような作品。折木の人とのかかわり方に対する思いが込められている。
「わたしたちの伝説の一冊」は、女学生らしさが出ている作品と思いつつも、ギスギスした雰囲気に閉口してしまう。ミステリ的云々のものではなく、シリーズ作品として伊原摩耶花の重大事が描かれたもの。
「長い休日」は、折木の人物造形に関わる話。かわいそうな話であるようにも思えるが、考え過ぎるがゆえの不幸話のようにも捉えられる。まぁ、教師の方が生徒の感情を見誤っていたということであるのかもしれない。
「いまさら翼といわれても」は、千反田えるが、もうすぐ始まる合唱コンクールの場から立ち去り、姿を見せず、折木たちが捜索する。この内容自体は別によいのだが、この話を短編集の最後に持ってきて、微妙な感じで話を終わらせてしまうというのは、どういうものかと。できれば、この話を補完する話をきちんと掲載してもらいたかったところ。
「箱の中の欠落」 生徒会長の選挙の際、投票総数が生徒数よりも増えていたという謎を解く。
「鏡には映らない」 折木奉太郎が中学時代の卒業製作の際、手を抜いた理由とは?
「連峰は晴れているか」 ヘリコプター好きで知られる教師の本当の姿とは!?
「わたしたちの伝説の一冊」 漫画研究会のいざこざに伊原摩耶花がけりを付ける??
「長い休日」 折木奉太郎の人格に影響を与えた小学校時代の事件とは。
「いまさら翼といわれても」 地域の合唱祭に参加するはずの千反田えるが会場から姿を消したという。