<内容>
個人で探偵をやっている佐竹は、旧知の探偵社の社長で元上司でもある寺西に頼まれ、探偵スクールの新人・中野聡子の研修の相手を渋々ながら引き受けることとなった。佐竹は探偵活動の練習として、聡子に知り合いの米本探偵事務所に盗聴器を仕掛けさせる。事務所に忍び込んだ聡子であったが、そこで米本の死体を発見することに! 佐竹は知り合いであった米本が誰に殺害されたのかを個人的に調べ始める。その手掛かりとして一枚の障害児の写真があり・・・・・・
<感想>
打海氏初期の作品はハードボイルド系の探偵小説・・・・・・と読み始めた時は思ったのだが、読んでいくと違った様相へと。どちらかと言えば社会派ミステリ小説と言えるかもしれないが、探偵小説という枠組みからはみ出て、社会派小説という趣が強くなっていった気がする。
始まりは、ベテラン探偵と探偵見習いの女性が死体を発見するというミステリ的な展開。しかし、手掛かりとして障害者児童の写真を発見してからは通常のミステリとは異なる方へと話が展開していくこととなる。
障害者児童の身元を調べるのにどのように調査すればいいのかというところから、障害児童と社会とのかかわりについて、さらには障害児童の教育について、障害児と向かい合う両親についてと、さまざまな背景が浮かび上がってくる。そして事件はかつて起きた障害児童誘拐事件へと結びつけられてゆく。
当初、登場人物で見習い探偵である中野聡子については、決して探偵という職業にふさわしい人物ではなく、物語を進めていくうえでも邪魔なように思われた。しかし、この物語が徐々に社会派小説として展開してゆくことによって、この中野聡子という人物が重要なものとなっていく。単に“探偵”としての活動ではなく、“人間”として社会へと向き合っていくさまが描かれているとも感じられる。その人間として活動していく上で、感情的である中野聡子の行動がうっとうしさを感じさせながらも、より人としての行動を印象付けられるのである。
まだ打海氏の作品は3冊くらいしか読んでいないので、どのような内容のものを書く作家というのがつかめていないので、この作品に触れることによりまた印象が変わってしまった。今後ここから時系列順に作品を追っていって、どのような作品を書き続けた作家なのかというのを見極めていきたいと思っている。
<内容>
13歳の姫子は登校拒否により学校へ行っていなかった。ある日、昔生まれ育った家を見に行こうと旅立つと、そこで阪本という男と出会う。彼から昼食をごちそうになるのだが、阪本の家の近くの小屋で死体を見てしまい、慌てて逃げることに。その後、姫子は阪本と再会し、阪本が関わっているらしい殺人事件に自ら巻き込まれることとなる。一方、行方不明となった阪本を探している元同僚で探偵の鈴木ウネ子。彼女は、元刑事で探偵の野崎と共に阪本の行方と、彼に関わる殺人事件について調査していくのだが・・・・・・
<感想>
登校拒否の中学生、姫子が関わることとなる事件と、探偵社の面々。ひとりの女性が殺害され、公園に遺棄されていた事件が明るみに出る。姫子は旅先で出会った阪本の家でその死体を発見し、彼が事件に関わっていることを知る。一方、阪本と昔一緒に仕事をしていた60歳の女探偵・鈴木ウネ子は、行方不明になった阪本を心配し、事件の捜査に乗り出す。そしてやがて、姫子とウネ子が交錯することとなり・・・・・・
という内容であるのだが、実はこの事件、登場する阪本という人物から始まり、阪本という人物に収束する事件。事態は全て、“お前が原因で引き起こされたものだろ!”と言いたくなるようなもの。ようは、全ては女たらしの男に帰結するというもの。ゆえに、結論から見てみると、姫子やウネ子の存在がややかすんでしまうものとなる。
ただ、物語が進んでいる途上では、あくまでも姫子やウネ子が話をかき回すという形態であり、それらの行動に惹かれつつ、ページをめくってゆくこととなる。個人的には姫子が13歳という、あまりにも拙い年齢であるがゆえに、キャラクター造形に違和感を抱いてしまった。せめて、15歳くらいで良かったのでは? と思えたのだが。
この作品の後に、姫子が19歳となったときの事件を描く「愛と悔恨のカーニバル」という作品があり、私は先にそちらから読んでしまった。個人的には「愛と悔恨のカーニバル」のほうが衝撃的で出来が良いと思えたので、この作品を先に読んでからのほうがもっと楽しめたのではと感じてしまう。興味がある人は「されど修羅ゆく君は」から「愛と悔恨のカーニバル」へと順番に読むことをお薦め。
<内容>
19歳の永井万里子は、小さな印刷所に勤めていた。その印刷所は倒産寸前であり、万里子は明日にも退職するつもりであった。その矢先、会社に暴力団や整理屋らが現れ、社長夫妻が連れ去られてしまい、会社は大混乱に。その整理屋たちのなかに、叔父の姿を見た万里子は、叔父である萩元の行方を捜索する。叔父と会うことができた万里子であったが、彼と別れた直後、叔父は何者かに殺害されてしまうことに。万里子は、かつて萩元の友人であった真船の力を借りて、叔父が何者によって殺害されたのかを探ろうとするのであったが・・・・・・
<感想>
「時には懺悔を」以来の打海氏の作品であるが、この作品はやや読みづらかったかなと。全体的にドタバタし過ぎていたように思えたところと、前半と後半で主人公と話の目的が変わってしまったところにも影響しているように思えた。
前半は、印刷会社勤務の19歳の万里子が会社の倒産劇に巻き込まれてゆく。さらに自分の家族や叔父を通して、その行く末に挑んでいくという内容であったのだが、途中で真船というもう一人の主人公が出てきてから話がおかしくなる。この真船が出てくると、万里子を差し置いて、こちらが主人公となり、万里子の叔父が殺害された事件と、さらにその後の事件の展開を単独で追い続けるというもの。後半になって、序盤の印刷所の倒産が全くと言っていいほど関係なくなってしまうのはどんなものかと。
というわけで、万里子を主人公にするならするで、真船を主人公にするなら最初から登場させればよかったのではと感じてしまった。また、文庫化してタイトルが「苦い娘」と改題されたが、最初につけられた「ピリオド」のほうが内容にふさわしいかなと。
<内容>
「はしゃぎすぎてはいけない」
「結婚式までカウントダウン」
「お家へ帰ろう」
「街で拾ったもの」
「みんな我慢してるんです、と彼女は言った」
「ふたりのメアリー」
「美しい年齢」
<感想>
短編集。男の視点が主体となっての恋愛模様が描かれる作品が集められているのかと思いきや、2編目あたりから、思いもよらない世界に引き込まれてゆくことに!
最初の「はしゃぎすぎてはいけない」は、そのタイトルの通り、自身の生活や恋愛模様が驚くほどうまくいき、高揚していく男の様子を描いている。“はしゃぎすぎては”というには、かわいそうなのだが、女性といい関係を結ぼうとする男の行為がとんでもない結末をもたらす。
2作目「結婚式までカウントダウン」では、マリッジブルーになった男の話。結婚式前に魅力的な女性にであったことにより、思わぬ闇にひきずられることとなる。最初は、普通の恋愛物語のように思えたのだが、ラストではとんでもないシーンを目の当たりにさせられる。この作品に来て、この短編集が単なる恋愛小説ではなく、とんでもないサイコ・サスペンス小説であるということに気づかされる。
その後の作品も男が主体となり、魅力的な女性とよい出会いをするという展開の内容が繰り返されるのであるが、待ち受けている悲惨なラストまでも繰り返されることとなる。さらには、最後の作品で一連の作品をまとめてしまうというとんでもない力技にでることに。
まさか、本書が連作短編となってしまうとは思いもよらなかった。なんか、思いもよらずすごい小説を読んでしまったなという感じである。少々古い作品であるがゆえに入手はしづらいと思われるが読んで損のない作品である。読みやすく、1日くらいで簡単に読み上げられるところも吉。また、とんでもない話のわりには最後の最後で口当たりも悪くないという印象のような。
<内容>
小さいころ母親が自殺した“僕”は17歳になり、高校を休学し、Rの家で過ごすことにした。Rの家とは、僕の家族と親族らが田舎で暮らすために建てられた家で、生前母親がその手続きのために奔走していた。そしてRの家の準備が整ったとき、母親は入水自殺を試み、その後死体は発見されてはいなかった。僕がRの家へ行くと、伯父の雅彦と、いとこの李花が既にそこで暮らしていた。3人での同居生活を始めることとなり、そこで僕は母親の死について調べ始め・・・・・・
<感想>
書かれたのはバブル期以後であるのだが、バブル期に描かれた青春小説というような感触を受けた。いわくのある“Rの家”で生活を始めた3人が、それぞれ性的なエピソードを披露しつつ、自由奔放に過ごしていく。
最初は、単なる青春小説のような様相でしかなかったように思えたが、主人公の母親の自殺について掘り下げていくうちに徐々にミステリとしての雰囲気をにおわせ始める。序盤に語られた、いくつかのエピソードや、そこに出てきていた登場人物が、自殺をする前の母親に人生に関わっていたことがわかり始め、物語は複雑な構造をとりはじめてゆく。そうしてさまざまな紆余曲折を経て、事の真相が見え始めてくることとなる。
読み終えてみると、それなりにミステリ小説っぽい雰囲気であったなという印象を抱けた。最後の最後で、真相を明かすのをもったいぶり過ぎていたようなきらいはあったものの、全体としては意外と楽しめたかなと。青臭いだけの小説に終わらなかったところが良かったと思いつつ、これもまた最後の最後で青臭くなりすぎてしまったような・・・・・・
<内容>
福井県の西端にある、海市(=蜃気楼の意味)という、いささかロマンチックな名前を与えられた新興の港湾都市。凶悪犯罪の多発により、警官の殉職率が東京をはるかに凌駕するレベルに達したとき、それが熱病を呼んだ。
市警察の下級警官の一部が地下組織をつくり、マフィアに報復テロルを宣言して、法の番人自らが法秩序を脅威にさらしたのである。彼らは『P』と呼ばれた。
<感想>
馳星周が「不夜城」により独自のアジア世界を描いたが、打海氏も同様に日本の中に近未来アジア地区を構築した。ただし、馳氏のほうの分かり易い設定に対し、打海氏のほうの設定はかなり複雑で分かりにくいものとなっている。この複雑さは例えるならエルロイの世界を髣髴させるものであり、いやそれよりも直接、打海氏を和製エルロイといってもいいのかもしれない。
この本はなかなかよく出来た本であると思うのだが、前述に述べた「不夜城」に比べると一般的に読まれているとはいいがたいだろう。その理由はやはりこの複雑な設定内容のせいによるところだと考えられる。複雑な内容ではあるのだが、本書は読み進めていくうちに色々な視点から、いくつかの主要な事件についての事象が繰り返し述べられていくことによって内容や顛末は徐々に把握できるようになってくるという構造になっている。よってある程度読み進めることができれば、この世界のなかに入って来れるようになるのだが、これは最初の段階で頓挫してしまう人も多いかもしれない。結局のところ、どういうふうに物語が進んでいくのかということを予測することができないので、目的を据えて読むことができないという点は苦しいかもしれない。ただし、著者にしてみればよめない展開というのは望んだものであるのかもしれない。
内容は、警察の内部により起きた暗殺、粛清事件を裏で手を引いていたのは誰なのかということを複数の立場の異なる者達が調べていくというものである。その複雑に絡み合いながらも、ひとつひとつの事件がまるで歴史の事象の様にくっきりと位置付けられて物語の中で説明付けがなされているところは見事である。ただ、それでも一つ付け加えるとするならばラストはあまり好きな終わり方ではない。一概にそういえないかもしれないが、なんとなくぼかされたような気がしないでもない。最後にいたり事象が一つにまとめられてきたのだから、そこになにかもう一山あっても良かったのではないかと思う。
このような本書の内容に、もう少し分かりやすさや明確さが加わればこの著者は必ずやブレイクするのではないだろうか。以降、ぜひとも追いかけていきたい作家がまたひとり増えたことになりそうだ。
<内容>
姫子は幼い頃近所に姉と二人で住んでいた翼と8年ぶりに偶然出会う。自然と互いに惹かれあい恋人同士となってゆくのだが、姫子は自分が翼に愛されていないことに気づく。そんなとき、翼は駅で倒れていた若い女を保護する。それがもとで事件に巻き込まれることとなる翼。そして何故か翼は周囲が予想だにしない行動をとり続けてゆく。姫子は翼に会おうと知り合いの探偵事務所の探偵たちの力を借りるのだが・・・・・・
<感想>
打海氏の作品を読むのは「ハルビン・カフェ」以来。「ハルビン・カフェ」が結構難解な作品であったので、こちらもそのような内容をイメージしていたのだが、打って変わって読みやすい内容の小説であった。
本書は久しぶりに会う、幼馴染の男女の恋の物語・・・・・・というところが出発点となっているものの、次の駅へと向かう頃には、全く予想だにしない光景が繰り広げられることとなっている。
複雑な内容になるはずはないのに、なぜか物語の進行とともにやたらと複雑になってゆくプロット。主人公のひとりである翼という少年が行動を起こせば起こすほど、不可解な領域へと突入していく。そうして徐々に翼という人物が抱える闇が明らかにされてゆく。
また、本書の味となっているのは個性的な登場人物たち。この作品には多くの登場人物が出てくるのだが、突如物語りに登場してきて、単なる脇役かと思えば、それがやたらと存在感を主張し始めるのである。そうした人々が数多くというか、そうした登場人物ばかりが出てくる作品なのである。ゆえに、本書は主人公である姫子と翼の物語のはずであるが、それはあくまでも最初と最後だけであり、途中は脇役達の存在が彼らの存在を覆い隠すかのように主張しつくす内容となっている。
そうして物語は始まりの場面のように、姫子と翼との物語で幕が引かれることとなる。ただし、そこまでに至る過程が尋常ではないので、当たり前ながら良い話として終わるようなことはない。にもかかわらず、最終的には普通の少年少女の恋の物語のようなすがすがしささえ感じられてしまうのである。
これまた何とも複雑な印象の染み出す作品であった。これは「ハルビン・カフェ」と本書の2作のみならず、もう少し打海氏の作品に触れてみたいと感じさせられた。そんじょそこらのライトノベルスや恋愛ロマンス作品などを吹っ飛ばすような、強烈なボーイ・ミーツ・ガール作品。
<内容>
「初恋について」
「一九七二年のレイニー・ラウ」
「路環島にて」
「満月の惨めで、かわいそうな」
「花におう日曜日」
「胸が痛い」
「ここから遠く離れて」
「バラの記憶」
<感想>
恋愛小説集というような内容。打海氏の短編作品と言えば、以前読んだ「そこに薔薇があった」という強烈な作品があったが、この作品は普通の恋愛小説集といってよいであろう。悲劇的な終わり方をするようなものはなく、それなりに良い終わり方をするものばかり。
印象的なのは「一九七二年のレイニー・ラウ」。これはかつての恋人とよりを戻そうというような話なのであるが、肝心の本筋よりも、父親と娘との妙に距離感の近い関係性が微妙であり、その居心地の悪さが印象的。
「花におう日曜日」は、借金取りが主人公であり、どこか悲劇的というか、ノワール的な内容の小説風であるが、ここでは悪い方向へと行く前にうまく区切りをつけている。このまま話が続けば、恋愛小説ではなく、別のジャンルの小説として発展してゆくことであろう。
「ここから遠く離れて」と「バラの記憶」は、それまでの作品とは変わって、打海氏自信の作品に関する話が含まれており、まるで著者自身が主人公であるかのように感じられる。まぁ、たぶんフィクションだとは思うのだが、案外「バラの記憶」は本当の話なのかもしれない。
<内容>
十一歳の僕は友人とコンサートへと行く計画を立てた。僕は東京の西校外に住んでおり、都心へと出かけるのははじめての経験であった。そんなひと夏の冒険を行おうと思った矢先、集合時間に友人が来ず、連絡も取れないという事態が。そこで僕はひとりで都心へと行き、無事にたどり着きコンサートを堪能する。その帰り、駅のホームでちょっとした人身事故を目撃する。その時に、ひとりの若い男に声をかけられ、そのことが妙に印象に残った。そして僕は家へと帰りつくのであったが、家のなかで何故か異臭につきまとわれることに。そして次の日、僕は自分を取り巻く世界が変わってしまったことに気づき始め・・・・・・
<感想>
どのような作品を書くのか、読んでみなければわからない打海氏であるが、今作はなんとパラレルワールドものである。11歳の少年が、自分が以前とは異なる世界にいるのだと徐々に気づき始めるという内容。
少年自身、パラレルワールドへと飛ばされることになったきっかけはわかるものの、何故とか、どのようにしてなどの詳細は一切わからない。周囲の微妙な雰囲気が何か違うと感じていたのだが、それがある決定的なものを目にすることにより、以前とは異なる世界にいることを知る。
SFチックなものを描きたかったというよりは、異なる世界に取り残された少年の心持を文学小説風に描きたかったというような印象を受ける内容。以前の両親とは異なる人々たちであると気づく少年、そして今までの息子とは異なることを知った両親。そういった人たちの心理状態をまざまざと描いている。
その異世界で悩みながら、少年は同じところから来た男と共になんとか元の世界へと帰ることができないかと模索していく。そうしながらも時は刻々と過ぎ、馴染めない世界で生きつつも、さまざまな事を考え続けてゆく。パラレルワールドというものを扱いつつ、主題はアイデンティティの模索という小説であるように感じられた。
<内容>
幼馴染である編集者の田中聡とライターのさとうゆうは、田中聡がファンであった小説家・小川満里花と交流を持つことに。三人は過去に聡とゆうが買おうとしていた犬にまつわる出会いをしており、互いに縁を感じていた。そして今は満里花が買っている犬・イエケを交えて、新たな交流を築き上げていくはずであったのだが・・・・・・
<感想>
読み始めた時には普通小説であるのかなと。この作品の前に打海氏の「一九七二年のレイニー・ラウ」という短編集を読んでいて、そこで描かれていた短編作品を長編化したような内容なのかと感じられた。しかし、話が進むにつれて、物語上さまざまなジャンルが入り乱れることとなり、最終的にはどのようなジャンルの小説とも言い難い作品となってしまった。
最初は男女の淡い恋を描いたような作品かと思い、打海氏の作品としては「愛と悔恨のカーニバル」などと比べるとおとなし目の小説なのかと思われた。しかし、読み終えてみるとこの作品もそれに負けず劣らず、なかなかの強烈な作品であったと感じさせられた。男女の恋あり、過去の曰くあり、感染あり、狂犬あり、幻想ありと、最後のページを読んでいるころには、もう何が真実で何が虚実なのかさえもあやふやになってしまう始末。これはかなりの怪作。少なくともタイトルから印象付けられるような牧歌的な話ではないことは確かである。